本編
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「一旦、落ちつき」
低体温なくせに、光の腕の中は、意外とあたたかかった。光のカッターシャツからは、何度か訪ねたことのある財前家のにおいがする。だからこそ、彼との違いが際立った。あの日抱きしめられたのとはまた違う、なんとなく懐かしい感覚に、動揺していた気持ちも少しずつ落ちついてきた。
どちらともなく離れると、私達は書庫の床に座り込んだ。壁にもたれながら体育座りをする私の隣で、光はあぐらをかく。窓はまだ開きっぱなしで、ときおり弱い風が吹いてきてはカーテンを揺らした。
「……別に、ぜんぜんおかしないやろ」
「…え?」
「質問の答え。部長のこと好きなんやったら当然ちゃうん」
「……でも、私、そういう気持ち抱く立場じゃないし……」
「――自分、ほんまにアホやな」
「どのへんが」
「それがわかってへんからアホや言うてんねん」
第19話 臨界点
「やっぱり相手がおるのとおらんのとやったら全然ちゃうわ。つきおうてくれてほんまにありがとうな」
「俺もええ練習になったんで」
部長に、折り入って話があると言ったら、部活後の自主練に付き合わされた。今日の俺たちの自主練に麻衣は付き添わなかった。というよりは、付き添わせなかったというほうが正しい。部長も俺もそのあたりの口は上手く、別に口裏を合わせたわけでもないが、見事に麻衣をすんなり納得させて先に帰らせることができた。
「――で、話、あるんやろ」
「……まあ、お察しのとおり、麻衣の話すわ」
2人でロッカーの前に並んで着替えながらこんな話をするのも滑稽だけれど、仕方がない。
「――単刀直入に言わせてもらいますけど、部長は麻衣のことどない思ってはるんですか」
その言葉に、部長は一瞬驚いたように目を見開くと、次の瞬間には「ほんまに単刀直入やなぁ」と苦笑した。
「まあ、たぶん答えはわかっとりますけど」
「……わかってるんやったらいちいち聞かんでええやん」
「せやけど、俺偶然見てもうたんすわ。部長が、おそらく部長やと思われる人が3号館の裏で女子と熱っつい抱擁してるところ」
「――いつの話や」
「6月の第2月曜」
ふと、部長のカッターシャツのボタンを閉めるその手が止まった。
「――やっぱり、あれは部長やったんですか。抱き合ってたカップルの男のほう」
「……カップルて。告白されただけでつきあってへんわ」
「コクられるとき、普通、抱きつかれます?」
「それまでの過程にいろいろあってん――けど、相手は俺が親友やと思ってた子やったから、抱きしめ返すことはもちろんできひんかったけど、突き放すことも俺にはできひんかった」
自分かて支倉に抱きつかれたら、全力で拒めるか?無理やろ。そう言われ、どこかで納得する自分がいる。
「でも、それだけや。それ以上はほんまに何もないで」
「……ふうん。そうなんや」
「何やねん、その含みのある言い方」
「――せやけど、それを麻衣も見てたとしたら?」
さて、この四天宝寺の聖書は、どんな反応を示すだろうか。
「…嘘やろ」
「マジっすわ」
*
まさか財前だけではなく支倉にも例の場面を見られていたとは思わなかった。相手の女子に抱きつかれたときは、咄嗟に誰かに見られてはいないかと一瞬周りを見渡したが、さすがに3階の書庫の窓までは気が回らなかった。
「……それにしても、部長も、何で早よう言わんのです? どうせお互い同じ気持ちなんやし自分から麻衣に好きや言えばハッピーエンドやないですか」
「――支倉はまだそれ以上の関係を望んでへんし、それに、俺も今はテニスが一番大事な時期やと思ってる。そうである以上、この関係を保つしか選択肢ないやろ」
「ほな、もし、そうやなかったとしたら、どないするん?」
そう俺に問いかけた財前の声が、壁に少しだけ反響した。
「『マネージャーでいなきゃいけないのに、やきもちやいちゃう』『白石部長の彼女になりたい』――あのクソ真面目で微妙にプライド高い麻衣が、部長の例のシーン見た後ブッサイクな泣き顔で言うとりましたわ」
耳を疑った。あの、支倉が?
不謹慎だということは百も承知だが、俺の中では、そこまでのことを言わせるまで支倉を追い詰めてしまった申し訳なさよりも、もっと違う感情が先行していた。
――あかん、めっちゃ、嬉しいねんけど。
マネージャーという立場に固執していた支倉がそんなことを言うなど予想もしていなかった。俺に対して怒るでもなく、ただ単純に相手の女子に嫉妬して、ただ単純に今以上の関係を願って、涙する。そんな彼女に対して、もはや愛おしさ以外の感情が出てこなかった。財前は言葉を続ける。
「俺から言わせたら、麻衣はアホや。マネージャーっちゅう立場に自分を縛りつけすぎなんすわ」
確かに彼女には元からそういうところがあると思う。しかし、主な原因はおそらく俺自身のような気がした。
「…それは俺のせいかもしれへん」
「は?」
「詳しくは話せへんけど――支倉に『ええ部長とマネージャーでいよな』言うたの、俺やねん」
そういえばあのとき支倉の頭を撫でて以来、ずっと彼女に触れていないことをふと思い出す。あの日のキスで自分の理性に信用がおけなくなってから触れることを自粛していた。それでも俺は、彼女の髪の感触を、彼女のくちびるの甘さを、未だにはっきりと覚えている。
「……部長のせいやったらなおさらなんとかしてくれません?麻衣のお守りも5年目でさすがにもうこりごりや」
すっかり着替え終わった財前は、バッグにラケットをしまうとそれを肩にかけた。
「――せやから、そのお守りっちゅう役目はさっさと部長に譲ろ思ってますけど、その前に」
じ、と財前は無表情に俺の目を見つめる。少したじろいだがその視線に応えるように俺も財前に真剣に向き合うと、財前ははっきりした口調で言った。
「あんまりアイツ、泣かせんといてください」
ほな、また明日。そう軽く言い残して財前は部室から去って行った。1人残され、とりあえず身支度を整えながら、財前との会話の一部始終を思い返す。
――そろそろ、ほんまになんとかせなあかん時期なのかもしれへん。
そろそろ臨界点に達している。彼女の気持ちも、そして、俺の気持ちも。
低体温なくせに、光の腕の中は、意外とあたたかかった。光のカッターシャツからは、何度か訪ねたことのある財前家のにおいがする。だからこそ、彼との違いが際立った。あの日抱きしめられたのとはまた違う、なんとなく懐かしい感覚に、動揺していた気持ちも少しずつ落ちついてきた。
どちらともなく離れると、私達は書庫の床に座り込んだ。壁にもたれながら体育座りをする私の隣で、光はあぐらをかく。窓はまだ開きっぱなしで、ときおり弱い風が吹いてきてはカーテンを揺らした。
「……別に、ぜんぜんおかしないやろ」
「…え?」
「質問の答え。部長のこと好きなんやったら当然ちゃうん」
「……でも、私、そういう気持ち抱く立場じゃないし……」
「――自分、ほんまにアホやな」
「どのへんが」
「それがわかってへんからアホや言うてんねん」
第19話 臨界点
「やっぱり相手がおるのとおらんのとやったら全然ちゃうわ。つきおうてくれてほんまにありがとうな」
「俺もええ練習になったんで」
部長に、折り入って話があると言ったら、部活後の自主練に付き合わされた。今日の俺たちの自主練に麻衣は付き添わなかった。というよりは、付き添わせなかったというほうが正しい。部長も俺もそのあたりの口は上手く、別に口裏を合わせたわけでもないが、見事に麻衣をすんなり納得させて先に帰らせることができた。
「――で、話、あるんやろ」
「……まあ、お察しのとおり、麻衣の話すわ」
2人でロッカーの前に並んで着替えながらこんな話をするのも滑稽だけれど、仕方がない。
「――単刀直入に言わせてもらいますけど、部長は麻衣のことどない思ってはるんですか」
その言葉に、部長は一瞬驚いたように目を見開くと、次の瞬間には「ほんまに単刀直入やなぁ」と苦笑した。
「まあ、たぶん答えはわかっとりますけど」
「……わかってるんやったらいちいち聞かんでええやん」
「せやけど、俺偶然見てもうたんすわ。部長が、おそらく部長やと思われる人が3号館の裏で女子と熱っつい抱擁してるところ」
「――いつの話や」
「6月の第2月曜」
ふと、部長のカッターシャツのボタンを閉めるその手が止まった。
「――やっぱり、あれは部長やったんですか。抱き合ってたカップルの男のほう」
「……カップルて。告白されただけでつきあってへんわ」
「コクられるとき、普通、抱きつかれます?」
「それまでの過程にいろいろあってん――けど、相手は俺が親友やと思ってた子やったから、抱きしめ返すことはもちろんできひんかったけど、突き放すことも俺にはできひんかった」
自分かて支倉に抱きつかれたら、全力で拒めるか?無理やろ。そう言われ、どこかで納得する自分がいる。
「でも、それだけや。それ以上はほんまに何もないで」
「……ふうん。そうなんや」
「何やねん、その含みのある言い方」
「――せやけど、それを麻衣も見てたとしたら?」
さて、この四天宝寺の聖書は、どんな反応を示すだろうか。
「…嘘やろ」
「マジっすわ」
*
まさか財前だけではなく支倉にも例の場面を見られていたとは思わなかった。相手の女子に抱きつかれたときは、咄嗟に誰かに見られてはいないかと一瞬周りを見渡したが、さすがに3階の書庫の窓までは気が回らなかった。
「……それにしても、部長も、何で早よう言わんのです? どうせお互い同じ気持ちなんやし自分から麻衣に好きや言えばハッピーエンドやないですか」
「――支倉はまだそれ以上の関係を望んでへんし、それに、俺も今はテニスが一番大事な時期やと思ってる。そうである以上、この関係を保つしか選択肢ないやろ」
「ほな、もし、そうやなかったとしたら、どないするん?」
そう俺に問いかけた財前の声が、壁に少しだけ反響した。
「『マネージャーでいなきゃいけないのに、やきもちやいちゃう』『白石部長の彼女になりたい』――あのクソ真面目で微妙にプライド高い麻衣が、部長の例のシーン見た後ブッサイクな泣き顔で言うとりましたわ」
耳を疑った。あの、支倉が?
不謹慎だということは百も承知だが、俺の中では、そこまでのことを言わせるまで支倉を追い詰めてしまった申し訳なさよりも、もっと違う感情が先行していた。
――あかん、めっちゃ、嬉しいねんけど。
マネージャーという立場に固執していた支倉がそんなことを言うなど予想もしていなかった。俺に対して怒るでもなく、ただ単純に相手の女子に嫉妬して、ただ単純に今以上の関係を願って、涙する。そんな彼女に対して、もはや愛おしさ以外の感情が出てこなかった。財前は言葉を続ける。
「俺から言わせたら、麻衣はアホや。マネージャーっちゅう立場に自分を縛りつけすぎなんすわ」
確かに彼女には元からそういうところがあると思う。しかし、主な原因はおそらく俺自身のような気がした。
「…それは俺のせいかもしれへん」
「は?」
「詳しくは話せへんけど――支倉に『ええ部長とマネージャーでいよな』言うたの、俺やねん」
そういえばあのとき支倉の頭を撫でて以来、ずっと彼女に触れていないことをふと思い出す。あの日のキスで自分の理性に信用がおけなくなってから触れることを自粛していた。それでも俺は、彼女の髪の感触を、彼女のくちびるの甘さを、未だにはっきりと覚えている。
「……部長のせいやったらなおさらなんとかしてくれません?麻衣のお守りも5年目でさすがにもうこりごりや」
すっかり着替え終わった財前は、バッグにラケットをしまうとそれを肩にかけた。
「――せやから、そのお守りっちゅう役目はさっさと部長に譲ろ思ってますけど、その前に」
じ、と財前は無表情に俺の目を見つめる。少したじろいだがその視線に応えるように俺も財前に真剣に向き合うと、財前ははっきりした口調で言った。
「あんまりアイツ、泣かせんといてください」
ほな、また明日。そう軽く言い残して財前は部室から去って行った。1人残され、とりあえず身支度を整えながら、財前との会話の一部始終を思い返す。
――そろそろ、ほんまになんとかせなあかん時期なのかもしれへん。
そろそろ臨界点に達している。彼女の気持ちも、そして、俺の気持ちも。