年上彼氏と年下の彼
「はぁ…」
その日私はツイていなかった。仕事でちょっとしたミスをしてしまい上司にこっぴどく怒られてしまったのである。ミスをしたのは私ではなく、後輩だった。でもその後輩に仕事を頼んだのは私。だからこれは結果的には私の責任だと思ったから、そのことで彼女のことは責めたりはしなかった。
「すみません先輩…私のせいで怒られちゃって…」
「あー、いいのいいの。気にしないで。ハゲ田が怒るのなんていつものことだから。」
ハゲ田というのは上司のこと。本名は羽賀田というのだが、頭がハゲているので他の社員からはひそやかにそう呼ばれているのである。羽賀田は特に厳しい上司で、何かとミスを見つけては怒りたい面倒な人物だ。最初の頃はかなり落ち込んだりもしていたが、私ももう入社して4年になるし、この頃になるとハゲ田のいびりなんてすっかり慣れてしまっている。
「だから、まこっちゃんは気にする必要ないからね。」
「すみません、先輩…ありがとうございます。お礼に今度合コンセッティングしますね!!」
後輩が興奮気味に言うので、私はとりあえず苦笑いしておいた。今更かもしれないが、わたしには今現在彼氏はいない。ちょっと前まではいたのだが、別に好きで付き合っていたわけではなかったし、なんとなくそういう関係になったから一緒にいただけだったから。愛のない形だけの恋人なんて、案外あっさりと別れてしまうものだ。別に寂しいと感じたりはしないし、こういうことはもう25年間続いているので今更気にもしない。
「小山さーん、これ新しい資料作っておいてくれない?教材の奴。」
「はーい、分かりました。」
教材を取り扱う会社に勤めているだけあって、毎日新しい教材について覚えなくてはならない。それは顧客へ説明するために必要な知識を身につける必要性があるからだ。販売者が商品の内容を熟知していなければ、購入する側は納得はしない。だから顧客が納得するような説明が出来るよう、私たちが学ばなくてはいけないというわけである。
この会社に入って結構な年数になるが、日々勉強になることばかりだ。
今日はまた市原研究室に伺う約束をしている。またコウキが美味しいコーヒーを入れてくれるのだろう。そう考えると、研究室に行くのが待ち遠しくさえ感じられるのだから不思議だ。…我ながらゲンキンだとは思うが。
千波は腕時計を見やると、鞄を片手に席をたった。
「はい、では今後ともよろしくお願い致します…失礼しました。」
軽く頭を下げて研究室を後にする。
空はもう日が沈み、段々と夕闇に染まりつつあった。
今回は教授と教材について色々と話しこんでしまったので、遅くなってしまった。腕時計を見てから、鞄を肩に下げて校内を歩いて行く。初めて来た時は迷っていたこの道も、今ではすっかり慣れたものだ。自販機で缶コーヒーを買って、窓の外を見ながら歩く。そういえば今日は研究室にコウキの姿が見えなかったが、一体どうしたのだろうか。
風邪でも引いたのか、それとも何か用事があったのだろうか。いつもコウキが出してくれるコーヒーに慣れてしまった手前、今日は味が調整されていないブラックコーヒーを飲んでしまい変な顔をしてしまった。
―…と、その最中、ふと見知った顔を見つけて立ち止まった。コウキだ。彼は人気のなくなったカフェテリアでノートを広げ、何やら真剣な顔をしている。良かった、体調が悪いわけではなかったみたいだ。私は缶コーヒーを片手にカフェテリアの戸に手をかけた。