ペリドットの瞳



未使用だったらバスタブとして使えそう。そんな大きさの鍋の蓋を開けると、中に入っていた塊が、部屋の照明を受けてきらめいた。

「わぁ……」

手袋をつけたままで手に取ってみる。それは自分の手のひらに収まる大きさで、採掘したばかりの原石みたいにゴツゴツしていて、雪が解けた後に顔を出す若草みたいな色だった。

「ほう……。形は少々不格好だが、初めてにしては悪くない。ちゃんと教科書を読み込んできたようだな、仔犬」

「ありがとうございます!」

錬金術といった理系科目を担当しているクルーウェル先生が、満足そうな顔で褒めてくれた。作った石を両手で大事に包み、嬉しくて緩む頬は押さえないでお礼を言うと、クルーウェル先生の紅い革手袋がぽんと頭にふれた。

この色はペリドットだろうか。きらりきらりと揺れる輝きを、光にかざして楽しんでいると、何だかどこかで見たような気がしてきた。

いつだっけ。どこでだっけ。

きらきら、きらきら。光に導かれるように、ゆっくり記憶が呼び覚まされていく。

月の下、星明かりの中。夏の夜に飛び交う蛍みたいな黄緑色の光の粒子と、それから……。

「あ、」

なるほど。そっか。あの人に似てるからか。

***

太陽が空の西に沈み、代わりに月が昇る頃。自分が住まわせてもらっているオンボロ寮に、ふらりとやってくる人がいる。

名前はまだ知らない。「好きに呼べ」と言われたので、グリムが付けた"ツノ太郎"というあだ名で呼ぶことにした。

理由は至って単純。頭から黒いツノが生えてるから、ツノ太郎。ちなみに羊みたいにくるりと渦を巻くタイプじゃなくて、インパラみたいに上に伸びてるタイプだ。

この学園の制服を着てるから、生徒なのは間違いないと思うんだけど、学園内で見かけたことは1度も無い。

歳は多分、自分より上。自分の年齢の話をした時に、「僕からすれば赤ん坊だな」と言ってたから。

自信作のあの石をポケットに入れて、オンボロ寮の近くにあるベンチで彼を待っていると、暗がりから抜け出てきたようにツノ太郎が現れた。

「こんばんは、ツノ太郎」

「あぁ。いい夜だな、人の子」

ツノ太郎は、自分の話をよく聞きたがる。例えば、今日は何の授業があったのかとか、学食では何を食べたのかとか、お父さんが子どもに聞くようなこと。

「そうだ!今日、錬金術の授業で宝石を作ったんだよ」

ポケットからペリドットを取り出して、ツノ太郎に差し出す。同じ色合いのツノ太郎の目に、興味深そうな感情が見えた。

「お前がこれを作ったのか?」

「うん。今までで1番上手に出来たから、ツノ太郎にも見せたくて」

「……僕に?」

「これを見た時、ツノ太郎を思い出したんだ。ほら、綺麗な若草色で、ツノ太郎の目みたいでしょ?」

隣に座るツノ太郎の顔の横に、ペリドットを持っていく。うん、やっぱりそっくりだ。そう思いながら笑みを浮かべると、端正な顔に2つ並んでいるペリドットが、ほんの少しまん丸くなった。

「それに、ペリドットは"夜会のエメラルド"って呼ばれてたらしいよ。ツノ太郎とはいつも夜に会うから、イメージに合うと思ったんだよね」

「……確か、ペリドットは夜間照明の下でも、昼間と変わらない緑色を保つから、だったか」

「すごい。ツノ太郎詳しいね」

「これくらい常識だ」

ふっと口元を微かに緩めてから、ツノ太郎が「手に取って、見てもいいか」と尋ねてきた。「いいよ」とペリドットを手渡すと、ツノ太郎はそれを色んな角度から眺めて、月にかざした。


「……美しいな」


ぽつりと、雨粒が木の葉に落ちるような、優しい呟きだった。

「お前の目には、僕の目がこのように映っているのだな」

大切なものを見守るような、愛おしいものを見つめるような、そんな甘い、温かな目だった。

「……この石、僕が貰っても構わないか?」

「……え……、いいの?歪な形してるよ?」

「いい」

「磨いてないからゴツゴツしてるよ?」

「これでいい。これがいい」

よっぽど気に入ってくれたのか、お気に入りの人形を抱きしめる子どもみたいな瞳で、ツノ太郎がペリドットを握る。その仕草が何だか可愛く見えてきて、自分はクスッと笑った。

「いいよ。ツノ太郎にあげる。大切にしてくれたら、自分も嬉しい」

「感謝する」

それは星が降ってきそうな、安らかな夜のことだった。

***

最近、不思議な人の子と出会った。

この世界にいて、僕のことを知らないと言い、僕のことを珍妙なあだ名で呼ぶ、世間知らずな面白い人の子。

名前はまだ知らない。僕も教えていないから、お互いさまだ。

好きなもの、嫌いなもの、生まれた日、故郷のこと。何も教えていない代わりに、僕もあの子どものことを何も知らない。

それでいいのだ。きっと僕のことを話せば、今のような気安い関係は、砂の城のように儚く崩れ落ちて消えてしまう。

妖精族の末裔であり、茨の谷を統べる王であるマレウス・ドラコニアとしてではなく、ただの"ツノ太郎"という1人の男として、誰かと気軽に言葉を交わす楽しさを僕は知ってしまった。

だから、このままでいい。このままがいい。

そう思って、でもこの子どもがどんな学園生活を送っているのか知りたくて、それに関する質問を投げかける。

子どもとの会話に困った父親のようじゃの、と、リリアは笑うだろうか。

「今日、錬金術の授業で宝石を作ったんだよ」

よほど自信があるのか、人の子がポケットに手を入れて、黄緑色の石を取り出す。形状はやや歪だが、濁りの無い良い色をしていた。

「今までで1番上手に出来たから、ツノ太郎にも見せたくて」

「これを見た時、ツノ太郎を思い出したんだ。ほら、綺麗な若草色で、ツノ太郎の目みたいでしょ?」

僕の顔とペリドットを並べて、子どもが無邪気に笑う。恐れの無い澄み切った笑顔で語られたのは、僕の目のことだった。

自分の目なんて、特段気にしたことは無かった。気にするといえば、僕に見られて、震えたり怯えたり、目を逸らしたりする者がいることには慣れていたが、宝石に例える者などいなかった。

「それに、ペリドットは"夜会のエメラルド"って呼ばれてたらしいよ。ツノ太郎とはいつも夜に会うから、イメージに合うと思ったんだよね」

夜間照明の下でも、昼の太陽の下でも、その緑色を変えないペリドット。
もしかしたら、この人の子にも、僕のことがそう見えているのだろうか。

昼間はマレウス・ドラコニアとして他の人間に恐れられる僕も、こうして夜に2人きりでツノ太郎として話している僕も、同じだと思ってくれるのだろうか。

そんなはずは無いのに。

「手に取って、見てもいいか」

そう尋ねると、人の子は快く、石を僕の手に乗せてくれた。

僕の手には少し小さい大きさだ。磨かれて完成していないからこそ、この石には魅力があるように思えた。

ペリドットを空にかざす。向こう側に白く輝く月が、ぼんやりと透けて見える。

雪が解けた後に顔を出す若草のような、どこか温かさを感じる黄緑色が、きらきらと輝いている。

「……美しいな」

正直な感想が、唇からこぼれ落ちた。

「お前の目には、僕の目がこのように映っているのだな」

自分の目を、こんな美しいものに例えてくれる者がいる。
自分の目を見て、この温かな色を連想してくれる者がいる。

その事実が、こんなにも心を震わせる。胸の辺りが、心地よい温もりで満たされていく。

「この石、僕が貰っても構わないか?」

そう聞いてみると、人の子は少し慌てた様子で、形が歪だの磨いていないだのと言った。

それでもいい、むしろこのままがいい。

この手にある宝石を手放したくないという思いを込めて告げると、人の子はくすりと小さく笑った。たまにリリアも、この様に楽しげで見守るような顔をする。

「いいよ。ツノ太郎にあげる。大切にしてくれたら、自分も嬉しい」

星が降ってきそうな、静かな夜。
僕は初めて、友と呼べる存在から、贈り物を貰った。
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