3.魔法の目覚め


朝ごはんを食べに行こうとしたら、廊下にぽつんとたたずんでいるベリルさんを見つけた。部屋から出ているなんて珍しい。私が来てから、初めてのことだ。

「おはようございます、ベリルさん。動けるようになったんですね」
「……おは、よう」

歩み寄って声をかけると、ベリルさんは瞬きをしてから、たどたどしく答えた。表情がぼんやりしているのは、寝起きのせいか、まだ感情を表に出しにくいのか。

「こんなところで、どうしたんですか?」

小首を傾げて尋ねてみる。ベリルさんは、私の動きを真似るように、微かに頭を傾けた。それから右手で、自分のお腹をそっとさする。

「もしかして、お腹空きました?」

続けて質問すると、ベリルさんは少し黙ってから、こくんと頷いた。

「それじゃあ、一緒に食堂に行きましょう。こっちですよ」

ずっと部屋から出ていないみたいだから、場所が分からなかったのかな。下からすくうように、ベリルさんの手を優しく握る。小さい子を誘導するようにゆっくり歩き出すと、ベリルさんはカクカクした足取りでついて来た。

***

「おはよ、セイラ! ……ってアレ? そいつ誰?」
「2人ともおはよう。もしかして、君がベリルか?」

食堂に入ると、トーストをかじっていたアンドレくんが目を丸くする。口に運んだレタスを飲み込んでから、シルトさんが穏やかに問いかけた。シュトラールさんの姿はまだ見えない。後で起こしに行こう。

「ベリル・ウッドマンさんです」
「初めましてだな。俺はアンドレアス・ブラムスト! レースヒェン王国の騎士団長になる男だぜ!」
「俺はシルト・マンフリード。好きな食べ物は、ミネストローネとベリー類。よろしく」

席につきながら、ベリルさんを紹介する。名乗った2人に対して、ベリルさんはぺこりと頭を下げた。それから口を開きかけ、喉をさすり、ぎこちなく声を出す。

「あんどれ、あす。しる、と」

アンドレくんの顔と、シルトさんの顔。それから私の顔を見て、ベリルさんは首を傾げた。

「私は、セイラです。改めて、よろしくお願いします。ベリルさん」
「せ、い、ら」

ぼんやりした青い目に、私の顔が映っている。そこにほのかなきらめきが、瞬いたように見えたとき、シルキーさんたちが朝食を運んできた。レタスとミニトマト、ベーコンと目玉焼きが乗ったお皿と、トーストを乗せたカゴが並ぶ。

「いただきます」

手を合わせれば、ベリルさんも真似して手を合わせた。


シュトラールさんを起こす。シルトさんと庭の手入れをする。アンドレくんの鍛錬のお手伝い。そんな日常の中に、ベリルさんも加わった。花園や木陰に足を伸ばして座って、ぼーっとしている。長いこと動かないからか、頭に小鳥や蝶々がとまっていたり、子猫やグイーダが膝に乗っていたりしていた。

「……いた、い」
「ベリルさん、手当しましょう」
「ごめんねぇ、大丈夫?」

おもむろに、グイーダの背中に手を置いて、手のひらに針が刺さってしまったとき。ベリルさんは血が滲む手のひらを眺めながら、確認するように呟いていた。柔らかい皮膚に絆創膏を貼ると、ベリルさんの青い目が私を映す。

「……ありが、とう。セイラ」
「どういたしまして」

まるで、少しずつ感情や感覚を取り戻しているような。アンドレくんたちにも話しかけられ、彼らの様子を眺めることが良い刺激になっているのか。だんだん、彼の話し方や表情が、柔らかくなっていった。

***

午後はクレマンさんに魔法を教わる。キスをしなくても呪いを軽くできるような、魔力の使い方。そして今日は、空の飛び方も。

「自分の身体が浮き上がるのを、想像してみろ」

クレマンさんの指示に従って、クッションを巻いたホウキに跨る。目を閉じて集中しながら、風の魔法を発動させる。自分の身体が浮き上がって、青い空に浮かぶイメージ。風が頬を撫で、前髪を勢いよく後ろへ流した。

目を開ける。クレマンさんや、見学していたアンドレくんたちが、ずいぶん小さい。綺麗な花園が広がる、フェアリーガーデンの敷地全体が見える。

「え、えっ、たかっ、高……!」

思ってたより視界が高い。慌ててホウキの柄を握り直そうとしたとき、つるっと手が滑る。あ、と思ったときには、私の体は空中へ投げ出されていた。

「〜〜〜〜〜ッ!」

声が出ない。ひゅ、と息がこぼれる。落ちる。怖い。ぎゅっと目を閉じたとき、モフッと柔らかなものに包まれた。

ひだまりの匂いがする。ふわふわで、ほんのり温かい。恐怖や不安がゆっくり吸い込まれるように、私の中から消えていく。恐る恐る目を開けると、丸い目と目が合った。

「怪我は無いか?」
「セイラ! 平気か?!」

汗を浮かべたクレマンさんが、手を差し伸べてくれる。ホウキを回収してくれたらしいアンドレくんや、シルトさんたちも駆け寄ってきてくれた。クレマンさんの手を借りて起き上がる。私を受け止めてくれたのは、丸い羊の群れだった。

「こ、この羊さんたちは……?」
「俺の使い魔だ」

真っ白でふわふわな毛に包まれた体。まん丸で黒い目。もふもふと私にくっついてくるのが、とても可愛い。

「危険だから、ホウキの柄は離すな」
「はい……。ごめんなさい……」
「……それと、魔法使いにとって、大切なのは想像力だ。初めてであの高さまで飛ぶ魔法使いは、滅多にいない。浮かぶことに慣れれば、もっと上手くなる」
「は、はい!」

――お前は、空想が力になることを知っているからね。

小さい頃、おばあちゃんに言われたことが頭に浮かぶ。クレマンさんの注意と励ましを胸に、私はアンドレくんから受け取ったホウキを握り直した。
3/3ページ
スキ