【外伝】スイートピーは可惜夜に咲く



その人は、俺たちにとっての師匠で、育ての親で、世界そのものだった。

「腹、減ってるのか?」

動き回ると腹が減るから、路地裏で膝を抱えてうずくまっていた俺に、その人は話しかけてきた。干しぶどうがたくさん入った、焼きたてのパンを差し出して。

「1人なら、一緒に来るか?」

パンをがつがつとむさぼり、更に渡されたリンゴも芯まで食べ尽くした俺に、その人は手を差し伸べた。追い払ったり、叩いたりしてこない手は初めてで、俺は目の前の手と人物を交互に見る。

燃え盛る炎よりも、さきほど渡されたリンゴよりも鮮烈な、赤いウェーブの髪。夏の木の葉のように、生命力にあふれた緑の目。ニヤリとイタズラを思いついた子どもみたいな顔で、彼女は笑う。

「私の弟子にしてやろう。美味いおやつに、ほかほかごはん。更にあったかい風呂と布団付きだ。こんな良い待遇は他に無いぞ」

その手を取ったのが、始まりだった。

「私は魔法使いのメーアヒェン。お前の名前は?」
「……名前は、ない」
「そうか。じゃあお前は今日からクレマンだ。"慈悲深い"って意味の名前だぞ。かっこいいだろう」

後に、混沌とした国を整え、レースヒェン王国を建国した大魔法使いとなる、メーアヒェン。
そして、"白の弟子"と呼ばれる俺――クレマンと、"黒の弟子"と呼ばれるもう1人のあいつ。

これは、俺たち3人が出会い、共に暮らした頃の記録。騒がしくて、くだらなくて、楽しさにあふれていた日々の物語だ。

***

手を引かれてたどり着いたのは、森の中にある小さな家だ。犬みたいに全身を洗われ、こざっぱりとした柔らかい服を与えられる。ボタンを留めるのに手間どっていたら、彼女がかがみ込んでボタンを留めてくれた。

「しばらくはスープやリゾットにしておくか。食えないものはあるか? クレマン」
「……かびたり、くさったりしてないなら、なんでもいい」
「喜べ。そんなものは今後一生食わなくて済むぞ」

野菜やベーコンがたっぷり入った、温かいスープ。ごろごろした甘い果肉と、干しぶどうがぎっしり入った、シナモンが香るアップルパイ。
肩まで浸かれるたっぷりの湯。洗いたてのシーツが敷かれ、ふかふかの羽根ぶとんと枕が置かれたベッド。

見せてもらう小さな魔法。読み書きに計算、薬草の名前等、生きていくために必要な知識。

最初は戸惑っていた、健康で文化的な、魔法使いの弟子としての暮らしに慣れてきた頃。あいつは俺たちの前に現れた。

「ねーえ、そこのおふたりさん。おれのこと買ってくんない?」

黒檀のような髪。人懐こそうに笑っているわりには、奥にナイフのような光を見せる銀色の目。ひょろりとした体をゆらりと動かし、俺と同い年くらいの少年は、歌うように話しかけてきた。

「"おつかい"、"ゴミ処理"、"夜の相手"もお手の物〜。一家に一台あったら便利、でもおれは1人だから、買えるチャンスは今しか無い! どう?」

ヘラヘラとした笑顔を見せるそいつを警戒して、先生の袖を引っ張る俺に対し、先生は面白そうに目を輝かせた。

「商売上手だな。お前、1人で稼いでるのか?」
「いや? シュムックファミリーに金を入れてんの。あそこのじいさん、体も心も小さいから、金や宝石をあげないとすーぐキレんのよ」
「今の居場所は気に入ってるか?」
「まあまあ。雨風しのげるし、一応食いっぱぐれないし。たまに機嫌いい兄ちゃんたちが、肉の切れ端くれるしね。……ただ、ちょーっとだけ退屈になってきたかも」
「へぇー」

この街で威張り散らしている、集団のうちの1つの名前を、少年が挙げる。それを聞いた先生の目が、キランと光った。あ、これはマズイ。俺を拾ったときと同じ目をしてる。

「……おい先生、こいつめちゃくちゃ怪しいぞ」
「それは見りゃ分かる」
「まさか買うなんて言わないよな」
「買わないさ。拾うだけだ」
「もっとダメじゃねえか!」

ここから離れようと、先生の腕を引っ張るも、なだめられるように頭を撫でられる。先生は少年に向き直り、鮮やかに微笑んだ。だめだ。こうなったら、もう先生は止まらない。

「退屈なら、私たちと来るか? お前が飽きるまで、うちで面倒見てやろう。ごはんだけじゃなく、おやつもつくから、お得だぞ」
「おやつって何ー?」
「そこからか。おやつもくれないなんて、シュムックファミリーも大したことないな」

両腕で、俺たちを抱え込むように肩を抱き、先生は灰色の街を歩き出す。楽しそうに笑いながら、先生は言った。

「まずは自己紹介だ。私は魔法使いのメーアヒェン。こっちはクレマン。私の弟子1号な。お前の名前は?」
「おれ? おれはエリック。よろしくー。それにしてもすげーね。おれ、魔法使いなんて初めて見た。弟子ってことは、クレマンも魔法習ってんの?」
「……ああ」
「うちに来たら、お前にも魔法を教えるぞ」

先生の話を聞いたとき、エリックの目がキラキラと輝き出す。さっきまでの危うげな光とは違う、面白そうな出来事を目の当たりにしたような、純粋な光だ。

「へえ……! いいじゃん! おれ、あんたたちに着いてくよ!」
「よし、交渉成立だな」
「先生と俺に危害を加えたら、追い出す」
「まあ悪さする前に、私が何とかするから、そのつもりでな」
「りょーかい!」

無邪気にエリックは笑う。その顔は、初めて年相応の少年らしく見えた。

***

先生に拾われてから、5年後。15歳になったある日、俺たちは連れてこられた砂漠の国を、ホウキで飛び回っていた。

「やべー! めっちゃ追いかけてくる!」
「笑ってるなんて余裕あるな! 反撃してくれていいんだぞ、エリック!」
「ムリムリムリ! 全然効いてねーもん! アッハハハ!」

執拗に追いかけてくるのは、人間の顔とライオンの身体を併せ持った怪物。先生に、「お前らで倒してこい」と言われた相手だ。
修行の一環として、先生はよく、俺たちに魔物や怪物の討伐をさせる。教えてもらった魔法を、実践できる良い機会だが、危険になることももちろん多い。

今回の怪物は、謎解きが好きなようだ。「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。この生き物は何か?」というなぞなぞに、答えられなかった俺たちは、今こうして襲われている。

暑さと砂埃で、喉がひりつく。俺は周りの砂を魔法で操り、堅固な壁を想像した。更に認識阻害の魔法もかけ、即席のシェルターを作り出す。そこに2人で身を潜めた。

「相変わらず、お前の守りってすっげーよな」
「あいつの強さなら、20分くらいで匂いをかぎつけられる可能性がある。今のうちに水分補給と、作戦立てるぞ」

腰に下げていた水筒を傾け、喉を潤す。先生が作ってくれた水は、レモンと塩と砂糖が少し混ぜられていて、さっぱりした味がした。更に、先生がかけてくれた魔法のおかげで、よく冷えている。おかげで生き返るような気分だ。

「うまぁー。生き返る〜」
「謎を解くのが一番安全だが、そもそも答えが分からないんだよな……」
「1日のうちに、足が生えたり抜けたりする生き物なんているかぁ? いないよな? な?」
「"分かんねえ。そんな生き物いねえ"ってお前が即答したおかげで、今こうなってるけどな。エリック」
「"分かんないことは、分かんないって素直に言え"って先生が言ってたぜ。クレマン」
「……戦うしか無いか……」

攻撃魔法が得意なエリックが、ありったけの魔力を叩き込んでも、ダメージを受けた様子が無い。俺の防御も長く持たない。このままここに立てこもっていても、暑さで死ぬか怪物に食い殺されるかだ。

どうする。どうやって打開を――。

そのとき、ドン! と壁に衝撃が走り、ぱらぱらと砂が落ちてきた。

「チッ、もうかぎつけてきたか!」
「10分で勘づかれたか〜。鼻が利くな」
「感心してる場合か!」

爆発でも起こせば、少しはダメージを与えられるか? いや、でも砂は燃えない。だったら……。

砂の壁に手を当て、魔力を送り込みながら想像する。これが粉の壁だったら、と。壁がさらりとした手触りになり、色が白く変わっていく。

「お? お? 何なに、何すんの?」
「このシェルターを解除したタイミングで、ホウキで一気に逃げる。エリックは逃げる瞬間に、小さな炎を放ってくれ」
「へへっ、りょーかい」

背の高さくらいある、大振りの黒い杖を、エリックが意気揚々と構える。俺はヤドリギの小さな杖を構え、シェルターを解いた。
ホウキに跨り、外へ飛び出す。怪物が飛び込み、舞い上がる粉に視界を奪われている隙に、エリックが魔法で炎を撃った。

ドッカン!

粉塵から粉塵へと、火が燃え広がることで起こる爆発。追い風になった爆風に煽られたせいか、エリックの体勢が崩れた。そのままホウキごと、熱い砂の上に転がる。

「エリック!」

俺が引き返したのと、毛並みが焦げた怪物が煙の中から飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。とっさに杖を怪物に向け、相手の前足がゼリー状になるのを想像する。

怪物の爪がエリックを襲おうとしたとき、エリックが杖を思い切り振るった。鈍器のような飾りの部分が、ぷるんとしたゼリー状に変化した片方の前足を、ぐちゃぐちゃに砕く。

「エリック! 無事か!?」
「一応な! 魔力切れたから助かった!」

防御壁を張りながら聞くと、ぺたりと砂の上に座り込んだまま、エリックが笑う。その間にも、怪物が片足でオモチャを弄ぶ猫のように、バシバシと防御壁を削っていく。防御壁を張り直しながら、俺は叫んだ。

「先生! どこかで見てるんだろ!?」

2人で協力すれば、ギリギリでも勝てることが多い。でも今回は、俺たちができることをやり切ったけど、達成は不可能だ。

「俺たちには無理だ! 助けてくれ!」

パリンッと澄んだ音を立てて、防御壁が砕かれる。とっさに強く目をつむったとき、涼しい風が吹いた。

「――良い判断だ。偉いぞ!」

開いた視界に、あでやかな赤い髪と、花の刺繍が施されたローブが、翻る様子が映る。赤い宝石が先端についていて、スイートピーが数本絡みついた杖が向けられた先には、砂の中に埋まりこんでいる怪物がいた。

「……朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。この生き物は何か?」
「簡単だな。答えは人間だ」

先生の答えを聞いた怪物は、目を閉じる。そのまま物言わぬ砂の像になり、風に吹かれて崩れていく。

「先生すげー! 今のどうやったの!? 怪物を埋めてたやつ!」
「魔法で砂の中に空気を送り込んで、砂を液体と似たような状態にしたんだ。後は怪物が沈んだタイミングで魔法を解けば、怪物は砂に囚われるってわけさ」
「……先生。何で答えが、人間だと思ったんだ?」
「人間の寿命を1日としよう。朝は生まれたてだから四つん這いで移動する。昼は足腰がしっかりしてるから、2本の足で歩く。夜は老いているから、杖をついて歩く。だから足とされる本数が変わるんだ」
「なるほど……」

俺たちの質問に答えた後、先生は俺たちの頭を同時にわしゃわしゃと撫でる。

「自分ができる範囲を見極めて、素直に助けを求められたな。100点やろう」
「……ありがとうございます」
「先生、オレはー?」
「魔力切れを起こしても、最後まで諦めなかった姿勢がいいな。100点やろう」
「やりぃ」
「明日は反省と対策のための討論会だが……。今日も頑張ったお前たちには、とびきりのおやつを作ろうな。好きなのを言ってみろ」
「アップルパイが食べたいです」
「オレ、タルトタタン〜」
「両方作ってやるよ」

先生が大きなトランクを開け、3人で乗り込む。トランクは空へと飛び上がり、そのまま森の家を目指して飛んでいった。

「先生、このトランクお気に入りだよな」
「絨毯だと安定しないし、ホウキだと定員オーバーだからな」

気づけば太陽は傾き、西へ沈んでいくところだった。オレンジ色の夕日が砂漠を染めあげ、金色のきらめきを灯す。

「水が欲しかったら言えよ。おかわりあるからな」
「はい」
「先生、水ちょーだい」

夕日に照らされた帰りの空。3人で話しながら飲む水は、疲れと乾きを癒す命の水のように、心と喉に染みとおっていった。
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