大きなケガ無く帰るまでが交流会です
「故人の虎杖 悠仁くんでぇーっす!!」
「はい!! おっぱっぴー!!」
交流会当日。
出張で海外に行っていたという五条先生が、京都校の人たちにお土産(デフォルメしたミイラの人形みたいな、ちょっと可愛いやつ)を配った後。
台車に乗せた箱から、悠仁くんがお笑い芸人のモノマネをしながら元気よく出てきたとき、私は思わず天を仰いでいた。
ああ、あの雲、バラの形だ。
今日はいい天気だなあ。
頭を振って、逃避した現実に戻ってくる。
恐る恐る、伏黒くんと野薔薇の様子を窺ってみると、2人は愕然としたような、引きつったような、何とも言えない表情を浮かべていた。
少なくとも、嬉しそうには見えない。一言で表すなら、「は?」と言いたげな反応だった。
2ヶ月間、亡くなったと思ってたクラスメートが、こんなテンションでマジックみたいに箱から出てきたら、どんな顔すればいいのか分からなくなるよね。
それより悠仁くんと再会したときの私、めちゃくちゃ泣いちゃった自覚があるんだけど。それを踏まえて悠仁くんは、どういう気持ちでこのサプライズを考えたんだ。私でボロ泣きしたんだから、残りの2人がどんな反応するか想像できたはずでは。
悠仁くんに視線を移すと、全力でスベったことに驚いたみたいで、滝みたいに汗を流しながら変な顔をしていた。助けを求めるような目を向けられ、私は黙って首を横に振る。
許せ、悠仁くん。私にはどうすることもできない。
「おい、何か言うことあんだろ」
つかつかと歩み寄った野薔薇が、げし、と箱を蹴りつつ悠仁くんに声をかける。その目はよく見ると潤んでいて、肩はふるふると震えていた。
こらえるように唇を噛んでいる野薔薇の顔を見て、悠仁くんも反省したようにほろりと涙を滲ませる。
「黙っててすんませんでした……生きてること……」
どことなく気まずい空気の中、こうして悠仁くんが交流会に合流した。
交流会の1日目は団体戦。
区画内に放たれた二級呪霊を、先に祓ったチームの勝ち。三級以下の呪霊も複数放たれていて、日没までに決着がつかなかったら、討伐数が多いチームに軍配が上がる。
それ以外のルールは無し。強いて言えば、相手を殺したり、再起不能の怪我をさせたりすることはダメ。
開始時刻は正午。
「佑はあんまり術式使うな」
悠仁くんが増えたことで、作戦についての話をしていたとき、真希先輩がそう言った。
「出し惜しみしろって意味じゃねえ。ここぞって時だけ使え」
研ぎ澄まされたような瞳が、私を真っ直ぐに見つめてくる。ニヤリと悪巧みを思いついたような笑みで、先輩は続けた。
「いろいろできるようになったから、佑単体で敵前に放り込むことも考えたけど、それじゃ私らが暴れられねえからな」
「1人で放り込まれなくてよかった……!」
「東堂と真依に見せたのは、ラフ・ウィズ・ミーだけだったよな? まずは使える術式がそれだけだってアイツらに錯覚させろ」
「後出し方式ってことですね?」
「そうだ。手持ちの技を、序盤で全部見せてやる必要は無いだろ?」
作戦がまとまり、開始を待つ間。私は呪術高専の図書室で読んだ本のことを思い返していた。
それに書いてあった、"呪術規定"という呪術師の世界のルールによると、身体に呪いを宿している悠仁くんは、人間ではなく呪い――祓うべき対象と見なされてしまうらしい。
そんなルールを厳しく守っている、お偉いさんの1人が、京都校の学長先生なのだそうだ。さっき箱から出てきた悠仁くんを見て、かなり動揺していたように見えた。
交流会は、殺す以外なら何をしてもいい。
つまりそれは、命を奪われたり致命傷を負わされたりすることは無い、ということ。
でも、上層部の人たちから悠仁くんを守るために、五条先生が虎杖くんのことを秘密にしていたことを考えると、不安が灰色の影のように付きまとった。
私の気にし過ぎなら、それでいい。
それに悠仁くんは、簡単に殺されるような人じゃない。里桜高校で一緒に戦ったときに、彼が強くなってることは分かってる。
だけど、私にできることがあるなら、しておきたかった。
頭の中で、どう呪力を練ればいいか、どんな術式を使えばいいか、パズルを組み立てるように形作られていく。その感覚を忘れないうちに、私は悠仁くんに近づいた。
***
「悠仁くん、ちょっと試したいことがあるんだけど、いいかな?」
「ん? いーよ」
そっと佑の小さな両手が、俺の片手を包むように取る。ほんのり温かい熱が伝わってきた。
こんな手でいつも刀を振るってんのか。そんなしみじみとした気持ちが、胸の辺りを満たしていく。
「『────────』」
目を閉じて、ちちんぷいぷいとも、アブラカタブラとも違う、魔法みたいな響きの言葉を佑が唱えた。
「なあ佑、今の言葉ってどういう意味なんだ?」
また新しい術式に目覚めたのかな。
気になって聞いてみると、佑は「うーん」と少しの間考え込んでから、こう言った。
「私なりのお
***
「全員いるな! まとめてかかって来い!」
マイペースな五条先生と、それに巻き込まれた京都校の先生によって、団体戦が始まった。
真希先輩の読み通り、私たちの前に立ちはだかってきたのは東堂さんだった。
悠仁くんが飛び出し、東堂さんの顔面に膝蹴りを食らわせる。真希先輩の「散れ!」という声で、私たちは二手に分かれた。
「東堂1人でしたね」
「やっぱ悠仁に変えて正解だったな」
「相変わらず威圧感がすごい……」
索敵に長けているのは、伏黒くんとパンダ先輩。その中で伏黒くんについているのは、真希先輩と私で、パンダ先輩の方には野薔薇と狗巻先輩がついている。
呪霊を探しながら走っていた時、伏黒くんが立ち止まった。
「変です。京都校がまとまって移動してます。……虎杖と分かれたあたりで」
「
「いや、2級なら余程狡猾でない限り玉犬が気づきます。アイツら、虎杖殺すつもりじゃないですか?」
「えっ」
個人的にそうかもしれない、と考えていたこと。それを、冷静な伏黒くんも考えついたことに、ショックを受ける。私の気にし過ぎであってほしかった。
「……あり得るな」
「や、やっぱり、そういうことするの……?」
「佐藤も勘づいてたのか?」
「前に呪術規定について読んだことがあるから……。一応始まる前に、悠仁くんにおまじないかけてきたけど」
「おまじない?」
***
一方その頃。
「どうやら俺たちは"親友"のようだな」
「今、名前聞いたのに!?」
突然女のタイプを聞いてきたかと思えば、涙と鼻水を静かに垂れ流し、空を見上げている東堂に困惑していた虎杖。
(囲まれた!?)
いつの間に近づいたのか、木々の間から、京都校のメンバーが現れる。虎杖は木の上から降ってくる銃弾を避け、目の前の抜刀を宙返りでかわす。他にも虎杖に向けて矢をつがえる者、ビームを放とうとする者がいた。
(アレ? こいつら……俺のこと、殺す気じゃねぇ?)
そのときだった。
「あ、……カハッ……!」
虎杖に刀を向けたスーツの少女――三輪が、刀を取り落とし、地面にくずおれた。からんと刀が地面にぶつかり、音を立てる。
「三輪!? どうしタ!」
「わか、んな……、力が、はいらない……っ」
ビームを撃とうとしていた人型ロボット――究極メカ丸が、三輪に駆け寄る。筋弛緩剤でも打たれたかのように、三輪はぐったりとして、息を切らしていた。
「その残穢、佐藤 佑の術式か」
合点がいったような東堂の呟きを聞き、木の上で小銃を構えていた真依が、ハッとしたように目を丸くする。
(そういえば、初めて会ったときに動きを制限する術式を使っていた。これはその応用ってこと? あの頃は、戦い慣れてない甘い1年だと思ったのに……)
真希と共に、自分が仕留めようと思っていた、地味そうな黒髪の1年生。その彼女に先回りされていたことに、真依はギリッと唇を強く噛んだ。
状況が上手く飲み込めない虎杖の脳内に、さっき佑が唱えた言葉が蘇る。
『
佑は"おまじない"の感覚で使ったが、それは触れたものに呪いをかける能力だった。
「今日この日、悠仁くんを殺そうとした者は、悠仁くんから距離を取るまで、体が動かなくなるだろう」
それが、佑が付与した効果だ。
***
「戻るぞ、恵。佑は呪霊狩りに専念しろ」
「……分かりました!」
「へぇ、聞き分けがいいな。"私も行きます"とか言うかと思った」
「心配ですけど、おまじないはかけましたし、悠仁くんは簡単にやられる人じゃないので! 悠仁くんのことよろしくお願いします!」
「おう」
真希先輩と伏黒くんが頷いてみせ、悠仁くんと分かれたところに走って戻っていく。私はそれと反対方向に駆け出した。
「グリム! 呪霊の気配があったら教えて!」
「ふなぁ!」
猫の姿のグリムを呼び出すと、4足で走りながら私に並ぶ。キメラの姿だと、森の中を走るには大変そうだから、小回りが利く方がいい。
「東京校の皆とか、京都校の人たちの様子が分かったらいいのになぁ」
呪霊を見つけるのはグリムがやってくれるけど、人がどこの位置にいるのか分かれば、サポートも妨害もできるのに。
そう思いながら呟いたとき、ウエストポーチの中でコトリと何かが動く気配がした。
「……?」
気になって立ち止まり、ウエストポーチを開けて中身を取り出す。それは、神隠しから帰ってきたときに持っていた、2つのうちの1つ。錠前がついた、白い革表紙の本だ。無色透明のクリスタルみたいな石がはめ込まれていて、カッティングされた表面が、きらきらと光を反射する。
最初は寮の部屋に置きっぱなしだった。「ある日突然開けるようになるかもしれないから、なるべく肌身離さず持ってた方がいいよ」と五条先生に言われて、ウエストポーチに入れて持ち歩くようになったのだ。
「この本、さっき動いた……?」
手触りのいい表紙を撫でる。こういう魔導書ありそうだな、と思うようなデザインだ。サイズは、文庫本よりひと回りくらい大きい。
"私の出番のようだね! トリックスター"
そのとき、耳元で誰かが囁いた。
「ひゃっ!?」
右耳を押さえて勢いよく後ろを振り向く。グリムが不思議そうな顔で見上げてくるけど、気にする余裕は無かった。確かに声が聞こえたのに、私の後ろには誰もいない。
「だ、誰……!?」
"オーララ! 驚かせてしまったようだ。しかし、目を丸くした君もラパンのように愛らしいね"
フランス語を交えた、詩人のような言葉選び。歌うような話し方。こんな独特の雰囲気の人、一度聞いたら忘れるはずないのに、思い出せない。
"先ほど、仲間や相手の居場所を知りたいと思っただろう? それなら私の力が役に立てる。さあ、私の声に耳をすませて。呼吸を整えて……"
思い出せないけど、不思議と落ち着いていく。この声の持ち主は、頼れる人だ。そんな確信に近い感情から、目を閉じて、彼の声に集中する。
"ほら、私たちから逃げ切ってみせて"
「『
目を開けたとき、それは見えた。
ぽつぽつと足跡を辿るように、私たちがいるフィールドの地図と、皆がいる場所が。
「すごい……!」
"交流会が始まる前。お互いに顔を合わせた時。無意識のうちに、君の力を皆にかけていたようだね。その用意周到さ、実にトレビアン!"
ふわり、と体が温かさで包まれたような感覚がした。気づけば、声は聞こえなくなっていて、夢でも見ていたような気分になる。でも、他の人たちがどこにいるかは、見えたままだ。
伏黒くんと真希先輩がいる場所に、京都校の人が2人いる。パンダ先輩と野薔薇がいる場所にも、京都校の人が2人。
悠仁くんの相手をしているのは東堂さん。
京都校で単独行動をしているのは、真依さんかな。あ、狗巻先輩も1人で行動してる。
もしかして、パンダ先輩たちの方も、京都校の人たちが悠仁くんを手にかけようとしてることに気付いたのかな。
スマホを確認してみると、野薔薇からめちゃくちゃ着信が入っていた。気づかなくてごめん、野薔薇。
「ここは狗巻先輩と合流、かな」
「ふな〜っ!」
三級程度の、大きい蛾みたいな呪霊が現れる。グリムが吹いた青い炎が、呪霊を跡形もなく燃やしてくれた。
「ありがとう、グリム。行こう!」
「ふな!」
***
「すごい……」
少し身を縮こまらせるようにして、五条の隣に座っていた順平は、自然と身を乗り出すようにしてモニターが流す映像に釘付けになっていた。
森の中でも軽々と、大刀を振り回す真希。
式神を使いながら、自分も木製のトンファーで戦う伏黒。
京都校も含めて、歳が近い彼らが目を見張るような速さと動きで対決している。
術式はあれど、東京校に編入したばかりで、交流会に向けた特訓も何もしてこなかった順平は、今回は見学という形になっていた。
他の生徒たちの戦い方を見て、こういうときはどう動けばいいのか、自分がいたらどう動くかを頭の中でシミュレーションしていくのは、順平にとって勉強になっている。
「順平はさ、順平を殺さないように手加減できる立場だった悠仁を除けば、自分より弱い奴しか相手にしてこなかったでしょ」
「……はい」
五条にそう言われ、順平は思わずうつむく。
順平が術式を使えるようになったことで、順平をいじめてきた相手は、順平より下の立場に落ちた。呪術を使えず、呪いも見えない、弱い人間。力関係が逆転したのを、明確に感じ取っていたあの日を思い出す。
「そんなんじゃ、この世界を生きていけないからさ。今日は存分に吸収してね」
「……はい!」
本来なら、非術師を呪った順平は、呪詛師として処刑されてもおかしくなかった。今こうして呪術高専に通えているのは、呪霊にそそのかされた被害者だということと、五条の融通のおかげだ。
(同じ式神使いの伏黒くんを参考にしたいな)
そう思いながら、順平は改めて画面を食い入るように見つめた。悠仁が戦うところも見たいのだが、なぜか映像が切れるので叶わずじまいだった。
***
「先輩!」
銀色がかった白髪の彼を見つけ、声をかける。
狗巻先輩は振り向き、私に気づいて片手を上げた。
「虎杖くんが狙われてるかもしれないってことに、先輩たちも気づいたんですか?」
「しゃけ」
こくりと頷く狗巻先輩。「しゃけ」は肯定、「おかか」が否定だということは、彼と接する中で分かってきた。
「一緒に呪霊狩り、頑張りましょう!」
「しゃけ!」
2人でぱちんと手を合わせたとき、伏黒くんの玉犬が向こうから走ってきた。口に何かを咥えている。
「ちゃ、茶色い腕?」
生身の人の腕じゃなく、機械仕掛けの腕。もぎ取られたらしいその様子に、荒っぽい行為の気配を感じ取る。京都校にロボットみたいな人がいたけど、もしかしてその人のかな。
狗巻先輩が玉犬から腕を受け取り、その手に握られていたスマホを取る。操作しながら私を見て、口元に人差し指を当てるジェスチャーをしたため、私は自分の口を両手で押さえた。
着信音が響き、電話が繋がる音がする。
「はい、役立たず三輪です」
女の子の声で、ずいぶんと自虐的な切ない言葉が聞こえた後、狗巻先輩が口を開いた。
「眠れ」
数秒後、スースーと規則正しい呼吸音だけが聞こえてくる。それを確認してから、狗巻先輩は通話を切り、機械の腕をポイと地面に放った。
「戻れ」
彼が玉犬を撫でて呟くと、玉犬が影のようにかき消える。
「わぁお」
あまりのあっけなさに、不意打ちで敵の戦力を削った実感が遅れてやってくる。そのとき、木々の向こうから、嫌な気配がした。
「……先輩」
「こんぶ……」
狗巻先輩が私を庇うように腕を伸ばし、服のチャックに指をかける。草を踏む音が、だんだん近づいてくる。私も音の方向から目を離さずに、刀に手をかけた。
木の影から、呪霊が姿を現す。
しかし、呪霊が白目を向き、首だけがボールのように落ちて転がった。
これまで見てきた低級呪霊とは明らかに違うのに、やられている。一体誰が? いつの間に?
何かがおかしい。背筋がゾワゾワする。
「!!」
木々の間から、別の呪霊が姿を現す。人間だと目がある位置から、2本の枝が生えていた。がっちりした大きい体で、片腕は布のようなものでくるまれている。
「�����」
「しゃけ、いくら。明太子」
どっちも何言ってるかよく分からない。
でも、これだけは分かる。
逃げなきゃだめだ。
前に五条先生が話していた、未登録の特級呪霊。見せてくれた絵と、見た目がけっこう似てる。
相手の動きを止めて、2人で逃げる。そのために必要なのは……。
「『
ラフ・ウィズ・ミーじゃない、別の言葉が口から飛び出す。
次の瞬間、透き通ったガラスのような結界が現れ、呪霊をしっかりと閉じ込めた。
「狗巻先輩! 逃げましょう! 多分これ長くは持たないです!」