本編
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最終話 もう一度君の名を呼ぶ
長いと思っていた夏も、すべて終わってしまった今からしてみれば、あっという間だった。
引退式の後には、謙也の企画で、3年レギュラーに財前と支倉と金太郎を加えたいつものメンバーでカラオケに行くことになっていた。しかし、その前に次期部長の財前との引き継ぎがある。
「ほな、俺ら先行ってるで!」
謙也はそう言い残して、他のメンバーといっしょに部室を出て行った。部室に残された財前と俺はさっそく引き継ぎをはじめる。とはいえ、毎日部長の俺を見てきた財前なら、言わなくても仕事の中身くらいわかっているだろう。おそらく説明をする俺も、説明を受ける財前も同じ気持ちだった。
「ここまで説明したのはええねんけど……ほんま、形式的な引き継ぎやんな」
「同感っすわ」
「まともに引き継ぐモンはこれくらいしかないなぁ。滑り悪いから最初イライラするかもしれへんけど、すぐ慣れると思うで」
手に持っていたそれは、チャリ、という金属音を立てて、財前の手へと渡る。
財前は自分の手のひらに乗っているそれを一瞥すると、予想外の行動に出た。
「――これは、まだ部長が持っといてください。後で合流したときにでも渡してくれればいいんで」
「は?」
「謙也さんの言葉を借りると、要は最後にみんなで『お膳立てしておいたで』ってことすわ。ちなみに発起人は小春先輩とユウジ先輩なんであとで何かおごったほうがええんちゃいます?ほな、俺はこれで」
財前は部室の鍵を俺に強制的に押し付けて、そのまま部室を飄々と出て行った。
「みんなでお膳立て、て、空気読みすぎやろ……」
思わず独り言が出る。部室の片隅に支倉の鞄がそのまま置かれていることには、気づかないふりをしていた。
彼女が今どこで何をしているかは知らない。しかし、まだ校内にいることは確かだ。きっと支倉は、そのうち部室に戻ってくる。
*
「あ、支倉!オサムちゃんが、引退式の片づけ終わったあとでええから職員室来い言うてたで」
謙也先輩のそんな真っ赤な嘘を、私は信じてしまった。片づけが終わったあとに職員室に行くと、オサムちゃんは私に「おお、どないしたん支倉」と相変わらずの調子で尋ねた。
「え、オサムちゃんが私のこと呼んでたって聞いたんですけど…」
「ほんま?え、俺からは特に何にもあらへんで?」
本気で困った顔をしたオサムちゃんを見てはじめて、謙也先輩が私に嘘をついたということを知った。でも、何で謙也先輩が私をだます必要なんてあるのだろう。とりあえずテニスコートと職員室の往復は時間がかかる。文字通り無駄足だった。ああもう、早くカラオケに行きたいのに!
そんな逸る気持ちとともに部室のドアを開ける。
「……え?!」
まさかの展開に頭がついていかなくなった。てっきり白石部長から部室の鍵を引き継いだ光が部室で待ってるものだと思っていた。――けれど、その鍵は、未だ毒手によって弄ばれている。
「……わ、部長、なんで、」
「さっき財前から聞いたことがほんまやとしたら、小春とユウジを筆頭に最後にみんなでお膳立てしてくれたらしいで」
「……え、え、じゃあ、なんかもう、ばればれってことですか、いろいろ」
「はは、そうみたいやんなあ」
なぜ部長がそう呑気に笑っていられるのか疑問だった。今の話から推理すると光のほかに、謙也先輩、小春先輩、ユウジ先輩の少なくとも4人は私達の事情を知っている、または、悟っているということだ。穴があったら入りたいというのはこういう気持ちのことを言うのだと知った。全国大会までは完璧にマネージャーの仕事に努めていたはずなのに、どうしてばれてしまったのだろう。どこか表情などに表れていたのだろうか。そうだとしたら――もう、恥ずかしくて顔を上げて歩けない。そんな私をよそに、部長は話を続ける。
「せやけど、ほんま感謝せんとな。きっとこれでもう部室でこうやって話すの最後やと思うし」
“最後”――その言葉が、胸に突き刺さった。
引退式すら笑いに変えてしまうような部活だったからあまり実感がわかなかったけれど、今度の部活から、先輩達はこのコートからいなくなるのだ。
「……今さらながら、ほんまに部活終わってもうたんやなぁって実感するわ」
「……そんなさびしいこと言わないでくださいよ」
「ははは。泣きそうな顔しとるで?」
部長は笑う。
「だ、だって!今さらですけど、今度の部活から、先輩達いないんだなぁって思ったら……」
「……ほなら、俺がいなくなるんも、さびしい?」
「そんなの当たり前じゃないですか。他の先輩達がいなくなるのももちろんさびしいですけど――白石部長がいなくなるのがいちばんさびしいです……思い出が、ありすぎて、」
入部したての日はじめてまともに会話したのも、悩んでいる部長に告白まがいの台詞を言ってしまったのも、はじめてキスをしたのも、――全部、部室だった。私たちの恋は、この部室からはじまったのだ。
いろいろなことが、走馬灯のように、頭をかけめぐっていく。
「はは、嬉しいなあ。せやけど、別に一生会われへんわけやないし、OBになっても練習頻繁に見に来る予定やで?」
「……絶対ですよ?」
「ああ。それに、もう部室でこないなふうに話すことはないかもしれへんけど、――これからは、ずっといちばんそばにおるから」
刹那、私の身体は後ろから部長に抱き締められていた。
背中から、制服越しに伝わる部長の熱。そして、耳元に落ちてくる、いつもより低い声。
「麻衣」
え、今、私の名前――
「好きや」
その少し掠れた声が耳に届いて振り向けば、今度は正面から抱きしめられる。こんなにもはっきりと気持ちを伝えられたのははじめてだった。胸が震えているのがわかる。私も、伝えなくちゃ。下がったままの腕を、部長の背中にそっと回す。
「……私も、好きです」
やっとの思いでそう伝える。
顔を上げれば、視線がぶつかって、そのまま暗黙の了解。
そのまま私のくちびるは彼のそれによってすっかりふさがれて、私たちは、2度目のキスをした。
Fin.
長いと思っていた夏も、すべて終わってしまった今からしてみれば、あっという間だった。
引退式の後には、謙也の企画で、3年レギュラーに財前と支倉と金太郎を加えたいつものメンバーでカラオケに行くことになっていた。しかし、その前に次期部長の財前との引き継ぎがある。
「ほな、俺ら先行ってるで!」
謙也はそう言い残して、他のメンバーといっしょに部室を出て行った。部室に残された財前と俺はさっそく引き継ぎをはじめる。とはいえ、毎日部長の俺を見てきた財前なら、言わなくても仕事の中身くらいわかっているだろう。おそらく説明をする俺も、説明を受ける財前も同じ気持ちだった。
「ここまで説明したのはええねんけど……ほんま、形式的な引き継ぎやんな」
「同感っすわ」
「まともに引き継ぐモンはこれくらいしかないなぁ。滑り悪いから最初イライラするかもしれへんけど、すぐ慣れると思うで」
手に持っていたそれは、チャリ、という金属音を立てて、財前の手へと渡る。
財前は自分の手のひらに乗っているそれを一瞥すると、予想外の行動に出た。
「――これは、まだ部長が持っといてください。後で合流したときにでも渡してくれればいいんで」
「は?」
「謙也さんの言葉を借りると、要は最後にみんなで『お膳立てしておいたで』ってことすわ。ちなみに発起人は小春先輩とユウジ先輩なんであとで何かおごったほうがええんちゃいます?ほな、俺はこれで」
財前は部室の鍵を俺に強制的に押し付けて、そのまま部室を飄々と出て行った。
「みんなでお膳立て、て、空気読みすぎやろ……」
思わず独り言が出る。部室の片隅に支倉の鞄がそのまま置かれていることには、気づかないふりをしていた。
彼女が今どこで何をしているかは知らない。しかし、まだ校内にいることは確かだ。きっと支倉は、そのうち部室に戻ってくる。
*
「あ、支倉!オサムちゃんが、引退式の片づけ終わったあとでええから職員室来い言うてたで」
謙也先輩のそんな真っ赤な嘘を、私は信じてしまった。片づけが終わったあとに職員室に行くと、オサムちゃんは私に「おお、どないしたん支倉」と相変わらずの調子で尋ねた。
「え、オサムちゃんが私のこと呼んでたって聞いたんですけど…」
「ほんま?え、俺からは特に何にもあらへんで?」
本気で困った顔をしたオサムちゃんを見てはじめて、謙也先輩が私に嘘をついたということを知った。でも、何で謙也先輩が私をだます必要なんてあるのだろう。とりあえずテニスコートと職員室の往復は時間がかかる。文字通り無駄足だった。ああもう、早くカラオケに行きたいのに!
そんな逸る気持ちとともに部室のドアを開ける。
「……え?!」
まさかの展開に頭がついていかなくなった。てっきり白石部長から部室の鍵を引き継いだ光が部室で待ってるものだと思っていた。――けれど、その鍵は、未だ毒手によって弄ばれている。
「……わ、部長、なんで、」
「さっき財前から聞いたことがほんまやとしたら、小春とユウジを筆頭に最後にみんなでお膳立てしてくれたらしいで」
「……え、え、じゃあ、なんかもう、ばればれってことですか、いろいろ」
「はは、そうみたいやんなあ」
なぜ部長がそう呑気に笑っていられるのか疑問だった。今の話から推理すると光のほかに、謙也先輩、小春先輩、ユウジ先輩の少なくとも4人は私達の事情を知っている、または、悟っているということだ。穴があったら入りたいというのはこういう気持ちのことを言うのだと知った。全国大会までは完璧にマネージャーの仕事に努めていたはずなのに、どうしてばれてしまったのだろう。どこか表情などに表れていたのだろうか。そうだとしたら――もう、恥ずかしくて顔を上げて歩けない。そんな私をよそに、部長は話を続ける。
「せやけど、ほんま感謝せんとな。きっとこれでもう部室でこうやって話すの最後やと思うし」
“最後”――その言葉が、胸に突き刺さった。
引退式すら笑いに変えてしまうような部活だったからあまり実感がわかなかったけれど、今度の部活から、先輩達はこのコートからいなくなるのだ。
「……今さらながら、ほんまに部活終わってもうたんやなぁって実感するわ」
「……そんなさびしいこと言わないでくださいよ」
「ははは。泣きそうな顔しとるで?」
部長は笑う。
「だ、だって!今さらですけど、今度の部活から、先輩達いないんだなぁって思ったら……」
「……ほなら、俺がいなくなるんも、さびしい?」
「そんなの当たり前じゃないですか。他の先輩達がいなくなるのももちろんさびしいですけど――白石部長がいなくなるのがいちばんさびしいです……思い出が、ありすぎて、」
入部したての日はじめてまともに会話したのも、悩んでいる部長に告白まがいの台詞を言ってしまったのも、はじめてキスをしたのも、――全部、部室だった。私たちの恋は、この部室からはじまったのだ。
いろいろなことが、走馬灯のように、頭をかけめぐっていく。
「はは、嬉しいなあ。せやけど、別に一生会われへんわけやないし、OBになっても練習頻繁に見に来る予定やで?」
「……絶対ですよ?」
「ああ。それに、もう部室でこないなふうに話すことはないかもしれへんけど、――これからは、ずっといちばんそばにおるから」
刹那、私の身体は後ろから部長に抱き締められていた。
背中から、制服越しに伝わる部長の熱。そして、耳元に落ちてくる、いつもより低い声。
「麻衣」
え、今、私の名前――
「好きや」
その少し掠れた声が耳に届いて振り向けば、今度は正面から抱きしめられる。こんなにもはっきりと気持ちを伝えられたのははじめてだった。胸が震えているのがわかる。私も、伝えなくちゃ。下がったままの腕を、部長の背中にそっと回す。
「……私も、好きです」
やっとの思いでそう伝える。
顔を上げれば、視線がぶつかって、そのまま暗黙の了解。
そのまま私のくちびるは彼のそれによってすっかりふさがれて、私たちは、2度目のキスをした。
Fin.