ぼくらのプリズム
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第5話 芽吹
8月上旬。友香里と麻衣は、教科書と問題集とノートをローテーブルの上に広げながら、ああでもないこうでもないと唸っていた。夏休みの宿題が大量に出されたのだ。一人では勉強が捗らず、友香里は親友の麻衣に連絡をして、友香里の部屋で勉強会をすることにしたのだ。麻衣が初めて白石家を訪れたのは、風邪を引いた友香里を見舞った時だったが、あの日を機に麻衣は何度か白石家を訪ねていたので、友香里の部屋で勉強したり遊んだりすることには大分慣れてきていた。が、今日は少し緊張している。なぜなら、友香里の兄・白石蔵ノ介が在宅だからだ。
最寄駅まで迎えに来てくれた友香里と一緒に白石家に入ると、リビングに私服姿の白石を見つけた。白石も麻衣に気づいたのか「あれ、麻衣ちゃんやん」と声をかけたので、麻衣は恭しく頭を下げた。
「今日、麻衣と勉強会すんねん」
「へえ、偉いやん。オカンも姉ちゃんもおらんけど、代わりに何か飲みもんとか持っていこか?」
「ええよ。私がやる」
「……大丈夫か?こぼさへんか心配やわ」
「クーちゃんは過保護やねん。私ももう中学生やで?」
そんな兄妹の会話を聞きながら、麻衣はほっこりする。なんだかんだ仲ええよなあ、友香里と白石先輩。
というわけで、友香里の部屋の隣の部屋が、白石の私室だ――麻衣が白石家に来るとき、大抵白石は部活で留守にしていた。けれど、今日は壁を隔ててすぐそばに白石がいるかもしれない。特に聞かれてまずい話をするわけではないけれど、会話の内容も筒抜けかもしれないので、麻衣はいつもよりも言葉に気を付けることにした。
「……あ~わからへん」
「ん、友香里、どないしたん?」
「この問2の問題、麻衣はわかる?」
「あ。これ、凸レンズの問題やんな。焦点距離の内側にロウソク置くと……」
そのような感じでなんとか二人で理科の問題集を解いていたのだが、ついに、二人とも解けない難問に出会ってしまった。難関私立高校の入試問題がベースとなっている問題だ。
「――やっぱり今の私たちには難しすぎるんちゃう?」
ため息をつく麻衣に対し、友香里は諦めていなかった。
「いや、私たちにはとっておきの切り札がある!」
「切り札?」
「クーちゃんやったら解けるかもしれへん。聞いてみよ?」
友香里はそう言うと立ち上がってあっという間に部屋を出て行った。そして、友香里は部屋のドアを開けたままだったため、隣の部屋で行われている兄妹の会話を、麻衣の耳でも捉えることができた。
「クーちゃん!」
「っわ、友香里!いつもノックしてから入りや言うてるやろ」
「あーごめん。そんなことよりクーちゃんにお願いがあんねん」
「? お願い?」
「理科、教えて!麻衣と二人で躓いてもうてん。クーちゃん理科得意やろ?」
「――まあ、確かに苦手ではないけどな」
「助けてくれへん?私だけやなくて、麻衣も困っとるし」
「……麻衣ちゃんの名前出したら俺がすぐ助ける思って。ほんまずるい妹やな」
白石は、この要領の良い妹を尊敬していた。こうやって人に甘えたり頼ったりすることは、自分自身は得意ではない。宿題は自分で解くからこそ意味があるとは思うが、今回、友香里は『答え』を教えろとは言っていないし、あくまで考え方をアシストするくらいであれば――。そう思い、白石は腰を上げて、友香里の部屋へ移動することにした。
「麻衣、クーちゃん連れてきたで!」
「わ、白石先輩。わざわざすみません……!」
「ええよ。で、どの問題なん?」
「この問8やねんけど……」
友香里の部屋のローテーブルの脇にやってきた白石は、そのテーブルの上に並べられたその問題を見て「……こらムズイで。ちょお待ってや」と真剣な表情をする。
「クーちゃんでも難しいんやったら私に解けるわけないやん」
「こら。諦めたらそこで試合終了やで」
問題に真剣に向き合う白石は何やら小声で呟きながら、友香里の問題集に印刷された凸レンズの図に定規で直線を引く。その真剣な表情に、麻衣も隣から白石の手元をのぞき込んだ。どうやったらこの問題が解けるのだろう。そんなとき、友香里は言う。
「クーちゃん解いとる間にみんなの分新しい飲み物取ってくる。クーちゃんも何か飲むやろ?」
「お、気ぃ利くやん。麦茶でええで」
「麻衣は?」
「えっ。なんでもええよ」
「ほな、麦茶3人分な。あとお菓子も取ってこよ」
「友香里、私も手伝おか?」
「一人で大丈夫。その代わり、麻衣はクーちゃんから解説聞いといて!」
空になった二人分のコップとお菓子の入っていたカゴをトレイの上に乗せた友香里は、そのままトレイを持って部屋を出て行った。しかも今度はちゃんと部屋のドアを閉めたから、意図せず白石と麻衣は友香里の部屋で二人きりとなる。麻衣は急に緊張した。白石とはまだ数回しかきちんと会話をしたことがない。
「ほーなるほど。わかったわ。ちょお工夫が必要やな」
「えっ、解けたんですか。すごい!」
「答え言うたら何の勉強にもならんから、まずヒントだけな。まず焦点距離の2倍のところにロウソク置くと――」
白石のヒントをもとに麻衣は自分のノートにシャープペンを走らせて問題を解いていく。問題に集中しているうちに、白石と二人きりになったことによる緊張はどこかへ消えていった。そして。
「あっ、なるほど!わかったぁ!」
難問を解くことができた感動で、思わず大きな声を出してしまった。そんな麻衣に、白石は「お、解けそうやなぁ。すごいやん」と微笑む。その白石の大人な反応を見て、麻衣は一気に恥ずかしくなった。
「……わ、すみません、はしゃいでもうて……教えてくださってありがとうございます」
「ええやん。麻衣ちゃん、ちゃんと年相応なとこあるんや。可愛えなぁ」
「……ふぇ、?!」
不意に放たれた『可愛い』という言葉に、麻衣はどうしていいかわからず、ただただ頬が熱を帯びていくのを感じていた。白石のことだ、他意はなくただ妹を可愛いと思うような気持ちで発した言葉とは思っている。が、だとしても、異性からそんな言葉は言われ慣れていない。おそらく赤くなっているであろう頬を隠したいが、隠せる距離でもない。白石はそんな麻衣を見て、楽しそうに笑う。
「またわからんとこあったら聞いてな」
「はい。友香里がうらやましいです。私にもこんなお兄ちゃんおったらなぁ」
そんなとき、部屋のドアの向こう側から友香里の声がした。
『クーちゃん!開けて!両手ふさがっとんねん』
「はいはい。待ちや」
白石はそのまま立ち上がって部屋のドアを開ける。するとその向こうには3人分の麦茶とお菓子を載せたトレーを持った友香里が立っていた。
「麻衣、解けた?」
「うん。白石先輩のおかげでばっちり」
「さすがクーちゃん!助かるわ」
「ほな俺は部屋戻ろかな」
「えー?せっかくクーちゃんの分も麦茶持ってきたのに」
「女の子2人でおる中、俺おったら邪魔やろ。麦茶おおきにな。もらってくわ。また俺に聞きたいこと出てきたらそん時呼んでや」
友香里がローテーブルの上にトレーを置くと、白石はそこから麦茶の入ったコップを一つ取って、そのまま友香里の部屋を出て行った。
*
自室に戻った白石は、自分自身に驚いていた。麻衣と2人きりだった時間はものの数分のことだ。それまで麻衣のことは、妹の友達であり、それ以上でもそれ以下でもないと思っていた。だが。
――年相応に可愛えとこあるんやな、麻衣ちゃん。
麻衣と会話したことはそんなに多くはなかったが、その人となりは把握したつもりだ。友香里と同い年とは思えないほど、年齢よりずっとしっかりしていて、考え方も大人びている子と思っていた。ただ、問題が解けて無邪気に喜ぶ姿とその表情は、それまでの彼女のイメージとはギャップが大きく、素直に可愛いと思ってしまった。
最初はその『可愛い』と思った感情は、友香里に対して抱く感情、妹を愛でるときの感情と近しいものと思っていたのだが。
『私にもこんなお兄ちゃんおったらなぁ』。彼女がなんの気無しに発したであろうこの言葉に、少しがっかりしている自分に気がつく。自分の感情に鈍い方ではない。だからこそ白石は驚きを隠せなかった。
――嘘やろ。俺、もしかして、麻衣ちゃんのこと、女の子として気になりはじめてるんちゃうか。
2022.1.4
8月上旬。友香里と麻衣は、教科書と問題集とノートをローテーブルの上に広げながら、ああでもないこうでもないと唸っていた。夏休みの宿題が大量に出されたのだ。一人では勉強が捗らず、友香里は親友の麻衣に連絡をして、友香里の部屋で勉強会をすることにしたのだ。麻衣が初めて白石家を訪れたのは、風邪を引いた友香里を見舞った時だったが、あの日を機に麻衣は何度か白石家を訪ねていたので、友香里の部屋で勉強したり遊んだりすることには大分慣れてきていた。が、今日は少し緊張している。なぜなら、友香里の兄・白石蔵ノ介が在宅だからだ。
最寄駅まで迎えに来てくれた友香里と一緒に白石家に入ると、リビングに私服姿の白石を見つけた。白石も麻衣に気づいたのか「あれ、麻衣ちゃんやん」と声をかけたので、麻衣は恭しく頭を下げた。
「今日、麻衣と勉強会すんねん」
「へえ、偉いやん。オカンも姉ちゃんもおらんけど、代わりに何か飲みもんとか持っていこか?」
「ええよ。私がやる」
「……大丈夫か?こぼさへんか心配やわ」
「クーちゃんは過保護やねん。私ももう中学生やで?」
そんな兄妹の会話を聞きながら、麻衣はほっこりする。なんだかんだ仲ええよなあ、友香里と白石先輩。
というわけで、友香里の部屋の隣の部屋が、白石の私室だ――麻衣が白石家に来るとき、大抵白石は部活で留守にしていた。けれど、今日は壁を隔ててすぐそばに白石がいるかもしれない。特に聞かれてまずい話をするわけではないけれど、会話の内容も筒抜けかもしれないので、麻衣はいつもよりも言葉に気を付けることにした。
「……あ~わからへん」
「ん、友香里、どないしたん?」
「この問2の問題、麻衣はわかる?」
「あ。これ、凸レンズの問題やんな。焦点距離の内側にロウソク置くと……」
そのような感じでなんとか二人で理科の問題集を解いていたのだが、ついに、二人とも解けない難問に出会ってしまった。難関私立高校の入試問題がベースとなっている問題だ。
「――やっぱり今の私たちには難しすぎるんちゃう?」
ため息をつく麻衣に対し、友香里は諦めていなかった。
「いや、私たちにはとっておきの切り札がある!」
「切り札?」
「クーちゃんやったら解けるかもしれへん。聞いてみよ?」
友香里はそう言うと立ち上がってあっという間に部屋を出て行った。そして、友香里は部屋のドアを開けたままだったため、隣の部屋で行われている兄妹の会話を、麻衣の耳でも捉えることができた。
「クーちゃん!」
「っわ、友香里!いつもノックしてから入りや言うてるやろ」
「あーごめん。そんなことよりクーちゃんにお願いがあんねん」
「? お願い?」
「理科、教えて!麻衣と二人で躓いてもうてん。クーちゃん理科得意やろ?」
「――まあ、確かに苦手ではないけどな」
「助けてくれへん?私だけやなくて、麻衣も困っとるし」
「……麻衣ちゃんの名前出したら俺がすぐ助ける思って。ほんまずるい妹やな」
白石は、この要領の良い妹を尊敬していた。こうやって人に甘えたり頼ったりすることは、自分自身は得意ではない。宿題は自分で解くからこそ意味があるとは思うが、今回、友香里は『答え』を教えろとは言っていないし、あくまで考え方をアシストするくらいであれば――。そう思い、白石は腰を上げて、友香里の部屋へ移動することにした。
「麻衣、クーちゃん連れてきたで!」
「わ、白石先輩。わざわざすみません……!」
「ええよ。で、どの問題なん?」
「この問8やねんけど……」
友香里の部屋のローテーブルの脇にやってきた白石は、そのテーブルの上に並べられたその問題を見て「……こらムズイで。ちょお待ってや」と真剣な表情をする。
「クーちゃんでも難しいんやったら私に解けるわけないやん」
「こら。諦めたらそこで試合終了やで」
問題に真剣に向き合う白石は何やら小声で呟きながら、友香里の問題集に印刷された凸レンズの図に定規で直線を引く。その真剣な表情に、麻衣も隣から白石の手元をのぞき込んだ。どうやったらこの問題が解けるのだろう。そんなとき、友香里は言う。
「クーちゃん解いとる間にみんなの分新しい飲み物取ってくる。クーちゃんも何か飲むやろ?」
「お、気ぃ利くやん。麦茶でええで」
「麻衣は?」
「えっ。なんでもええよ」
「ほな、麦茶3人分な。あとお菓子も取ってこよ」
「友香里、私も手伝おか?」
「一人で大丈夫。その代わり、麻衣はクーちゃんから解説聞いといて!」
空になった二人分のコップとお菓子の入っていたカゴをトレイの上に乗せた友香里は、そのままトレイを持って部屋を出て行った。しかも今度はちゃんと部屋のドアを閉めたから、意図せず白石と麻衣は友香里の部屋で二人きりとなる。麻衣は急に緊張した。白石とはまだ数回しかきちんと会話をしたことがない。
「ほーなるほど。わかったわ。ちょお工夫が必要やな」
「えっ、解けたんですか。すごい!」
「答え言うたら何の勉強にもならんから、まずヒントだけな。まず焦点距離の2倍のところにロウソク置くと――」
白石のヒントをもとに麻衣は自分のノートにシャープペンを走らせて問題を解いていく。問題に集中しているうちに、白石と二人きりになったことによる緊張はどこかへ消えていった。そして。
「あっ、なるほど!わかったぁ!」
難問を解くことができた感動で、思わず大きな声を出してしまった。そんな麻衣に、白石は「お、解けそうやなぁ。すごいやん」と微笑む。その白石の大人な反応を見て、麻衣は一気に恥ずかしくなった。
「……わ、すみません、はしゃいでもうて……教えてくださってありがとうございます」
「ええやん。麻衣ちゃん、ちゃんと年相応なとこあるんや。可愛えなぁ」
「……ふぇ、?!」
不意に放たれた『可愛い』という言葉に、麻衣はどうしていいかわからず、ただただ頬が熱を帯びていくのを感じていた。白石のことだ、他意はなくただ妹を可愛いと思うような気持ちで発した言葉とは思っている。が、だとしても、異性からそんな言葉は言われ慣れていない。おそらく赤くなっているであろう頬を隠したいが、隠せる距離でもない。白石はそんな麻衣を見て、楽しそうに笑う。
「またわからんとこあったら聞いてな」
「はい。友香里がうらやましいです。私にもこんなお兄ちゃんおったらなぁ」
そんなとき、部屋のドアの向こう側から友香里の声がした。
『クーちゃん!開けて!両手ふさがっとんねん』
「はいはい。待ちや」
白石はそのまま立ち上がって部屋のドアを開ける。するとその向こうには3人分の麦茶とお菓子を載せたトレーを持った友香里が立っていた。
「麻衣、解けた?」
「うん。白石先輩のおかげでばっちり」
「さすがクーちゃん!助かるわ」
「ほな俺は部屋戻ろかな」
「えー?せっかくクーちゃんの分も麦茶持ってきたのに」
「女の子2人でおる中、俺おったら邪魔やろ。麦茶おおきにな。もらってくわ。また俺に聞きたいこと出てきたらそん時呼んでや」
友香里がローテーブルの上にトレーを置くと、白石はそこから麦茶の入ったコップを一つ取って、そのまま友香里の部屋を出て行った。
*
自室に戻った白石は、自分自身に驚いていた。麻衣と2人きりだった時間はものの数分のことだ。それまで麻衣のことは、妹の友達であり、それ以上でもそれ以下でもないと思っていた。だが。
――年相応に可愛えとこあるんやな、麻衣ちゃん。
麻衣と会話したことはそんなに多くはなかったが、その人となりは把握したつもりだ。友香里と同い年とは思えないほど、年齢よりずっとしっかりしていて、考え方も大人びている子と思っていた。ただ、問題が解けて無邪気に喜ぶ姿とその表情は、それまでの彼女のイメージとはギャップが大きく、素直に可愛いと思ってしまった。
最初はその『可愛い』と思った感情は、友香里に対して抱く感情、妹を愛でるときの感情と近しいものと思っていたのだが。
『私にもこんなお兄ちゃんおったらなぁ』。彼女がなんの気無しに発したであろうこの言葉に、少しがっかりしている自分に気がつく。自分の感情に鈍い方ではない。だからこそ白石は驚きを隠せなかった。
――嘘やろ。俺、もしかして、麻衣ちゃんのこと、女の子として気になりはじめてるんちゃうか。
2022.1.4
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