サクラサク、萌ゆるアオハル
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学校帰りに喫茶ポトスに寄ると、風鈴高校の制服を着た人たちが何人かいた。よく座る右端のカウンター席に腰を下ろすと、1つ離れた席に男の子が座っている。
「あ、桜くん。こんにちは」
「! ……お前か」
「あれ、あんたたち知り合い?」
「この前助けてもらったんだ」
ことはに説明する間、桜くんは恥ずかしそうに頬を赤くして、オムライスを詰め込むように食べていた。よく見ると、スプーンの持ち方が独特だ。鉛筆みたいに持つんじゃなくて、上から握る感じ。
「いつものやつにする?」
「うん。お願いします」
注文したものを待つ間、私はリュックから小さなスケッチブックを取り出した。カウンターの端に置かれた、小さな観葉植物に目を留めて、鉛筆を縦にかざす。
全体のアタリをとって、尖らせた鉛筆の先を走らせる。鉢の質感。みずみずしく伸びたツル。元気に茂る葉に、透ける葉脈。注意深く見つめて描き込んでいく。
「……すげ」
不意にぽつりとそんな声が聞こえ、意識が喫茶ポトスに引き戻された。隣を見ると、桜くんがハッとしたように目を逸らす。でも彼の体は、若干こっちの方を向いていた。さっきのは彼の声らしい。
「ありがとう」
「〜っ、べ、つに。……そんなササッと描けんのが、すげえって思っただけだし……っ」
目は合わないけど、耳まで赤くしてぽそぽそ言う姿に、胸の辺りがほっこりする。彼なりに褒めてくれてるらしい。嬉しいな。
「はい、ましろ。いつもの」
「ありがとう、ことは」
会話が聞こえていたのか、ことはがにまにました顔で、コトリとお皿を置く。ポトスの人気メニューの1つである、手作りプリンだ。
上に乗ってるさくらんぼを口に入れてから、スプーンで1口分すくう。口に含むとバニラの香りがして、ほどよい固めの食感と控えめな甘さ、そしてカラメルソースのほろ苦さが舌に広がった。生クリームとよく合って、思わず頬がゆるむ。
「……さっきみたいなの、いつも描いてんのか」
大事に味わっていると、桜くんがボソリと話しかけてきた。少し意外に思って瞬きをしてから、私はプリンを飲み込む。
「うん。私、観察しながら描くのが好きなんだ」
「……へえ」
「ちゃんと見て、ふれて、感じれば、そのものが分かる気がするから」
そう言うと、桜くんは何かを思い出すような表情を見せた。頬杖をついた彼の手に、私はつい注目する。さっきまで、スプーンを持っていた彼の手。
「そうだ。後で桜くんの手、見せてくれない?」
「……は、はあっ!?」
「男の人の手、描く練習してみたくて。だめかな?」
彼の目を見ながらお願いすると、桜くんはぶわっと顔を赤くした。そわそわと落ち着かない様子で、彼はうつむく。
「……な、なんでオレが。他のやつに頼めばいいだろ」
「手くらい、いいじゃない。モデルになってあげなさいよ」
「それに桜くんが一番席近いから、彼女も描きやすいと思うよ?」
まさかの援護射撃が来た。ことはと、桜くんの左側に座っていた男の子が、何だか楽しそうに笑っている。彼の耳についている、長い紐のピアスが、しゃらっと揺れた。
桜くんが、ぐぬぬ……と何か言いたげな顔をし、ぎこちなく片手を差し出す。
「……やんなら早くしろ」
「ありがとう」
「仕方なくだからな。勘違いするなよ」
思い切り顔を背けているけど、赤い耳は隠せてない彼に、お礼を言う。下からそっと両手を添えると、桜くんの手がビクッと一瞬強ばった。
皮膚は厚くて硬めかな。骨は太くてしっかりしてる。筋張ってて、私より少し大きい。なるほど。これが男の子の――桜くんの手か。
にぎにぎと親指で軽く押したり、指先でふれたりしながら、私の手との違いを確かめる。それから、カウンターテーブルに置いていたスケッチブックと鉛筆を手に取り、私は描き始めた。
観察した結果を写し取るように、鉛筆を動かす。紙と桜くんの手を交互に見ながら、3分くらい経過した頃。私は顔を上げた。
「書き終わりました。手伝ってくれてありがとう」
「…………おう……」
あれ。さっきより桜くんが汗ばんでいるような。声もか細いし、首筋まで赤く染まってるし。ことはは何かをこらえるように、肩を震わせていた。
「どうしたの?」
「君、本当に描くことに集中していたんだね」
さっきことはと一緒に援護射撃をしてくれた男の子が、ひょこりと顔を出す。涼やかな笑みを浮かべながら、彼は桜くんの方をちらりと見た。
「女の子でもある君が躊躇なくふれてくるから、上手く感情を処理できてないんだと思うよ」
「うっ、うるせえ! 別に平気だ!」
「あっはっはっはっ」
「おい笑うな!」
ことはが耐えきれないように笑いだし、桜くんが赤い顔で怒る。それから彼は勢いよく私の方を向き、指さしてきた。
「つか、お前! いっ、今までどうやって生きてきたんだよ!?」
「へ? よく食べよく寝て、すこやかに生きてきましたが……?」
「嘘つけ! んな折れそうな指とか、やわ、柔らけぇ手で生き抜けるわけないだろ!」
「桜くん、人間ってけっこう丈夫にできてるんだよ」
真剣な顔で、儚い生き物みたいに扱われたのは初めてだ。シャーッと毛を逆立てるみたいに言ってくる彼に、言葉を返しながら、私は思う。
いつか、桜くんの絵、描いてみたいな。
私にとって絵を描くことは、その対象を知ること。見て、ふれて、感じて、分かったことを記録すること。
そのためにも、彼のことを知りたい。いろんな表情を見てみたい。そう考えながら、私はスケッチブックを大事にしまった。