Only Buddy



マトリによる内偵捜査の結果、百獣組は完全にクロだと裏付けできた。特殊捜査課やマトリ全体を包むように、程よい緊張感が漂っている。ガサ入れを3日後に控えたその日、久しぶりにキッドに呼び出された。

「お前は、ガサ入れに参加するな」

屋上の片隅で言われた言葉を、落ち着いて受け止める。見下ろしてくるキッドの目を見つめ返して、私は口を開いた。

「どうして?」
「相手はヤクザだ。しかも百獣組は、ほとんどの構成員が獣人。お前じゃ手も足も出ねェよ」

冷たく突き放すような言葉と、鋭い茶色の目。彼の真意を少しでも読み取りたい。理解したいから、目は逸らさない。

「危険なのは、皆同じだよ。私だって警察官で、特殊捜査課の1人。安全な場所で待つだけなんて、できない」

キッドの眉がぴくりと動き、睨みつける目に苛立たしさのような色が増した。筋張った大きな手が、無造作に私の左腕を掴む。乱暴な仕草のせいで、腕が鈍く痛んだ。

「い……っ」
「おれの手1つ振りほどけねェだろ。弱っちいお前に、何ができんだ」

強く引き寄せられ、彼の胸に顔がぶつかる。背中に太い腕を回されたせいで、身動きが取れない。思わずもがいたとき、首筋に熱い息がかかった。

「……ッ、!」
「……こんな風に押さえ込まれて、ズタボロに喰われる。それだけじゃ済まねェかもしれねェぞ」

カゴ型の口輪が、ぐりぐりと首筋に押し付けられる。冷たい金属が肌に当たって、びくりと肩が跳ねた。こぼれそうになった悲鳴を、飲み込む私の耳元で、キッドが低くささやく。恐怖を煽るような言動に、背筋が震えて。それでもちゃんと向き合いたくて、私は声を上げた。

「……あるよ。できること」
「は……?」

自由に動かせる右腕を伸ばしてふれるのは、彼の首輪。顔を離した彼に、はめられている口輪にも、指先でふれる。

「キッドの力を、最大限に引き出せる」

キッドがハッとしたように、目を見張る。

「私のこと、心配してくれてるんだよね。だから多分、私が得意な情報整理に、集中させてくれたんだよね」

彼の手の力が緩んだおかげで、掴まれていた腕をするりと下ろす。彼の頬を両手で包むようにして、私は彼の目をのぞき込む。

「私だって、キッドに大怪我とかしてほしくない。キッドが私を助けてくれるなら、私もキッドの助けになりたい。私たちは、バディなんだから」

キッドの目の中で、何かが揺れ動く。それを隠すように、彼はまぶたを閉じて、チッと舌打ちした。肩に彼のおでこが乗せられて、逆立った赤い髪に頬をくすぐられる。

「……なんッで、こういうときは口答えすんだよ」
「君のバディですから」
「現場で泣き言言ったら承知しねェぞ」
「覚悟の上だよ」
「……おれの手が届く範囲にいろ。離れたらぶっ殺すからな」
「うん」

温かな存在が、すぐ側にいる。そのことに安心しながら私は頷いた。

何があっても大丈夫。そう信じて交わした約束が、破られるなんて、思いもしなかった。

***

ガサ入れの前夜。キッドにメッセージを送信してから、アパートに帰る途中だった。

人が少ない道路に、響くブレーキ音。暗闇ごと全身を切り裂くような強い光。腕や体を掴まれて、一息に引きずり込まれる。声を上げる間もなく、黒に飲み込まれる。

その後のことは、よく覚えていない。



「……ぅ……」

まぶたが持ち上がる。ぼんやりとした視界に、灰色の床と自分の足が見えた。体を動かそうとして、ぎし、と抵抗が生まれる。後ろ手で、両手首を縛られているらしい。

床に座った状態で、柱にくくりつけられているのか、背中に円柱のようなものが当たる。部屋は薄暗く、時間帯が分からない。オレンジ色の明かりが灯っていて、辺りをほのかに照らしていた。ぺら、ぺら、と紙をめくるような音がする。

「目覚めたか」

左斜め前から、男の人の声が聞こえた。顔を向けると、長身痩躯の男性が椅子に腰かけている。ランプの明かりに照らされた白い肌。ちらちらときらめくのは、ウェーブがかった長い金髪。額には、左右に3つずつ、細長い三角形のマークがある。

「……バジル・ホーキンス……ですよね。……百獣組の、幹部の1人」

垂れ耳が特徴の、アフガンハウンドの獣人。彼はテーブルにカードを並べながら、私に視線を向けていた。

「よく調べているな」
「……得意分野、なので」

手首を動かしてみるけど、きつく縛られてるみたいで、全然緩まない。このざらつくような肌触り、縄で確定かな。

外からの音は、全く聞こえない。周りが静かなのか、この部屋の防音加工が優れているのか。部屋の中は広々としていて、むき出しのコンクリートが寒々しい。離れた場所にある、床の黒い染みに、背筋が薄ら寒くなった。

「私を、どうするつもりですか」

声が震えていないことを祈りながら、彼に問いかける。厚い壁に囲まれたような静けさの中、彼は淡々と言葉を返した。

「近頃、"狂犬"がおれたちのことを嗅ぎ回っている、という噂があってな」

ぱらり、とカードがテーブルに落ちる。微かに軋む音を立てて、ホーキンスが椅子から立ち上がった。びくりと体を強ばらせる私の前に、彼はしゃがみ込む。

「吐いてくれればすぐに終わる。お前たち警察が何を企んでいるか、全部喋ってもらおう」
「……何も」

深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。落ち着け。考えろ、考えろ考えろ。どう時間を稼いで、ここから生き延びるか。右足を床に滑らせれば、靴の中敷きの感触が伝わった。そのことが、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。

「何も、企んでません。私を捕まえても、得られるものはありませんよ」

目の前にあるのは、鎖骨の真ん中に刻まれた、十字架のタトゥー。そこから目線を上げて、ホーキンスの細い目を見つめる。数秒間の沈黙の後、彼はゆらりと立ち上がる。

「……狂犬が新たに組んだ者は、忠犬のようだな」

テーブルに置かれた長方形の箱。それを手に取り、彼が戻ってくる。箱の蓋を開けて、しなやかな指によって取り出されたのは、――1本の注射器だった。

「それ、は、」
「うちの最高幹部が開発した薬だ。安心しろ、毒性はさほど無い。体の力が抜けて、素直になるだけだ」

紫がかったピンク色の液体が、シリンジの中で揺れる。尖った針先が鈍く光を弾いた。

「や……っ、いや! やめて、来ないで! っぐ……!」
「――催淫効果もあるがな」

蹴ろうと振り上げた足は押さえられ、足の間に相手の体が入り込む。身動きが取れない体を制圧される。首をすくめようとしても、大きな手に阻止された。身をよじったとき、チクリとした痛みが首筋を刺す。

「ぅう……っ!」

目をぎゅっと閉じて、体を固くする。そんなことで、薬液が注入されるのを拒めるはずもなく。空っぽになった注射器が床に転がった。細長い指に顎を持ち上げられ、愉快そうなほの暗い笑みに見下ろされる。

「この薬で女が堕ちる確率は……91%、その忠誠心は、どこまで持つか」


体が、芯から熱かった。気を抜けば、頭がぼーっとしそうになる。息が荒くなって、あちこちがジンジンする。

「警察は、何を企んでる?」
「……はッ、……ッ」

唇を噛んで無言を貫く。首筋を指先で撫でられると、変な声が出そうになる。目を閉じて耐えようとしても無理だった。見えないせいで、余計に刺激を強く感じ取ってしまう。

「ひ、ぅ、や……っ」

ホーキンスがおもむろにナイフを取り出し、私が着ているシャツの襟元に差し込む。ビイイッと微かな音を立てて、布が裂かれた。あらわになった肌を、筋張った手が撫でる。

「大人しそうな顔をして、上等なフェロモンを出すのだな。部下達に任せれば、すぐに輪姦されただろう」
「ぁ……ッ」

首筋を、べろりと生温かいものが伝う。柔らかく濡れた感触に鳥肌が立つのに、体が跳ねて声が漏れた。嫌だ。こんなことされたくない。少しでも抵抗したいのに、力が入らない。

「狂犬を抑える鍵として攫ってきたが……、想像以上の利用価値がありそうだ」
「……?」
「警察の特殊捜査課、だったか。そこで飼われている獣人は、口輪と首輪をつけられている以上、本来の力を発揮できない。外せるのは、ペアを組んでいる人間のみ」
「なんで、そのこと……」
「こちらの情報網を甘く見ないことだ。牙を抜かれた狼が、おれたちに勝利する確率……8%」

体も頭もカァッとなるのは、薬のせいか、怒りのせいか。さっきまで力が入らなかった手足に、何かが巡る。キッドのことを何も知らないのに、何を勝手なことを。

「……わたし、の……」
「……?」
「私のバディを……、馬鹿にするのは止めて下さい!」

ぜえぜえと息を吐き出しながら、ホーキンスを睨みつける。こめかみを汗が伝い、ぽたりと落ちた。食ってかかる私に怒ることなく、彼は目を細める。

「……芯の強い女だ。どこまで汚せば、お前たちは折れる?」
「ひ……ッ」

開かれた足の間に、ホーキンスが自身を押し付ける。じわりと目が潤み、私は必死で首を横に振った。嫌だ、嫌だ。言うことをきかない体に、悔しさが込み上げる。

この人は、キッドと私を傷つけるために、こういうことをしてるんだ。そんな人に、私たちが積み重ねてきたものを、壊されたくない。折れるなんて、絶対にしたくない!

「いや……ッ! ……キッド……!」

か細い声で、彼の名前を呼ぶ。その瞬間。ドガアアンッ! と激しい音がドアを揺らした。

「!?」

ガンッ、ゴンッと音は続く。金属製に見える重そうなドアが、みるみるうちにへこんでいく。やがてけたたましい音を立てて、破壊されたドアから、大柄な影が飛び込んできた。

「やァ……ッと見つけたぜ……!」

猛獣の唸り声に似た音。烈火を思わせる毛並み。狼の咆哮のような怒号が、びりびりと空気を震わせる。

「誰の何に手ェ出したか、ぶっ殺して分からせてやるよ!!」

ホーキンスが拳銃を取り出し、私の方へ向ける。キッドは一気に間合いを詰め、タックルで相手を床に叩きつけた。トドメと言わんばかりに、重そうな拳が打ち込まれる。ガチャリと手錠をかける音も聞こえた。

「……きっ、ど……」

赤い耳がぴくりと動き、キッドがこっちを振り返る。安心したせいか、ぽろぽろと涙があふれて止まらなくて、キッドの顔がよく見えない。彼が近づく気配と体温。彼の手が、私を縛る縄にふれる。

「……動くなよ」

その言葉の後に、ざりざりと刃物で縄を切るような音がした。ぱらりと縄が落ちて、手首が楽になる。力が入らない体を、無理やり動かして。自由になった腕を伸ばして、私はキッドに抱きついた。

「何されたか、言えるか」
「くすり、うたれた。サイインコウカ、あるやつ。そうさのこと、なにも、いってない」
「……そうか。待ってろ。すぐ終わらせる」

背中に腕が回される。キッドの温もりに包まれると、体を蝕む熱のことを、少しだけ忘れられた。震える手でキッドの拘束を解き、ささやくようにコマンドを唱える。

***

口輪と首輪が床に転がり、キッドは体が軽くなったように感じた。極度の緊張状態から解放されたせいか。体力に限界が来たか。彼女はぐったりと意識を失う。裂かれた服と晒された肌を隠すように、キッドは彼女を抱きかかえる。

薬で無理やり発情させられたせいで、火照る肌と汗の甘やかな香りが、キッドの嗅覚と本能を刺激した。牙がうずき、腹の底がグツリと煮えるような感覚。漂う他の雄の匂いに、苛立ちも混ざり、この場で全てを塗り替えたくなる。

――判断を、間違えんな。

それでも歩みは止めない。そんなもので揺らぐような、生ぬるい関係は築いていない。決して取りこぼさないように彼女を抱きしめ、キッドは任務に戻ろうとする。

「…………なぜ、ここが分かった」

床に倒れるホーキンスが、かすれた声でたずねた。入口の前で立ち止まり、キッドは振り返らずに、抑えたような声音で告げる。

「持ち物を取り上げる前に、こいつの靴の中も見とくべきだったな」
「……?」
「こいつは、自分の靴の中敷きの下に、発信機を仕込んでたんだよ。何かあっても、おれが見つけやすいようにな」

集合時間に来ない。電話にも出ない。前日の夜に送られたメッセージ――発信機の位置情報が分かるURL――を確認すれば、そこは本日の目的地を指していた。

「おれのバディに手ェ出したんだ。お前ら全員、地獄に送ってやる」

***

あれから、3日が経った。

百獣組は無事に摘発され、組長に幹部、構成員も逮捕された。壊滅は確定だと、ニュースで連日報道されている。

「尿検査も問題無いし、経過も良好。もうすぐ退院できるぞ!」

私はというと、薬物依存症等の人が集まるリハビリ施設で、療養していた。トナカイの獣人で主治医のチョッパーさんが、親身になってケアをしてくれたおかげで、何事も無く復帰できそうだ。

「体の調子はどうですか?」
「もう大丈夫です。お花ありがとうございます、たしぎさん」

「お、顔色良さそうだな。安心したよい」
「カットパインだ……! ありがとうございます、マルコさん」
「退院したら、また科捜研にも顔出してくれ。ローが心配してたよい」
「そういえば、ローさんお元気にしてますか? お仕事忙しいとか?」
「あ〜……。ちょいとな。キッドと殴り合いの騒ぎ起こして謹慎中だよい」
「何でそんなことに……!?」

他にも、特殊捜査課の課長や先輩たちがお見舞いに来てくれて、申し訳ないやらありがたいやら。仕事に復帰したら、皆にお礼を言おう。

談話室で、エアコンの涼しい風に包まれながら、そんなことを思う。大きな窓から見える木々は、生命力にあふれた緑を茂らせていた。ガラス越しの日光を浴びていた時、ぺたぺたとサンダルを履いた足音が聞こえてくる。

「――隣、座っても構わねェか?」
「あ、はい! どうぞ」

声をかけてきたのは、ラフなスウェットを着た男の人だった。職員さんじゃなくて、患者さんかな。長い金髪が軽やかに跳ねていて、前髪は目が隠れるほど長い。大柄だけど、穏やかそうな雰囲気をまとっているから、威圧感はそんなに無かった。

頭には小さくて丸い耳。生えているのは長めの尻尾。この人、どこかで見たような。そこまで考えて、ハッと気づく。

資料室で見た写真とよく似ている。元警察官で、キッドの幼なじみでバディだった人。イタチの獣人で、名前は……。

「……キラー、さん?」
「おれのことを知ってるのか」
「あっ、いきなりすみません! あの、私も警察官で、それで写真とかを見かけたことがあって……!」

あたふたと説明すると、キラーさんはふっと口元を緩めた。見守るような柔らかな笑みを浮かべて、彼は言う。

「キッドが話してた通りだな」
「え」
「素直で分かりやすい。嘘がつけない小犬。人と話すときは、相手の目をしっかりと見る」
「え、え?」
「こんなときになんだが、会えてよかったと思ってる」

ほどよい距離感でソファに並んで、お互いに話をした。キッドはキラーさんに面会するとき、私のことを少しずつ話していたらしい。何だか照れくさくて、でも嬉しい。

「キッドは短気なうえにケンカっ早いところがあるからな。ブレーキ役が必要なんだ」

他にも仕事のことや、キッドのこと。キッドとキラーさんの、昔の話。落ち着いた声で語るキラーさんといると、何だか安心した。前髪からのぞく、アイスブルーの眼差しが、真摯に私を見つめる。

「キッドを、よろしく頼む」
「はい」


新たな絆を結び、私は再び警察官の道を進む。
退院の日に現れたキッドは、何も言わずに駆け寄ってきて、私の体を強く抱きすくめた。

「……離れたら、ぶっ殺すって言ったよな」
「……うん。ごめんなさい」
「……拉致られてんじゃねェよ。バカ野郎」
「……ん、うん……っ」

悪態をつく声は低く、くぐもって、かすれていた。布が引っ張られる感覚から、キッドの指先にどれだけ力が込もっているか、伝わってくる。広い背中に手を回して、私は言葉を返した。

「助けてくれて、ありがとう。口だけになっちゃって、ごめん」
「……戻ってきたから、そこは許してやる」
「うん」
「詫びがしてェなら、おれを労え。あと何か奢れ」
「暑いからアイスでいい?」
「ガキ扱いかテメェ」

離れないように、離さないように、リードを握って隣を歩く。コンビニでお高いソフトクリームを2個買うと、キッドは少しだけ尻尾を振りながら食べていた。口は大きいのに、ちょっとずつ食べてるの、何だか可愛いな。

「美味しい?」
「…………まァ悪くはねェ」

私も自分用に買ったソフトクリームを食べる。冷たくてなめらかで、濃厚なミルクの甘さが心地いい。公園のベンチに並んで座って、アイスを食べていると、平穏な日常に帰っていくような気がした。
4/4ページ
スキ