秋の田の、穂向きの寄れる片寄りに
つくろい終わった衣類を抱えて、廊下を歩いていたとき。金臭い匂いが鼻をかすめた。
誰かが怪我をしているのかもしれない。心配になって、辺りを見回しながら角を曲がる。すると目の前に大きな身体が現れた。
「も、申し訳ありません!」
ぶつかりそうになってしまい、急いで飛び退く。ぺこりと頭を下げると、お相手の太い腕から血が流れているのが見えた。巻き付けられた包帯が赤黒く汚れ、ぽたりぽたりと床に滴り落ちていく。
顔を上げると、赤黒い着流しと羽織が見えた。それをまとう、がっちりとたくましい身体。うんと見上げなければお顔が見えないほど、立派な上背。1つに結わえられた長い金髪。お顔には、包帯が巻かれている。
「ちょ……、ちょっとお待ちください!」
ちょうど近くにあった物置部屋に駆け込み、抱えていた衣類を置く。棚を探せば、目当ての救急箱を見つけることができた。落とさないよう大事に抱え、彼のもとへ急いで戻る。
「今、手当を……」
「ファッファッ! 触るな! おれのことなど、放っておけ!」
「だ、だめです! そのままにしていたら、バイ菌が入ってしまいますし……! 感染症になってしまったら大変です!」
よく見えないお顔も、大きく見開かれた目も、口角がつり上がった大きな口も、体が竦みそうなほど恐ろしい。でも、怪我をしている彼を放っておくことはできなかった。彼の目を見て、懸命に訴えると、彼は口を開けたまま黙り込む。
物置部屋に彼を招き入れ、座ってもらう。流れる血を、濡らしてきた手ぬぐいでそっと拭き取り、包帯を丁寧に巻いていく。ときおり、彼が「ファッ、ファッ」と声を上げるので、私はびくりと肩を震わせた。
「おれが怖いか」
「……怖い、です。でもそれは、分からないからだと思います」
「おれの笑い方は、醜いだろう」
「……? 泣いていたのではなく、笑っていたのですか?」
小首を傾げて問いかけると、彼は虚をつかれたように私を見る。よく見ると、まるで海のように青い色をしている目だ。思わず惹き込まれてしまうような、水色に近い目。
その人が"笑い方"と言う声は、少し聞き慣れない声。明るさや楽しさは感じられず、ひび割れてしまった
「何か、悲しいことがあるのですか?」
解けないように包帯の端を結びながら、恐る恐るたずねる。彼の名前すら知らないのに、どこまで踏み込んでいいのか分からない。だけど、見ず知らずの私が相手だからこそ、打ち明けられることもあるかもしれない。
「……ファッ、ファッファッファッファッ!」
彼の言葉を待っていると、彼の肩が大きく揺れる。大口を開けて、彼はまた引きつった声を上げた。出したくもないのに、無理やり発しているような声が、とどろくように聞こえた。
大きな手に腕を掴まれる。驚くほど強い力で押さえ込まれ、私は畳の上に倒れ込んでしまう。体を打ちつける痛みに息を呑んだとき、ぱさりと長い金髪が、動物の尾のように垂れ下がった。
「……悲しいと言えば、慰めてくれるのか?」
仰向けになった私に覆い被さるように、彼は私を見下ろしていた。ぎらついた目は獣のようで、私の手首を掴む力も強い。ギリギリと骨まで締めつけるようで、私の口からか細い悲鳴がこぼれる。
開いた彼の口から、白い歯がのぞく。猛獣に生きたまま喰われるような、そんな錯覚がして。それでも彼の目を見つめ返すうちに、その瞳の奥に何かが見え隠れする気がして、私は手を伸ばした。
白い包帯に覆われた頭にふれ、撫でさする。昔――まだ母が生きていた頃、母が私にしてくれたように、優しい手つきで。悲しいときも、怖い夢を見たときも、母の手はいつも慰めてくれた。母の手にふれられると、心が柔らかく揉みほぐされていくようだった。
そのことを思い出しながら、彼の頭を撫で続ける。そうしているうちに手の力が緩んできたので、私はもう片方の手で、彼の手をそっと握った。
「……ファ……」
吐息のような声が、彼の喉からこぼれる。彼の腕に抱き起こされたかと思えば、私は筋骨隆々の身体に抱きしめられていた。殿方とここまで密着したことは無くて、胸の鼓動が早くなっていく。彼は私の肩に顔を埋めて、しばらく動かなかった。
***
彼は、「人斬り鎌ぞう」と名乗った。
ひっそりとした城の片隅で、私たちはよく会うようになった。彼の手当てをしたり、少しの間言葉を交わしたりすることが多い。
「慰めてくれ」
その言葉を合図に、かがんでくれた彼の頭をそっと撫でることもある。彼はいつも怖いような笑顔を浮かべているのに、どこか罪悪感に包まれているような雰囲気を漂わせていた。
お名前を呼んでも反応してくれなかったり、答えても何だか悲しそうな顔をしていたりする。もしかして、自分のお名前が好きではないのかしら。"人斬り"と呼ばれるほどだから、きっとたくさんの人を手にかけているのだろう。
血なまぐさい人。残酷な面を持っているであろう人。罪と罰を背負っているような人。それでも心を寄せずにはいられない。彼が抱えている悲しみが、あまりにも深く冷たいように思えるからだろうか。
――どうか、この方が心から、笑うことができますように。悲しみから解き放たれて、幸福を得ることができますように。
そんな祈りを込めて、彼の頭にふれる。自分の温もりを彼に分けるように、彼の心がほんの少しでも安らげるように。
「鎌ぞう様は、ワノ国の外に出たことがあるのですか?」
ここではない遠い場所の話を、いつしか彼は聞かせてくれた。聞いたことが無い名前の食べ物。飲んだことが無いお酒。不思議な鳥や、海に住むという巨大な怪獣。数え切れないほどある島。きらきらと輝く宝物。彼が話してくれる内容は、どんな草紙よりも色鮮やかでわくわくした。
もしかしたら、彼は外国の人ではないかしら。ワノ国では黒や茶色の髪が多いけれど、彼の髪は豊かな稲穂を思わせる黄金色。目は、誰も出ることを許されない海の色。本当は、どこか遠くに彼のいるべき場所があるのかもしれない。
もしあるとしたら、その場所はきっと、私が一生行くことができない場所。私が手を伸ばしてはいけない場所。
近くにいても遠い人のようで、寂しさが心をかすめる。せめて、もう少しだけでも、お側にいられる時間が欲しい。なけなしのお米を少しずつ貯めて、おにぎりを作りながら、そんな不相応な願いを抱いてしまう。
「よろしかったら、召し上がってください」
「……お前は、食わなくていいのか?」
「大丈夫です。お腹が空いていることには、慣れておりますので!」
「ファッファッ、それは大丈夫とは言わないだろう」
2つだけのおにぎり。味付けは塩のみ。量もおかずも足りないものばかりだけど、少しでもお腹を満たせるように心を込めた。包みを差し出すと、彼は受け取ってくれる。
「……一緒に食ってくれるか」
「え」
「お前が集めた食料を、おれだけで食うのは忍びない」
「……分かりました! それでは、半分こですね」
私のように身分が低い者を、気遣ってくれるなんて、優しい人だ。思わず顔をほころばせながら、私はおにぎりを1ついただく。私が持つとちょうどいい大きさなのに、彼が持つとやけに小さく見えた。
端から少しずつかじっていくと、ほんのりとした塩気とご飯の甘みが口の中に広がる。すぐに食べきってはもったいないので、よく噛んで味わった。誰かと共に、ゆっくり食事をするなんて、いつぶりだろう。いつもはお勝手で残り物をいただいたり、仕事の合間に急いで食べたりしていた。
「こんな場所で申し訳ありません」
「構わねェ。人斬りのおれといるところなんて見られたら、お前が困るだろう」
誰も来ない物置部屋。隠れるように並んで座って、食べるおにぎりの味は、いつもより甘いような気がした。母がお料理をしていたときに、「味見よ」と言って少しだけ食べさせてくれた、あの感覚。お勝手でつまみ食いをしたような、心にしまい込みたいドキドキした気持ち。そんな懐かしさが、しみじみと思い出された。
この時間が、少しでも長く続いてくれますように。そう手を合わせてお祈りするけれど、幸福な時間は長く続かなかった。
***
カイドウ様と百獣海賊団の皆様が倒れ、モモの助様という新たな将軍が現れたことで、ワノ国は平穏を取り戻した。
怯えて暮らすことも、飢えに苦しむこともない。人々の顔に、心からの晴れやかな笑顔が浮かぶようになったのは、喜ばしいこと。でも私の心には、いつもどこか灰色の雲がかかっていた。
――あなたがいない。
ぱたりと姿を見せなくなってしまった鎌ぞう様を、私は探していた。赤黒い着流しに金色の髪。少しだけ穏やかに細められていた、海色の瞳。悲しげに響く声。記憶に残る彼の姿を頼りに、あちこちを歩き回る。
胸が苦しく、切ない痛みを訴える。あなたと会える、あの不自由な場所が、自分にとってどれだけ大切だったか。あなたとお話できる時間が、あなたと過ごせる時間が、どれほど愛おしかったか。誰かをこんなに、恋しく想ったことなんて無かった。
――もう一度、あなたに会いたい。
小高い丘の上から、街を眺める。あの方はどちらにいらっしゃるのだろう。もしかしたら、もう会えないのでは。寂しさに喉が詰まるようで、はらはらと頬に涙がこぼれる。手の甲で目を拭ったとき、名前を呼ばれた気がした。
顔を上げて振り返る。そこに立っていたのは、たくましい身体をした異国の方だった。見慣れない着物をまとっていて、頭には縞模様の仮面をすっぽりと被っている。思わず私は、懐に入れていたサンゴ玉のかんざしを握りしめていた。
身を守れそうなものは、母の形見のこれしかない。戸惑いながらその方を見つめていると、彼が仮面を外した。
「……!」
夢にまで見た、稲穂のような金髪が、そよ風に踊る。長い前髪の下からのぞくのは、淡い海のような色の目。藤色の紅をさした唇が、そっと私の名前を呼んだ。
「……鎌ぞう、様……?」
目の前にいる彼は、思い出の中にいる彼よりも、穏やかな空気をまとっている。ためらいながら名前を呼ぶと、彼は静かに首を横に振った。落ち着いた低い声が、柔らかく響く。
「それは、おれの本当の名前じゃない。……人斬り鎌ぞうは仮の名。おれの名前は、キラーだ」
どちらからともなく、お互いに歩み寄る。私と目を合わせるように彼がかがむのと、私が腕を伸ばしたのは、ほぼ同時だった。手に伝わるのは、少しごわごわとしたような質感の髪。大きな動物の背を撫でているような、初めての手触りだけれど、その頭の輪郭には覚えがあった。
「きらー、様?」
「様はつけなくていい」
教えていただいた名前を、自分の中にしまい込むように、呼んでみる。彼は安心した猫のように目を細めて、私の手に大きな手を重ねた。ごつごつした手の温もりに包まれる。
「外国の方、だったのですね……」
「黙っていて、悪かったな」
「いえ。何か事情がおありだったのでしょう?」
彼の方からふれてくれるのは、これが初めてだ。人斬りを名乗っていた頃は、私にふれずに一定の距離を保っていた。ふれるのはいつも私からで、それが少し照れくさくて、安心することもできた。
「……ずっと、あなたにお会いしたかった」
「あァ。おれもだ。……会えて、よかった」
引きつったような笑みとは違う。強ばりが解けるような、草木が芽吹くような、和らいだ微笑み。初めて見ることができた笑顔に、胸が甘く高鳴る。
「……おれは、もうすぐこの国を出る」
「え……」
「だが、心残りがあった。お前と、離れることだ」
彼の手が私の手から離れ、私の頬にそっとふれる。慈しむような優しい手つきでふれられて、薄い青色の目に惹き込まれるようで、目が離せない。
「見返りを求めないお前の優しさに、おれは救われた。手放したくない、手放せないと思ってしまった」
「おれは海賊だ。危険な航海に付き合わせることになる。それでも、隣にいてほしい女は、お前以外考えられない」
「おれが守る。だから、おれに攫われてくれないか」
願ってはいけないことだと思っていた。そんな不相応な望みを抱いてはいけないと、心の玉手箱に押し込めていた。その想いが、彼の言葉であふれ出しそうになる。
「……私は、侍の方々のように、武器を持ったことはありません。世間知らずなところもあるでしょうし、あなたにご迷惑をかけてしまうかもしれません」
彼の言う"危険な航海"がどんなものか、詳しく思い浮かべることはできない。平和になった故郷で、彼との思い出を美しい夢のように抱きしめて、これまで通り慎ましく暮らすのが正しい道なのかもしれない。
「それでも……。それでも、私はあなたと生きてみたい。足りないところがあれば、頑張って直します。あなたが見る景色を、私も見てみたい。あなたの隣で」
「どうか私を、攫ってください。キラーさん」
他の誰かに何を言われたとしても、あなたに寄り添っていたい。その想いを強く込めて、彼の目を見つめながら、私は伝えた。
彼の目が少し見開かれて、何かをこらえるように眉が寄せられる。カランと仮面が落ちる音がして、私は彼に抱きしめられていた。いつかの日のように力を込めて、ひしと抱かれる。その広い背中に手を回して、私は彼の胸に顔を埋めた。
仮面を被り直したキラーさんに、宝物を扱うように抱き上げられる。目指すのは、日の光を浴びてきらきら輝く海。彼に攫われることを自分で選んだ。その道中で見た景色を、私は生涯忘れることはないだろう。
「今日からお前は、キッド海賊団の非戦闘員。担当は主に家事。そしておれの女だ。歓迎の宴で食べたいものはあるか? 何でも構わない」
「いいんですか……!? 私、白いご飯をお腹いっぱい食べるのが夢だったんです!」
「野菜やるよ」
「肉も食えよ」
「デザート分けてあげるね」
強面の方や露出が多い服装の方が多かったけれど、新しい居場所は優しい方たちばかりのようです。