喫茶ワルツでひとやすみ
海を移動し、あらゆる島に訪れる、船の形をした喫茶店。それが『ワルツ』。
店長のディンブラ氏が作り上げた店内は、アンティークやヴィンテージの家具でまとめられている。ディスク式オルゴールの澄んだ音色も相まって、落ち着きと安らぎがあふれる、どこか懐かしい空間だ。
提供される飲料がほぼ茶なのは、ディンブラ氏のこだわりである。店長自ら厳選した茶葉で、丁寧に入れた1杯は、口にするだけでほっと癒される心地。軽食やスイーツと一緒にいただくと、より幸福な気分を味わえるだろう。
穏やかで、満ち足りていて、何だか自由な気分になれる。そんな魅惑のお店に、あなたもぜひ足を運んでみては――。
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「世界経済新聞、意外といい感じに書いてくれてるな。何か盛られてる気もするけど」
眼鏡の位置を指先で整え、紙面に印刷された文字を追いながら、おれは呟く。この前ジャーナリストから取材を受けたが、そのことがさっそく記事にされたらしい。新聞を運んできてくれたニュース・クーが、どこか得意げに胸をそらしていた。
「ふぉっほっほっ。好意的な話が広まるのは、いいことじゃのう」
クッションを重ねた椅子に腰かけ、ブレックファスト・ティーをすすりながら、ラプさんがほんわりと笑う。つるりとした頭に、絵本に出てくるサンタクロースのような立派なヒゲが、チャームポイントの小柄な老人だ。ヒゲ受けのついたムスタッシュカップが、誰よりも似合っている。
「宣伝になるからいい……と言いたいところだが。余計な奴らが来ねェといいな」
「怖い人来たら、ニルギリとラプさんに、おまかせするしかないからねぇ」
トーストに目玉焼きを乗せてかぶりつき、指先に垂れた黄身を舐め取りながら言うのは、ニルギリ。ベーコンを飲み込んでから、のんびり相槌を打つのは、R・グレイ。おれたちの顔を見回しながら、きょとんと瞬きをして、ルフナはトーストから口を離した。
「とと、こわいひと、や? ないないする?」
「うーん。ニルギリとラプさんが大変だったら、頼むかな。そのときはお願いな」
「うん!」
にっこり笑顔で、大きく頷くルフナに癒されながら、彼女の口の周りについた苺ジャムを拭う。あったかい朝ごはんを食べ終えてから、おれたちは店の準備を始めた。
***
おれの祖父母から譲り受けた店。それが喫茶『ワルツ』。もともとは、
――そうだ。もっとお茶を広めよう。
小さい頃から飲んでいた影響か、おれはかなりのお茶好きに育った。それぞれの香り、味わい。そしてそれに合う、料理との組み合わせ(フードペアリング、またはマリアージュと呼ぶ)。奥が深い世界に魅了された結果、おれは地元の人以外にも、紅茶の魅力を届けたくなった。
営業時間後は航海術の勉強。娯楽の少ない田舎で溜まる一方だった貯金を使って、小さいながらも自分の船を購入。信頼できる近所の有志者に、店を任せて、おれは移動式喫茶店『ワルツ2号』で故郷を出たのだった。
「うむ。美味美味」
初めてやって来たご老人は、カップを傾けて嬉しそうに微笑んだ。松の煙でいぶすことで、強く独特な香りがするラプサンスーチョン。スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチを、3皿ぺろりと平らげて、彼は満足そうにお腹をさする。
「お口に合ってよかったです」
「いい腕じゃのう、お若いの。お前さん1人で、この店を回しておるのか?」
「はい。実はこの店、始めたばかりで」
「この荒波ばかりの大海賊時代に船出をするとは。さぞ大きな決断があったのじゃろう」
「いやそんな。ただお茶の魅力を伝えたいっていう夢のために、出てきただけですよ」
お金を払い、杖をつきながら帰っていくおじいさんを見送る。おれがその島の港に滞在する間、彼は何度も足を運んでくれた。彼から話を聞いたというお客さんも来てくれて、おじいさんの人脈の広さを感じずにはいられない。
「おぉい、お若いの〜」
「おおおおじいさん!? 何でここに!??」
「この老いぼれにも、お前さんの夢を手助けさせてくれんかぁ〜。わしは昔旅人でな、操舵と航海の
「分かった! 分かったから早く船に乗ってくれ! 何でおれの船と並走できてるんだよここ海の上だぞ!!!」
息も切らさず波の上を追いかけてきた彼は、ラプサンと名乗った。
***
とある島にたどり着いたとき、たまたま海賊と鉢合わせてしまった。それなりにお客が来ていたのを見られていたのか、大人数で押しかけてこられたときは死を覚悟した。
「ディンブラよ。わしの後ろにおるがよい」
彼らのご注文は、売り上げ全部と金目のもの。おれは喫茶店の店長で、武器なんて持ったことはない。包丁や麺棒は美味しい料理を作るためのもので、人を傷つけるものじゃない。唯一人に向けられるサスマタをへし折られたとき、ラプさんが杖で床を叩いた。
目にも止まらぬ早さ。その言葉がふさわしい。一瞬で3人が打ち倒され、床に転がる。しかし敵の勢いは止まらず、周りを囲まれた。
「……団体様のご予約か? それとも危機的状況か?」
せっかくの店と従業員を、どう守る。震えそうな足を叩きながら考えていたとき、ドアの方から凛と響く声がした。キリッと1つに縛った長めの髪が、吹き込む風に揺れていた。
「お……っ、お願いします助けてください! 海軍の人を呼んでください!」
現れた女の人に、海賊たちが怒号を上げたり口笛を吹いたりして騒ぎ立てる。巻き込むわけにはいかない。何とか彼女を逃がさなければ。手をついて立ち上がりかけると、その女性は海賊たちを見回して、はっきり告げた。
「表に出な。全員相手にするには狭ェ」
店内のものが破壊される前に、女性はぞろぞろと海賊たちを引き連れていく。甲板に出た途端、彼女は背負っていた薙刀を振り回して、1人残らず海に突き落とした。
「……この、ホットケーキってのは何だ」
何度も頭を下げ、命と店を守ってくれたお礼に、何でもごちそうすると言ったところ。彼女は表情を変えずに軽く首を傾げながら、メニューの1つを指さす。
少し厚めに焼いたホットケーキを2枚重ねて、真ん中に四角いバターを乗せ、お好みでかけられるようにメープルシロップを添える。素朴で懐かしいタイプのホットケーキと一緒に、"青い山"という意味を持つ名前の紅茶を出した。
「……美味いな」
ふんわりした生地にフォークを突き刺し、1口かじった彼女は、ぽつりと呟く。冷たい印象だった白い肌が、薄紅に染まる。
「気に入った。ここの用心棒にしてくれ」
「それは助かります」
ぶっきらぼうで強いお姉さんは、ニルギリと名乗った。
***
「さっぱりしてて、いい香り〜。おれ、これ好き〜」
空腹で行き倒れかけていた少年は、紅茶の香りをかいで、ふわふわとした笑みを浮かべた。おれが作った魚介のリゾットも、綺麗に完食し、彼はほうっと幸せそうなため息をつく。
「美味しかった〜。ごちそうさまでした〜」
「お粗末さまでした。行くあてはあるのか?」
「無いよぉ。ねぇお兄さん、おれのこと雇ってくれないかなぁ?」
『ボクたちサーカスで働いてたから、お客さん相手のお仕事得意だよぉ』
「ちょうどいいな。実はホールスタッフ欲しかったんだよ」
ぴこぴことぬいぐるみの腕を動かしながら、彼は言う。腹話術が得意な少年は、R・グレイと名乗った。連れていたクマのぬいぐるみは、ベルガというらしい。
***
のどかな気候の春島に、滞在していたある日のこと。海岸に流れ着いた宝箱を見つけた。中を確認してみると、浸水はしていない様子。柔らかそうな布と、ふかふかのクッションが敷き詰められたそこには、小さな赤ん坊が眠っていた。
「何で箱の中に赤ちゃんが……!? 親御さんはどこだよ……!」
「名前とか、身元が分かるものは無いねぇ。この首飾りくらいかなぁ」
「ふむ。使われているのは、アクアマリンに真珠。ラリマーに
お風呂で恐る恐る洗ったとき、女の子であることと、胸のほぼ中央――心臓の辺り――に波を模したような青い印があることが分かった。ラプさんが持っていた古い本をめくり、とあるページを指さす。
「この伝承によると、稀に"海の愛し子"という者が産まれるそうじゃ。胸に波の印を持ち、その名の通り海に愛され、海を操る力を与えられる。その特殊な能力から、海賊や世界政府に狙われる過去もあったらしいのう」
「海賊に狙われるのか!? このちんまりして、ふくふくした可愛い子が!?」
「ガキ連れて旅は難しいだろうし、世界政府に渡すか? 少なくともこいつが食いっぱぐれることは無ェだろ」
「話によれば、一生飼い殺しにされて能力を使わされるそうじゃ」
「……悪ィ、今の無しで」
ニルギリが眉間に皺を寄せたとき、赤ん坊がゆっくり目を開けた。海を閉じ込めたような、ぱっちりとした青緑色の目。小さな海が揺れて、雫がひとつぶ、こぼれ落ちた。
「ふええぇぇえん」
「わぁ、泣いちゃった」
「よしよし」
頭と首を支えてから、両腕でしっかり抱える。軽く揺らしながらあやすと、赤ん坊はだんだん落ち着いていった。ずっしりした命の重みが伝わるが、これくらい平気だ。
「ほほう。赤子の相手に慣れておるのう」
「近所の子どもたちの面倒を、よく見てたからな」
感心した様子のラプさんに、返事をしながら、いたいけな温もりを見下ろす。腕の中にすっぽり収まるその子を、グレイがつま先立ちで覗き込んだ。
「手〜、ちっちゃいねぇ」
「ぁう」
「あ、きゅってしたぁ。可愛い」
もみじのようにちいちゃいおててが、グレイの人差し指を掴む。確か把握反射というやつだ。にこにこと頬を緩めるグレイや、おれを見上げて、赤ん坊はふにゃりと笑顔を見せた。
「うー、あ。きゃー」
「おれが責任もって育てます」
「……まぁ、特殊能力持ってることは、隠しゃあいいだろ。こんなガキがいねェと航海もできねェヘボに、負ける気は無ェし」
「店長の決定なら、異論は無いよぉ。粉ミルクとか売ってるといいねぇ」
「ふぉっほっほっ。友人の船に、赤子が来た頃を思い出すのう。名前はどうするんじゃ?」
「響きが可愛くて綺麗なものがいいよな。うーん……。キャンディ、ヌワラエリヤ、ルフナ、リゼ……」
いろいろ考えた結果、赤ん坊の名前はルフナに決まった。