傾く太陽とクリスタルの眼差し
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「夕子が入院した」と連絡が来たのは、それから1週間後のことだった。
獄たちが病室のドアを開けると、夕子は文庫本から顔を上げた。骨折しているようで、伸ばした右足はギプスで固定されている。獄たちを見て、夕子は驚きと嬉しさが混ざり合ったような微笑みを浮かべた。
「皆さん、こんにちは。来てくださったんですね」
「石月さんから連絡があってな。怪我の具合はどうだ?」
「全治3ヶ月だそうです」
「大変っすね……。これ、お見舞いっす。よかったら食べてください」
「まあ。ありがとうございます」
栞を挟んだ文庫本が、サイドテーブルに置かれた。シンプルなパジャマに身を包み、困ったように眉を下げて、夕子は自分の足を見下ろす。ベッドに座っている彼女に、十四は持ってきたカットメロンを渡した。和やかな表情で、夕子はそっと受け取る。
「駅の階段から落ちるなんて、意外とそそっかしいんだな。急ぎの用でもあったんか?」
丸椅子を引き寄せて、どっかりと腰かけながら、空却は問いかけた。猫のような金色の目は、いつもより静かな気配を、奥に潜ませているように見える。まるで真実を見抜こうとするような視線に、夕子はこくりと息を呑んだ。
「……そのこと、なんですが……」
細い両手の指を組み合わせ、夕子は少しうつむく。ささやくような声が、4人しかいない病室に、静かに響いた。
「……階段から落ちたとき。誰かに、強く背中を押されたような、突き飛ばされたような感覚が、ありました」
おずおずと、秘密を打ち明けるような告白に、獄たちは目を見開く。
「そ、それって……!」
「相手の顔は見てねえのか」
「突然のことだったので、振り返る余裕も無くて……。転がり落ちた後に、何とか見上げたんですが、人が多くて分からなくて……」
青ざめた顔で、十四は両手を口元に当てる。眉間に皺を寄せた獄がたずねると、夕子は首を横に振ってから答えた。ほっそりした指が、片腕をそっと掴む。当時の衝撃や恐怖を思い出したのか、体が少し震えて、表情は強ばっていた。
それを見ながら、獄は石月から連絡が来たときのことを思い返す。入院の準備をするために、夕子の着替えを取りに行こうと、石月は合鍵で彼女のアパートに入ったという。そのとき石月が目にしたのは、荒れた室内。引き出しの中はかき回され、物がいくつか引っ張り出されていた。
夕子の持ち物自体はそれほど多くないため、床を埋め尽くすような惨状にならなかったのが、せめてもの救いだろうか。石月は警察に連絡し、捜査してもらっているという。
――夕子お嬢様のお家には、何度か様子を見に行っております。あの室内は、いつもと明らかに違いました。
困惑、焦り、恐怖。そして憤り。複雑な感情を浮かべたような顔で、石月は語っていた。そのことは、空却にも十四にも共有済みだ。
夕子は、何者かに狙われている。
「……どうして、こんなことになってしまったんでしょう」
うつむいた夕子が、ぽつりと呟く。
「両親が亡くなってから、1人で、頑張ってきたつもりでした。誰にも迷惑をかけないように」
「それなのに、気づかないうちに、誰かを傷つけていたのでしょうか。こんな、恨まれるような、ことを」
彼女の手が震え、腕を掴む指に力が込もり、服にシワが寄った。追い詰められたような、どうしていいか分からないような表情で、夕子は言葉をこぼす。そんな彼女につられるように、十四も目を潤ませた。
「……捜査は警察に任せるとして。無実の罪を晴らしたいなら、俺を頼れ。お前は絶対に悪くないと、証明してやる」
行き先が分からない闇の中に、差し込む月光のような言葉が響く。夕子が顔を上げると、静かな熱と決意を宿した目が、こちらを見つめていた。
「俺を誰だと思ってる? "無敗の弁護士"天国 獄だぞ?」
自信に満ちた、励ますような声。呆然としたような夕子の頬に、一筋の涙が流れ落ちる。それを優しく拭うような、カラッとした明るい声で、空却も声をかけた。
「お前、退院したら拙僧の寺に来い。家が割れてんなら、帰ったところで、安息なんか得られねえだろ」
「いいのですか……?」
「やらなきゃならねえことが――見つけなきゃならねえもんが、あるんだろ。それにたどり着くまで、拙僧らBad Ass Templeが、お前を守ってやる!」
自分の足で、目的地まで進もうとする意志と胆力。それがある夕子を、空却は気に入っていた。そんな彼女が立ち止まってしまったときは、支え導くこともいとわない程に。
「ありがとうございます……!」
頼もしい味方が現れたことに、夕子は涙ぐみながら微笑みを返す。朝露に濡れた桜のつぼみが、ゆっくりとほころぶような笑顔だった。
***
空厳寺にかくまわれてから、夕子は落ち着きと明るさを取り戻しているかのようだった。修行体験という名目で泊まっているため、朝の掃除等もてきぱきとこなしている。その姿は、住職であり空却の父でもある灼空も、感心する程だった。
「それ、いつもつけてるペンダントっすか?」
「はい。両親の形見なんです」
ある日。十四が夕子の様子を見に行くと、彼女は畳の上に座って、ペンダントを眺めていた。手のひらに乗せられたロケットペンダントは、銀色の上品な艶を放っている。ロケットは盾のような形で、花のレリーフが彫られていた。
ぱかりと蓋を開くと、そこには丸いドーム型のアクアマリンがはめ込まれている。なめらかな青色が、陽光を浴びて艶々と光った。
「わぁ……! 綺麗っすね!」
「アクアマリンの和名は藍玉。祖母の名前の漢字が入っていて、祖父が愛した宝石の1つなんですよ」
「素敵っす! レリーフのフルール・ド・リスもかっこいいっすね。自分、こういうモチーフ大好きなんすよ!」
「フルール・ド・リス? このお花、百合とは違うのですか?」
「フルール・ド・リスは、アヤメの花を様式化したデザインを指すんすよ。紋章の場合は、王権の象徴とかの意味も持って、て……」
そこで十四の言葉が止まる。夕子も同じことを思ったようで、何かを考えるように、指先を口元に当てた。思い出したのは、祖父が残した謎のメッセージ。そして書斎の本棚で見つけた、不思議な丸いくぼみ。
『アヤメの花に眠る人魚の涙。それが秘密の扉を開く鍵である』
「まさか……! アヤメの花って、もしかしてコレっすか?! でも人魚の涙って……」
「宝石の中には、ロマンチックな逸話を持つものがあります。人魚の涙と呼ばれるのは、琥珀と真珠。そして……、アクアマリンの3つです」
謎が解けたかもしれない。2人は獄たちに声をかけて鍵の話をし、再び全員は宝永邸を訪れた。書斎の棚に並べられた本を取り出すと、背板に作られたくぼみが露わになる。ロケットの中にあった、カボションカットのアクアマリンをはめ込むと、ギギギ……と軋んだ音を立てた。
十四の予想通り、本棚の形をした隠し扉を開けて、秘密の部屋に入る。そこには木箱が置かれていた。そっと蓋を取ると、布に包まれた何かと封筒が入っている。ドキドキする胸を押さえて、恐る恐る布を外していくと、中から水晶細工の仏像が現れた。
大きさは両手に収まるくらい。曇りひとつ無い透明度。ほっそりとした体躯で、繊細な彫刻が施されている。伏せた目元は優しく穏やかで、静謐な気配。息を呑むような神聖さを感じさせる、見事な逸品だ。
手紙を開くと、そこには祖父の字で、こう書かれていた。
『善行も悪行も、必ず見守っている者がいる。これは金に変えるために作られたのではない。私の大切な子どもたちを見守る存在として、この像が受け継がれていくことを願う』
「これが、御祖父様が大切にしていたもの……」
彫刻家をしている、古い友人が制作したものだということも、手紙から分かった。探していたものをようやく見つけることができ、夕子は自分の胸に、仏像をそっと抱きしめた。
***
数日後、宝永家の関係者が、再び宝永邸に集まった。仏像が入った木箱を、しっかりと胸に抱えた夕子。彼女を守るように、石月や空却、十四が並び、書類を携えた獄が前に立つ。
松雪 夜宵の前に出されたのは、警察の捜査による結果。人を使って、駅の階段から夕子を突き落としたこと。鍵を使って夕子の家に侵入し、勝手に家探しをしたこと。
「お前が犯したのは、刑法130条、住居侵入罪。そして刑法204条、傷害罪だ。彼女が裁判所に申し立てた場合、前者は、3年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金。後者は、15年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金になる」
「だが彼女は、この先自分に関わらないと約束するなら、訴訟は起こさないと言っている。俺も示談に異論は無い。――だが、今のアンタの家の経済状況では、示談金を払うことは難しいだろう」
「よって、宝永 晶彦氏の遺産を、全て桜庭 夕子が相続する。今回の件をチャラにしたいなら、この道だけだ」
犯した罪を背負って生きていくか。得られるはずだった財産を失う代わりに、これまでと同じ人生を歩むか。紙のような顔色になった夜宵は、つきつけられた書類を呆然と眺めていた。
やがて恨みに染められていくように、その表情が歪んでいく。
「――どうしてっ?!」
赤く染められた唇から吐き出されたのは、子どもが癇癪を起こすような叫びだった。
「どうしていつも、その子にばかり味方がつくの!」
「御祖父様はいつも、その子ばかり可愛がったわ! わたくしのことは叱ってばかり! 御祖父様は私に何もしてくれなかった! お金くらい、わたくしに残してくれたっていいじゃない!」
苛立たしげにテーブルを叩き、美しく巻かれた髪を掻きむしる。虚飾の仮面が剥がれた素顔は、身勝手で幼稚な面を露わにしていた。
「こいつにばっか味方がつくと言ったがな。そう言うテメェは、仲間を作る努力をしたのかよ」
怒りも呆れも無い、静かな眼差しで、空却は夜宵を見つめる。淡々と発せられた声は矢のように届き、夜宵は頬を平手で打たれたかのように声を詰まらせた。うなだれて、すすり泣く夜宵に、夕子はそっと声をかける。
「……御祖父様は、夜宵さんのことを心配していました。宝石ばかり欲しがって、わがままを言って……。お金よりも、自分を必要以上に飾るよりも、大切なことがあると、どうしたら分かってくれるだろうか、と……」
心配するように眉を下げ、夜宵と目線を合わせようとする夕子。そんな彼女に対して、顔を上げることもなく、夜宵はただ肩を震わせていた。
***
「いろいろ、ありがとうございました」
天国法律事務所の前で、夕子は深々と頭を下げる。ほんの少し寂しそうな色を見せつつも、晴れやかに微笑む彼女は、名前にふさわしい可憐さだった。
「トラブルが無いのが一番だが。また何かあったら、いつでも頼れよ」
「はい。空却くんも十四くんも、ありがとうございます」
「また修行体験にでも来いよ。親父が気に入ってた」
「お元気で! また会いましょうね!」
最初は弁護士と依頼人として出会った。その関係は、少し変わり始めている。同じ問題に立ち向かい、危機を乗り越え、目的の場所にたどり着いた。そのことは、彼らをより親密に近づけていた。