卵が割れるその前に
次から次へと、執拗に伸びてくるロープ状の腕。それらを虎杖は、拳や足を使って叩き落とし、佑は刀を振るって切り捨てていく。
少年院に行ったあの頃と比べると、2人とも格段に動けるようになっていた。言葉はなくても、自然と背中を預け合う。
突然、佑の方へ飛んできた腕が、空中でいきなり形を変えた。先の方がふたまたに分かれ、マジックハンドのように佑を捕らえようとする。
しかしそれは叶わなかった。
7:3の比率で、腕が断ち切られる。佑を庇うように割り込み、刀身をぐるぐる巻きにしたナタのような武器を振るったのは、白いスーツを着た1人の大人だった。
「ナナミン!」
虎杖が叫ぶ。異国の血が入っているのか、淡い金色の髪。振り向いた顔には、つるが無い珍しい形のサングラスをかけている。
「初めまして。一級呪術師の七海 建人といいます」
「えっ、あっ、初めまして! 東京校1年の佐藤 佑です」
戦いの場での自己紹介と挨拶に、佑は戸惑いながらも挨拶を返す。七海と名乗った彼は軽く頷いてから、今の状況を把握するための質問をした。
「説教と質問は後で。現状報告を」
「1人……助けられなかった……」
「まずは君たちの体のことを」
「俺は平気。いっぱい穴空いてっけど。あと学校の人らは全員体育館でぶっ倒れてる」
「私は大丈夫です。どこも怪我してません」
大丈夫という言葉の意味を正しく使っている佑に対し、他人を優先する虎杖は、何も平気に思えない回答をしていた。思わず七海は「……平気の意味」と密かに呟く。
「なんだ、ピンピンしてるじゃん。七三術師。ハグでもするかい? 再会を祝して」
人を小馬鹿にするような、馴れ馴れしい態度で笑う真人。そんな彼の鼻から、胸から、赤い血が垂れていることに七海は気づいた。
「虎杖くん、佐藤さん。あの血は」
「え、鼻の方は俺が殴った」
「胸の方は私の力です」
「いつ」
「いっちゃん最初」
「ついさっきです」
「奴の手に触れましたか」
「「うん/はい」」
それを聞いて七海が考えついたのは、2通りのパターン。
①虎杖と佑に真人の術式が効かない。
②真人に2人を殺せない理由がある。
どちらにしろ、こちらにとっては好都合だった。
「私の攻撃は奴に効きません。しかし、動きは止められます。それぞれが作った隙に、攻撃を畳み掛けていきましょう」
冷静沈着な声と指示に、虎杖と佑の表情も落ち着いていく。目の前の敵に改めて集中する。
「ここで確実に祓います」
「応!!」
「はい!」
***
1人だけでは、できることに限りがある。
佐藤 佑という少女は、そのことをよく知っていた。
どんなに才能豊かでも、頭脳明晰でも、運動神経に秀でていても、たった1人では少しのことしかできない。例えば、山火事に1滴の水を落としていくように。高い山から、袋1つの土を削り取っていくように。
賢い狼は群れで狩りをする。
他の誰かと協力して、自分ができることをして、誰かのできないことを補っていけば、どんなに高くて厚い壁だって乗り越えられるし壊せる。
「『
虎杖と七海が攻撃を当てやすいように、相手に自分と同じ動作を真似させる力を使って、真人の行動を封じる。
他の2人が戦いやすくなるための歯車のように、かちりと佑の行動が差し込まれる。時に2人が作ってくれた隙をついて、佑も攻撃に移る。
繰り返される打撃と斬撃。
身代わりを作る隙がなく、真人は次第に追い込まれていく。やがて、新鮮な「死」のインスピレーションが、彼の中に生まれた。
窮鼠猫を噛む、という言葉があるように、追い詰められたものは何をしてでも反撃に転じることがある。
邪魔をされないように、口の中に手を作り、真人は印を結んだ。
領域展開『自閉円頓裹』。
呪力で構築した生得領域内で、必殺の術式を必中必殺へと昇華する、呪術の極地。
領域展開に取り込まれた七海は、文字通り真人の手のひらの上に立っていた。
「小さく変形できたら、持って帰るのが楽なんだけど、できなかったからね。君を殺して戦力を削ってから、あの子を連れて行こうかな」
「あの子、とは?」
「"異郷からの生還者"、佐藤 佑のことだよ。俺も聞いた話だからよく知らないんだけど、さっき彼女の魂に触れて確信した。あれは俺たちの理解を超えたものだ」
楽しみにしていた玩具をもらった子どものように、真人は笑う。
「今はただ、君に感謝を」
「必要ありません。それはもう大勢の方に頂きました。悔いはない」
サングラスを外し、七海は微笑む。後悔がないという言葉の通り、穏やかに凪いだ瞳だった。
真人が無為転変を使おうとしたそのとき、向かい合う2人の間に、さらさらと砂がこぼれ落ちた。それから、バリンッとガラスを割るような音と共に、光と拳が差し込んでくる。
飛び込んできたのは、虎杖だった。
「言ったはずだぞ、二度はないと」
真人の領域に侵入するということは、魂に触れさせることと同義。そして虎杖の中には、触れてはいけない魂がある。
宿儺が指を軽く動かすと、真人の肩が、鋭く切り裂かれた。
***
「いたどりくんのばか、あほ、むちゃしたがり」
「いて、イテテ、痛い、痛いって佐藤。ごめんって」
里桜高校での戦いが終わり、遺体が安置されている部屋で七海と話した後、虎杖は佑と会っていた。
「生き返ったこと、彼女に話していなかったんでしょう。きちんと君の口から事情を説明してください」
そう七海に言われたこともあるが、虎杖自身も真人との戦いで、いろいろウヤムヤになっていたことを気にしていた。
だから佑と改めて顔を合わせた。すると虎杖の顔を見たとたん、堰を切ったように佑の両目から涙があふれ出した。
会うまでは感動の再会を想定していた虎杖も、さすがにやっちまったことを察した。させたかったのはこの顔じゃない。
冒頭の通り、佑は少ない語彙で虎杖を責めながら、ぽかすかと小さな拳を、虎杖の肩や胸に振り下ろす。怪我人の虎杖を意識しているのか、その力は意外と弱めだった。
「生きてること、黙っててすんませんでした」
佑の気が済むまで殴らせて、彼女が落ち着くのを待ってから、虎杖は上半身を綺麗な90度の角度で倒す。まだ、すんすんと鼻をすする音が聞こえてくる。
「俺もよく覚えてないんだけど、宿儺が心臓治してくれたっぽい。その後、五条先生と一緒に隠れて修行してました」
「……なるほど」
「佐藤の方は、今まで何かあった?」
「虎杖くんが寝てる間、七海さんからお説教があった」
"どんな戦況か分からないのに、帳が降りているからといって様子を見に行かないこと"
"せめて補助監督の方にはきちんと報告・連絡・相談をすること"
きちんとした正論がグサグサと刺さったが、こちらの目を真っ直ぐ見つめる様子からは、相手を案じている色が見えた。自分が優しいと自称するだけの大人よりも、ずっと信頼できると佑は感じた。
「他には、交流会のために、先輩たちと特訓してる。伏黒くんや野薔薇も頑張ってるよ」
「お、釘崎のこと名前で呼ぶようになったんだ」
「うん。お買い物に行ったりして仲良くなった」
ようやく佑の表情が和らいでくる。泣いて赤くなった目が、どれほど心配をかけていたのかを表しているようだった。
(もう、こんな顔させたくねーな)
「なあ、俺も佑って呼んでいい?」
「?」
「佐藤より、そっちの方が呼びやすいから」
「じゃあ、私も悠仁くんって呼ぶね」
ユウ。その名前を口にすると、映画の途中で寝落ちた時に見た夢を思い出す。佑の名前を呼んでいた2人の少年。それから、あの呪霊が言っていた、"異郷からの生還者"という言葉。
(佑の"神隠し"と関係あんのかな)
「なあ、佑……」
「どうかした?」
「……あー、や、何でもない」
もやもやした疑問を飲み込んで、虎杖はいつも通りの笑顔を見せる。
「交流会、頑張ろうな」
「うん!」
次の戦いに向けて、サイズが違う2人の拳が、こつんと合わさった。