1.新たな生活



「起きて、セイラ。起きて起きて〜」

のんびりした声が聞こえる。ちょんちょんと鼻をつつかれて目を開ければ、つぶらな目をしたハリネズミが、私の顔をのぞき込んでいた。

「おはよぉ、セイラ」

ハリネズミがしゃべった。ハリネズミが私のお腹の方に移動したタイミングで、寝ていたベッドからゆっくり体を起こす。すると、ハリネズミは「ひゃー」と可愛い声を上げて、布団の上にころりと転がった。何だかイガグリみたい。

「もしかして、君がグイーダ?」
「うん。ぼく、グイーダ。よろしくねぇ」
「いろいろ聞きたいことがあるんだけど……。何で、私をここに案内したの?」

確かクレマンさんは、「グイーダに呼ばれたか」って言ってた。この子が、私をこの世界に導いた張本人だと思う。確かめるためにも問いかけると、グイーダは答えた。

「セイラは、呪いを解くカギ。だから案内した。ぼくは"案内役"だからね」
「呪いを解くカギ……? 何で私なの?」
「わかんない。でもセイラの力が必要なのはホント。みんなの呪いを解けば、セイラも元の世界に戻れるよぉ」
「そのことなんだけど、私がここにいる間って、元いた世界はどうなってるの? ま、まさか、浦島太郎状態になってないよね……!?」

やっと元の世界に帰れたと思ったら、マイラさんもお母さんも亡くなってる遥か未来に飛ばされてた、なんて嫌すぎる。軽いパニックのせいで、ムンクの『叫び』みたいになる私を落ち着かせるように、グイーダは小さな前足でてちてちと叩いた。

「だいじょーぶ。セイラがここにいる間、向こうの世界の時間は止まってるよぉ」
「そういうタイプか。よかった〜……」

同じように時間が過ぎるタイプと、時間の流れが極端に遅かったり早かったりするタイプもあるから、どれか分かっただけでも気持ちが楽になる。ほうっと息をつくと、グイーダがぴょんとベッドから降りた。

「早くみんなに会いに行こ〜」
「待って待って、まず着替えなきゃ」

時計を見ると、朝の6時。曲線を描くフレームのベッドから降り、飴色のクローゼットを開ける。入っているのは、襟に花の刺繍があるシャツや、パフスリーブのブラウス。すっきりした細身のズボンに、『不思議の国のアリス』が着てるようなピナフォア。清楚でちょっとレトロな、可愛い服たちは、家事妖精のシルキーさんたちが仕立ててくれたものだ。

「"フェアリーガーデン"の名前は伊達じゃなかったな」

アンティーク風の机の上にある、小さな水晶玉を眺めながら、ぽつりと呟く。
魔法と妖精が存在する、不思議な場所。滞在する間、自由に使っていいと言われたこの部屋も、魔法アイテムの水晶玉のおかげで好みの内装にできた。マイラさんにもらった部屋と同じデザインだから、けっこう落ち着く。

今日選んだのは、胸元にシロツメクサと四葉の刺繍があるコットンシャツ。それと、シックな緑のガウチョパンツ。銀の靴を履けば、準備はバッチリ。何が起きるか、ワクワクした気持ちを胸に、私はドアの外へ踏み出した。


「呪いを解くにしても、まずは情報を集めないといけないよね」
「そうだねぇ」

両手で水をすくうようにグイーダを持ち上げ、胸に抱える。グイーダは腕の中で、私の顔をひょこりと見上げた。

いつから呪いがかかっているのか。何の呪いなのか。どういうことが起こる呪いなのか。呪いがかかってる人たちだけじゃなく、このフェアリーガーデンがどういう場所なのかも、ちゃんと知りたい。ここで暮らしてる人たち全員から、話を聞きたいな。

「クレマンさんに聞いてみようか」

昨日もらった、フェアリーガーデンの地図を広げてみる。真ん中にある白いのは、私がいるこの洋館。私を含めて、いろんな人たちが暮らしているらしい。クレマンさんの部屋を探しながら歩いていると、鳶色の髪の少年がドアを開けて出てきた。

「おはよっ、セイラ。グイーダも」
「おはよう、アンドレアスくん。早いね」
「おはよぉ」

元気な彼に挨拶を返せば、アンドレアスくんは髪をかしかしとかきながら、何か言いたそうに口を動かす。

「呼び方、アンドレにしてくんね? "アンドレアス"ってカッケーけど、ちょっと長いだろ。それにさ、そんな丁寧に呼ばれたこと無かったから、なんつーかその〜……。イヤなわけじゃねえんだけど、背中のあたりがもぞもぞする」
「じゃあ、アンドレくん」
「おう。どした?」
「クレマンさんって、今の時間起きてるかな? ここに住んでる人たちのこと、いろいろ聞きたくて」
「クレマンなら、大体あと2時間したら起きてくると思うぜ。シルトはもう起きてると思う」
「シルトさん?」
「せっかくだし、会ってみるか? 遅かれ早かれ、挨拶するだろ」

手招きするアンドレくんについて行く。建物を出ると、朝の静かな空気にふわりと包まれた。花畑を歩いていると、朝露にぬれたバラが、豊かな香りをただよわせているのに気づく。華やかな香りを胸いっぱいに吸い込むと、清々しくて良い気持ちになれた。

「ちょっと見た目が怖いかもしんねーけど、すっげーいいヤツだからな」
「シルト、優しいよぉ。トウモロコシとかリンゴとかくれるよ」

アンドレくんとグイーダの好意的な声にうなずきながら、バラの木の間を通り抜けると、バラの花に囲まれた空間が現れる。そこには、剪定バサミで伸びすぎた枝を切る人がいた。

しゃがんでいても分かる大きな体は、しっかり筋肉がついててたくましい。ワイシャツと黒いズボンというシンプルな格好が、体格の良さを引き立てる。
黒いメッシュが入った灰色の毛で覆われた肌に、ぱたりと揺れるモフモフの尻尾。

「シルト、おはよ」

アンドレくんの声に、ピンと立った耳がぴくりと反応する。ハイイロオオカミのような顔がこちらを振り返り、金色の目が私たちを映した。
剪定バサミを置いて、彼が立ち上がる。180センチはありそうな背丈を、私たちに合わせてかがめてくれた。

「おはよう。アンドレ、グイーダ。君もおはよう」
「おはよぉ」
「お、おはようございますっ。セイラといいます!」
「こっちは異世界から来たセイラ。今日からクレマンの助手な」
「俺はシルト・マンフリード。好きな食べ物は、ミネストローネとベリー類。よろしく」

差し伸べられた大きな手は、筋張っていて爪が丸い。穏やかな声と笑顔に癒されながら握手をすると、優しい温もりが伝わってくる。

「そうだ、シルト。朝メシまだなら、俺たちと一緒に行こうぜ」
「ああ」

全員で食堂に向かうと、シルキーさんたちが食事の用意をしてくれていた。彼女たちが動く度に、灰色のドレスがさやさやと鳴る。

白いテーブルクロスの上に並ぶのは、金色のスプーンとバターナイフ。かたつむりの殻みたいに渦を巻くパン。バターの入った小鉢と、はちみつが入った小さな壺。それと、ずんぐりした形のポット。

「いただきます」

カゴからパンを取り、何もつけずにかじる。焼きたてらしく、パリッと軽やかな音を立てた。さくさくでふわふわで、いくらでもいけそう。2個目は金色のバターと、太陽の光をとかしたようなはちみつを塗って食べてみる。まろやかなバターとはちみつがじゅわっと染みて、どこか背徳的な美味しさだ。

ポットの中身はホットチョコレート。カップに注いで飲むと、とろりと濃厚な甘さが喉をすべり降りていく。甘いものだけなのに不思議な満足感があって、食べた分だけ元気が出てきた。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる、マイスター・ホラの家の朝ごはんみたい。

アンドレくんは、パンにバターとはちみつをたっぷり乗せて、豪快にかぶりついている。シルトさんは、パンを1口サイズにちぎって口に入れていた。ただ、1口が大きいから、3回くらいでパンが無くなっていた。
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