2.フェアリーガーデンの住人たち
カンッ、カンッと小気味いい音を鳴らしながら、木製の剣がぶつかり合う。フェアリーガーデンの広い庭で、アンドレくんとシュトラールさんが模擬戦をしているのを、私は座って見学していた。
シュトラールさんは剣の扱いが上手だそうで、それを聞いたアンドレくんが稽古を頼んだらしい。でも、シュトラールさんがいつ寝てしまうか分からないため、彼が眠ってしまったら起こす係として私が呼ばれた。
私が来る前はどうしていたのか聞いたところ、シルトさんがシュトラールさんを、部屋まで運んでいたそうだ。もちろん特訓は中止。開始早々にシュトラールさんが、寝てしまったこともあったらしい。
「2人ともすごいね」
「そうだねぇ」
膝の上にいるグイーダを撫でながら言うと、のんびりした声が返ってくる。
素人目にも、シュトラールさんの動きは無駄が無く、洗練されているように感じた。次の手を先読みするかのように、剣が振るわれる。注意深く見ていないと、すぐ見逃してしまいそうになる。
アンドレくんは、小柄な体を活かした素早い動きで、相手の攻撃をかいくぐる。間合いに果敢に飛び込む勇気もある。彼がどれほど努力を重ねてきたか、見えるようだ。
そのとき、アンドレくんの剣がはじかれ、後方に飛ぶ。ピッとシュトラールさんが、木剣の先をアンドレくんに突きつけた。
「ちくしょー、また負けた!」
ぐおお、と唸りながら、アンドレくんが仰向けになって、芝生に寝転がる。
「おつかれさま。おやつ貰ってくるから、休憩しよっか」
塩入りレモネードが入った、透明なボトルを2人に差し出す。クレマンさんが教えてくれたレシピをもとに作ったものだ。こうしてると、運動部のマネージャーになった気分。
「ありがとう」
「ありがとな、セイラ。俺も行くよ。3人分だと、持つの大変だろ?」
「いいの? 休んでなくて大丈夫?」
「これくらいヘーキ!」
レモネードをゴクゴク飲み、アンドレくんがニカッと笑う。お言葉に甘えて、2人で行くことにした。グイーダにシュトラールさんの見守りを任せて、本館に向かう。
「アンドレくん、剣の扱い上手だね」
「あたぼうよ。今は見習いだけど、俺はこの国の騎士団長になる男だぜ!」
「この国、騎士団があるの?」
「そうそう。国内の治安を守ったり、国外の危険から皆を守ったりすんの」
私がいた世界でいう、警察や自衛隊みたいな感じかな。この国(確かレースヒェン王国だっけ)のことも、いろいろ知りたい。後でクレマンさんに、歴史の本を借りよう。
「すっげーかっこいいんだぜ! 騎士団長になると、特注の鎧や武器をもらえるんだ! もちろん格好だけじゃなくて、皆を守る力を持ってるからこそ……」
アンドレくんの話を、なるほど、と思いながら聞いていたとき。ふつりと彼の言葉が途絶えた。不思議に思って横を見ると、アンドレくんがどこにもいない。
「あれ? アンドレくん?」
きょろきょろ辺りを見回す。さっきまで隣にいたのに。置いていかれたわけじゃないと思うけど、いきなり消えちゃうなんて。首を傾げていると、足元から声が聞こえた。
「セイラ! ここだ! ここー!」
石畳を見下ろせば、小さな影がぴょこぴょこ飛び跳ねている。しゃがみ込んでよく見ると、妖精みたいに小さくなったアンドレくんが、そこにいた。
「……ちっちゃい!」
「この姿のときは何も言えねえ!」
「呪いが発動しちゃったんだね」
そっと両手を差しのべ、器の中に彼を入れるように持ち上げる。胸の辺りで手を固定し、私は彼に問いかけた。
「こんな感じで大丈夫?」
「おう。安定感バッチリ」
手のひらの中にある、いたいけな命を落とさないように、気を引きしめる。いつもより少しゆっくりめに、私は歩いていくことにした。
本館に到着し、シルキーさんから、おやつが入ったカゴを受け取る。グイーダたちが待つ庭に戻ると、横になって眠っているシュトラールさんがいた。
「おかえり〜」
「ただいま、グイーダ。ありゃ、シュトラールさん寝ちゃってる」
「少し寝かせとくか。シュトラールの分残しておこうぜ」
白い布を広げ、カゴの中身を並べていく。透明なボトルに入った紅茶。はちみつや砂糖のビン。ティースプーンとティーカップ。バターの香りがただようビスケットとマフィン。それから、グイーダ用に小さく切ったバナナ。
「お砂糖とはちみつ、どれにする?」
「砂糖を頼む!」
ドールハウスにあるみたいな、ミニチュアのカップに紅茶を注ぐ。ティースプーンで砂糖を混ぜようとする前に、私は出来心で、アンドレくんの横にスプーンを立てた。
「ほんとにティースプーンくらいのサイズなんだね……」
「比べるなよ」
ツッコミを入れてくるアンドレくんに、砂糖入りの紅茶を差し出す。アンドレくんは「ありがと」と受け取って紅茶を飲み、自分よりも大きなビスケットを両手で持って、サクサクと小さな口でかじり始めた。何だかハムスターに似ている。
「アンドレくん、なんか可愛いね」
「なっ、可愛い言うな!」
「ご、ごめんなさい!」
キャンッと吠えかかってきた彼に、慌てて謝る。小柄な身体がコンプレックスの彼には、言っちゃいけない言葉だった。反省しながら、私は自分の分のビスケットを、1つお詫びにわけた。
「今はこうでも、俺は将来シルトくらいデカくなって、筋肉もガッチリつけて、たくさんの人を守れるようになるんだからな! 見とけよ!」
むすーっと頬をふくらませて、アンドレくんが宣言する。腰に両手を当てて、仁王立ちする彼を見ながら、私は思う。
その時まで、私はこの世界にいられるのかな。
「? セイラ? どうかしたか?」
「ううん、何でもない」
笑顔で答えて、はちみつを入れた紅茶を飲む。あ、このバナナマフィンも、しっとり甘くて美味しい。最後の1口を飲み込み、もう1つ手に取ろうとしたとき、強めの風が吹いた。
「うわぁっ!?」
「アンドレくん!?」
アンドレくんの小さな体が、風に乗って舞い上がる。考えるより先に体が動き、私は彼を追いかけた。彼が落ちてきそうな位置を、うろうろと探す。すると風が弱まり、アンドレくんが落ちてきた。
両手を伸ばして彼を捕まえようとしたけど、少し遅かったらしい。びっくりしたように目を見開いたアンドレくんが見えたと思ったら、目の前が真っ暗になった。顔――特に鼻と口の辺り――に何かがぶつかり、身体がガクンと後ろに傾く。
「あっ、ぶね……!」
後頭部に少し大きめの手が添えられ、ドサリと私は仰向けで芝生に倒れ込んだ。そーっと目を開くと、サンストーンの目と目が合う。私の上にアンドレくんが覆いかぶさっていて、心配そうな彼の顔がすぐ近くにあった。ドキッと心臓が跳ね上がる。
「悪い、ケガねえか?!」
頭の下に、アンドレくんの手がある。ぶつけないように庇ってくれたらしい。
「……だ、だいじょうぶ……」
「そっか。よかった……」
「あの、アンドレくん、身体が……」
「え? ……オワーッ! ごっ、ごめん!」
「アンドレくーーん!」
自分の身体を見下ろしたアンドレくんが、数秒だけ固まり、すっとんきょうな声を上げる。勢いよく私から離れたせいで、そのまま後ろにずでーんとひっくり返ってしまった。
真っ赤になってうろたえる彼を見ていると、私の頬まで熱くなってくる。気恥ずかしさを紛らわせるように、私は別の話題を探した。
「そ、そういえば。身体、元に戻ったね」
「へ? あれ、マジだ。いつもなら、4時間くらいかかんのに」
改めて自分の身体を見回し、アンドレくんが首を傾げる。唐突に服の裾をめくってお腹を確認し始めたので、私は慌てて目を逸らした。
「! セイラ、ちょっと来てくれ!」
「えっ、でもお茶菓子とかシュトラールさんとか、そのまま……!」
「後でやる! まずはクレマンとこに行くぞ!」
手を引かれて走り出す。似たような展開、前もあったなあ。アンドレくんにしては珍しく、急かすような行動だ。もしかして、呪いに何か影響があったのかな?
それは、良い影響か、悪い影響か。ドキドキしながら本館にたどり着き、2人でクレマンさんの部屋のドアを開ける。息を切らして飛び込んできた私たちを、クレマンさんが驚いたように振り返った。
「どうした、そんなに慌てて――」
「俺、呪い解けたかも! 見て!」
アンドレくんが服の裾をもう一度めくり、お腹を見せる。クレマンさんは黒水晶みたいな目で、観察するみたいに見つめた。
「……"アザ"がほとんど消えてるな」
「アザって何ですか?」
「呪いをかけられた者の、身体に現れる印のことだ。アンドレアスは腹、シュトラールは左手にアザがある。ついでに言うと、シルトは胸に、ベリルは足にある」
そういえば、シュトラールさんはいつも革手袋をしていたような。アザを隠すためだったのかな。
「アザが消えかけた原因について、心当たりはあるか?」
「えーと、小さくなった俺が風に飛ばされて……」
「それを私が受け止めようとして……」
「そのときセイラにぶつかったんだっけ」
「どこにぶつかったか分かるか?」
「顔です。確か、鼻と口の辺り」
当時の状況を、2人で説明する。それを聞いたクレマンさんが、考え込むように口元に手を当てた。
そのとき、アンドレくんの服から、黒い光の線が透ける。アンドレくんが服をめくると、消えかけていたアザを書き直すように、真っ黒な形が浮き出ていた。 輪の中に、たくさんの線が絡み合って、複雑な模様を作っている。
更にダメ押しのように、アンドレくんの身体がぽひゅんと音を立てて縮む。
「ウソだろーッ!?」
「……セイラ、アンドレアス。アザが消えかけた原因を再現してくれるか」
クレマンさんに拾い上げられ、アンドレくんがクレマンさんの手の中で、がくりと崩れ落ちる。それを見てから、迷いながらも真剣な顔で問いかけてきたクレマンさんに、私はこくりと頷いた。アンドレくんも同意したのを見て、クレマンさんは杖を振る。
柔らかな風が現れ、ふわりとアンドレくんの身体を空中に浮かべる。それから、ふよふよと優しく私の頭上へと運んできた。
さっきは突然のことで、必死になってたから気づかなかったけど。こうしてゆっくりアンドレくんが近づいてきたら、何か緊張しちゃう。
思わず目をつぶると、唇にとんと何かが当たった。ぽひゅんという音に目を開けると、目の前には元の大きさになったアンドレくんがいる。
「……なるほど。一時的とはいえ、セイラの口付けには、呪いを解く効果があるようだな」
口付け。つまり、キス。
火がついたように顔が火照る。アンドレくんの顔も耳も、熟れたイチゴみたいに染まっていた。
「……せ、責任取る……!」
「だ、大丈夫だよ! 事故みたいなものだし!」
「……このことは、ひとまず俺たちの秘密にしておくか」
おろおろする私たちにクレマンさんは、ラベンダーの香りがするお茶を飲ませて、落ち着かせてくれた。
***
壁や床が、黒曜石のようになめらかな艶を放つ。そんな部屋に、黒いローブをまとう1人の男が立っていた。彼の前にあるのは、金の装飾で縁取られた、楕円形の大きな鏡。
「鏡よ鏡。俺の呪いを揺らがせた者は誰だ?」
鏡が映し出したのは、鳶色の髪の少年と、並んで歩いている少女。豊かで艶やかな黒髪は、肩の辺りでさらりと揺れ、淡雪のような肌を引き立てる。緑がかった薄茶色の目は穏やかに澄んでいて、花びらのような小さな唇は優しく微笑んでいた。
金髪の少年が待っている場所にたどり着き、3人で談笑しながら、お菓子を口に運んでいる。
その少女を指先で撫でながら、男はニイッと口角を上げた。それは、新しい玩具を見つけた子どものようでありながら、どこか歪みを湛えていた。