夏椿の物語
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────桜が散る夜、また来るよ。
そんな声を、夢で聞いた。
***
時刻は黄昏時。
今日はおいなりさんにしよう。ごまを入れて、柚子の皮も少し入れよう。いつもおばあちゃんと作ったみたいに。
学校の帰りに、行きつけのお店で夕飯の材料を買って。霧雨にしっとりぬれる桜を見ながら、小走りで帰るときだった。
「……?」
折りたたみ傘の隙間から、ちらりと何かが見えた。黒いかたまりが少し動く。
路地裏に隠れるようにしているそれは、尻尾のもふもふ感からリスさんかと思ったけど……。
「狐さん……?」
黒い狐さんだった。2本の尻尾の先がくっきりと白い。軽く怪我をしているみたいだ。
そっと抱えあげて胸に抱き、私はそのまま、家まで走っていった。
雨が降った後の夕焼けだからか、辺りが妖しげな色に染まる。
連れて帰った狐さんの手当てをして、タオルにくるみ、重ねた座布団に寝かせた。
「さてと」
夕飯を作るためエプロンをつける。そのとき、縁側から顔なじみの三毛猫がやって来た。
「みゃー」
「ミケ、ご飯はまだだよ?」
足元にすり寄るミケを撫でながら言う。
「……そうだ。狐さんの名前、どうしよう」
私には、出会った動物に名前をつける習慣がある。たとえば、ミケ、シロ、シバ、トラ……。その子たちと過ごした時間を、日記に書くためだ。
そういえば、狐さんの手当てをしてるとき、うっすら開いた目が赤かった。赤色といえば……。
「……そうだ。"アカネ"にしよう」
気持ちをほんのり弾ませて、私はミケを外に連れていってから、台所に手を洗いに行った。
***
おいなりさんの甘いにおいが漂う。鼻歌を歌いながら茶の間に行き、おいなりさんとわかめのおみそ汁、焼き鯖をちゃぶ台に置いた。
「いただきま……」
そのとき、ぴょこんと狐さん……アカネがちゃぶ台に乗ってきた。
「起きたの? ごはん……」
おいなりさんを作ったときに、残った油揚げを取りに行こうと立ち上がったとき。アカネがおいなりさんを1つ、パクッとくわえた。
「……おいなりさん、食べるの?」
こくん、とアカネがうなずく。
「……そっか。じゃあ分けっこだね」
ふふ、と微笑んで、私もおいなりさんに箸をつけた。動物たちといるときは、私は笑うことができる。
ふと気づくと、アカネが私の手首の絆創膏を見ていた。
***
湯船に浸かりながら、自分の手首に走る傷跡をぼんやり見つめる。腕にも、幾つもの傷が残ったままだ。
よく私は、自分がちゃんと存在しているか分からなくなる。人は誰も私に気づいてくれないから。
だから自分の血を見て、あぁ、私は生きてるんだなぁ。存在してるんだなぁって実感する。
こんなことを思う私は、おかしいかな?
……ううん、それだけじゃない。ミケやシバたちといるときも。"ここにいる"って実感する。
お風呂から上がって茶の間に行くと、アカネが座布団で丸まって眠っていた。
何だか心配なので、二階に一緒に連れて行くことにする。布団を敷いて、枕元にクッションをそっと置いた。
日記をつけ終わり、アカネの寝姿を見てると、明日も生きられる気がしてくる。
「……おやすみ、アカネ」
ふれるかふれないか、そんなふうにそっとなでてから布団に入った。
***
満月が昇る。濃紺の空にかかる白い光が、少女が眠る部屋にも届く。
春の夜。誰もが寝静まった丑三つ時。
何かの気配を感じたのか、ぴくりと耳を動かして黒狐が赤い目を開けた。
タオルから抜け出してぴょこぴょこと窓まで寄っていき、くるりと回る。
その瞬間、白い羽織が揺れ、黒狐の代わりに黒い着物の青年が立っていた。袖からのぞく腕には傷一つ無い。
彼が二重になっている窓を開けると、濃いピンクの髪の、手品師に似た格好をした青年がベランダにいた。
「つばきゅん、やァ~っと見つけたァー!」
わーいとテンション高く笑う彼に、青年はサングラス越しに柔らかく微笑む。
「探してくれてありがとう、べルキア。あと静かにね」
「えェーなんでェ~……ってアレレ? つばきゅんその人間殺さないのォ?」
「うん」
こちらの声に起きることもなく、規則正しい寝息をたてている彼女。
「この子は、殺しちゃったら面白くないから」
そう言うと、彼は少女の枕元にしゃがみこんだ。
「そうだな。……桜が散る夜、また来るよ」
指先で少女の頬にふれながらそう告げた青年は窓から降り、夜の街へとけるように消えていった。
***
ひんやりした空気に目を開けた。
上半身を起こすと、窓が開いてそこから夜風が吹き込んでいることに気づく。
……いつの間に窓を開けて寝たっけ……。
首をかしげながら窓を閉めて布団に戻ると、アカネが寝ていたクッションに、赤い椿の花が落ちていた。
アカネはいない。
……そうか。アカネには、帰る場所があるんだ。
そう思ったとき。
────桜が散る夜、また来るよ。
男の人の声が頭の中に響く。
あれは、夢?
手に取った季節はずれの椿の花は、アカネの目と同じ真紅で。自分の頬に残る温度と同じく、ひんやりとしていた。
外では外灯に照らされながら、ひとひら、ふたひら、薄紅の花びらが舞っていた。