Only Buddy
事件についての聞き込みから、お昼休憩まで、なるべくキッドと一緒に行動する。最初は「うぜェ」と迷惑そうな態度を隠さなかった彼だけど、最近は根負けしたのか何も言わなくなった。今日も私はリードを持って、彼の背を追いかける。
今回の殺人放火事件。亡くなったのは、咲間さんという30代の女性。死亡推定時刻は21時から22時。人間関係のトラブルは無く、休日はプランターでお花の世話をしているような、温和な人だったらしい。
事件についてまとめたルーズリーフとにらめっこしながら、鮭と乾燥ワカメを混ぜ込んだおにぎりをかじる。その横でキッドは、ローストビーフをぎっしり挟んだサンドイッチに、豪快にかぶりついていた。
「紙と文字だけ睨んだところで、何も変わらねェぞ」
「分かってる。分かってるけど、情報の整理と振り返りも大事だと思う」
被害者の女性が、コピーされた写真の中で、ゆったりと微笑んでいる。優しい人が踏みにじられる現実に、私は眉を寄せた。指先で写真を撫でると、さらりとした感触が伝わる。温もりの無い無機質な手触りに、失われた命を連想してしまう。
「……いちいち同情すんな」
意外なほど静かな声に、顔を上げた。今の低い声は、確かにキッドの声だ。隣を見ると、少し離れた位置にキッドが座っている。サンドイッチを食べ終えたようで、指先を軽く舐めていた。私の方を見もしないまま、彼は続ける。
「潰れても知らねェぞ」
思いがけない言葉だった。彼の真意が読み取れず、私はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「ど、どういう意味……?」
「自分で考えろ」
いつも通りの、ぶっきらぼうで突き放すような言い方で、彼は立ち上がる。サンドイッチの包み紙を、ゴミ箱にぽいと捨ててから、彼はソファに放っていた口輪を手に取った。
「つけんなら、とっととつけろ」
「え。あ、うん」
投げられた口輪を両手で受け止め、どっかりとソファに座り直した彼の前に立つ。口輪をつけたり外したりするのは、ペアを組んでる人間の仕事だ。おっかなびっくり口輪に手を伸ばしては、キッドにガチンと歯を鳴らされて脅かされ、半泣きになったのがどこか懐かしい。
お昼休憩も一緒に過ごすようになってから、彼の口輪にふれる機会ができた。口輪をつけたままじゃご飯を食べられないからだ。つけるときも外すときも、キッドは不機嫌そうに舌打ちをする。自由を奪われているようで、ストレスを感じているのかもしれない。
***
咲間さんがよく通っていた場所、彼女の人間関係、近辺で起きた火事や放火が無いか等、片っ端から洗い出す。現場や資料室で得た、たくさんの情報をまとめて、分析できるようにする。
まだ新米でひよっ子の私に、できることは少ない。自分にできることを精一杯頑張って、積み重ねていくしかない。
その様子を後ろから眺めていたキッドが、テーブルに手をついて資料をのぞき込む。
「よくもまァ、ここまで細かく情報収集できたもんだな」
「キッドが現場で、いろいろ気づいてくれたからだよ。ありがとう」
「……資料室にこもって、あれこれかき集めてたのはてめェだろうが」
心外そうな感情が、彼の顔に浮かぶ。彼に並ぼうと追いかけ続けるうちに、彼が考えていることが、少しずつ分かるようになってきた。気がする。いつも不機嫌そうに見えるけど、その裏で何を思っているか、前より伝わってくる。
咲間さんの人間関係をまとめたルーズリーフに、キッドが目を落とす。何かを考えるように黙り込み、1人の人物の写真を指さした。
「明日、この男のところに行くぞ」
「え? でもこの人、犯行時刻は友人の家に行ってるアリバイがあったよね?」
「だから行くんだよ」
キッドが目星をつけたのは、咲間さんが通っていた花屋の店長だった。30代後半で体格がよく、穏やかそうな男性だ。最初に咲間さんの話を聞きに行ったとき、悲しそうに眉を下げていた。
「こんにちは。あれから、何か進展はありましたか?」
紺色のエプロンをつけた彼が、気がかりそうに問いかけてくる。私は胸ポケットに差したペンに軽くふれた。キッドが微かに鼻を動かし、店長に厳しい視線を向ける。
「……お前、事件が起きた時間はどこにいた?」
「前にもお話した通り、友人の家に行っていましたよ」
「そのご友人にお話を聞きたいんです。紹介していただけませんか?」
「申し訳ありません。彼女は今、長期旅行に出かけておりまして。確かパリだったかな」
「立ち話も何ですし」と店長が、お店の中に私たちを招き入れる。時刻は午後の4時半。CLOSEDの看板を出した店内は薄暗く、バケツにいけられた花たちは眠っているように見えた。
奥の部屋に入り、室内が明るくなる。キッドは低い唸り声を上げて、店長に言った。
「嘘を並べてんじゃねェぞ。あの女の家で嗅いだ花の匂い。それと同じ匂いがてめェから漂ってんだ」
「彼女は常連のお客様ですから。おすすめのお香を聞かれることもありましたよ。彼女は花の香りが好きですから」
「……咲間さんの寝室にある香炉には、スミレのお香が入っていました」
相手のお腹の底を読み取ろうとするように、空気がぴんと張り詰める。店長はにこやかな表情を崩さず、私たちを見つめていた。昨日、科捜研に顔を出したとき、教えてもらった情報。それが私の頭の中を、ぐるぐると巡る。
「……部屋の床に散らばっていた灰。その成分を分析した結果、バラの花と木の皮、バニラとシナモンが出ました。あなたが手作りして販売しているお香と、同じ成分です」
背筋に冷たいものが走る。拳をぎゅっと握りしめ、私は店長を見つめた。
「……ご友人とは、咲間さんのことではないですか?」
静まり返る部屋で、自分の心臓の音が大きく聞こえた気がした。店長は落ち着いた眼差しで、柔らかな微笑みを浮かべたまま、口を開く。世間話でもするような、何気ない口調だった。
「花の香りに包まれて逝けるなんて、素敵でしょう?」
数秒、言葉の意味を理解できなかった。
「……あっさり尻尾を出したな。クズ野郎」
「驚きました。全て焼けてしまって、分からないと思っていたのですが」
「狼は鼻が利くんだよ。舐めんじゃねェ」
キッドが牙を剥く。店長は表情を変えずに、キッドと私に視線を向けた。人の首を絞めて、その遺体と家を焼いているのに、どうしてそんなに平然としていられるんだろう。こくりと唾を飲み込み、震えそうな声を押さえて問いかける。
「何で、そんなことを……」
「愛していたからです。彼女の姿を美しいまま、記憶に留めたかった。首を絞めたのは初めてなので、顔が鬱血してしまったのは誤算でした」
「そんな……。命を何だと思ってるんですか!」
「一番美しいときに刈り取るものです。花もそうでしょう?」
拳が震える。昼ごはんの味付けを間違えてしまったかのように、軽い調子で殺人を語る。そんな彼に怒りが込み上げた。強い気持ちが声に乗り、自分でも驚くほど声が響く。
次の瞬間、尖った何かが光を弾いた。冷たくひらめいたそれに思考が止まる。突き飛ばされる衝撃。タイルの床に転がった私の側に、カシャンと音を立てて花用ハサミが落ちた。
「ボサっとしてんな! 下がってろ!」
「ご、ごめん、ありがとう……!」
もふもふの赤い尻尾が、叱りつけるように顔面を叩く。キッドに庇われたのだと気づいたとき、店長は部屋から飛び出していた。
「待ちやがれ!」
バケツが倒れ、花と水が床に広がる。棚から落とされた小瓶が割れる。ガラスの破片と、乾いた花や果物の皮が散らばり、アロマオイルが混ざったような甘い香りを振りまいた。
「チッ! 鼻を利かなくさせる気か……!」
このままじゃ店長を見失ってしまう。そうはさせない。ここまで来て逃がすわけにはいかない。私はキッドのリードを手繰り寄せ、頑丈な首輪に手をかけた。留め金を外すと、濡れた床に首輪が落ちる。リードが蛇のようにうねり、首輪の後に続いた。
「!」
すがめられることが多いキッドの目が、大きく見開かれる。構わず口輪に手をかけて、そちらも取り去る。いつも彼がするように、金属製の口輪を床に放り投げると、澄んだ音を立てた。
――この口輪と首輪を外したら、すぐにてめェの喉笛を食いちぎってやるからな。
まだ会って間もない頃、キッドに言われた言葉が頭をよぎる。でも今は、やらなきゃいけないことがある。肉食獣の拘束を解いて、獣人が持つ本来の力を引き出して。その結果、私がズタズタにされたとしても、覚悟の上だ。
彼の茶色の瞳に、私の姿が映っている。真剣な顔で、怯えることなく彼と向き合っている。今まで積み重ねてきた時間と、そこで見てきた彼のことを信じて、私はコマンドを使った。
「――"Go!"」
それは、犯人を捕えるときのみ許される合図。罰を受けなければいけない人間を、逃がさないために、猛獣を解き放つ言葉。獣人を、従わせる言葉。キッドの口角がニヤリと上がり、鋭い牙があらわになる。
キッドの姿が消えたように見えたのは、彼の動きが特別速いからだ。狼の最高速度は時速70km。長距離を走ることに加えて、優れた嗅覚を持つため、獲物を追跡することが得意。並の人間が、逃げ切れる相手じゃない。
首輪と口輪を拾い上げて、花屋から飛び出す。辺りを見回すと、左の方の道で店長を押さえ込んでいるキッドが見えた。店長も体格はいいけど、キッドの方が上背があるし腕や足も太い。嬉々とした様子で、店長の手首に手錠をかけてるけど、やり過ぎてないかな。大丈夫かな。
スマホで応援を呼ぶと、すぐに他の警察官が駆けつけてきた。店長はパトカーに乗せられ、これから警察署で取り調べを受けるらしい。捕り者はこれで一段落かな。大きく息をつきながら、私は胸元のペンにもう一度ふれた。
「あ、キッド」
のしのしと向こうから、キッドが近づいてくる。彼の方に駆け寄ると、キッドはフンと鼻を鳴らした。2人で危機を乗り越えられた。事件の犯人を捕まえることができた。その嬉しさがじわじわと胸の内から湧いて、体中に広がっていく。
「すごいよキッド! お手柄だね!」
「別に大したことねェよ」
あれ、何だか涼しい。目線を落とすと、キッドの赤いもふもふ尻尾が、大きく左右に揺れていた。思わず凝視すると尻尾の動きが止まる。キッドが気まずそうに、自分の尻尾をがっしり掴んでいた。
そのとき、改めて気づく。あのキッドが、私から逃げずに戻ってきてくれたことに。首輪と口輪を握りしめて、私は思い切って聞いてみた。
「……どうして、助けてくれたの?」
「……胸糞悪ィヤツらを捕まえんのが、おれの仕事だ。それにてめェに死なれたら、上がうるせェ」
ずっと逸れていた目線が、ようやく私に向けられる。訝しげな眼差しで、キッドも私に質問をしてきた。
「てめェこそ、何でおれの口輪を外した。自分が噛まれるって思わなかったのか」
「キッドのことを信じただけだよ。キッドは、判断を間違えたりしないって」
思ったことを素直に伝えると、キッドは不意をつかれたように目を丸くする。
「助けてくれて、ありがとう。私1人だけじゃ、できなかった」
顔をほころばせて感謝の言葉を言う。キッドはグッと唇を噛んで険しい顔になった。怒っているような、恥じらっているような、居心地が悪いような。複数の感情をぐちゃぐちゃに混ぜたような、複雑そうな表情だ。
「……ア゛〜〜〜……」
地を這うような唸り声を出して、キッドが自分の赤い髪を、片手でぐしゃぐしゃとかき乱す。それからぼそりと、私にだけ聞かせるような声量で、こぼすように言った。
「……少しだけ、てめェのことを信用してやる」
「ほんと!?」
「おれより弱っちいし、嘘なんざつけなさそうだからな」
「無害通り越して取るに足らない存在だからって意味!?」
信頼できる人だって、認めてくれたわけじゃないことに、ガーンと衝撃を受ける。そんなマイナスな意味で信用されたら、喜ぶべきか悲しむべきか分からない。
「……すぐに食われる小動物だと思ってたが。腹くくったときの度胸と、下手な小細工使わずに食らいついてく姿は、嫌いじゃねェ」
「え」
「おれは誰かに従うのも、使われんのもごめんだ。その考えは変わらねェ。だが、てめェみたいなヤツなら組んでやってもいい」
彼の大きな右手が、私の頬にふれる。私の首を掴んだこともある手だけど、不思議と今は怖くなかった。いつもキツく睨むような彼の目が、真っ直ぐ静かに私を見つめている。
「おれがてめェの
無愛想な言葉だけど、底の方にほんの少しだけ、優しさみたいなものを感じる言い方だった。対等なパートナーになりたいと告げた私に、バディになってやると言ってくれた。光が灯るような、温かな気持ちが、ゆっくりと心を満たしていく。
「……私のこと、認めてくれるの?」
「そう言ってんだろうが。何度も言わすな」
照れ隠しのように舌打ちをされる。彼に認めてもらえたことが嬉しくて、私は両手で口元を押さえた。高揚した気持ちが、そのままはしゃいだ声になって、あふれてしまいそうだった。
「……犬っコロかよ」
キッドが小さく笑う。小馬鹿にしたような笑みとも、獲物を追い詰めるようにギラついた笑みとも違う。初めて見る、ふっと和らぐような笑顔だ。
「おら、言うこと聞いてやったんだ。褒美をよこしな」
「カツアゲだぁ……! おやつ用のカルパスならあるよ」
「あんな小せェので足りるか。ロールキャベツが美味い店があんだよ。おごれ」
「ロールキャベツ好きなの?」
「おう。大好物だ」
筋肉がしっかりついた腕が、私の肩に回される。見上げると、イタズラを企むような、でもどこか無邪気さを感じる顔で、キッドが笑っている。肩はちょっと重たいけど、体と心の距離は、前よりずっと縮まっていた。
***
1週間後。花屋の店長は逮捕され、殺人放火事件は無事に解決した。店長は最初、容疑を認めようとしなかったけど、私が持っていた証拠が決定打になった。
胸ポケットに差していた、ペン型のボイスレコーダー。店長と顔を合わせたときに起動させ、そのまま会話を録音していたのだ。「本当に根性あるヤツだな」と、キッドは痛快そうに、大口を開けて笑っていた。
「誰の指示も聞かないあの狂犬を、よく従えたな」
「シタ、ガエ、ル……???」
「そんな初めて聞く言語みたいな反応をされるとは」
特殊捜査課に行くと、先輩たちに囲まれた。お手柄だと褒めてくれる人、怪我は無いか聞いてくれる人と、反応は様々だ。課長にも感心したように褒められ、私はついオウム返しになる。
「従えてませんよ。キッドが協力してくれたんです」
「大の男すら、リードで容赦なく引きずり回すアイツが……?」
「狼っていうより闘牛っぽいアイツが?」
「何か頼もうもんなら、『おれに指図すんな』って噛みついてくるアイツが?!」
「キッドの信用が無さすぎる……!」
先輩たちが、信じられないものを見る目でざわめいた。ちょっと悲しい。嘘じゃないのに。
「そんなわけで、特殊捜査課で私のあだ名が『猛獣使い』になりました」
「間違ってはねェな」
科捜研に顔を出すと、ローさんが個包装のお菓子をくれた。ありがたいことに、私が好きなレーズンサンドだ。後でゆっくり頂こう。お礼を言って受け取ると、頭の上に何かが乗っかった。
「トラファルガーに餌付けされてんじゃねェぞ」
「キッド、私の頭は肘置きじゃないよ」
「何だ。てめェも来たのかユースタス屋」
「てめェもだトラファルガー。おれのに粉かけんな」
「仕事上の関係の癖に、こいつの男ヅラか? そんだけ厚い面の皮なら多少剥いでも問題ねェな」
「ア゛ァ? やれるもんならやってみろや。その前にてめェの喉元噛み砕いて、二度と無駄口叩けなくしてやるからな」
「2人とも! 治安の悪いケンカはやめてください!」
最近分かったことがある。ローさんとキッドは、驚くほど仲が悪い。キッドが科捜研に行くのを、断固として拒否した原因が分かった。まさに水と油。いや犬猿の仲だ。狼とユキヒョウなのに。私の頭上で怖いことを言わないでほしい。
科捜研の人たちに、アイコンタクトで助けを求めてみると、一斉に目を逸らされた。シロクマの獣人のベポさんが、両手を合わせてペコペコ頭を下げる。同じ肉食獣のあなただけでも、助けに来てほしかった。
結局キッドが、私を小脇に抱えて科捜研の部屋を出る。振り返ると、ローさんが私に向かって、ひらりと片手を振っていた。
「てめェはおれのバディだろうが。他の男に尻尾振んじゃねェ」
「尻尾を振ったつもりは全く無いのですが。そもそも私に尻尾無いし」
「あと二度と科捜研行くな」
「そんな無茶な」
それは勘弁してください。あそこでしか貰えない大事な情報があるんです。見上げると、キッドはムスッとした顔をしていた。まるで、お気に入りのぬいぐるみを取られそうになったワンコのようだ。
「もしかして……、ヤキモチ?」
「……」
「あのすみません腕の力強めるのやめていただけませんか。胃が、胃が圧迫されグエッ」
カエルが潰れたみたいな声が出てしまった。丸太みたいな腕をぺしぺし叩くと、キッドは溜飲を下げたように鼻で笑う。それから私の体を下ろしてくれた。
隣に立つのは一匹狼。血気盛んで不遜で、誰よりも強い人。そして、私の大事な相棒。
この先に何があっても、彼と乗り越えていきたい。そんな想いを込めて拳を作り、キッドの方に向ける。キッドは自信に満ちた不敵な笑みを浮かべて、私の拳に自分の拳を突き合わせた。