ハロウィーンは楽しむもの



記録――2018年10月31日19:00
東急百貨店 東京東横店を中心に 半径および400mの"帳"が降ろされる

***

「"帳"……。結界の効力の足し引きを遣える条件っていうのはな、基本"呪力にまつわるモノ"だけなんだ。ざっくり言うと、人間・呪霊・呪物だな」

東京メトロ渋谷駅の、13番出口側。帳の外で、私は伏黒くんと一緒に、2級術師の猪野さんから説明を受けていた。

「だから電波妨害とかは、"帳"が降りたことによる副次的効果であって、"帳"の結界術式そのものには電波の要否は組み込めないんだぜ」
「なるほどー」
「知ってます」
「猪野くん。先輩風は程々に」

猪野さんをやんわりたしなめたのは、この班のリーダー的ポジションである、1級術師の七海さん。里桜高校でお世話になった人だ。

一般の人たちが帳の中に閉じ込められている状態で、指名された五条先生。彼だけに渋谷の異常事態を治めてもらうまで、私たちは帳の外で待機。後は五条先生のバックアップだ。

念のため、五条先生にアイ・シー・ユーをかけておいたけど、必要になる時が来ませんように。ちなみに今は20時38分になったところ。五条先生がいるのは、渋谷ヒカリエ辺りだ。

先生の武運を祈るように両手を組む。そのとき、ウエストポーチの中が、またコトリと動いた。

「?」
「漫画に出てくる魔導書みたいだな」
「それが、神隠しの証拠品ですか?」

白い革表紙の本を取り出して眺めていると、猪野さんと七海さんが話しかけてくる。2人ともどこか興味深そうに、本を見つめていた。

「はい。多分、この鍵で開けるんだと思います。まだ開いたこと無いですけど」

鍵のペンダントを上着の下から取り出して言う。すると、鍵がほのかに温かくなり、本の表紙にはめ込まれたクリスタルが、虹色にきらめき始めた。

「な、何……!?」

ルビー色、黄金色、クリア、赤褐色、アメジスト色、青色、黄緑色。無色透明なクリスタルから放たれる光の粒は、私を誘うように周囲を舞う。初めてのことに戸惑いながらも、私は震える手で、錠前の鍵穴に鍵を近づけた。

それまでは、鍵穴がふさがっているみたいに、鍵が入らなかったのに。カチャリと音を立てて鍵がささる。カランと澄んだ音を立てて、錠前が地面に落ちた。

どきどきと逸る胸を押さえ、深呼吸をする。本の表紙を開くと、見返しのところに文字が書いてあった。流麗な英文で書かれていたそれは、小さなきらめきと共に日本語に置き換わる。

『オレたちの監督生へ』

「……やっと開いたな」
「う、うん……」
「いや目の前でめちゃくちゃファンタジーなことが起きたのに冷静だな!」
「……監督生。英国のパブリックスクール等で見られる制度ですね」

何でこのタイミングで開いたんだろう。伏黒くんに返事をしつつ、ふと思う。猪野さんのツッコミや七海さんの解説を聞きながら、私はページを開いた。

そこには写真が入っていた。1ページに2枚ずつ、何枚も何枚も。どうやら本ではなくてアルバムだったらしい。

外国みたいな風景や建物。写っているのは、ブレザーの制服を着た男の子たち。思い出の中にいる彼らのイメージが、写真を見たことで、くっきりと鮮やかに形作られていく。

「……これは、君がいた"異郷"ですか?」
「……はい」

七海さんの質問に答えたとき、頭の中で、懐かしい声が聞こえた。

――監督生
――ユウ
――子分!

ページをめくるうちに、ハロウィーンらしい仮装姿の写真を見つける。今日にぴったりだと考えながら、黒い鎧をまとった男の子を、指先でなぞった。すると写真から、白い光が泡のようにはじけ、1人の男の子が現れる。

燐火のようなサファイアブルーの髪。胸の辺りで揺れる青い炎。騎士のような黒い甲冑。よく見ると足は普通の人とは違う形で、ふよふよと浮いていた。ロボットみたいな小柄な子が、ぱちりと目を開ける。星みたいなイエローアンバーの目が、いたずらっぽく輝いた。

「Boo! パンプキン騎士ナイトの参上だよ!」
「わっ!?」
「写真から人……ロボット? が出てきた?!」

ビクッと肩を跳ね上げる私。分かりやすく驚く猪野さん。目を丸くする伏黒くん。そして、とっさに警戒するような素振りを見せた七海さんに視線を移して、その子は笑う。マスクで覆われた口元に、片手を当てる仕草が可愛い。

「ふふっ、驚いた? 久しぶり……って言いたいところだけど、この状態では初めまして、になるのかな」

――僕はオルト・シュラウド。どんなアシストをお望みですか?

頭の中で再生される、電子音のような作り物めいた声とはまた違う。高めの少年のような声が言葉を紡ぐ。

「オルト……?」
「そうだよ。ユウさん」
「え、本物?」
「厳密に言うと違うかな。ユウさん、ゴーストカメラは覚えてる?」
「あ、うん。私が学園で持ってたやつだよね」
「このメモリーカード・ブックにあるのは、ほとんどユウさんがゴーストカメラで撮った写真なんだ。僕たちは、写真に写し取られた魂の一部……『記憶の断片メモリー』だよ」

そういえば、撮影者と被写体の魂の結びつきが深くなると、『メモリー』が動画みたいに動いたり、写真から抜け出したりするようになるんだっけ。話には聞いてたけど、こういうことだったのか。

「……幽霊みたいなものなのか?」
「ゴーストとはまた違うよ、伏黒 恵さん」

初対面のオルトにフルネームで呼ばれ、伏黒くんが少し動揺したように見えた。そんな彼を気にせず、オルトは説明を続ける。

「僕たちには実体があるもの。僕たち『メモリー』は、撮影者――この場合だとユウさんとの魂の結びつきが深くなることで、写真から実体を伴って抜け出せる。つまり僕たちは、とっても仲良しってこと!」

金属製の硬い腕が、私の腕にそっと絡む。ニコッと無邪気に笑うオルトに対して、伏黒くんは微かに顔をしかめた。どことなく不愉快そうな気配が感じられる。

「それは分かったが、なぜ俺の名前を知ってる?」
「本からは出られないけど、皆の様子は見ていたからね。この魔法石が、僕たちにとって、外界の情報を得るためのモニターになってくれたんだ」

一旦私から腕を離し、オルトはふわふわと七海さんたちの前に移動する。それから、ぺこりと頭を下げた。

「改めて初めまして。七海 建人さん。猪野 琢真さん。僕はオルト・シュラウド。自律型AI搭載の魔導ヒューマノイドだよ」
「……初めまして。1級術師の七海です」
「は、初めまして……」

丁寧に挨拶を交わす七海さんに対し、猪野さんはどう接したらいいのか考えているみたいだ。驚きと困惑と好奇心。そんな気持ちが入れ代わり立ち代わり見える。

「そういえば、今は"帳"っていう結界の中で、電波障害が起きてるんだよね? 兄さんが作った、自動運転ドローン付き無線LANを使う?」
「そんな便利な物があるの?!」
「ちなみに兄さんから。――電波が断たれるのは死活問題だし、他でもない陰キャ仲間のユウ氏が困ってるなら、まあ聞いてあげないことも無いですしやすしリトマス紙。フヒヒッ――だって」

簡単にオルトのお兄さん――イデア先輩の声が脳内再生できた。

***

21:22 渋谷

建物内にいた改造人間たちが、一般の人たちを襲い始める。更に"術師を入れない帳"が降りた。

「私は"帳"を降ろしている敵を。3人は片っ端から一般人を保護してください」

七海さんの指示で、私たちは帳の中に突入する。私はアルバムを開き、ハロウィンの写真に向かって祈った。出てきてほしい。力を貸してほしい。その想いが通じたのか、光の軌跡が周囲を飛び交う。

思い出すのは、学園で過ごしたハロウィーン。あの時私たちが相手をしたのは、マナーの悪いマジカメモンスターたちだったけど、今回は違う。呪霊という本物のモンスターだ。

「君の願いを、僕たちに教えて。ユウさんの願いなら、ちゃんと応えるから」

オルトの言葉に、私ははっきりと答える。

「思いっきり暴れちゃってください」
「モンスターたちから、一般の人たちと、呪術高専に関わる人たちを守るために」

呼応するように、アルバムの魔法石が光る。そして流れ星のような白い光の線が、四方八方に飛び散った。

「これで大丈夫かな?」
「うん! 僕も行くね。ケガした人がいたら、僕のプレシジョン・ギアが役に立てるから!」
「ありがとう、オルト。よろしくね!」

飛び去る彼を少しだけ見送り、すぐに伏黒くんたちと合流する。そのとき七海さんのスマホに着信が入った。七海さんが電話に出ると、悠仁くんの大きな声がこっちにも聞こえてくる。

「あっ、ナナミン!? 電波復活してよかった! 五条先生が封印されたんだけど!」

"ナナミン"というあだ名に、伏黒くんや猪野さんが困惑する時間は、数秒くらい。すぐにそれを塗り替える情報が与えられ、私たちは動揺した。

五条先生が。自他ともに認める最強の呪術師の五条先生が。1人で場を治めるために派遣された五条先生が、封印された?

「3人共。今の通話は聞こえていましたね」

スマホを耳から離し、七海さんは冷静な態度を崩さずに告げる。

「予定変更です。すぐに虎杖くんと合流します。もし封印が本当なら、終わりです。この国の人間全て」

***

悠仁くんと合流し、五条先生を助けるために行動を開始する。"術師を入れない帳"に、悠仁くんが全力で拳をぶつけるけど、ビクともしていない。

"術師を入れない"ってことは、術師でなくなれば入れるんじゃないか。そう考えた時に思いついたのは、魔法士なら誰もが恐れる、魔力を封じる彼の魔法。

「ちょっと試していいですか?」
「? おう」

猪野さんに許可を取り、私は悠仁くんと並んで帳の前に立つ。そして、そっとその言葉を唱えた。

「『首をはねろオフ・ウィズ・ユアヘッド』」

ガチャンと音を立てて、赤と黒の色合いの首輪がはまる。見た目はハート型だけど、重さと窮屈さは、可愛いとは言いがたい。グリムも、エースもデュースも、こんな思いをしてたのか……。

「ちょっ、佑!? 何この首輪! 平気!?」
「平気だよ。私がやったから」

ぎょっとして、慌てる悠仁くんをなだめてから、帳に手を伸ばす。何の抵抗も無く腕が通り抜け、やがて体全体が帳をすり抜けた。

さて、通れたはいいけど、このままだと呪霊を倒せない。術式を解除してみると、バチンと弾かれたように、私は帳の外に放り出された。

「すみません、だめでした」
「「何がどうしてこうなった!?」」
「佐藤。新しい力の件も含めて、いっぱい説明しろ」

私を受け止めてくれた悠仁くんと、離れて様子を見ていた猪野さんのセリフが綺麗にハモる。伏黒に言われるまま、私は3人に説明した。

「さっきの首輪には、術式や呪力を封じる力があります。術師じゃないなら帳をくぐれるかも、と思ったんですが……。中で解除すると、術師と認識されて追い出されちゃうみたいです」
「術式封じって、そんなのアリかよ……。すげェな」

感心したように呟く猪野さんたちと、どうすべきか話し合う。帳を下ろしている人は、原則として帳の中にいるらしい。だけど、悠仁くんの話によると、帳の外に出て撃退されるリスクを上げることで、帳の強度を上げることもあるらしい。

目立つ所にいて、発見されるリスクを更に上げることで、強度を底上げする。その可能性を踏まえて、私たちは背の高い建物を見上げた。

***

渋谷Cタワーの屋上にいた、帳を守る呪詛師との戦闘。猪野は1人の男と対峙していた。

イタコの老婆による降霊術。それによって男の呪詛師が姿を変える。短い黒髪、切れ長の目。立ち姿や口に刻まれた傷跡からは、言いようのない凄みを感じさせる。

(立ち姿で分かる……クソ強ェ!!)

猪野が術式を発動しようとした時、顔を覆っていたニット帽が剥ぎ取られる。その瞬間、はらりと舞う雪のような声が降ってきた。

「『目を閉じて、息を止めて……』」
「『深紅の果実スリープ・キス』」

***

「猪野さん!」

呪詛師を倒して帳を上げた私たちが、猪野さんのところに戻ると、彼は棺のような結界の中で目を閉じていた。辺りを見回すと、離れた場所に顔が潰れたおばあさんが倒れていた。流れた血が赤黒い水溜まりを作っていて、背筋がゾッとする。

「何だこれ、壊れねえ!」

透明で繊細なガラスのように見えるけど、その強度は凄まじい。悠仁くんが何度も拳をぶつけるけど、ヒビ1つ入ってない。

「待って、悠仁くん。これは――」
「眠っているだけだから、大丈夫だよ」

悠仁くんを止めた時、大人しそうな声が聞こえた。振り返ると、小柄な少年が立っている。黒いマントが風に揺れ、濃い青紫色の地に繊細な模様が施された、美しい衣装がのぞく。まるでヴァンパイアのようだ。

ふわふわしたラベンダー色の髪に、子ウサギのように大きなアクアブルーの目。女の子と見紛う、儚げで可憐な容姿。
でも、私は知っている。本当は、女の子に間違われるのが嫌いなこと。意外と喧嘩っぱやいこと。筋肉たっぷりな体や低くて渋い声に憧れていること。芯があってかっこいいこと。

「エペル!」
「久しぶり、ユウサン」

にこ、と花のつぼみがほころぶように、エペルは微笑む。

「もしかして、佑が行ってたツイステッドワンダーランドの知り合い? 何でここに?」
「実は……」

アルバムの鍵が開いたことや、入っている写真から皆が出てこられるようになっていること等を、悠仁くんにも説明する。

「なるほど、理解!」
「この人が目覚めるまで、まだ少し時間がかかるから。先に行った方がいい、かな。それから、1つ言っておくね」
「?」

首を傾げる私と悠仁くん、そして怪訝そうな表情の伏黒くんを、エペルは真面目な顔で見つめる。そして、ダークリップで染めた唇をそっと開いた。

「口に傷がある男の人に、気をつけて」

***

21:25 東京メトロ 渋谷駅 13番出口側("帳"外)


「センサーに反応有り。近くに負傷者がいるかも」

そう呟いたオルトの体が、水色や青色の四角い光に包まれ、形を変えていく。やがて目元が隠れていて、ポンチョのようにふくらんだ白衣をまとう姿に変身した。

「換装完了。これより、精密作業用アタッチメント、プレシジョン・ギアでの活動を開始します」

機械のアナウンスのような、中性的な声が言葉を紡ぐ。空から周りを見回していたオルトが発見したのは、血を流して倒れている、黒いスーツ姿の男性だった。眼鏡をかけた顔は青白く、迅速な処置が必要だと認識する。

「――対象をバイタルスキャン中。全身スキャン開始」
「上腹部を中心に4箇所の刺傷を確認」
「治療を開始します」

***

カラスの群れに似た夜の中。暗闇に紛れて、複数人の話し声が響く。

「『ハロウィーンはみんなで過ごす楽しい日』。悪霊は追い払わなければならないのう」

東方の伝統衣装を織り交ぜたかのような龍が、くすくすと笑う。目の前の戦いを、楽しみにしているような笑い声だ。

「小エビちゃんの仲間さえ守れば、何してもいいんでしょ? あはっ。どうやってゴーストたちの邪魔してやろうかな〜」
「ふふ、楽しそうですね」

それは、スタイリッシュなマミーたちも例外では無い。そっくりな顔立ちの2人が口角を上げると、尖った歯が冷たく光った。

「あぁ……この高揚をどう表現したらいいだろう? 待ち望んでいた狩りが目の前に広がっていると思うと、胸が踊るようだよ!」

夜に溶けるようなマントをなびかせながら、退廃的な美しさのヴァンパイアも、うっとりと頬を染める。歓迎するかのように両腕を広げ、舞台に立つ役者のように声を上げた。

「つーかオルトとエペルだけずるくね? オレも早くユウに会いたいんだけど」
「わがまま言うな。そんなの僕だって同じ気持ちだ」
「けっこう元気そうで安心したよねー。せっかくのハロウィーンなのに、あんまり映えない制服姿だったのは残念だけど」
「後でハロウィーンの仮装に着替えさせてやるか。魔法士の仮装もいいが、俺たちと同じスケルトンの仮装なんてどうだ?」
「お前たち、おしゃべりはそこまで。早くモンスターたちの制圧と、一般の人々の保護に向かおう」

上品な恐ろしさのスケルトンたちが、「はい、寮長」と声をそろえる。

他にも、力と知恵だけで海を渡る海賊。砂漠の国のような衣装の狼男。カボチャの恨みから生まれたパンプキン騎士。彼らも一斉に動きだした。

ハロウィーンの夜は、まだ終わらない。
2/4ページ
スキ