失せざる花の恋語り
白い小袖と緋袴――いつもの巫女装束――に着替えて、神殿を開ける。神様に食事のお供えをし、それから掃除を始める。
静かな空気と爽やかな朝日を浴びながら、境内に落ちた葉等をホウキで集めていく。この朝の掃除は、けっこう好きな時間だ。気持ちがすっきりして、清らかになる気がするから。
木製の手桶に湧き水をくんで、手ぬぐいを絞る。参道を挟んで向かい合うように、配置された狛犬の体を、濡らした手ぬぐいで丁寧に拭いていく。汚れをこすっていたとき、石造りの狛犬がかたかたと揺れた。ボッと小さな火が、口からこぼれる。
「う、ふっ、……くくっ。あーだめだ、くすぐってェ」
「あ、エース。もう少しだから動かないで」
「悪ィ悪ィ。……うくくっ」
「はい終わり。次はサボだよ」
「おう、いつもありがとな」
「いえいえ〜」
もう1つの狛犬を拭くと、彼は気持ちよさそうに目をつぶって、喉を鳴らした。磨き終わると、狛犬たちに変化が現れる。硬い毛並みは細かくもふもふに、白っぽい石でできた体は、黒と金の色に。やがて狛犬は、ふさふさした尻尾と耳を持つ、2人の青年の姿に変身した。
「「おはよう」」
「おはよう。2人とも」
エースとサボは、この黎明神社を守る存在。そして宮司で陰陽師でもある師匠――ガープさんの式神だ。2人に朝の挨拶をしてから、私は掃除道具を手に持って歩き出す。これを片付けたら、あの子がお供え物に手をつけてないか、見ておかないと。そう思ったとき、離れた場所に不思議な気配を感じた。
「……?」
この場所は、太陽神と神使の猿を祀る場所。更に生きる伝説的な豪傑でもある師匠がいるため、敷地内に妖怪が来ることは滅多にない。来たとしても、生まれたばかりで右も左も分からない、小さな妖怪くらいだ。
気になって小走りで近づく。草むらをそっとかき分けると、そこには小さな白い蛇がいた。怪我をしているようで、所々赤い血が滲んでいる。
「大変……!」
手桶を持って水場まで走る。掃除に使った水を捨てて、新しい湧き水をくみ直した。ここで湧く清水は霊水とも呼ばれていて、怪我や病気に効くという言い伝えがある。少しでも役に立つかもしれない。
こぼさないように気をつけて走り、草むらのところまで戻る。手で水をすくい、少しずつ小蛇の体にかけていく。数回繰り返すうちに、ぐったりしていたその子は、気がついたように頭をもたげた。
「だ、大丈夫……?」
言葉が通じるか分からないけど、囁くように声をかけてみる。金色の目がこちらを見ていて、何となく背筋が伸びた。白い蛇は神様の使いと言われてるけど、確かに神聖な感じがする。
「連れて帰ってもいいかな? その怪我が治るまで、うちにいていいよ」
直接ふれないように袖を伸ばす。小蛇は動かずに私を見ていたけれど、やがて私の袖にそっと頭を擦りつけた。それを確認してから、私は袖で包むように、小蛇を持ち上げる。血の染みがぽつぽつついたけど、後で洗えばいい。
掃除道具を片付けてから、必要なものをかき集める。空き箱に新聞紙やキッチンペーパーを敷き詰め、小蛇をそこに入れた。姿を隠せるように、細長い箱も置いてみる。私の部屋の中で、一番日当たりがよくて温かい場所に、小蛇の家を置くことにした。
「薬は要るのかな……。早くよくなるといいね」
ひょこりと箱から顔を出した小蛇に、私は話しかける。心配だけど、付きっきりで見てるわけにもいかない。この子にも負担だろうし。1日の仕事と修行をするためにも、私は部屋を出た。
***
妖怪と人間が共存する世界。人間に良い人と悪い人がいるように、妖怪にも良い存在と悪い存在がいる。悪しき心を持つ妖怪を祓い、人々を守るのが陰陽師だ。私にとって誰かを守る陰陽師は、小さな頃からずっと、憧れだった。
「はぁ、はぁ……」
山の中で、荒い息を整える。師匠が組んだ修行はけっこうキツい。でも昔からコツコツやっていたから、まだついていけている。汗に濡れた顔を洗おうと、滝に近づいたとき、バシャッと顔面に水がかかった。
「うわっ!?」
冷たい水が、汗や土埃を洗い流す。ぽたぽたと落ちる水滴を拭うと、岩場の上に大柄な人物が座っているのが見えた。鮮やかな紅色の髪に、2本の黒い角。はしばみ色の目が、私を見下ろしていた。筋骨隆々の体は、戦国武将を思わせる装束に包まれている。
「よォ、目は覚めたか」
「キッド! もう、いきなり水かけないでよ。びっくりするじゃん」
頭はシャキッとしたけど、肩や首周りはびしょ濡れだ。タオルで拭きながら文句を言うと、キッドは意地悪そうに鼻で笑った。小さい頃から一緒に過ごしてきたけど、いつもこんな感じだ。鬼神というより、やんちゃなイタズラ小鬼の印象が抜けない。
「毎日毎日よく飽きねェな」
「陰陽師になるためだから、飽きたりしないよ。こういうのは、毎日続けるのが大事なんだから」
私はただでさえ、からっきし霊力が無い。でもそれは、体力や筋力を鍛えなくていい理由にはならない。師匠や、兄弟子のコビーさんたちに近づくためにも、努力は欠かせなかった。
「……」
隣に来たキッドが、スンと鼻を鳴らす。次の瞬間、さっきよりも多い水が、私に降り注いだ。
「わぶっ!? ちょっ、キッド!? いきなり何! 私何かした!?」
「景気づけだ。ついでに蛇くせェのも洗っとけ」
「蛇?」
「お前弱っちいんだから、余計なモン拾うんじゃねェぞ。噛まれても知らねェからな」
片手をひらりと降って、キッドが山奥に戻っていく。その後ろ姿に舌を出してから、私はタオルで髪や顔を拭き直した。ジャージの上着を脱いで絞りながら、ふと呟く。
「……でも、何だかんだ言いながら、最後は助けてくれるんだよなぁ……」
思い出すのは、子どもの頃。"低級妖怪が集まっているから、子どもだけでは行かないように"。そう言われていたのに、あの日の私は、1人でその妖怪たちを祓いに行ってしまった。今では考えられないけど、陰陽師の勉強をしていたから、大丈夫だろうと思って。
結果、私は返り討ちにされた。いくら低級とはいえ数が多すぎて、霊力の無い私じゃ対処しきれなかったのだ。自分で作った
――テメェら! 寄ってたかって、何してやがんだ!!
その怒鳴り声と持っていた金棒で、妖怪たちを追い払ってくれた。
――お前なァ……! 弱っちいくせに何やってんだよ! バッカじゃねェのか!
――ごべんなざい、ごべんなざい。だずげでくれで、ありがどう……!
――だああもう泣くんじゃねェよ! ブスになんぞ!
泣きじゃくる私にさんざん悪態をつきながら、神社に着くまで、ずっと繋いだ手を離さないでいてくれた。自分の着物の袖を裂いて、私の傷口に巻きつけてくれた。それはひどく不格好だったけど、それでも嬉しかった。
帰ってから師匠にゲンコツを食らったけど(手加減はしてくれてた)、そのときも隣にいてくれた。
「……でも、甘えてばっかりじゃダメだよね」
それじゃあ成長できないし、キッドの中で私はずっと、"弱っちい庇護対象"になってしまう。それだけは嫌だ。キッドに甘えて頼るんじゃなく、自分の力で自分を守って、他の人も守れるようになりたい。さすがに拳ひとつで妖怪を祓う、師匠みたいになるのは難しいけど。
ぱん、と両頬を叩いて、自分に活を入れる。上着を木の枝にかけて乾かしながら、私は修行を再開した。
***
神社の霊水で清めたことと、山で摘んできた薬草のおかげか。白い小蛇の傷は日ごとに良くなり、私の腕に軽くじゃれつくくらいに回復した。
「ふふ、元気になってよかった」
すりすりと手のひらに擦り寄ってくる小蛇に、口元を緩める。すごく可愛いけど、怪我が治ったら野生に返さなきゃいけない。ちょっと寂しいけど仕方ない。
「? どうしたの?」
小蛇がするりと私から離れ、細長い箱の方へ潜り込む。何かゴソゴソしたかと思えば、口に何かをくわえて出てきた。私の手のひらに、小蛇がくわえていたものを置く。
「わぁ……」
それは、綺麗な勾玉だった。透きとおった琥珀色で、陽光を浴びてきらきら輝いている。つるりとなめらかなそれを、光にかざして眺めてから、私は小蛇を見た。
「これ、私にくれるの?」
そう問いかけると、小蛇は返事をするように、私の手のひらに顔を擦り寄せる。そっと指先で撫でながら、私は目を細めて微笑んだ。
「ありがとう。嬉しい。大事にするね」
小蛇の金色の目が、チカリときらめく。
次の日の朝、箱の中に小蛇の姿は無かった。部屋の中にも神社にも、初めて会った境内の草むらにも、どこにもいない。もしかしたら、自分の居場所に帰ったのかな。
ほんの少し寂しく思いながら、服の下に入れた首飾りを、着物越しに撫でる。小蛇からもらった勾玉に革紐を通したものだ。ため息をついてから、境内の掃き掃除を始めたそのとき。
「――見つけた」
涼しい風が吹き、目の前に1人の青年が降り立つ。短い黒髪。頭には枝に似た2本の角が生えていて、月の光のような銀色にきらめいている。すらりとした身体には、中華風の長い上衣とズボンをまとい、腰からは龍のような尻尾が伸びていた。
この気配と霊力、もしかして龍神……!?
初めて見るその美しさと神聖さに、ぴんと背筋が伸びる。息を呑む私の両手を、包み込むように握りしめて。切れ長の金色の目で、真っ直ぐに私を見つめながら、彼は真剣な表情で私に告げた。服の下にある勾玉が、ほんのりと熱を帯びる。
「お前に惚れた。おれを、お前の式神にしてくれ」