安心毛布は煙色
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自分の寂しさと向き合い、スモーカーさんのことを改めて、安心できる人だと認識した影響か。私を悩ませていた夢を、見ることが少なくなった。更にスモーカーさんいわく、私が夜中に歩き回ることも無くなったらしい。
リビングのソファに腰掛けて、昼下がりの陽光に包まれながら読書をする。図書館で借りた本の中に、気になるものがあった。イーストブルー出身の作家さんが書いた、創作童話集。そこに収録されている、とある物語。
『海に帰る天使』
昔むかし、あるところに、若い漁師が住んでいた。毎日決まった時間に海に出て、魚を取り、売りに行く。ある日船に乗っていると、空から1人の乙女が舞い降りてきた。
つややかな黒髪を持ち、風変わりな服をまとった乙女に、漁師は恋をする。どこにも行くあてが無いという乙女を、漁師は自分の家に連れ帰った。やがて、働き者の乙女と漁師は夫婦になる。一緒に海に出ることもあるほど、2人は仲睦まじかった。
ところが、ある嵐の夜。「誰かに呼ばれている」と言った乙女は、漁師の家から出ていってしまう。激しい雨と風の中で、漁師は必死に乙女を追うが、彼女は夜の海に消えてしまった。
漁師は今も海に出る度に、愛しい妻の姿を求めて波間をのぞいたり、空を見上げたりしているという。
「元の世界に帰る手がかりって、海にあるんじゃないかと思うんです」
お風呂も済ませて後は寝るだけの、のんびりした時間。ノートにまとめた考えをスモーカーさんに伝えると、彼は考え込むように目を通していた。
「作り話を鵜呑みにするのは、どうかと思うが」
「作者さんが後書きで、実話をもとにしたと言ってたので。試してみる価値はあると思いました」
「夜の海なんざ危ねェだろ。溺れでもしてみろ。おれァ助けてやれねェぞ」
「命綱を私にくくりつけて、それをスモーカーさんに持ってもらうのはどうでしょうか」
「……最後の手段にしとけ。お前に何かあったら、お前の親御さんに申し訳ねェ」
ノートを返しながら、スモーカーさんが私の目を見て言う。眉間に皺を寄せたその表情には、心配がにじんでいるように見えた。素直に頷くと、スモーカーさんは少し表情を緩めて、安心したように軽く息をつく。
「……そういや。お前、明日は何か予定入れてるか?」
「いえ何も。買い出しは済ませてますし、図書館に本を返しに行くくらいですかね」
「なら、それが終わったら出かけるか」
「え」
「商船が集まる青空市場がある。食い物だけじゃなく、雑貨や装飾品なんかも出回るらしい。興味はあるか?」
「え……! 行きたい! 行きたいです!」
ノートと本をぎゅっと抱きしめて、前のめりぎみになりながら伝えると、スモーカーさんが口元を緩めた。この世界に来てから、日用品等の買い物はしてるけど、純粋に楽しむための買い物は初めてだ。
今日は早めに寝ちゃおう。明日は何を着ていこうかな。足元がふわふわ浮き上がるような気持ちで、私は自分の部屋に戻った。
***
翌朝は、綿雲がぽつぽつ浮かぶ、爽やかな青空が広がっていた。絶好のお出かけ日和に、カーテンを開きながら顔をほころばせる。ベーコンエッグとトースト、切ったリンゴを混ぜたヨーグルトを朝ごはんに食べて、支度を始めた。
今日は手持ちの服の中で、特に可愛いと思うチュニックに、細身のズボンを合わせる。襟と裾に花の刺繍が入ったチュニックは、動くと裾がふわりと揺れた。
「スモーカーさん、それ持ってくんですか?」
「人が集まるところに、面倒事は付き物だからな」
スモーカーさんが背負っていたのは、出勤するときにも持っていく武器だ。時代劇に出てくる人が、「御用だ御用だ」って言いながら振り回してるアレ。彼の背より少し長いそれは、七尺十手というらしい。目立つなあ。
戸締まりをしてから、のんびり歩いて図書館に寄る。用事を済ませた後に、港に向かうと、そこはたくさんの人であふれていた。屋台が並んでて、お祭りみたい。お客さんを呼び込む、元気な声が聞こえてくる。
「はぐれるなよ」
それだけ言われたけど、この人混みの中ではぐれないようにするのは難しい。スモーカーさん自体は、他の人より物理的に、頭1つ抜けてるから分かりやすいけど。ちょっと考えてから、私はスモーカーさんの肩に巻きつけられたベルトを掴んだ。彼が十手を背負うのに、使ってるやつ。
珍しい色や形の花を使った、プリザーブドフラワー。木を削って作った置き物やカトラリー。オルゴールに砂時計。綺麗な石を使った、ブレスレットやイヤリング等のアクセサリー。素敵なものがいっぱいで、あちこちに興味が移る。
「欲しいもんがあったら言え」
「いいんですか!?」
「世話になってる礼だ。数や金額は制限しねェから、好きに選べ」
見上げると、スモーカーさんは何でもないことのように、いつも通り葉巻をくゆらせていた。律儀だなぁと感心する気持ちと、温かな嬉しさが胸をいっぱいにする。
欲しいもの。あのオルゴールの小箱がキレイだな。あっちの青い石のペンダントもいいな。木製の小鳥のオブジェも可愛い。邪魔にならないような、小さなものにしよう。元の世界に帰るときに、持っていきやすいもの。
歩いているうちに、食べ物のお店が並ぶ場所に出る。フライドチキンやグリルソーセージ、ロールピザに海鮮のアヒージョ。ベイクドポテトやバター焼きにした貝の、美味しそうな匂いが漂う。フルーツ飴やクレープ等、スイーツ系の屋台も出ていた。
「あ、スモーカーさん。アイスクリーム食べたいです」
「3段にするか。それとも5段か」
「1つで大丈夫です!」
そんなに食べたらお腹が冷えちゃう。自分の意見を言ったものの、結局スモーカーさんに押し切られて、2段を頼むことになった。落とさないように気をつけながら、小さなスプーンでカップのアイスをすくい、口に含む。甘酸っぱい苺と濃厚なクリームチーズが、舌の上でとろんととろけた。
「のどを音楽隊が通るみたいです」
「何だそりゃ」
「小さい頃にそういう歌があったんです」
ふは、と息を吐き出すように、スモーカーさんが笑う。くしゃりと破顔するような笑い方に、思わず見とれた。凍った果肉入りの苺アイスが、胸がきゅっとするような甘みと酸味を残す。
「す、スモーカーさん、1口いりますか?」
「おれァいい」
スプーンに乗ったアイスを、ぱくりと食べる。家族とアイス屋さんに行ったとき、お互いのアイスを1口交換したことを思い出した。ささやかだけど楽しかった思い出が、懐かしくて温かくて、少しさみしい。
食べ終わった後のカップとスプーンを、道の脇のゴミ箱にそっと入れる。とりあえずこのまま、ぐるりと市場を巡っていくことにした。
「何だか、デートみたいですねえ」
「色気のねェデートだな」
スモーカーさんの肩にある、ベルトを掴んだまま、彼を見上げる。少しだけ口角を上げた彼が、私を見下ろしていた。切れ長の目が、いつもより優しげに細められている。それが何でか嬉しくて、どきどきして、頬がぽかぽかする気がした。
「そこ行くお嬢ちゃん。お守りはいかが?」
歩いていると、屋台のおばあさんに声をかけられた。手作りの小物を売っているようで、うさぎや小鳥等のぬいぐるみが並んでいる。手のひらに乗りそうな、ちょこんとしたサイズだ。
「お守り、ですか?」
「童話には、別の世界に案内してくれる動物がいるだろう? お嬢ちゃんが行きたい場所に、連れていってくれるお守りだよ」
行きたい場所に連れていってくれる。その言葉につい心を引かれて、ぬいぐるみの動物たちを眺める。本当にそうなるとは限らない。売るときの決まり文句かもしれない。それでも、思わず手を伸ばしそうになってしまった。
「あまりからかってやるなよ、ばあさん」
「おや、ごめんなさいね」
肩にぽんと大きな手のひらが置かれる。見上げると、スモーカーさんが少し顔をしかめていた。おばあさんは気にした様子も無く、穏やかに微笑んでいる。肩を抱かれるように、そっと押されて、私はぺこりと頭を下げてから歩き出した。
「ホイホイ信じるな。いいカモにされるぞ」
「ご、ごめんなさい」
スモーカーさんの腕の中に、すっぽり収まった状態で謝る。申し訳なさと安心する気持ちが、胸の中で入り交じった。
――まるで、守ってくれてるみたいだな。
「あ、スモーカーさん、マナさん! こんにちは!」
「あら、あなたたちも来てたのね」
「たしぎさん、ヒナさん。こんにちは」
「こんにちは。スモーカーくんにしては、この子にちゃんと気を配ってるわね。ヒナ意外」
「うるせェ」
成り行きで、たしぎさんたちと一緒に行動する間も。お昼に買ってもらったロールピザや、スモークチキンのサンドイッチ(スモーカーさんが少し分けてくれた)を食べている間も。屋台で見たものが、不思議と頭から離れなかった。欲しいもの、あれにしようかな。思い切って、スモーカーさんの服の裾を、少し引っ張ってみる。
「スモーカーさん。欲しいもの、もう1つお願いしてもいいですか?」
「何だ」
「あの、おばあさんが売ってた、お守りのぬいぐるみです」
「……本当に、それでいいのか?」
「本気にしてるわけじゃないです。ただ、あのぬいぐるみ、可愛かったから」
子供だましに引っかかるほど、信じやすいわけじゃない。ぬいぐるみで世界を渡るなんて、無理だって分かってる。でも、あのぬいぐるみたちは、ひとつひとつに個性があって、可愛かったのだ。
スモーカーさんと私が、また現れたのを見て、お店のおばあさんは少しだけ目を丸くした。でもどこか嬉しそうな、にこやかな表情で、品物を勧めてくれる。
2人に見守られる中で、私が選んだのは、白い小犬のぬいぐるみだった。ピンと立った耳と、ふさふさしたしっぽが狼に似ていて、緑色のスカーフを首に巻いている。私の手のひらに収まるその子を覗き込んで、スモーカーさんは言った。
「そんな愛想の無ェ犬でよかったのか?」
「キリッとしててかっこいいです。それに強そうな方が、お守りって感じがしませんか?」
ちょっとスモーカーさんにも似てたから、というのは内緒にしておこう。ぬいぐるみをおばあさんに渡し、スモーカーさんがお金を払ってくれる。紙袋に包まれたそれを胸に抱きしめて、私はスモーカーさんを見上げた。
「ありがとうございます、スモーカーさん。大切にします」
「……おう」
スモーカーさんが目を細め、大きな手を伸ばして、くしゃりと私の頭を撫でてくる。ちょっと荒っぽくて温かい仕草に、私はますます頬を緩ませた。
その日の夜。楽しかったことや見た物、食べた物等を、たくさん日記に書いていく。ここに来てから、今日で22日目。小犬のぬいぐるみを抱えて、私は窓の向こうを眺めた。
「……3週間くらい経ったのかぁ……」
私がいない間、皆はどうしてるんだろう。家族や友達には、すごく心配かけてるんだろうな。ちゃんと元気にしてるよって伝えたいし、早く帰りたい。ため息をつきながら、ぼーっとしていたとき、青い光がちらりと見えた。
「……?」
黒い海の辺りで、青白い光が揺れていた。流れに合わせてきらきら光って、波の中に銀河が現れたみたい。幻想的な美しい光景に、目を奪われる。
明日もいいことありそう。しばらく光を眺めてから、私は布団に潜り込んだ。ぬいぐるみのふわふわした手触りを楽しみながら、そっと目を閉じる。
その日見たのは、白い狼の背に乗って、星空の下を駆ける夢だった。広々とした草原をどこまでも進むうちに、やがて地面が海原へと変化する。青白い光に導かれてたどり着いたのは、見慣れた景色。元の世界の光景が映る場所だった。
***
「海に現れる、青白い光……。夜光虫か?」
翌朝。朝ごはんを食べながら、スモーカーさんに昨夜見た海の光のことを話す。すると、どこか訝しげな答えが返ってきた。
「夜光虫?」
「海洋性のプランクトンだ。春島で4月から5月に見られるもんだが、この時期のこの島で見られるとは聞いたことが無ェ」
顎に手を当てて、スモーカーさんは何かを考えるような素振りを見せる。
「……今夜、見に行くか」
「はい」
こくりと頷き、お味噌汁を口にする。食事と支度を終えたスモーカーさんが、お仕事に行くのを見送って。食器洗いと洗濯を済ませる。お掃除をして、足りなくなってきたものを買いに出かけて。リビングのソファに腰を下ろして、窓の向こうに広がる海を眺める。
思い出すのは、昨夜見た夢のこと。青白い光の中に浮かぶ、懐かしい世界の景色。イーストブルーの童話に書かれていた内容。元の世界に帰る手がかりは、海にあるんじゃないかという仮説。
――もしかしたら。
点と点が繋がるような、祈るような気持ちが消えてくれない。目の前に現れた手がかりを掴んで、すがりつきたくなるような気持ち。それから、胸の中にかかるモヤのような、寂しい気持ちも。
ソファの上で体育座りをして、膝の上に顔を埋める。遠いと思っていた、さよならの気配が、すぐ近くまで来ているような気がした。