Only Buddy



この世界には、2種類のヒトがいる。
ひとつは人間。もうひとつは獣人。獣人は人間と違って、獣の耳と尻尾を持つ。人間に近い見た目の人や、動物そのものに近い見た目の人もいる。

彼らは嗅覚や聴覚等の五感が、人間より優れていて、力も強い。人間はそんな獣人を恐れ、遠ざけようとしていた時代もあった。でも現代では、人間と獣人は共存し、お互いのできないことを補うようにして暮らしている。

この春、私が配属された特殊捜査課も、そんな場所だった。警察官と同様に訓練を受けてきた獣人とペアを組み、事件を解決に導くための捜査を行う。私とペアになるのは、どんな人なんだろう。誰が来ても、一緒に頑張っていこう。

この頃はまだ、そんな風に考えていた。

***

「ちょ、ちょっと待って! ストップ!」

ずんずん進んでいく彼を止めようと、リードを引っ張る手に力を込める。必死に足を踏ん張っているにもかかわらず、私の体はずるずると引きずられた。

先を行く彼は、がっちりと引き締まった体つきで、重い鋼鉄を連想させる。更に2mを少し超える大きな背丈だから、私1人でどうにかできるわけがない。それでも諦めずにリードにしがみつくと、大きな舌打ちが聞こえた。

「うっとうしいんだよ、あっち行ってろ」
「そ、そういうわけにはいかないよ! 一緒に行動しないと……!」
「何度言わせんだ。おれはてめェを"主人"とは認めねェ」

高い位置から、ギロリと鋭い目つきで見下ろされる。私から見て右側の顔と首筋に走る、大きく目立つ傷跡。逆立った赤い髪と同色の、ピンと立った大きな耳。強面な狼の獣人である彼――ユースタス・キッドは、金属製の口輪と、それを固定している革紐を煩わしそうに引っかく。

「おれは誰の命令も聞かねェ。この口輪と首輪を外したら、すぐにてめェの喉笛を食いちぎってやるからな」

彼の喉から、肉食獣が唸るような音が響く。口輪越しに見えた牙は研がれたナイフのようで、私はびくりと肩を跳ね上げた。皮膚も肉も、簡単に引き裂いてしまいそうだ。赤いマニキュアを塗った爪が、節くれ立った太い指が、私の首に食い込む。

「こんな細くて柔い首なんざ、一瞬だ」
「ひ……っ」

片手で首を掴まれて、こくりと喉が動く。脅すような低い声に、肌が粟立って、体が強ばる。目の奥が熱くなり、じわりと目の前にいる赤色がにじんだ。手から力が抜け、リードがするりと手から離れる。キッドは鼻を鳴らし、背を向けて歩き出した。

ここは先日、火災が起きた現場だ。火災鑑定に私たちも来たけど、キッドと信頼関係は築けていないまま。初めて会った時からそうだった。

――おれは誰にも従わねェ。

特殊捜査課の中で、人間とペアを組んでいない獣人は1人だけ。配属されたばかりの私が、彼と組むのは自然な流れだけど、キッドはかなりの問題児だった。

手がつけられないほど、短気で凶暴で好戦的。誰の指示も聞かず、独断で行動してしまう。強引に荒っぽく、物事を進めてしまう。『特殊捜査課の狂犬』と呼ばれる彼と、この先やっていけるのか……。それを考えると、心が靴底みたいにすり減りそうになる。掴まれた首を片手で押さえ、私は手の甲で目元を拭った。

こんなところで、立ち止まってちゃだめだ。

キッドのことは怖い。気を抜けば体が震えそうになる。だけど、それは立ち止まる理由にならない。ここで動けなくなってたら、何も解決できない。自分が今すべきことを思い出せ。何のために警察官になったか、思い出せ。

ぱんと両手で自分の頬を叩く。気持ちを切り替えて、私は赤くてふさふさした尻尾を追いかけた。キッドに追いつくと、彼は空気の匂いを嗅ぐように鼻を動かす。そして手袋をはめた手で、黒焦げになったものをつまみ上げた。周りには灰が散らばっている。

「灯油くせェ。……あと、花の匂いか?」

ジッパーバッグに入れられたのは、プラスチックの欠片のように見える。建物の構造を考えると、確かここは寝室だったはず。5月に灯油を使う機会があるとは考えにくい。部屋を見回すキッドの視線を追うと、彼が棚らしきものに目を留めた。大きな手が、熱でぐにゃりと変形した小物を持ち上げる。

煤にまみれたそれは、香炉のようだった。100円ショップのアロマコーナーで、似た形のものを見たことがある。

「……放火、かな」

自殺か他殺かは判断できないけど、その点は確かだろう。呟くと、キッドは無言で立ち上がる。私はゆらゆらと揺れるリードをそっと握り、キッドの後ろをついていくように歩く。

特殊捜査課に所属している、肉食系の獣人は、全員口輪をつけることが義務だ。現場で血の匂いを嗅いで、肉食獣の本能が刺激されたとしても、周りに危害を加えないようにする目的らしい。口輪を外すのは、犯人を捕らえるときのみと言われている。

更にキッドは気性の荒さ故か、頑丈な首輪とリードもつけられていた。口輪も首輪も、獣人の肉体的な力を抑えるための特別製。こうしてリードを持っていると、人というより警察犬の相手をしているようで、複雑な気持ちになる。

「キッド」

大きな背中に向かって名前を呼ぶ。彼の耳がぴくりと動いたけど、振り返る様子も立ち止まる様子も無い。ちゃんと彼の目を見て話をしたくて、私は小走りで彼の前に回り込む。

「キッド、聞いて」

横をすり抜ける彼を追いかける。真正面に立って、彼の太い腕を掴み、私はキッドを見上げた。睨むような彼の目から逃げずに、真っ直ぐ見つめ返す。

「私、主人とか従わせるとか、そんなこと思ってない」

本当はリードに繋がずに、対等に話したい。でも今の私じゃ無理だ。私は彼に信頼されてないし、認められてない。そう思ってもらえるような、能力と経験と時間が、まだまだ足りてない。

「私はあなたと、対等に協力したい。パートナーになりたい」
「だからお願い。力を貸して。認めてもらえるように頑張るから」

お互い目を逸らさないまま、数秒経つ。眉間にシワを寄せて、私を見下ろしていたキッドが、軽く笑うような声を上げた。

「……ハッ。よく言うぜ。おれにビビってたくせによ」
「じ、自分の顔の怖さを自覚してから言ってほしい」
「知るか」

片方の眉を上げて、小馬鹿にしたように彼は笑う。そのままスタスタと大股で歩き出すので、リードがピンと引っ張られた。小走りでついていくと、彼が再び口を開く。

「そこまで言うなら。その貧弱な手足で、精々認めさせてみろよ」
「も……っ、もちろん!」

逞しい背中に声をかける。私が頷く様子なんて、彼には見えていないだろうけど。

自分で道を切り開くように進むキッドと、後ろを何とかついていく私。少しでもパートナーに見えるようになりたい。そう思いながら、私は息が切れそうなのをこらえて、彼の隣を歩けるように足を早めた。

***

「ガイシャの死因は、絞殺による窒息死だな」

科学捜査研究所に結果を聞きに行くと、顔なじみのローさんが教えてくれた。白銀に黒いまだら模様が入った、小さな耳と長い尻尾。黒いハイネックのカットソーとジーンズの上に、白衣を羽織っている。

ユキヒョウの獣人である彼は、解剖医の資格も持っている。そのため、人体の構造についてかなり詳しい知識がある、頼もしい存在だ。

「気管に煤の付着は無し。CO-Hb飽和度は陰性、一酸化炭素中毒死の可能性も無い」
「でもご遺体って確か、全身真っ黒に焼け焦げてたんですよね? 首を絞めた跡とか見当たらなかったんじゃ……」
「注目すべきはここだ」

机の上に置かれた書類を、しなやかな指先がとんと叩いた。そこには頭蓋底のカラー写真が印刷されている。のぞき込むと、ローさんが説明してくれた。

「頸動脈と同じ血管は、頭蓋骨にも分布している。顔に強い鬱血をきたして死亡した場合、頭蓋底にも必ず、鬱血が出現するんだ」
「なるほど……!」
「絞殺の証拠を、放火によって隠蔽する。犯人はなかなか、頭が回るヤツらしい」

犯人との知恵比べにやる気が出ているのか、ローさんの灰色の目が、どこか楽しげに爛々としていた。やがて目の光が落ち着き、私の方を向いて彼は言う。

「……ところで、ユースタス屋を押し付けられたと聞いたが。当の本人はいねェんだな」
「あ、はい。科捜研に結果を聞きに行くって言ったら、すごく嫌そうな顔しちゃって」

普段から感情を表に出してるけど、今回はびっくりするほど嫌そうだった。口は思い切りへの字に曲がっていたし、不機嫌そうなオーラが前面に出ていたし。リードを軽く引っ張ってみたけど、拒否柴のごとく動かなかった。仕方ないので置いてきたのだ。

「真面目で責任感のあるお前のことだ。連れてくる可能性はあると思ってたが……。流石にアイツには手を焼くか」
「あはは……。認めてもらえるよう、頑張ってるとこです」
「あの駄犬を上手く躾けられないなら、パートナーを変えた方がいいぞ」

筋張った大きな手が、よしよしと私の頭を撫でる。少し体温が低いその手は、優しくて安心できて、思わず頬が緩んだ。それを見たローさんが、ほんのり口角を上げる。

「小犬みてェだな」

普段クールでドライな彼が、切れ長の目を柔らかく細める。そのギャップに思わず、心臓の辺りがことんと跳ねた。淡い桜色の鞠が、ぽんと弾むような感覚。資料を受け取って一礼し、特殊捜査課の部屋へ戻る。

やっぱりローさんといると落ち着くな。お兄ちゃんがいたら、あんな感じなのかな。小さい頃はよく、兄弟姉妹がいたらどんな感じか、想像していたことを思い出す。

先輩や課長に資料を渡しながら、情報を共有する。それを終えてからキッドのところに行くと、不意に彼が私の髪に顔を寄せた。

「え、わ、何?!」
「……」

金属製の口輪が頭に当たる。スンスンと鼻を鳴らす音が聞こえ、顔が熱くなった。お風呂は毎日入ってるし、香水はつけてないし、シャンプーは無香料のやつなんだけど。どうしよう、何かおかしいところがあったのかな?

「……猫くせェ。しばらく寄んな」
「ひどい!」

人前で人の匂いを嗅いでそれか!? 眉間にぎゅっとシワを刻んだキッドに、虫でも追い払うみたいに手を振られる。相変わらずの塩対応に泣きそうになった。私だって傷つくんだぞ。

結局その日はずっと、キッドの機嫌が悪いままだった。ご機嫌なときはめったに無いけど。
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