それは、とあるハイエナの魔法
真希先輩に頼まれて、自動販売機で全員分の飲み物を買っていた時だった。
体が大きくて顔に傷跡がある男の人と、見覚えのある顔立ちのショートカットの女の人が現れた。伏黒くんいわく、女の人の方は真希先輩の双子の姉妹らしい。というか、東京校の人じゃないのに不法侵入にならないんだろうか。
「アナタたちが心配で学長についてきちゃった。同級生が死んだんでしょう? 辛かった? それともそうでもなかった?」
「何が言いたいんですか?」
「いいのよ。言いづらいことってあるわよね。代わりに言ってあげる」
真依と名乗った女の人は、人が亡くなっているのに、そこにわざと踏み込んでくるような言い方をした。伏黒くんがムッとした顔で返すのに、頬を染めて楽しそうに話す。
「器なんて聞こえはいいけど、要は半分呪いの化け物でしょ。そんな穢らわしい人外が隣で不躾に"呪術師"を名乗って、虫唾が走っていたのよね? 死んでせいせいしたんじゃない?」
馬鹿にして笑うような響きで、死屍に鞭打つような言葉が並べられる。
思い出したのは、よく晴れた日の青空みたいに笑っている虎杖くんと、雨に打たれて冷たくなった虎杖くんの姿だった。
虎杖くんは、こんな侮辱を受けていい人じゃない。化け物でも、穢らわしい人外でもない。
優しい人だった。"長生きしろよ"って言葉を遺すくらいに。私が転校してきたばっかりの時も、いろいろ話しかけてくれた。
「何でこっちの気持ちを、あなたが勝手に決めるんですか。迷惑です」
「よく言った。もっと言ってやんな」
相手の目を真正面から見て、思ったことを言うと、隣にいた野薔薇が私の頭をわしわしと両手で撫でてくる。それにしてもこの人、竹を割ったような真希先輩と違って、性格悪いのかな。
「あら、図星? いいのよ無理しなくて」
「真依、どうでもいい話を広げるな。俺はただ、コイツらが乙骨の代わり足りうるのか、それが知りたい」
体が大きな男の人が、前に進み出る。五条先生くらいの背丈で、広い肩幅や太い首だからか、よけいに圧迫感があった。
「伏黒とか言ったか。どんな女がタイプだ」
「「「……?」」」
ドンナオンナガタイプダ?
さっきまで一触即発だった空気が、砂になって消えるような質問に、私たちは揃って首を傾げた。え、それ今聞かなきゃダメなやつなの?
「返答次第では今ココで半殺しにして、乙骨、最低でも3年は交流会に引っ張り出す。因みに俺は、タッパとケツがデカい女がタイプです」
男の人が着ていたTシャツを引き裂くと、ムッキムキに鍛え上げられた体があらわになる。呪いの王様以外で服を破る人、初めて見た。この筋肉こそパワーなり、みたいな体つき、どこかで見たような……?
「なんで初対面のアンタと女の趣味を話さないといけないんですか」
「そうよ。ムッツリにはハードル高いわよ」
「オマエは黙ってろ釘崎。ただでさえ意味分かんねえ状況が余計ややこしくなる」
「伏黒くんの好きな女の子のタイプ……」
「何で佐藤は興味持ってんだ」
純粋に気になる。恋バナって高校生っぽくていいよね。仲良くなるには恋バナが一番って、テレビでもやってた気がする。
「京都3年、東堂葵。自己紹介終わり。これでお友達だな。早く答えろ。男でもいいぞ」
学年と名前だけの自己紹介で、お友達になれるものだろうか。それより好きなタイプって男の人でもいいんだ。そこは寛容なんだなこの人。
「性癖にはソイツの全てが反映される。女の趣味がつまらん奴はソイツ自身もつまらん。俺はつまらん男が大嫌いだ。交流会は血湧き肉躍る俺の魂の独壇場。最後の交流会で退屈なんてさせられたら、何しでかすか分からんからな。答えろ伏黒。どんな女がタイプだ」
答えを急かすような圧を感じる。伏黒くんは少しの間黙っていたけど、照れた様子もなく真面目な顔で口を開く。
「別に、好みとかありませんよ。その人に揺るがない人間性があれば、それ以上は何も求めません」
うわ、かっこいい。流されないしっかりした人が好きなのかな。
野薔薇や真依さんは満足そうだけど、問題は東堂さんが納得するかどうかだ。東堂さんの方を見た時、私はぎょっとした。
「やっぱりだ」
ツゥー、と頬を一筋の涙が流れていく。
「退屈だよ、伏黒」
直感だった。動きを止めなきゃと思った。
伏黒くんも何かを感じたのか、視界の端で、彼が身を守る姿勢を取ったのが分かる。動きを止める方法。相手の動きを制御する方法。何か、何か─────。
東堂さんが足に力を込める。その瞬間。
「らっ、『
ツノ太郎を呼んだ時みたいに、知らないはずの言葉が口から飛び出す。両手を軽く上げて、何も出来ないように降参のポーズを取ると、東堂さんも同じポーズで停止した。
「……体が動かん。お前の術式か」
「は、はい多分恐らく。あの、暴力はダメです! 半殺しにしていいのは、おはぎだけです!」
彼の視線がこっちに向いて、ビクッとするけど、何とか説得を試みる。暴力沙汰はよくないし、揉め事も避けたい。何とか穏便に帰ってもらいたいけど、どうしよう。私がハーメルンの笛吹き男みたいに、出口まで歩けばいいんだろうか。
「相手全体に術をかけないなんて、随分と甘いのね。流石は非術師の家系出身というべきかしら」
「佑!」
気づけば真依さんが、私にピストルを向けていた。アレ銃刀法違反にならないの? あ、呪霊を祓うためのものなら大丈夫か。いやいや待ってそれ普通に人に向けていいの!?
野薔薇の叫ぶ声が聞こえた後、銃声が響く。
思わず目をつぶったけど、痛みが来ない。
「あ、」
地面から出てきた黒い茨が、弾を捕まえていた。そして別の茨の蔓が勢いよく伸びて、真依さんの身体を拘束する。ピストルは人に向けないように、手首ごと地面に下げさせた。
「っな、何よこれ……!」
「動かないでください。棘が刺さりますよ」
少年院の時も、この茨は私を守ってくれた。どうやら私に危害を加えられそうになったら、自動で出てきてくれるみたいだ。ありがたい。
「……お前、佑と言ったか」
「え、あ、はい。佐藤 佑です」
「そうか。では佐藤、どんな女がタイプだ」
「え、これわた……自分にも聞くんですか」
「何で話を合わせようとしてんだお前は女だろうが」
男の子だと思われたのかな。確かに今ジャージ姿だし、胸もぺたんこだしな、と察して一人称を変えてみると、伏黒くんに即座に突っ込まれた。ごめんなさいその場のノリです。
「それなら問い直そう。どんな男がタイプだ。俺なりの優しさだ、挽回のチャンスをやろう。お前の性癖がつまらなかった場合、俺はどんな手を使ってでもお前らを半殺しにするぞ」
「半殺しにするって選択肢は消してくれないんですね……」
このまま学校の出口まで突っ走ってやろうかと思った。伏黒くんでつまらん判定ってことは、自分の好みやこだわりを熱く語れってこと?
失敗したらラリアットか何か食らいそうだな。嫌だな。そもそも、相手の行動を制限できるらしいラフ・ウィズ・ミーを解けるのかこの人。
ええいままよ。こうなったら性癖でも何でも明かしてやろうじゃないの!
「斬新だなって思ってた時期もありましたが、細マッチョな人にケモ耳尻尾がついてるとギャップできゅんとします! 小さくてキュートなライオンのお耳や、ちゅるんと短いハイエナの尻尾も良いですが、個人的なイチオシはモフモフふさふさボリューミーな狼の尻尾とピンと立ったお耳です!」
「……犬とか猫とかじゃないのか?」
「ハイエナとか普通パッと出てこないわよ。アンタもしかしてコアなケモナーなの?」
「いや好きになったのは最近のはず」
「それにしてはチョイスがマニアックなのよ」
伏黒くんが不思議そうな顔になる。伏黒くんと野薔薇に言われて、大抵は犬耳猫耳に萌えることに気づくけど、好みとして浮かんだのはあの3匹だった。
「あまり聞かん性癖だが、それだけで俺はお前の好みを否定しない。その熱い思い、1年にしてはなかなか良いな」
東堂さんが笑う。退屈そうな顔で泣いていたさっきとは、明らかに反応が違う。掘り起こしたダイヤの原石を見つめるような、そんな笑い方だ。
「今年は退屈し通しってわけでもなさそうだ」
「半殺しは無しですか?」
「ああ、無しだ」
「解除した瞬間殴りかかるとかは」
「しない。男に二言は無いぞ」
この人、怖いけど嘘はつかなそうなんだよな。
東堂さんの言葉を信じて、術式的なものを解くと、東堂さんは肩をほぐすように回しただけだった。
一応、真依さんの方も警戒しながら、もういいよと茨に念じる。しゅるしゅると蔓が私の背中に引っ込んでいく。
「帰るぞ、真依」
「ハア!? 私はこれからなんですけど!」
「駄目だ。オマエと違って、俺にはまだ東京に大事な用があるんだよ。高田ちゃんの個握がな!!」
上着を片手で肩にかけ、東堂さんが歩き出す。「勝手な人」と言いながらその背中を追いかける前に、真依さんがくるりとこちらを振り向いた。
「……アンタ、交流会では今日みたいにいかせないわよ」
「望むところです」
2人の背中が小さくなっていく。それを見送っていたら、入れ違いになるように先輩たちがやって来た。
「お、お前ら無事か」
「昆布」
「大丈夫か? 誰かに会ったか?」
心配そうなパンダ先輩に、伏黒くんと野薔薇が答える。
「京都の先輩たちが来てました」
「佑が技で、相手の動きを止めたりしてくれたおかげで、何とかなりましたけどね」
「技?」
「相手の動きを制限できるみたいです」
私がそう説明すると、真希先輩は少し考え込むような素振りを見せてから、私に向き直った。何かをひらめいたような表情だ。
「よし佑。そこのパンダにその技とやらをかけてみろ」
「俺を実験台にするなよな。別にいいけど。さあ来い」
アリクイの威嚇みたいに、両手を広げて待機しているパンダ先輩。私もさっきの感覚を掴むために、試してみたかったので、遠慮なくやることにした。
「『
唱えて、集中して、まずは右手を上げてみる。するとパンダ先輩の右手も上がった。次に左手を上げると、パンダ先輩の左手も上がる。右手を下げて、左足を後ろに上げて片足立ちをすれば、パンダ先輩も同じ行動を取る。
「何か操り人形になった気分だな」
「動きを制限するって言うよりは、相手に自分と同じ動きをさせるって言った方が正しいな」
「しゃけしゃけ」
術式を解除して、真希先輩の分析を聞く。それを踏まえて自分の行動を振り返ると、確かに"この行動をさせよう"って思ったことを自分も実行していた。
ここに転校する前に、五条先生に言われたことがある。
「すごいねこれ。佑に刻まれてる術式、少なくとも14個以上はあるよ」
「でも、どれも眠ってるみたいで、どんな能力かは分からないな〜」
「これらは今後、目覚めていくと思うよ。佑が何かをしたいって思った時、それに合った術式が開花するはずだ」
「その時は、使いこなせるように練習しなくちゃね」
まずは1つ、自分の力のことを知ることができた。他には何ができるんだろう。
もっと知りたい。私は気合いを入れるために、両手をグッと握りしめた。