ハロウィーンは楽しむもの
「虎杖殺しちゃお。大丈夫。宿儺なんていなくたって、俺達なら勝てるさ」
交流会で花御が、そしてさっき漏瑚が祓われた。しかし五条悟を封印した今、術師と呪霊はプラマイゼロだと真人は読んだ。
「……そう思ってたんだけどなあ」
虎杖を探しながら、真人はきょとんと首を傾げる。想像していた以上に、人間が死んでいないらしい。呪霊たちが祓われていることが、見たこともない残穢から感じ取れる。
「術師って、こんなに数いたっけ?」
人手不足って聞いてたんだけど。見慣れない残穢に違和感を覚えながらも、真人は軽やかに走る。彼の目的は、ただ1つ。脹相より先に虎杖を見つけて、殺すことだ。
***
22:20 井の頭線 渋谷駅 アベニューロ
禪院 直毘人、真希、七海のもとに現れた陀艮。陀艮が領域を展開し、海が広がる浜辺のような場所に3人を引きずり込んだ。
領域展開を行うメリットの1つは、「領域内で発動した、術者の術式の絶対命中」。式神の攻撃により、真希の脇腹から、七海の肩から、血が吹き出る。
「術式解放『
陀艮が印を組むと、鮫のような姿をした式神が、何匹も現れる。そのとき、パリンッと何かが割れる音がした。
「『白を赤に、赤を白に』」
「『
戦いの場にはそぐわない程、クオリティが高いハロウィンの仮装。包帯を重ねたような衣装に身を包んだ、一際背の高い2人の青年が、愉快そうに声を弾ませた。その手には、クリアの石がついたペンが握られている。
「あはぁ、何アイツ〜。赤くて、でっかいタコみたい」
「アズールと気が合うかもしれませんね」
「ウミガメくん、あいつはオレとジェイドにやらせてよぉ」
「分かった。任せたぞ」
骨のような白いリボンが交差された、黒い衣装をまとう青年が、ルビー色の石がついたペンを構えたまま下がる。その背中に、七海と真希は声をかけた。
「待ちなさい。相手は特級です。君たちのような子どもが相手をすべきではない」
「誰だお前ら。味方でいいのか」
3人が振り返る。ターコイズ色の髪をした、細身のミイラ男たちは、左右で異なる色の目でちらりと七海たちを見る。それも数秒のことで、すぐに視線を陀艮に戻した。もう七海たちに興味は無いようだ。
穏やかな態度で答えたのは、アイビーグリーンの髪のスケルトンだった。釣りぎみのマスタード色の目で真希たちを見つめ、誠実そうにはっきりと告げる。
「俺たちは、ユウの味方だよ」
「……ユウって、佐藤 佑のことで合ってるか」
「ああ」
どういう関係なんだ、と不審そうに顔をしかめる真希に対し、七海が説明を入れる。彼らは、佑が行っていた異郷――ツイステッドワンダーランドの住人たちであると。
「蹴散らしてやる♪」
「深く沈めて差し上げます」
領域展開を行うもう1つのメリットは、「環境要因による術者のステータス上昇」。ウツボの人魚である双子は、奇しくも自分たちに適応した場所にいた。いきいきとした笑みをこぼし、捕食者らしく歯をぎらつかせる彼らに、陀艮は微かな焦りを感じる。
必中の効果が、消えている? 一体、誰の術式だ?
誰でもいい。突然こちらの領域に侵入してきた愚かな3人に、力を集中させる。際限なく湧き出る式神たちで、一網打尽にする!
「『
しかし、式神たちが彼らの肉をえぐろうとする直前で、ことごとく攻撃を逸らされる。何匹いても、かすりもしない。陀艮の思考が、だんだん焦りと苛立ちで濁っていく。
「やっちゃおうぜぇ、ジェイド〜!」
「フロイドが楽しそうで何よりです」
その途端、2人が持つペンの先から光が放たれた。緑色の木の葉をまとう稲妻のような攻撃が、陀艮の体を正確に貫く。
海のギャング、優勢。
***
佑と別れた後、脹相と戦闘をした虎杖は、血を流したまま気絶していた。コツコツと小さな足音を立てて、彼の前に2人の人影が現れる。
「いた……。生きてるよね?」
「うん」
1人は金髪をお団子にまとめた、今どきのギャルらしい少女。もう1人は、長い黒髪をぱつんと切りそろえた、大人しそうな少女だ。
ぬいぐるみを抱えた黒髪の少女――美々子が言う。
「急ごう菜々子。指で呪霊が寄るかも」
「分かってる」
お団子の少女――菜々子が握っているのは、死蝋となった宿儺の指。彼女は虎杖の口を開かせ、宿儺の指を押し込もうとする。
「お願い出てきて。宿儺様――」
「だめです」
そのとき、鈴を振ったような声が響いた。黄緑色の蛍のような光と共に、1人の少女が現れる。一瞬で目の前に現れ、自分の手を掴んだ少女に、菜々子は目を見開く。
「意識が無い人にものを食べさせたら、窒息しちゃうかもしれませんよ」
呪術高専の制服。なのに、まとう雰囲気は異質だ。人間と、呪力と、理解できない何かが揺らめいて、混ざり合っている。瞳孔が細い黄緑色の目で見つめられると、体の底から体温が引いていく気がした。
「し……っ、知らねェし! 邪魔すんな!」
「できません。彼は、私の大事な友達です。彼に危害を加えるのは許しません」
「そんなのっ、私たちだって同じなんだよ!」
「……何か、事情があるんですか?」
気遣うような目を向けられ、菜々子は言葉を詰まらせる。呪詛師の自分に、呪術師が傾聴の姿勢を見せたことが信じられなかった。美々子が警戒するように、菜々子の隣に並ぶ。
「……吊るす? 菜々子」
その問いを聞いた少女が、すとんとその場に座り込み、何かを呟く。すると菜々子と美々子も全く同じように、タイルの上に腰を下ろしていた。立ち上がろうにも、術式を使おうにも、体が動かない。
「まずはお話しましょう」
逸らすことを許さないほど、ひたむきな目。思わず2人は、少女の目を見つめ返していた。
「そんなに怖がらないで。力になりたいんです」
小さな唇が、魔法のような言葉を唱える。
「『
少女の声が、直接脳に流し込まれるように、聞こえてくる。すがりつきたくなるような、凛とした声。何もかもさらけ出したくなるような、優しさを感じる声だ。
「私の質問に、真実で答えてください。あなたたちは、なぜ悠仁くんを、宿儺に変えようとしたんですか?」
「……下に、額に縫い目のある袈裟の男がいる。そいつを、殺してほしかった」
「夏油様を、解放してほしかった」
大好きな人。痛くて辛い日々から、救い出してくれた恩人。彼のためなら何でもする。何でもできる。命だってかけられる。
「代わりに、私がやりましょうか」
その言葉にハッとする。少女の落ち着いた表情からは、嘘を言っている様子が感じられない。震える声で、菜々子と美々子は問いかける。
「……アンタが?」
「どのみち、五条先生を助けるためには、倒さなければならない相手なので。都合がいいです」
「……本当に?」
「口約束だけじゃ心配ですよね。私と契約しましょうか」
呪力が練り上げられる気配がし、1枚の紙が現れる。金色に輝く契約書だ。
「……ケイヤクって、どうすんの?」
「"縛り"みたいなものです。私はあなたたちの願いを叶える。その代わりに、あなたたちから対価をもらいます」
「対価って……、何でもいいの?」
「はい。例えば、術式でも、宿儺の指でも。橋を渡りたいなら通行料。あなたたちは、私にどんな対価を出せますか?」
菜々子と美々子は顔を見合わせる。そして、覚悟を決めたように少女を見た。
「……この宿儺の指。あと、もう1本の在り処を教える」
「……私の術式。対象の首を、縄でくくって吊るす力がある」
菜々子と美々子の返事に、少女はうなずく。金の契約書に、魚の骨をかたどった白いペンで文字がつづられた。ふわりと自分たちの手元に飛んできた紙とペンを、菜々子は掴む。契約書に自分たちの名前を書き込むと、強い光が放たれた。
「『
***
佑と別れてから、伏黒は1人で地下5階に向かっていた。京都校の加茂と同じ、赤血操術を使う者の相手を、虎杖が引き受けたからだ。
――伏黒、先に行っててくれ。
――アイツの狙いは俺だけだ。
その言葉通り、敵は虎杖だけに明確な殺意を向けてきた。だからこそ伏黒は、簡単にその場を通り抜けられた。今の渋谷で単独行動は避けたかったが、仕方がない。
走る途中、正面から人影がゆらりと現れる。距離をとるためにも立ち止まると、ふらりふらりと近づいてきたのは、1人の男だった。
離れていても、鍛え上げられた体格の良さが分かる。いつどこで手に入れたのか、手にはナイフが握られていた。口に縦に走る傷跡を見て、佑が"エペル"と呼んでいた少年の言葉を思い出す。
――口に傷がある男の人に、気をつけて。
恐らくこいつが、猪野さんを襲おうとし、呪詛師のばあさんを殺した張本人か。
目の前の相手に集中しろ。
コイツに勝つ
「『脱兎』!」
視界を埋めつくす程の、うさぎの群れ。撹乱をものともせず、男は勘で、伏黒の元に突っ込んできた。
領域を展開するか? いや、俺のはまだ相手を閉じ込められる程、よくできちゃいない。これからの渋谷で式神を失って、手数を失うわけにもいかない。
呪力が無いにもかかわらず、宿儺並みの超スピード。そこから繰り出される攻撃を何とかかわしながら、伏黒は必死に考える。
無理を利かすなら自分自身! 家入さんが治せて、かつ即復帰できる範囲でこの場を収める……!
コースを絞り、タイミングを逃さずに、男の片足を影の中に落とす。男の体勢がずれたおかげで、刺されたが致命傷は外せた。
距離を取った時、男が口を開く。
「オマエ、名前は」
「……? 伏黒……」
「……禪院じゃねぇのか。よかったな」
男はそのまま、ナイフを自分の側頭部に突き立て、自害した。
交わした言葉は、たったそれだけ。男の名前は、伏黒 甚爾。彼が、もう顔も覚えていな自分の父親であることを、伏黒は知る由もなかった。
早く家入さんのところへ。
伏黒がそう思ったとき、鮮血が舞った。
背中から切り裂かれたような痛みと共に、声が響く。それを聞きながら、伏黒は倒れ込んでいた。
***
呪詛師、重面 春太との会敵。伏黒は自身の術式を開示したうえで、奥の手を出した。
八握剣異戒神将魔虚羅。
歴代の術師の中で、誰1人として調伏することができなかった、最強の式神。それを伏黒は、自分を道連れにして相手を倒すために呼び出した。
失血により気を失った伏黒と、強制的に調伏の儀式に巻き込まれた重面。重面が魔虚羅の攻撃によって、地面に叩きつけられたとき。伏黒を守るように人影が現れた。
「100年足らずで老いてしまう人の子が、このように捨て身な策を取るのは嘆かわしいのう」
老人のような口調だが、その容姿はまだあどけない少年のよう。約3~4mの身長で、筋肉質な体格の魔虚羅と比べると、より小柄に見える。目の前の敵を見ても臆することなく、ラズベリーレッドの目が好戦的に輝いた。
「本命では無いが、ラスボス戦って感じじゃな。わしは一線を退いた身だが……」
竜を模した中華服が、黄緑色の光の線に彩られ、形を変えていく。茨のデザインが施された、深緑色の甲冑。それを飾るのは、エメラルドのごとく輝く魔石。一部が深紅に染まった黒髪は、さらりと伸び、ポニーテールにまとめられている。
夜の中できらめくのは、銀色の茨と葉が絡みつく魔石器。それを片手に、少年――リリアは、目を細めてニヤリと笑った。
「くふふ、遊んでやろう」