推しをアフタヌーンティーに連れていきたい話
淡い緑がかった灰色の壁紙には、木の枝にとまる小鳥が描かれていた。柔らかな長椅子に腰かけたまま、おれは何気なく辺りを見回す。
深みのある焦げ茶の家具。燭台や花のような形をしたランプ。更にミニチュアの建物やティーカップ、陶器の人形にぬいぐるみのクマ等、細々したものがあちこちに配置されていた。おれの隣にも、赤い帽子と青いコートを身につけた小グマが、ちょこんと座っている。丸っこくて黒い目が、おれを見上げていた。
あからさまな少女趣味ではないが、どちらかと言えば女が好みそうな内装。実際、店内にいるのは女の割合が高い。正面に視線を戻せば、向かいにいる恋人が口元を緩めていた。
「大きくて強い人の隣に、ちっちゃくて可愛いのがいる。可愛いですね」
「そっちの席に置いとけ。お前の方がしっくりくるだろ」
「いいじゃないですか。パディントンと相席なんて、滅多に無いですよ」
「パディントン?」
「イギリスの児童文学に出てくるんです。紳士的で、マーマレードが大好きなクマさん。ちなみに名前の由来はパディントン駅からです」
英国文化を好む彼女の話を聞いていると、店員がワゴンを押して来る。皿を3枚重ね、アーチ型の金具で固定したスタンド。縁が外側に開いたカップと、ずんぐりしたポット。テーブルを埋める、野いちごが描かれた食器たちに、彼女はきらきらと目を輝かせた。
「可愛い……!」
店員がどこか誇らしげに微笑み、メニューの説明を簡単にしていく。「ごゆっくりどうぞ」と告げて立ち去る姿に会釈をしてから、彼女は嬉しそうに写真を撮っていた。
「「いただきます」」
下の段に並んだサンドイッチをつまみ、口に放り込む。具はおれの好物のスモークチキンだ。いぶしたようなチキンの塩気と、パリッとしたレタス。そして柔らかなパンが合わさって、悪くない。2口くらいに分けて齧っていた彼女は、ぽかんと口を開けていた。
「サンドイッチが一瞬で消えた……」
「美味いが小せェな」
「そういえばエッセイで読んだんですけど。本場だとサンドイッチもスコーンもケーキも大きいサイズらしいですよ。スコーンなんて、手のひらよりひと回り大きいみたいです」
「へェ。そっちの方が食いごたえありそうだ」
"スコーン"と呼ばれた食い物は、中央の段に並んでいた。円筒型の形できつね色のそれを手に取ると、ほんのりと温もりが伝わってくる。これも1口で食えそうだが、どう食うんだ。眺め回していると、彼女が柔らかく声をかけてきた。
「スコーンはこうやって半分に割って、内側にクリームとジャムを盛るんです」
横に走るひび割れに指をかけると、パカッと2つに割れる。試しに小さな器に入った、白いクリームと赤いジャムを乗せてかじると、ボロ、と欠片が落ちた。香ばしい小麦の香りが鼻を抜ける。
「ん、……生クリームとは違ェんだな」
「クロテッドクリームは牛乳を加熱して、取り出した乳脂肪分で作るんですよ。生クリーム以上バター未満の乳製品なんですけど、意外と味わいがあっさりですよね」
確かになめらかでコクがあるが、しつこくない味だ。甘酸っぱい苺のジャムとの相性も良い。ただ、おれは少量で充分だな。残りを口の中に放り込み、ぱさついた喉を茶で潤す。湯気と共に、柑橘のような香りが漂った。
「さっくりふわふわ。美味し〜」
向かいでは幸せそうな顔で、スコーンを食べる彼女がいた。クリームとジャムをたっぷり盛り付けて、ちまちまかじっている様子は、リスかハムスターを連想させる。本当にこいつは甘いもんが好きだな。そう思いつつ、おれは自分の分の小皿を、彼女の方に差し出した。
「使っていいぞ」
「え、いいんですか?! クリームとジャムを乗せてこそのスコーンでは?」
「おれは少しでいい」
「じゃあお言葉に甘えて……。うわぁー、いっぱい盛れるの嬉しいです!」
無邪気に笑いながら、せっせとナイフで乗せていく。白と赤の小山のようになったそれを頬張り、頬を緩ませる様は、何とも幸せそうだった。胸の辺りが甘いような気持ちになりながら、おれは彼女の方へ手を伸ばす。
口の端についていたクリームを、親指で拭って舐め取れば、彼女の頬が苺の色に染まった。
「す、スモーカーさん! 言ってくれれば自分で取りましたよ!」
「悪ィな。お嬢さんがあまりにも、熱心に食ってたもんで」
恥じらうようにちょっとだけ唇を噛むも、上段のケーキを前にして、その気持ちは吹き飛んだらしい。白と黄色のコントラストが印象的なレモンパイを、いそいそと取り分ける彼女を眺めながら、おれはココット皿を1つ取った。
スプーンで焦げ茶色の表面をつつくと、パリパリと軽い音を立てて割れる。すくって口に含めば、なめらかな紅茶風味のクリームが、とろりと口の中で溶けていった。キャラメル状の表面が、サクサクとした食感になって混ざる。
「え、このミルクティークリームのミニブリュレもめっちゃ美味しい……。おかわりしたい……」
その香ばしいほろ苦さと、ほんのりとした甘さの絶妙なバランスに魅了されたのか。彼女は丸い目を大きく見開いて、舌鼓を打っていた。確かに甘ったるくなくて食いやすい。
「構わねェよ。おれもサンドイッチの追加を頼みてェと思ってた」
「まずチョコケーキを食べ終わってからで……! こっちも美味しい……!」
ダークチョコレートでコーティングされたそれは、一見シンプルな見た目だ。白い欠片がいくつも埋まっていて、断面から不思議な模様を覗かせている。フォークで口に入れると、バターのような濃厚さが伝わった。白い欠片はビスケットらしく、食感に軽やかな変化が起こる。
「このチョコレートビスケットケーキ、チョコを冷やして固めるだけで作れるんですよ。実はイギリスの女王様や王子様も、お気に召したケーキなんです」
「意外とジャンクな味もいけるんだな。ロイヤルファミリーってのは」
チョコレートの甘さを、砂糖無しの紅茶で流す。長く蒸らしていた影響か、さっきよりも柑橘や茶葉の風味を濃く感じた。
「追加、注文するか」
「スモークチキンのサンドイッチと、ミルクティークリームのミニブリュレ、ですよね」
「チョコケーキも頼むといい」
「スモーカーさん、あんまり私を甘やかさないでください」
「甘やかしてんじゃねェ。愛でてるだけだ」
話しているうちに、おかわりが運ばれてくる。葛藤の末に甘いものの誘惑に負けた彼女は、嬉しさと罪深さに挟まれたような、複雑そうな顔でフォークを咥えていた。
「食後の運動なら手伝ってやるよ」
「お手柔らかにお願いします。私スモーカーさんみたいな体力自慢じゃないんです」
特別メニューを組んでやるか。それとも夜に鍛えてやるか。柑橘に似た茶の香りに包まれながら、おれは考える。おれに食われるかもしれないことに、気づいていないような顔で、目の前の恋人はふわふわ笑っていた。