何でもない日が一番



帳が降りて、空の色が淡い青から、紫がかった濃紺に変わる。

私と伏黒くんが任務で訪れたのは、かつて水族館として使われていた廃墟だった。呪霊のレベルは2級相当らしい。

「絶対仕留める」
「……お前、たまに好戦的な面が出るよな」

腰につけた日本刀の、白い柄に手を添えながら言うと、伏黒くんが意外そうにぼそりと呟く。
ちなみに日本刀にしたのは、呪術高専に置いてある武器が日本風のものばかりだったことと、初心者にとって両刃の剣よりも使いやすいと言われたことが理由だ。2年の先輩にも、刀を扱う人がいるらしい(確かオッコツ先輩と呼ばれていた)。

本当は騎士が使うようなロングソードとかレイピアに憧れてたけど、やっぱり自分が戦いやすいものじゃないとダメだね。

黒い玉犬を出した伏黒くんと中に入ると、ひんやりとした空気が体を包んだ。割れたガラスが散乱していて、主を失った空っぽの水槽がいくつも並んでいる。

靴の下でガラスの破片がぱきりと鳴る音や、ぎしりと床板が軋む音が響いた。

「ねえ伏黒くん。水族館だった場所に出る呪霊って、魚っぽい姿なのかな」
「そうとは限らない。商店街だった場所に、イワシの大群みたいな呪霊が現れることもある」
「なるほど。場所に合った呪霊が出るわけじゃないのか」

ぽんと手を打ったとき、玉犬が牙をむき出してグルルと唸り声を上げた。この子が警戒しているということは、この先に呪霊がいる。私は刀をすらりと抜いて構えた。

「行くぞ、佐藤」
「うん」

薄暗い奥から現れたのは、スライムみたいにヌメヌメしたものに覆われた呪霊だった。玉犬がそっちに飛びかかると、壁から別の呪霊が現れる。

「はっ!」

狭い屋内だと、体が大きいグリムやツノ太郎を出せないから、私自身の力量が問われる。
刀を振るい、まずは片腕を落とす。相手が攻撃に移る前に、距離を詰める。柄をしっかり握りしめ、肩から斜めに向けて切り下ろした。

紫色の体液が吹き出し、呪霊が動かなくなる。
よかった。ちゃんと動けてる。真希先輩がしごいてくれたおかげだ。ありがたい。

「無事か」
「うん、大丈夫。呪霊、まだいるかな?」
「一応他の場所も回るぞ」
「分かっ、────伏黒くん! 後ろ!」

呪霊を食べていた玉犬が顔を上げたのと、伏黒くんの背後の壁に輪郭が現れたのはほぼ同時だった。

ヤモリみたいな姿だけど、カメレオンみたいに壁の色に同化していて、気づけなかった。ぎょろりとした目が動き、伏黒くんに向けて赤黒い針を数本吐き出す。

伏黒くんとの距離は離れてる。ここからじゃ走っても間に合わない! せめて相手の攻撃を逸らせたら……!

振り向いた伏黒くんの体に、目に、針が。


「っ『巻きつく尾バインド・ザ・ハート』!」


叫ぶと、針が空中でぎゅいんと方向を変える。そしてズガアン! とすごい音を立てて、ヤモリ呪霊が現れた壁に穴が開けられた。

あんな威力のものが伏黒くんに当たってたら。
そう思うと背中がゾッとした。

「玉犬!」

伏黒くんが呼んだ瞬間、玉犬がヤモリ呪霊の首を噛みちぎる。

「悪い、助かった」
「いえいえ。無事でよかった」
「……発現した術式は、これで3つめか? 確か禪院先輩と手合わせしてた時も、1つ発動してたよな」
「うん。あの時はびっくりしたよ」



あれは真希先輩から、なかなか1本取れなくて、ぽかすか叩かれてばかりの時だった。
面を狙うふりをして、竹刀を素早く持ち替える。すぐに横からの打撃に移ったから、真希先輩の目がほんの少し見開かれた。

───────取った!

「『しっぺ返しベット・ザ・リミット』!」

頭の中に流れ込んできた言葉を唱える。
呪力が膨らみ、青い炎みたいに熱く揺れる。

その時、真希先輩が持っていた棒で、竹刀の方向を逸らした。ドォン! と何かが爆ぜたような衝撃が起こり、体が吹き飛ばされる。

とっさに体を丸く縮こまらせて、ゴロゴロ転がった私に対し、真希先輩は空中で何度かクルクルと回転してから、スタッと華麗に着地した。

「こ、今度こそいけたと思ったのに……。直撃しなかったとはいえ、あの衝撃を受けてすぐに体勢を立て直した真希先輩すごいです……」
「悔しがるか褒めるかどっちかにしろ。さっきの攻撃、また術式に目覚めたのか?」
「そうみたいです……あたた」



「自分が蓄積したダメージを、相手に一気に返す力だったか」
「そうそう。でも実戦で使えるかは分からないかもしれない。戦ってる時は、私がダメージ受ける前に茨が出てきちゃうんだよね」

そう。呪霊に襲われそうになった時も、銃口を向けられた時も、体から生えてきた黒い茨が私を守ってくれた。痛くないのは助かるけど、それじゃベット・ザ・リミットを使いこなせない。

「茨が受けたダメージをカウントできるといいんだけど……。もしくは茨を引っ込める練習をするか……」
「それは勧めない。反転術式を自力で使えない以上、怪我すること前提の攻撃を試すのは危険だ」
「……そうだね。命あっての物種だもんね」

伏黒くんが玉犬を連れて、奥に向かって歩き出す。刀を振って呪霊の体液を落としてから、私も後を追いかけた。

***

廃墟にいた呪霊を残さず祓い終えて、補助監督さんとの待ち合わせ場所に向かう。その前に、私は1軒のお菓子屋さんに立ち寄った。

「何買ったんだ?」
「クッキーの詰め合わせ。前に野薔薇が欲しがってたんだ。寄れてよかったー」

美人な白猫が描かれた丸いクッキー缶は、大事に取っておきたくなるくらいオシャレで、野薔薇の好みにピッタリだ。中身も木苺やショコラ、ナッツやピスタチオ等、いろんな味があるらしい。

「佐藤は買わなかったのか?」
「? うん」
「……甘いもの苦手なのか?」
「ううん、好きだよ。今はちょっと手持ちが無いだけで」
「……そうか」

伏黒くん、どうしたんだろう。何か考え込んでるみたいだけど。
首を傾げながら待っていると、伏黒くんはファンシーな外観のお菓子屋さんに目を向け、眉を寄せた。ためらうような素振りを見せてから、伏黒くんが口を開く。

「……行くぞ」
「あ、伏黒くんもお菓子食べたいの?」
「違う。俺のじゃない」
「???」
「…………その、今日はよくやった、から。佐藤が食べたいの選べよ」
「上司かな? ……えっ、伏黒くんの奢り?! そんなの悪いよ! お金が絡むことだし!」
「釘崎には買ってるだろ」
「それは私がしたいからしてるだけで」
「ならこれも、俺がしたいからしてるだけだ」

あれ、伏黒くん、こんなに押し強かったっけ?
冷静沈着でちょっとドライで、でも庇ってくれたり、買い物を待っててくれたり、優しいところもある印象だった。何か意外。

「そ、それじゃあゴチになります」

伏黒くんともう一度店内に入り、ショーケースに並んだお菓子を眺める。野薔薇とおそろいもいいけど、どうしようかな……。

「あ、これがいい」

私が指さしたのは、細長い缶だった。群青色の地にビジューがついていて、宝石箱みたいに綺麗。中にはハート型やジャムがついたもの等、可愛いデザインのクッキーが詰まっている。

伏黒くんがお金を払ってくれて、お店から出た後に紙袋を渡してくれた。

「ありがとう、伏黒くん。大事に食べるね」
「……ああ。早く待ち合わせ場所行くぞ」
「うん!」

野薔薇へのお土産と、伏黒くんが買ってくれたお土産を大事に抱えて、歩き出す。何だか伏黒くんと、少し距離が近づいた気がした。
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