失せざる花の恋語り
しめ縄の向こうにあるその場所は、黒く
「チッ……、うざってェな。空気が不味い」
「何をすれば、ここまで邪気が溜まるんだ……。体にどんな影響が出るか分からねェ。念のために呪符を飲んでおけ」
「うん」
ローの言葉に私は印を結ぶ。相手の術や呪いから身を守るため、私は言葉を唱えた。
「天兵来たりて我を助け、符神を作らせよ。万鬼伏蔵せよ。急急如律令」
淡い光を放つ文字が空中に生まれ、それを飲み込む。すると息苦しさが、嘘のようにかき消えた。私の準備が出来たのを確認してから、3人同時に境界を越える。
今日は陰陽師として、初めての任務。邪気が溜まった場所を清め、核となる依り代を壊すこと。淀んだ気は、悪しき心を持つ妖怪を集め、周辺に住む人々に危害を与えてしまう。それを防ぐため、綺麗にお掃除することが大切だ。
「虫けら退治はしておいてやるよ」
「お前は清めの儀に集中していろ」
私の中に宿る2柱の霊力が、守ってくれているのを感じる。頼もしい彼らに頷いて見せた後、私は呼吸を整えて集中し、大幣を振った。音を立てず、撫でるように左右に動かす。
「祓いたまえ、清めたまえ」
「天蓬、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英」
左、右、と1歩ずつ歩を進める。漆黒の闇に似た淵の周りを、繰り返し
ゆっくりと周囲の邪気が薄くなっていく。少し離れた場所から、ローとキッドが戦う音がした。危険は彼らが遠ざけてくれてる。その安心感が、気持ちを落ち着かせてくれた。私は私のやるべきことを。その一心で、霊力を操る。
周りの邪気を祓えば、最後に核が出てくる。それを清めるまで、気は抜けない。
ぽつりとこめかみを汗が伝う。目を閉じて足を動かし続けていたとき、風のゆらぎが頬をかすめた。ハッとまぶたを開くと、淵の中央がどろりと盛り上がり、ミミズのような数本の触手が飛び出す。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
とっさだった。空中に、指先で9本の線を引き、結界を張る。盛り上がった泥のような場所から、濃い邪気が渦巻くのが見えた。多分、核はあそこだ。
「万鬼伏蔵せよ! 急急如律令!」
印を結び、人差し指と中指を額に当てる。白く光る和紙が数枚現れ、文字と図形がその中に浮かび上がった。息を吹きかけて飛ばすと、和紙は空を切って触手に貼りつく。
触手の動きが止まる。そう思ったのも束の間、別の触手が増えて襲ってきた。呪符を飛ばすけど、これじゃキリが無い。ずっと結界を張り続けていたら、霊力も尽きてしまう。
一か八か。結界を解いて九字を切る。強めに霊力を込めたおかげか、邪気が一気に吹き飛んだ。核と思われる小石がちらりと見えた瞬間、再び泥のような邪気に覆われる。
「……ッ!」
体勢を整える前に、触手が私の手足を捕らえた。霊力と体力を吸われるような、気味の悪い感覚が走る。体温を奪われ、底無し沼に引きずり込まれるような感覚。
(動けない……!)
焦りが思考を濁らせる。そのとき腕輪と勾玉が、澄んだ光を放った。赤い光と琥珀色の光。触手が千切れ、怯んだように退く。それを追うように、飛び込んできた人影が2つあった。
「誰の何に手ェ出してんだ……!」
「最高の痛みをくれてやるよ!!」
ローが大太刀で、全ての触手をバラバラに切断する。更にキッドが金棒を、邪気の塊に向けて振り下ろした。彼らが邪気を削ってくれている間に、私は精神を集中させる。
「
言葉を唱えると、白木をなめらかに削った弓が現れる。人差し指で弦を引き鳴らすと、琴よりも低い音色が空気を震わせた。鳴弦と呼ばれる、邪気や妖魔を退散させる呪法だ。
音を奏でる度に、淀んだ気が消えていく。泥のような淵はだんだんと透明に変わり、触手は黒い霧のように散っていった。塊が消えた後に残されたのは、底が見通せるほど澄んだ泉。その中央に、真っ黒な小石が沈んでいる。
ローが指先を軽く動かすと、私の目の前に小石が浮かんだ。まだ微かに邪気が残る依り代に対し、私は両手で、九通りの印を結ぶ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
最後の邪気を祓い清めると、小石の色は白く変化し、さらさらと砂のように砕けて消えていった。それを見たキッドが、ぼそりと呟く。
「終わったな」
しんと静かで、穏やかな気配が漂っている。そよ風の中で、美しい水面にさざ波が立つ。最初の重く濁った気配が嘘みたいで、私はゆっくり深呼吸をした。さっぱりと爽やかな空気が、肺をいっぱい満たす。
「もとは、こんなに綺麗な場所だったんだね」
「あァ。想像以上だな」
「清めの能力は、お前の素質なんだろう。ここら一帯が清浄な気に変わっている」
さっきよりも風通しがよくて、心地いい。髪を揺らしながら、私は2柱の方を振り返る。勾玉と腕輪にそっとふれてから、私はぺこりと頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう」
「……当たり前だろ」
「おれはお前の式神だ。守って当然」
首筋に手を当てて、キッドは目を逸らす。ローは柔らかく目を細めて、私の頬をそっと撫でた。
「よく頑張ったな。霊力を消費して疲れただろう。今、補給を……」
「おいどけトラファルガー。おれがやる」
「引っ込んでろユースタス屋。お前の野蛮な霊力を注がせるな」
「ア゛ァ? テメェこそ、その陰気くせェ霊力を染み込ませんじゃねェよ。毎度毎度、執拗にしやがってこの変態野郎が」
「消されたいのか」
「2柱とも、鎮まりたまえ」
睨み合う彼らに、あくまで冷静に、はっきりと告げる。ムグ、と口をつぐんだローとキッドを見回して、私は口を開いた。
「体は大丈夫だよ。神社に帰ろう」
「……そうだな」
「……あァ」
2柱が喧嘩しないように、彼らの間に入って歩き出す。初めての任務を無事に終えられたことに、ほっと息をつきながら、私は彼らの手を握った。ローはしなやかな指を私の指に絡め、キッドは少しためらうようにしてから、ぎこちなく握り返してくれた。