パン屋とラッパーたち
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シブヤ・ディビジョンには、夜にとって最も会いたくない人物がいる。
「……でも、いい感じのメンズ服が多いのはここの区画なんだよな……」
パーカーのフードを深く被った夜は、独りごちながら深いため息をついた。
(何で服買いに来ただけなのに、毎回コソコソしなきゃいけないんだよ……)
人目を避けるように、存在を悟られないように。体を縮めて人混みに紛れながら、内心そう呟いたとき。
「あ~!夜はっけ~ん!」
男にしては高く可愛い声が響き、夜より5cm背丈が低い人物が、体当たりするように抱きついてきた。
「げっ、乱数……」
「"げっ"てひどーい! 僕泣いちゃうよ……? ぐすっ」
「嘘泣きすんな。あとどこ触ってんだ気色悪い」
シブヤ・ディビジョン1のモテ男子である飴村 乱数お得意の、うるうると涙をためた上目遣いには目もくれず。脇腹から上へ行こうとしていた彼の手を、夜は即座に叩き落とす。
「夜ってー、いつもぶかぶかの服着てるからちょっと分かりにくいけど、けっこう華奢だよねぇ」
「だから何だよ。毎度毎度絡んでくんな。あっちのお姉さんたちのとこ行け」
纒わり付く野良犬にするように、しっしっと手で払うものの、そんなことでめげる乱数ではない。
「えー、いっつも体に合わないサイズの服選んでる夜のために、僕が良いの見繕ってあげようと思ってるのにー」
「お前自分がデザインしたものしか着せないだろ。しかも女物だし。あんなヒラヒラしたもん着られっか。俺は男だ」
いっそ走ってこの場からいなくなりたいが、歩行者たちの邪魔になるためできない。
さっきまで自分の身を隠してくれていたはずの人混みが、ひどく恨めしい存在に思える。
結局今日もグイグイ来る乱数に根負けし、夜は乱数と一緒に服屋を訪れることになった。
「あ! 見て見て~これ僕の新作なんだ♪ 絶対夜に似合うよー!」
「だから! 女物を! 持ってくんな!」
レースをあしらった大人可愛い系のTシャツ。
大ぶりの花模様が描かれたワンピース。
リボンがついたジャンパースカート。
何の嫌がらせだと思う程に、乱数は可愛らしいレディース服しか持ってこない。流石に夜は一瞬殺意を抱いた。
「わぁ怖ーい。怒らないでよ~」
「誰のせいだと思ってんだ」
スタスタと足早にメンズ服のコーナーに向かおうとした夜だが、それは叶わなかった。
乱数が飴玉のような目をキラキラさせて、夜の手首をしっかり握っていたからだ。
「夜♡」
「……そんな甘ったるい声出しても、その手に持ってる服は着ねぇからな」
「お願い♡」
「両手合わせて上目遣いも効かねぇからな」
「試着室にGo!」
「おいやめろ引っ張んなどこにそんな力隠してたんだよ」
***
「わぁー思った通り! やっぱり似合ってる~!」
夜が仏頂面で試着室のカーテンを開ければ、嬉しそうな乱数の褒め言葉が来た。
「プリーツが入ったガウチョパンツが自然な体型カバーになるし、五分丈のパフスリーブブラウスはほっそりした体型だからこそ似合うアイテム! やっぱり良い素材は生かすべきだよ!」
「ファッション雑誌の紹介欄かよ……」
(確かに、自分に似合ってる、気がするけど……)
これまでずっと防犯も兼ねて、メンズ服を着て、店を守ってきた。でも今鏡に映る夜の姿は、戦いとは無縁の、普通の女の子のようだった。
「初めて見た時から、思ってたんだよね。君からは、僕と同じ匂いがしないなぁって」
「……当たり前だろ。使ってるシャンプーとか香水違うだろうし。俺香水付けてねぇし」
「そうじゃなくてさ」
乱数が試着室の中に入り、後ろ手でカーテンを閉める。いつもと様子が違うように見えて、夜は思わず後ずさる。
でもこの狭い空間に、逃げ場なんて用意されている訳がなかった。
夜を見上げる乱数の目からは、珍しく感情が読み取れない。普段の幼げな彼とは思えないほど大人びた雰囲気で、乱数は夜の首すじにふれた。
「夜の喉仏も、骨格も、声も。男のものじゃないよね?」
時間が止まったように感じた。血の気が引いた夜の顔を見つめて、乱数はにっこりといつもの笑顔を浮かべた。
「すみませーんお姉さん! これくださーい!」
「……はっ? なっ、ちょ、乱数!? 何勝手に……! 俺は買うなんて一言も言ってねぇ!」
「僕が買うから夜の許可なんていらないもーん」
「そういうことかこの野郎」
あっという間に会計は済ませられ、夜の手には服屋のロゴが入った紙袋を持たせられる。
成人男性のくせにスキップして店を出る……と思いきや、乱数はくるりとドアの手前で振り返った。
「君の男装、僕には通じなくて当然だよ。だって僕は、色とりどりのお姉さんたちを見てきたんだから」
夜の耳元でささやいて、乱数は夜から体を離す。
「じゃあまたお出かけしようね、夜!」
天使にも見えそうな愛らしい笑顔で去っていく乱数を見送りながら。夜は別の区画の服屋を開拓しに行こうかと、本気で悩んでいた。