ワンシーン

 雨降り注ぐ中、彼は静かに紫陽花を眺めていた。

 俺の上司は仕事の出来るクールな上司という感じだった。正確にはクールって言うより冷淡に近いぐらい部下に対して冷たい人だった。だから俺は彼のことがあんまり好きではなく、彼が淡々と仕事をやる姿に飽き飽きしていた。だけどその日は違った。雨に濡れる彼はまるでガラスのような脆さを持ち、彼の隣で咲き誇る青い紫陽花のような寂しさが彼の印象を変え、儚くも美しいその姿に俺の心は震えた。儚く美しいという言葉は男性には似合わないかもしれないが、その時の俺はそう感じた。今まで感じたことのない高揚感に口元が緩みそうになる。ふっと短く息を吐くと平常心を装いながら彼に近づいた。

「綾瀬さん」

 いつものように名前を呼ぶと彼はゆっくりと俺の方を振り向いた。俺は彼の顔が瞬間さっきまで押さえ込んでいたはずの感情が再び心の奥底から湧き上がる。雨に濡れてしっとりとした濡れ羽色の髪、涙で輝く黒曜石のような瞳。姿は漆黒なのに中身は純白。その矛盾が美しい。

「あぁ、来栖か。」

 何事もなかったかのように振る舞う彼の姿が愛らしい。俺の目は節穴だったらしい。もっと早く彼の本当の姿を知っていればよかったのに。こんなにも脆く儚いくせに、強く見せようと頑張っている可愛い綾瀬さんを俺のものに出来たのに。

「傘を差さずにどうしたんですか? 風邪を引いてしまいますよ。」

 心配したような声色で言うと彼は「大丈夫だ」と短く返し俺の横を通り過ぎていった。
 あぁ、本当に彼は無意識で俺の心を煽るなぁ。俺の物にしたい。堕としたい。そうだ、もうあいつ(彼女)要らないから別れよ。

「あ、もしもし、別れて?ん、じゃあね。」

 うるさいスマホの電源を切ると俺は彼の後を静かに追った。


紫陽花「移り気」「浮気」「無常」

『紫陽花だったのは俺の方』
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