出会い編
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早いもので、明日でもう三月だ。
桜はまだ蕾のまま、芽吹く気配すら見えないが私の筆は蕾すら出てくる気配がない。
まるで銀さんに出会ったあの冬のようだとぼんやり思い出しながら、ベッドに倒れ込んだら手の中から万年筆が転がり落ちた。
こちらへ住み始めてから、ひと月ほどになるだろうか。
引越しは万事屋で手伝うと言われていたが、当日は銀さんだけが軽トラックに乗ってやってきた。
二人がいても騒がしくなるだけだから、などと言われたが新八くんはむしろ戦力になりそうなのにと思ったのは記憶に新しい。
更に隣近所への挨拶は何故か銀さんがついて回り、やけに彼の顔見知りの多いことと思えばそれもそのはず、なんとこの部屋は万事屋の裏通りに建っていたのだ。
それで通いやすくなったのか銀さんが立ち寄る回数も少しだけ増え、喜んでいたのが数日前までのこと。
現在、私の心は穏やかではない。
その数日前、たまたま神楽ちゃんの姿を見かけ、近所へ引っ越したことを告げようと声をかけた瞬間の事だった。
「最近銀ちゃん、仕事以外でも出かけてていーーーっつも居ないアル!きっと女遊びしてるに違いないヨ!ぽん子、銀ちゃんにちょっと言ってやってヨ!」
私の顔を見るやいなや彼女は鼻息を荒くし一方的に告げると、ぷりぷりと怒りを露わに立ち去ってしまった。
女遊びというあまりに予想外の言葉に呆然とした私は銀さんの顔を見たい気持ちとそう思えない気持ちの中で数日を過ごし、きっとまた私を心配して会いに来てくれた銀さんから仕事を盾に逃げ出してしまった。
「集中したいからしばらく訪問を控えてください、なんて言っておいて全く集中出来ない……」
天井の染みを眺めながら呟くと、頑張りすぎるなよ、と気遣ってくれた銀さんの声が少し寂しそうだったことを思い出してちくりと胸が痛む。
銀さんの周りはいつだって賑やかで、彼も困っている人や他人を放ってはおけない性格だろうから、神楽ちゃんが言うような女遊びでなくても忙しい人なんだろう。
私はきっとその中の一人で、自分でも恋という気持ちを理解出来てもいない中、折られてしまう可能性の方が大いに有り得るうちは出る杭にはなれない。
神楽ちゃんの言う「ちょっと言ってやる」なんて事ができる立場にはなれそうにない。
「弱い…」
そして弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、この落ち込んでいる間に雑誌に掲載する短文を書いてくれないかとの打診があった。
普段ならば喜ぶところだが、何せ持ち込まれたのが色恋話と己を悩ます原因のもの。
ひと月…せめて数週間前の浮かれていた時に…と溜息をつきそうになったが引越しだ何だと迷惑をかけた身としては、決して口に出してはいけないとその言葉を大人しく飲み込み首を縦に振った。
「とはいったものの…色恋話……」
体験談を元にでも作り話でも何でもいいから五回ほど書いてくれと言われたが、体験の元となりそうなものは銀さんとの出会いから今このどん底の気分ぐらいなものだ。
かといって想像したくて目を閉じてしみても、今は何も浮かばない。
「会いたい、けど、会って……」
私は何を言えばいいのだろうか。
笑って居られるだろうか。
今はそれを考えても仕方ないと体を起こし、まっさらの紙へと向き直り転がり落ちた万年筆を優しく擦ると無機質な着信音がパソコンから小さく呼びかけてきた。
担当者からのメールには珍しく私を心配するような文面が並んでおり、最後には明るく締めくくられていた。
「先生なら大丈夫です、かぁ」
珍しいこともあるものだと鼻で笑ってしまったが、彼なりの気遣いを無下にはできない。
伸びきったままの髪を流すよう左肩で一つに括り、パソコンは開いたままに万年筆を握り直した。
何度か繰り返していたのを知らぬふりで通していたが、大きくぐうと響いたお腹の音に筆を置いた私は、ようやく原稿を仕上げ終わってホッと息を吐いた。
仕事を受けてから三週間、ずっと家にこもりながら書き続けていた私はすっかり以前の暮らしぶりに戻っていた。
担当者に言われて買ったスキャナーと呼ばれる機械に原稿を読み込ませ、最後の項を確認して送信すれば、しばらくして返事が届いた。どうやら一応、私の仕事は無事に終われたようだ。
やれやれと重い腰をあげ、数日ぶりに開けた窓から新鮮な空気を吸い込んでいると、格子の隙間からヒラヒラと花びらが一枚入り込んできた。
それを手に改めて窓の外の町並みを見てみれば辺りはすっかり桜の淡い色に染まっており、空を見上げながら歩く人々が目に飛び込んできて驚く。
「蕾だったのに、早いなぁ…」
すっかり春らしくなった景色に取り残されたようで、そっと窓を閉めようとした時チラリと銀色の姿が視界に入ったような気がして慌てて窓を開けたが、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
こうも気になるのなら、いっそ好い人は居るのか聞いてみた方が良いのかもしれない。はっきり聞いてしまえば彼の答えが例え望まぬ物だったとしても、それは時間が解決してくれるだろう。
「…私の気持ちは……伝わらなくても、どっちでも、いいや……」
込み上げた何かに目頭が熱くなり、慌てて窓を閉めようとした瞬間、ひらりと入り込んできた一枚の桜の花びらに私は気付くこと無く、ぴしゃりと窓を閉じてしまった。
桜はまだ蕾のまま、芽吹く気配すら見えないが私の筆は蕾すら出てくる気配がない。
まるで銀さんに出会ったあの冬のようだとぼんやり思い出しながら、ベッドに倒れ込んだら手の中から万年筆が転がり落ちた。
こちらへ住み始めてから、ひと月ほどになるだろうか。
引越しは万事屋で手伝うと言われていたが、当日は銀さんだけが軽トラックに乗ってやってきた。
二人がいても騒がしくなるだけだから、などと言われたが新八くんはむしろ戦力になりそうなのにと思ったのは記憶に新しい。
更に隣近所への挨拶は何故か銀さんがついて回り、やけに彼の顔見知りの多いことと思えばそれもそのはず、なんとこの部屋は万事屋の裏通りに建っていたのだ。
それで通いやすくなったのか銀さんが立ち寄る回数も少しだけ増え、喜んでいたのが数日前までのこと。
現在、私の心は穏やかではない。
その数日前、たまたま神楽ちゃんの姿を見かけ、近所へ引っ越したことを告げようと声をかけた瞬間の事だった。
「最近銀ちゃん、仕事以外でも出かけてていーーーっつも居ないアル!きっと女遊びしてるに違いないヨ!ぽん子、銀ちゃんにちょっと言ってやってヨ!」
私の顔を見るやいなや彼女は鼻息を荒くし一方的に告げると、ぷりぷりと怒りを露わに立ち去ってしまった。
女遊びというあまりに予想外の言葉に呆然とした私は銀さんの顔を見たい気持ちとそう思えない気持ちの中で数日を過ごし、きっとまた私を心配して会いに来てくれた銀さんから仕事を盾に逃げ出してしまった。
「集中したいからしばらく訪問を控えてください、なんて言っておいて全く集中出来ない……」
天井の染みを眺めながら呟くと、頑張りすぎるなよ、と気遣ってくれた銀さんの声が少し寂しそうだったことを思い出してちくりと胸が痛む。
銀さんの周りはいつだって賑やかで、彼も困っている人や他人を放ってはおけない性格だろうから、神楽ちゃんが言うような女遊びでなくても忙しい人なんだろう。
私はきっとその中の一人で、自分でも恋という気持ちを理解出来てもいない中、折られてしまう可能性の方が大いに有り得るうちは出る杭にはなれない。
神楽ちゃんの言う「ちょっと言ってやる」なんて事ができる立場にはなれそうにない。
「弱い…」
そして弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、この落ち込んでいる間に雑誌に掲載する短文を書いてくれないかとの打診があった。
普段ならば喜ぶところだが、何せ持ち込まれたのが色恋話と己を悩ます原因のもの。
ひと月…せめて数週間前の浮かれていた時に…と溜息をつきそうになったが引越しだ何だと迷惑をかけた身としては、決して口に出してはいけないとその言葉を大人しく飲み込み首を縦に振った。
「とはいったものの…色恋話……」
体験談を元にでも作り話でも何でもいいから五回ほど書いてくれと言われたが、体験の元となりそうなものは銀さんとの出会いから今このどん底の気分ぐらいなものだ。
かといって想像したくて目を閉じてしみても、今は何も浮かばない。
「会いたい、けど、会って……」
私は何を言えばいいのだろうか。
笑って居られるだろうか。
今はそれを考えても仕方ないと体を起こし、まっさらの紙へと向き直り転がり落ちた万年筆を優しく擦ると無機質な着信音がパソコンから小さく呼びかけてきた。
担当者からのメールには珍しく私を心配するような文面が並んでおり、最後には明るく締めくくられていた。
「先生なら大丈夫です、かぁ」
珍しいこともあるものだと鼻で笑ってしまったが、彼なりの気遣いを無下にはできない。
伸びきったままの髪を流すよう左肩で一つに括り、パソコンは開いたままに万年筆を握り直した。
何度か繰り返していたのを知らぬふりで通していたが、大きくぐうと響いたお腹の音に筆を置いた私は、ようやく原稿を仕上げ終わってホッと息を吐いた。
仕事を受けてから三週間、ずっと家にこもりながら書き続けていた私はすっかり以前の暮らしぶりに戻っていた。
担当者に言われて買ったスキャナーと呼ばれる機械に原稿を読み込ませ、最後の項を確認して送信すれば、しばらくして返事が届いた。どうやら一応、私の仕事は無事に終われたようだ。
やれやれと重い腰をあげ、数日ぶりに開けた窓から新鮮な空気を吸い込んでいると、格子の隙間からヒラヒラと花びらが一枚入り込んできた。
それを手に改めて窓の外の町並みを見てみれば辺りはすっかり桜の淡い色に染まっており、空を見上げながら歩く人々が目に飛び込んできて驚く。
「蕾だったのに、早いなぁ…」
すっかり春らしくなった景色に取り残されたようで、そっと窓を閉めようとした時チラリと銀色の姿が視界に入ったような気がして慌てて窓を開けたが、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
こうも気になるのなら、いっそ好い人は居るのか聞いてみた方が良いのかもしれない。はっきり聞いてしまえば彼の答えが例え望まぬ物だったとしても、それは時間が解決してくれるだろう。
「…私の気持ちは……伝わらなくても、どっちでも、いいや……」
込み上げた何かに目頭が熱くなり、慌てて窓を閉めようとした瞬間、ひらりと入り込んできた一枚の桜の花びらに私は気付くこと無く、ぴしゃりと窓を閉じてしまった。