漫画家とラッパーたち
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「……1枚……2枚……3枚……4枚……」
抑揚の無い虚ろな声が、静かな部屋に響く。
卓上カレンダーには、赤いペンで丸が付けられた日があり、それは明日の日付だった。
「明日……明日までには終わらせなきゃ……」
唇からぶつぶつとこぼれる、執念の呟き。
何かに取り憑かれたかのように、ペンを持って動き続ける手。
その目からは光が消えかけ、まるで某社畜に引けを取らない姿をしていた。
事の発端は昨日の夜。私の担当編集である小岩井さんから来た、1本の電話だった。
『ごめんなさい! ほんっとうにごめんなさい杏花ちゃん!』
「そ、そんなに泣いてどうしたんですか?小岩井さん。落ち着いて深呼吸してください」
『あ、あのね……今回の原稿なんだけど……締切を間違えて教えちゃってたのよぉ……!』
「……え?」
1週間後だと思っていた締切が、実は明後日だったと言われた私の心境、お分かりいただけたでしょうか。
それ以降、ご飯も寝る時間も惜しんで、ただただ原稿に向き合って作業してます。久々の修羅場です。とにかく手を動かして、一刻も早く完成させないといけません。
時計の針は左には進まないと、偉い先生が言っていた事を思い出しました。正に言い得て妙。今はただ、目の前の1枚を仕上げていくことに集中しないと……!
それだけを考えていた私は、玄関のインターホンが鳴ったことにも、ドアの鍵がガチャリと開けられたことにも気づかなかった。
***
作っておいた合鍵で、あいつの家に上がり込んだ俺たちは、いつものあいつらしくない部屋の惨状に唖然とした。
何も置いてなかった床には、細かい点々が描かれたシールみてぇなやつや、鉛筆で何かがざっくりと書かれた紙が散らばっている。机の足元には、飲んだ後らしいウィダーインゼリーやエナジードリンクの空き袋や空き缶が転がっていた。
端的に言って、借金抱えて貧乏生活送ってんのかと言いたくなるほどのゴミ屋敷だった。
「お、おい、杏花……?」
椅子に座っている後ろ姿に、声もかけても反応が無い。
いつもなら俺を見て、「こんにちは、左馬刻さん!」と、気が抜けるようにほわほわした笑顔を浮かべるのに。というか、合鍵を使わなくても、呼び鈴が鳴った時点でドアを開けてる。
様子のおかしさに銃兎も訝しげな目をした時、理鶯が杏花に近づき、その手を握ってこっちを振り向かせる。
「……杏花。何があった」
理鶯に声をかけられたことで、生気のなかった目に、ようやく俺たちが映る。徹夜したのか、その目の下にはクマがあった。
「……あ。りおーさん、さまときさん、じゅーとさん……?」
「そんな状態で何やってるんですか!? 今日はもう寝なさい!」
「だ、だめです……! 寝てられません!」
詰め寄って叱る銃兎に対し、杏花はテーブルの上にあるカレンダーを見て、ふるふると首を横に振る。
そして、切羽詰まったような顔と声で、こう叫んだのだった。
「原稿の締切が明日までなんです!」
「……つまり、お前の担当が期限を間違えて伝えてて、今必死に終わらせようとしてる、と」
「はい!」
ガリガリガリガリと不思議な形のペンを勢いよく走らせながら、杏花が良い返事をする。普段は穏やかなこいつからは全く想像できない、鬼気迫るその表情は、俺らをたじろがせるには充分だった。
手を貸そうにも、ヤクザと悪徳警官と元軍人の俺らだ。漫画家の手伝いなんて、したことも聞いたことも無い。まずその業界の用語すら知らねぇ。何だよ"トーン"て。
そういうのに詳しそうなヤローと言えば……。
「……チッ、しょうがねぇ……。おい杏花。ケータイ貸せ」
「本棚のところにあります」
「これだな」
理鶯が手渡してくれたスマホを、「サンキュ」と言って受け取る。杏花にパスワードを聞いてロックを解除し、電話帳をスクロールした。
聞く度にイラつき、見る度に顔をしかめたその名前を見つけて、舌打ちを1つする。それでも俺は、その名前を押した。
目当てのヤツは、数コール経たずに出た。
『はい、一郎です!』
「……」
『杏花さん? どうしたんすか?』
「……山田 一郎。てめぇに依頼だ」
『……左馬刻。てめぇ、何で杏花さんのケータイから……』
「話は後だ。とてつもなく癪だが、これはてめぇにしか頼めねぇ。使えんならてめぇの弟どもも連れてこい」
いつも喧嘩を売ってくる俺とは違う声色に、電話の向こうで一郎が戸惑うような音がする。
「え……っ、左馬刻さん!? 何で電話っ、一郎くん! 来なくていいよ! 私なら大丈夫だから!」
『てんめえええええ! 左馬刻! 杏花さんに何してやがる!』
「うるせっ、いいから来やがれ! 早くしねぇと、こいつが大変なんだよ!」
誤解が生まれた気がしたが、あいつが一刻も早くここへ来るなら、都合が良かった。
アニメとか漫画とかに詳しいのは、俺が知る限りあいつぐらいだ。俺様が渋々呼んだんだから、早く来い。
***
カチコミのごとくやって来た3兄弟は、部屋の現状を目の当たりにして事情を察し、床を綺麗さっぱりにする作業から始めた。
「こ、ここが、マンガ家先生の仕事場……! すげえ数のマンガがある……!」
「気持ちは分からなくもないけど、女性の部屋をじろじろ見るなよ低脳。失礼だろ」
「杏花さん。床に落ちてたネームとトーン、ここの棚にまとめて置きますね。手伝える原稿ありますか?」
「じゃあ、このページにベタ塗りとトーン貼りを。こっちのページは消しゴムかけをお願いしてもいい?」
「トーンは何番スか?」
「あ、61番で」
「了解っス」
何を言ってっか、全くもって分からん。
やっぱ漫画にも詳しいであろう、オタクのこいつを呼んで良かった。
「ゴメンネ、手伝ワセチャッテ……」
「いや、推しマンガ家さんのアシスタントっていう、めちゃくちゃ貴重な体験させて貰えるなんてかなり光栄なんで、気にしなくて良いっスよ。それより、落ち込みまくった猪頭の少年剣士みたいな口調になってますよ」
「いち兄、ゴミの片付け終わりました!」
「兄ちゃん、杏花さん! 俺らも原稿手伝うよ!」
「なら三郎はトーン貼りを、二郎はベタ塗りを頼む」
「もうほんと3人ともありがとう……! 脱稿したら美味しいものおごるね!」
涙目になりながらも、ペンは止めずに礼を言う杏花。
"おごり"という言葉に反応したのか、士気が上がる野郎ども。
ちなみに理鶯と銃兎は出かけた。
原稿を優先して不摂生な生活をしていた杏花を、理鶯が心配して「栄養豊富な食材を捕獲してこよう」と立ち上がり、銃兎が急いでスーパーに連れてったのだ。
そんで、俺様はこの仕事を見届けようと、部屋の隅で仁王立ちしてる訳である。
「っあ、やべ、はみ出た!」
「ほら二郎、これ使え。ホワイト」
「おい低脳、杏花さんの原稿の質を下げるなよ」
「わかってらぁ!」
一郎は、杏花がペンでなぞった紙に残っている鉛筆の線を、消しゴムで消していく。その手つきは、認めんのは腹立つが丁寧で早い。紙がぐしゃっとならないように、しっかり手で押さえていた。
4人でやるからか、作業のスピードが早くなり、みるみるうちに原稿が出来上がっていく。まっさらな紙の枚数がどんどん少なくなるのを見るのは、まぁ少し面白かったな。
それに、自分の仕事にプライドかけて取り組む真剣な横顔は、俺が惚れた女にふさわしいものだった。
***
「……21、22! で、出来た〜! 完成〜!」
私は数え終わった原稿を茶封筒に入れ、それを高く掲げた。手伝ってくれた一郎くん、二郎くん、三郎くんも、諸手を挙げて喜んでくれた。
でも、全員で喜びの舞をしそうになっていた空気は、わりとすぐに霧散した。
私の手からするりと、出来たてホヤホヤの生原稿を入れた茶封筒を取り上げた左馬刻さんが、それで一郎くんの頬をスパァンと叩いたからだ。
なぜか吹っ飛んだ一郎くん。
目を剥く二郎くん。
駆け寄る三郎くん。
開いた口が塞がらない私。
「おら、さっさとコレ出版社とやらに出してこい」
一郎くんを無表情で見下ろし、茶封筒を揺らす左馬刻さん。
三郎くんが手を貸す前に起き上がり、ワナワナと震えながら、なぜか女の子座りで頬を押さえつつ叫ぶ一郎くん。
「……か、神の生原稿というお宝を何てことに使ってんだ! 親父にも殴られたことないのに!」
「いち兄落ち着いてください!」
「そうだよ兄ちゃん! 俺たちに親はいないよ!?」
なぜか叩かれてない方の頬も赤い。混乱しているのか、息を荒げ、アニメや漫画に詳しい人なら誰でも知っているセリフを言って、一郎くんは我が生涯に一片の悔い無し!! と言わんばかりに気絶した。
結果、足の速さに定評のある二郎くんに、原稿をバイク便に渡してもらうことになった。
「少年、落とすことは許可しない」
「誰に向かって言ってんだよ!」
入れ違いになるように帰ってきた理鶯さんに、二郎くんが心外そうに言い返す。
緊張の糸が切れ、床にへたりこんだ私に、理鶯さんが蓋を開けた水筒を差し出した。
「最後までやり遂げたのだな。これを飲むといい。疲れが取れるぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ほのかにラベンダーの香りがするそれを受け取り、ごくんと1口飲み込む。何だか、左馬刻さんと銃兎さんの声が聞こえた気がしたが、何を言ったのかは分からなかった。
***
理鶯手製のやべぇドリンクを口にした杏花が、天に召されたように安らかな顔で目を閉じ、ぐったりと理鶯の腕の中に収まる。
「ちょっ、彼女に何飲ませたんですか!?」
「小官が作ったラベンダードリンクだ」
「理鶯あなた弱ってる人間に何てものを!」
「疲労している人間には良いものだが」
「おいこいつ死んでねぇよな!?」
「安心しろ左馬刻。眠っているだけだ」
食ってかかる一郎の弟と、冷静さを無くした銃兎と俺に対し、理鶯は平然とした顔を崩さず答える。
呼吸の有無を確かめるために、口元にそっと手をかざすと、すやすやと規則的な吐息が当たって、俺は安堵のため息をついた。
それから、杏花を横抱きにし、ベッドに優しくぶち込んだ。
心配事が無くなって安心したように、杏花は深く眠り込んでいる。
「よく戦い抜いた」
杏花の目の下に残るクマをそっと指先で撫で、理鶯がそっと呟く。その声には、
「「プロだぜ……アプリコット先生……!」」
意識を取り戻した一郎と、風のように帰ってきた次男坊が、崇拝してる神でも見るような目で敬礼する。地味に泣いてる。
三男坊もつられたのか、少なくとも尊敬するヤツを見るような目で敬礼していた。
「いや戦争に行ってきた兵士じゃないんですから」
銃兎がそんな光景を見て、呆れたようにツッコミを入れる。
俺は、どんだけ犬猿の仲でも、1日だけ休戦して1人の女のために動けんのか、と考えていた。
ところでアプリコットって誰だ。