喫茶ワルツでひとやすみ



「やああああ! とと! ととーー!」

ルフナの泣き声が聞こえる。殴られた場所も刺された脇腹も痛い。どく、どく、と、ゆっくり確実に、体から血が流れていく。

訪れた島で、ルフナと買い出しをしていたときだった。海賊らしい、人相の悪い男たちに囲まれ、ルフナを渡せと詰め寄られる。断った瞬間、おれは硬い石畳の上に叩きつけられていた。

「かえ、せ」

歯を食いしばり、傷口を手で押さえ、這いずるように進む。悔しい。悔しい。おれにもっと力があれば。ラプさんやニルギリみたいに強かったら。グレイみたいなすばしっこさや、身のこなしがあれば。

「おれの、娘だぞ……!」

ルフナを小脇に抱えて、どんどん遠ざかる男たち。届かないと分かっていても、懸命に手を伸ばす。そのとき、誰かの声が聞こえた。

「"ROOM"」

離れた場所で、男たちがバラバラになる。首や手足。そして胴体が、分解されたパズルのように、地面に崩れ落ちた。倒れたままで、呆然とその様子を眺めていたおれに、細長い影が落ちる。

「助けてやろうか?」

ボロボロと大粒の涙をこぼすルフナ。そんな彼女を片腕に抱いて、その男は問いかけてきた。深く被った帽子の下から、鋭い目の光がちらりと見える。ニヤリと口角を吊り上げた表情は、まるで取り引きしに来た死神のように不吉だ。

(D、E、A、T、H……。死……?)

彼の指に刻まれたアルファベットが、ときおりかすむ視界に映る。助けてやるって、もしかしてアレか。今すぐ殺して楽にしてやるってことなのか。冗談じゃない。おれはここで死ぬわけにはいかない。もっともっといろんな場所にお茶を広めたいし、イーストブルーの本店にも帰らなきゃいけない。そして何より、ルフナをおれたちの船に――おれたちの家に帰さなきゃいけないのに。

「し、んで、たまる、か……」

おれの睨みと、か細く吐き出した訴えは、届いただろうか。残酷そうな笑みを深めたその男は、何かの言葉を口に出す。すぐにやって来たシロクマが、布でおれの傷口を押さえ、おれをひょいと抱え上げた。

「船に運べ。シャチとペンギンは先に戻って、オペの準備をするよう伝えろ」
「「アイアイキャプテン!」」

厚手の生地と、ごわごわした少し固めの毛質に包まれる。痛みにうめくと、上から少し可愛らしい感じの声が聞こえた。

「意識ある?! あるよな? もう少し頑張れよ!」

黄色い潜水艦に担ぎ込まれ、あれよあれよという間に手術台に乗せられて、その後のことはよく覚えていない。目が覚めると、腹には包帯が巻かれていて、複数殴られた場所には湿布が貼られていた。

消毒液の匂いが、鼻をくすぐる。清潔そうなベッドから上半身を起こしかけ、おれはウッと低い声を上げた。刺された脇腹が、じくりと痛む。

「起きたか」
「とと!」

そのとき、部屋のドアが開いた。入ってきたのは、ふわふわした帽子を被った青年だ。死を意味する単語や、タトゥーが刻まれた腕には、ルフナが抱えられている。

「ルフナ! ……ッ、あいててて」
「傷を縫ったんだ。無理に動くな」

床に降ろされたルフナが、心配そうにおれの手を握る。それを眺めながら、青年が冷静に告げた。死神かと勘違いしたけど、どうやら彼が、おれの手当てをしてくれたらしい。

「ひぅ、えぐっ、とと、とと〜……!」
「……よしよし、怖い思いさせたな。ごめんな。怪我は無いか? ルフナ」
「ぐすっ、……ない。ふあふあのにぃにがみてくれた」
「そいつは傷1つ無い。お前の方が重症だ」
「助けてくれて、ありがとうございます」

大きな青緑色の目が揺れて、ぶわっと涙があふれ出す。すがりつくルフナを抱き寄せて、おれは柔らかな声で語りかけた。この子が無事で良かった。そう思うだけで、体の痛みが少し和らぐ気がした。

「治療の代金って、おいくらですか?」
「いらねェ。お前を助けたのは、ただの気まぐれだ」
「そういうわけには。あなたのおかげで、おれもこの子も助かったんです。お礼をさせて下さい」

言葉を重ねてみるも、青年は首を縦に振ってくれない。冷たそうな無表情に、怯みそうになるが、それよりも受けた恩を返したかった。

「おれ、移動式の喫茶店を営んでるんです。ご馳走させてください」
「……おれは、お前を傷つけた奴らと同じ海賊だ。もっと警戒心を持て」

彼の人差し指が、おれの脇腹を指す。睨むように細められた眼差しが、おれの体の傷と目を見据えていた。視線に射抜かれるようで、思わず姿勢を正す。

「お前に恩を売って、油断させて。金も命も、丸ごと全部奪うかもしれねェぞ」

淡々と告げられた内容は、忠告に似ていた。おれと青年の顔を交互に見ながら、ルフナは不安そうに眉を下げている。安心させるために、彼女の頭を撫でてから、おれは青年に顔を向けた。

「多分、あなたは良い人です」
「……何でそうなる」
「本当に悪人なら、わざわざ忠告なんてしないでしょう?」

ふわりと頬を緩めながら言うと、青年は微かに目を見開いて、顔をしかめた。表情を隠すように、彼が帽子を深く被り直したとき、コンコンと軽いノックが鳴る。

「キャプテン、入っていいですか?」
「……あァ」
「さっきオペした男の、知り合いらしい2人組が来てるんですが……」

入ってきたのは、耳当てみたいに垂れた帽子を、深く被った男だ。彼が青年に何か話しかけ、青年が口を開く。「何でそうなる」「おれの判断はどうした」と叱るような声が、聞こえた気がした。

***

「いらっしゃいませ〜。ハートの海賊団御一行様、20名ですね。貸切なので、お好きなお席にどうぞ〜」

グレイが案内する声が、のんびり響く。おれを助けてくれたのは、『ハートの海賊団』という団体らしい。ラプさんとニルギリが、彼らをワルツ2号に招待したことで、おれは無事に恩返しができそうだった。1週間お世話になり、抜糸も済んだ傷跡に、そっと手を当てる。

「ディンブラに怪我させた奴らには、きっちり落とし前つけさせた。これだけありゃ、20人分の飯代は賄えるだろ」
「充分すぎるくらいだな……」

ニルギリがどっさり確保してくれたお金や財宝のおかげで、恩人からお金を受け取る必要も無さそうだ。カウンターキッチンから、グレイが注文を取るのを眺める。青年――船長のトラファルガーさんは、諦めとやや不本意そうな感情を含んだ顔で、足を組んで椅子に腰かけていた。

「おれ、オムライス!」
「ハッシュドビーフお願いします!」
「ハムサンドで!」
「スコーンのセットと野菜のキッシュ」
「ケーキセットお願い!」

朗らかな声が次々に上がる。1人だけオレンジ色だけど、それ以外は白いつなぎを着た集団だ。仲が良いのかなと思いつつ、腕まくりをすると、メニューをめくっていたトラファルガーさんが話しかけてくる。

「……米を使ったやつは、他に無ェのか」
「食べたい物をリクエストしていただければ、特別にお作りします」
「……おにぎりと、焼き魚」
「かしこまりました」

エプロンの紐を締め直し、食材と茶葉に向き合う。おれが調理をしている間、グレイたちの話す声が、心地いい音楽のように流れていた。

「ふあふあのにぃにと、くまちゃん、きてくれたのー?」
「うん! 元気そうでよかった!」
「ふあふあのにぃに。ととをたすけてくれて、ありがとぉ」
「……お前の父様を助けるって約束を、守っただけだ」

「あのでっかい機械って何なんだ?」
「サモワールですね〜。ノースブルーで使われてる、お湯を沸かす道具ですよぉ。上にあるポットから紅茶を注いで、タンクのお湯で薄めてください。おかわり自由で〜す」

海賊は男所帯のイメージだから、スイーツ系より食事系を多く食べるかもしれない。そう考えて、今日の紅茶はジャワを入れておいた。食事全般に合う紅茶で、スッキリしてキレの良い飲み口が特徴だ。

***

「お待たせしました。玄米茶と、おにぎり定食です」

湯のみの中で、茶が柔らかな湯気を立てる。大きめのおにぎりが2つと、焼いたサーモン。副菜が入った小鉢が添えられ、小ぶりのヤカンと茶碗もついていた。

「ヤカンの中には出汁が入っていて、出汁茶漬けにアレンジもできますよ。おすすめは焼きおにぎりの方です」

平和な村や町で暮らしていそうな、どこにでもいる普通の男だ。眼鏡越しの目は、透明感のある赤橙色。紅茶といえばこういう色だろうと、連想するような色合いだった。他者への温もりをたたえた眼差しが、おれに向けられている。

「いただきます」

温かな玄米茶を1口飲むと、煎った米の香ばしさが鼻に抜ける。緑茶のさっぱりした風味と、ほのかな甘みを感じる喉越し。胸の辺りがふっと和らいで、思わずゆっくり、一息ついていた。

ほんのり塩気がある、シンプルなおにぎりは、噛むと口の中で米がほどける。ちょうど良い力加減で握られているのだろう。サーモンも味付けは塩のみで、魚本来の旨みと芳醇な脂が、舌の上で溶けていく。

副菜は、白菜の柚子浸しだった。さっぱりした出汁と爽やかな柚子の風味。そしてシャクシャクとした歯ごたえの白菜が、口内を清めていくような気がした。

締めに焼きおにぎりを茶碗に移し、出汁を注ぐ。木製のスプーンですくって食べると、優しい旨みの出汁が染み入る。お焦げの部分がふやけて、また別の食感になるのも、美味かった。

「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」

食べ終わる頃には、腹も体もほかほかと温まっていた。手を合わせると、コックであり店長でもあるその男は、嬉しそうに頬を緩める。

「紅茶屋」
「うちは紅茶に限らず、あらゆるお茶を取り揃えていますので、"お茶屋"と呼んでください」
「……この店。始めてから長いのか」
「3年になりますね。イーストブルーに本店があるんですけど、いろんな地域の人にもお茶を広めたくて、船出しました」

『平和の象徴』と言われるほど、治安が安定している海域から、わざわざ出てきたのか。よほど茶に対して熱意があるのか、意外と無謀なのか。言いたいことはあるが、こいつが東の海にいたままだったら、この飯と茶は口に出来なかった。

「……美味かった。また機会があれば、寄らせてもらう」
「ありがとうございます! あ、これよかったらどうぞ。サービスです」
「……何だこれ」
「ほうじ茶のティーバッグです。カフェインが少ないしリラックス成分もあるので、よく眠れますよ」

柔らかな笑顔で渡された缶を、つい受け取る。おれの目の隈を気にしたのだろうか。客商売をしているだけあって、気配りが細やかだ。


その夜。医学書を読む片手間に、貰ったほうじ茶を入れて飲んだ。温かくて香ばしい香りと、まろやかな優しい味わいが広がる。確かに、肩の力が抜けるような、心地いい気持ちになる。

この日は久しぶりによく眠れて、目覚めも悪くなかった。
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