安心毛布は煙色
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いつもの通学路。いつもの時間の電車。小さな世界をループするような、いつも通りの帰り道。スマホから顔を上げると、聞こえてきたアナウンスが、最寄り駅を告げた。
『次は○○駅、○○駅』
スマホをポケットにしまい、リュックから定期入れを取り出す。手すりを握りしめて、窓の向こうを通り過ぎていく景色を、ぼんやり眺めた。1年と少し経ったから、だいぶ見慣れてきた光景。でも季節の移り変わりが分かる時期は、新鮮みを取り戻す。春よりも濃くなった緑が、わさわさと生命力に溢れかえっていた。
夏休みが間近に迫る、高校2年生。白い半袖シャツ。ブルーのチェックのリボンとスカート。憧れていた制服は、去年よりも様になっている気がした。
電車が止まり、ドアが開く。いつも通り1歩足を踏み出せば、ホームに足がつくはずだった。
でもそこには、何も無かった。
「え、」
階段から足を踏み外したような、ガクンとした浮遊感。見下ろした先には一面の青。かぎなれない空気の匂いが鼻をかすめる。ジェットコースターに乗ったときみたいに、胃の辺りがふわっと浮く感覚。
「〜〜〜〜〜〜〜!?!?」
声にならない悲鳴がこぼれる。もともとジェットコースターに乗ったときも、大声どころか、か細い声しか出せないタイプだ。何で皆あんなに、お腹から高い悲鳴を出せるんだろう。
ちょっと待って。そもそも私は何で落ちてるの? 最寄り駅は? 電車は? ここどこ? 下に見える青色って、もしかして海? 陸地じゃなくてよかった……。
あれ? でもこんな高いところから落ちたら、水でも危なくない? 飛び込みの選手は練習してるからいいけど、私みたいな素人が普通に落ちたら、……死ぬ、よね。これ。
リュックの肩紐を両手で握る。体から一気に血の気が引いて、こめかみに冷や汗が浮かぶ。視界がぶわっとにじんで、強く目をつぶった。
嫌だ。怖い。死にたくない。でも無理。パラシュートも何も無いのに、どうしようもできない。お母さん、お父さん、田舎のおじいちゃんとおばあちゃん。ふつつかな娘で孫でしたが、今までお世話になりました。
吹きつける風にもてあそばれるように、体が回る。上下も平衡感覚も分からなくなったとき、ばふっと何かに包まれた。
「……?」
風が止む。体が止まる。目を閉じたまま手を動かすと、ふわふわしたものに触れた。柔らかくて、でもしっかりそこにある。何かちょっと温かい気もする。恐る恐る目を開けると、白い綿みたいなのが、私を包んでいた。
何だこれ。綿? 雲? でも雲って、ふわふわして見えるけど、実は水蒸気が水滴に変わったやつじゃなかったっけ。理科の授業でやったはず。唯一できた命綱(綱じゃないけど)にしがみつきながら、ぽふぽふと探ってみる。そのとき、声が聞こえた。
「……おい。怪我ァ無ェか」
抑えたような、低い男の人の声だ。どこからだろう。きょろきょろと周りを見回してから、顔を上げる。白いふわふわが集まって、人のような形を作っていた。
かいだことが無い、強い煙の匂い。前髪を上げた白い髪は短くて、ツンツンと逆立ってる。大きな口には、モクモクと煙を出すものをくわえていた。タバコみたいだけど、タバコよりも茶色くて太い。
三白眼ぎみの鋭い目に見下ろされて、ビクッと肩が跳ねる。ただでさえ、アゴヒゲが生えたいかつい顔なのに、細い眉がつり上がっているから余計に怖い。ヤ○ザの方ですかと言いたくなるような、年上で強面の男の人だった。
命綱無しで、高いところから落っこちた恐怖。ふわふわが怖そうな男の人になった驚き。自分が今、男の人の素肌に抱きついていること。受け止めきれないことばっかりな上に、煙を吸わないように息を止めているせいか、頭が回らなくなっていく。
「――? ――!!」
がくんと首が後ろに傾いて。男の人が焦ったような顔で、何かを言って。その後のことは、よく覚えていない。
***
気がついたら、私はベッドに寝かされていた。体を起こして部屋の中を見回すと、リュックが近くに置かれているのに気づく。ハッとしてポケットに手を突っ込むと、透明なカバーに覆われたスマホが出てきた。運のいいことに、あの紐なしバンジー状態で落とさなかったらしい。危なかった。
「あ、よかった! 目が覚めたんですね!」
そのとき、そっとドアが開く。慌ててスマホをしまうと、1人の女の人がほっとしたような笑顔を浮かべていた。
赤い眼鏡をかけていて、柄物のシャツに紺色のジャケットとズボンを合わせている。ショートボブにした髪も相まって、ボーイッシュな感じのするお姉さんだ。艶のある黒髪に親近感が湧いて、つい肩の力が抜ける。
「あなた、空から落ちてきた後、気絶してしまったんです。覚えていますか?」
「え、あ、はい」
心配そうに眉を下げて、お姉さんが問いかけてくる。こくりと頷きながら答えると、お姉さんは気遣うように微笑んでくれた。
体調は問題なさそうなので、体から布団をはがす。ベッドに腰かけると、お姉さんが椅子を引いて勧めてくれた。テーブルを挟んで向かい合うように、彼女も座る。
そのとき、軽いノックが聞こえた。
「入るぞ」
「はい。どうぞ」
お姉さんの返事から一拍置いて、再びドアが開けられる。ぬっと入ってきたのは、びっくりするくらい大きな男の人だった。短い白髪と、煙を出しているタバコみたいなものにハッとする。思わず息を止めた私を、男の人はじろりと見下ろした。
「お前、何者だ」
「……」
「おい、聞いてんのか」
「す、スモーカーさん。相手は女の子ですよ」
「見かけに惑わされるな。軍艦めがけて落ちてきたんだぞ。海賊からの刺客か、能力者の可能性も考えろ」
どうしよう。よく分からないけど、何か誤解されているらしい。答えようにも、呼吸を我慢したままでは返事もできなかった。そろそろ限界で、私はぷはっと息をつく。
「す、すみません。ちょっと呼吸させてください……」
「……息を止めてたのか? 何のために」
深呼吸をする私を見て、男の人が不審そうに眉をひそめる。モクモクと、部屋中に立ち込めてきた煙を避けるように、私は両手で口を覆いながら答えた。
「副流煙……」
「あ?」
「副流煙を吸ったら、タバコを吸ってる本人よりも、肺がんとかのリスクが高まります……」
お酒とタバコと違法なオクスリの危険性については、学校でほぼ毎年のように講習会が開かれる。保健の授業でも習う常識だ。依存性が高い上に、周りに迷惑がかかるリスクしか無いそれらには、どうしても魅力を感じない。そもそも私、未成年だし。
「そんなに嫌か」
くわえていたタバコ? を、男の人が1本手に取って眺める。それから私に視線を戻し、私のことを見定めようとするかのように、スッと目を細めた。
「顔面に煙を吹きかけられたくねェなら、質問に答えろ」
「できる限り何でも答えますからそれだけは勘弁してください」
即答だった。テーブルに三つ指をついて、深々と頭を下げる。何てことを言う人だ。私が喘息持ちだったらどうしてくれる。確か助けてくれたのはこの人のはずだけど、そのときの感謝が吹き飛びそうだ。
「……おれの名はスモーカー。海軍本部の大佐だ」
「私は、海軍本部曹長のたしぎです。あなたのお名前は?」
「わ、私、マナです」
大佐って、アニメとか漫画でよく聞く階級だ。海軍ってことは、スモーカーさんとたしぎさんは、アメリカとか外国の人? 日本に軍隊は無いし。でも2人が話しているのは日本語だ。首をかしげてから、私は説明を始めた。
「……デンシャから降りたら、なぜか空中にいた。そのまま落下したところを、おれに受け止められた、と……」
私の斜め前に置かれた椅子に、どっかり座ったスモーカーさんが、腕組みをして私の説明をまとめる。革手袋に包まれた指先で、とんとんと二の腕を叩きながら。訳分からんよね。私もそう思う。残念ながら本当にあった出来事です。
「デンシャとは、陸を走るタイプの海列車、みたいなものでしょうか」
「海列車?」
聞き慣れない言葉をオウムのように繰り返すと、たしぎさんが教えてくれた。列車と名がついているけど、実際は海面に浮かぶレールを走る蒸気船らしい。何それすごい。
「お前、どこの島から来た」
「日本です」
「……聞いたことねェな。どこの海だ」
「ええと、太平洋と日本海の真ん中くらい? ですかね」
「タイヘイヨウとニホンカイ……? 初めて聞く海ですが、どの方角にあるんですか?」
「へ? あの、東の方、です」
「……
スモーカーさんが、疑うように顔をしかめた。たしぎさんも、初めて聞く言葉に戸惑うように、私を見つめている。何かがおかしい。言葉は通じるのに、ボタンをかけ違えたような、チャックが噛み合わないような違和感がつきまとう。背中が冷えていく気がして、私は膝の上で拳を握りしめた。
「……ここ、は、どこなんですか……?」
絞り出した声が震える。スモーカーさんが立ち上がって部屋を出ていき、筒みたいに巻かれた紙を持って帰ってきた。テーブルの上に開かれたそれは、世界地図のようだった。
初めて見る地図だ。海を2つに分けるように、大陸が縦断している。真ん中に横線を引くように、スモーカーさんが人差し指をすべらせた。
「今おれたちがいるのは、
「ぐらんどらいん……?」
私があまりにも情けない顔をしていたのか。スモーカーさんは少しため息をついてから、教えてくれた。世界を縦断する大陸が、レッドライン。垂直に世界を1周する航路が、グランドライン。それによって、東西南北に区切られた4つの海があること。
「……何も知らねェんだな」
「はい……」
「持ち物全部出せ」
「カツアゲですか!?」
「違ェ。凶器を持ってねェか確認するだけだ」
所持品検査みたいで緊張するけど、私にはやましいことなんて何も無い。ただの一般人で、恐らく世界を越えた迷子の高校生だ。ええい、ままよ。こうなったら何でも調べてもらおうじゃないの!
「……分かりました!」
リュックを開き、中身をテーブルに並べていく。
教科書。ノート。ペンケース。スケジュール帳。小銭も入った定期入れ。生徒手帳。絆創膏やシミ抜き用品、小さな裁縫セットが入ったポーチ。折りたたみ傘と日焼け止め。制汗剤。ポケットから取り出したスマホ。
スモーカーさんは、間違い探しでもするような厳しい顔で、数学の教科書を。たしぎさんは、興味深さと怖いもの見たさが合わさったような顔で、日本史の資料集をめくっている。向かいの席で、大人2人が真剣に高校の教材を見てるの、絵面がすごいな。
「……使われてる言語は、こっちと大差無ェんだな」
「あ、あの! この刀はどなたが作ったものですか!? こんなにくっきりはっきり、刃の輝きや色が分かる写真、初めてです!」
「たしぎ。別のモンに集中してんじゃねェ」
「あっ。す、すみません! つい……」
片手で英語の教科書も開きながら、スモーカーさんがぼそりと呟く。その隣では、たしぎさんが目をきらきら輝かせながら、戦国時代のページをこっちに向けていた。彼女が指さす先には、武将が使っていた刀の写真がある。
刀に興味があるのだろうか。ゲームの影響で、刀剣にやたら詳しくなった従姉妹を思い出して、ちょっと懐かしくなる。スモーカーさんにしかめっ面で注意され、たしぎさんがしょんぼりと縮こまった。
「……荒唐無稽だが、認めざるを得ねェな……」
「ここの地理や常識を、一切知らないこと。そして、初めて聞く島や海の名前……。この子は、かなりの僻地にある島出身ということですか?」
「違ェ。……おれたちが知るものとは、少し違う製本技術。見たことがねェ貨幣に、聞いたことねェ
1本ずつ指を立てて、淡々と述べられていく内容に、ごくりと唾を飲み込む。眉間にシワを寄せながら、スモーカーさんは私を見据えた。
「お前、こことは違う文明がある世界から、来たんじゃねェのか」
場所じゃなく、世界と彼は言った。はっきりと言葉に出され、私は泣きそうになりながら、こくりとうなずく。異世界なんて、物語でしか見ない内容のはずなのに、何でこの答えにたどり着いてくれたんだろう。
「確かにそう、なんだと思います。信じて、くれるんですか?」
「常識から外れている証拠が多すぎる。もし、お前が異世界の人間じゃねェとしても、ここまで細かく小道具を用意するメリットが分からねェ」
更にスモーカーさんが続けた話をまとめると、私くらいの歳の子で、これほどの教育を受けているのは珍しいらしい。貴族か王族の可能性もあるけど、それにしては服装がシンプルな方だと言われた。
「これほど長い歴史が、1冊の本にまとめられているのは、ここじゃ考えられねェな」
「ここって、歴史を学んだりしないんですか?」
「やり過ぎると島ごと滅ぼされるぞ」
「怖……っ!」
想像しただけで身震いする。自分たちが住む国や、世界の歴史を勉強しただけで、殺される? もしかして私、とんでもない世界に迷い込んでしまったのでは。
「仕方ねェ。幸いにもこの船は、海軍本部があるマリンフォードに向かってるところだ。そこまで乗せてってやる」
「いいんですか?」
「一度拾ったもんを、こんな海の真ん中に放り出したりしねェよ」
口調はぶっきらぼうだし、顔も怖いけど、まとう雰囲気はさっきよりも柔らかいような気がした。むしろ、少し困ったような、ちょっぴり同情してくれるような気配が見える。
「何か、スモーカーさんって……。見かけによらず優しいんですね」
「一言余計だ」
「ごめんなさい。置いてくださってありがとうございます」
ぺこりと深く頭を下げる。そのとき、ぽんと軽く、大きな何かが頭に置かれた。革の感触と、ほのかな温もりが伝わってくる。
「……悪かったな。敵と疑って」
ぼそりと呟くようだけど、その言葉はちゃんと私の耳に届いた。手がすぐに離れて、私は顔を上げる。
「まだ混乱することもあるだろう。たしぎ。こいつの監督はおれがするが、てめェも面倒見てやれ」
「は、はい! 分かりました!」
たしぎさんがこくこくと、首を縦に振る。それを確認して、スモーカーさんは部屋から出て行った。ドアが開かれたことで、白く溜まっていた煙が、するりと抜けていく。やっぱりあの人、根っこは優しい人なのかもしれない。