年上彼氏と年下の彼
「で、ここが従来の教材と比較しますと…」
「失礼します。小山さん、もしよかったらこれどうぞ。」
「あ…どうもありがとう、佐々木君。」
教授とデスクで顔を突き合わせて教材の説明をしていると、コウキが顔を出してコーヒーを出してくれた。助かった、と心の中で呟く。というのも、今回の教材を導入するかどうか現在教授と話をしているとことなのだが、イマイチ反応が良くない。
市原教授は眼鏡の奥の眼を細めてパラパラとページをめくっているものの、眉間には深い皺が刻まれている。一度はこの教材を来年度から使用を検討してみる、という所まで話が出たものの、なかなか返事が出ない。千波も必死に教材の特色やセールスポイントを売り込むものの、教授はなかなかオーケーサインを出してはくれないのだ。
とはいえ、教材を変えるというのも簡単にはいかないことだということは勿論分かっている。だが、市原教授から問われた質問などのここぞという時に、パッと気のきいた答えが出せないでいるのも事実。自分の教材の売り込み方に少し自信をなくしてきつつあった。
目の前の教授に気付かれないように浅く息を吐き出してからコーヒーを口に運んだ。最初はブラックコーヒーに砂糖とミルクを個別に付けて出してくれていた彼だったが、何度か研究室を訪れる私の好みがわかったのか、しばらく後にはコーヒーは私好みの味になって出されるようになっていた。
ミルク1つとシュガーを1つ、それを入れてあるコーヒーはやっぱり私好みの味だ。この味は…ホッとする。焦っていた気持ちもすーっと溶けていくみたいになって、気付けばまた教授との話をスムーズに行うことができるようになっていた。コウキはふと目が合うと、にこりと笑って研究室を後にしていった。
うん、よく出来た学生さんだ。私はいろんな所に気配りの出来るコウキに、すっかり感心するようになっていた。
***
「すみません、これ下さい。」
久しぶりの休日を貰った私は、その日は買い物に出かけていた。日頃走り回って営業しているせいか、パンプスの減りが早い。新しいパンプスを買わなくてはと、昨日から「明日は靴屋に行こう」と意気揚々と計画をしていたのである。
ヒールが高すぎても歩きにくいし、低すぎてぺったんこなものを買っていくと見栄えが悪いだとか、取引先に悪い印象を与えるだとか、そんな理由で上司に怒られたりもする。だからこれは結構、真剣な買い物だったりするわけだ。はきやすく、かつ見栄えもよいものをと探していたのだが、これがなかなか見つからない。
どうしたものかと悩んでいたところ、三軒目のお店でようやくお眼鏡にかなうパンプスに巡り合えた。会計を済ませてパンプスの入った袋を片手に店を後にする。この後は特に予定があるわけでもないので、ついでに食料品の買い物も済ませておくことにしよう。腕時計を見てみる。午後4時20分。そろそろ夕方のセール品が出てくる頃あいだ。よし。そう意気込んで近くのスーパーで買い物を始めた時だった。
「あれ、小山さん?」
聞いたことのある声が聞こえてきて顔を上げれば、そこにはカゴを片手に首をかしげているコウキの姿があった。パーカーにジーンズというラフな出で立ちのコウキは、キャンパス内で見かける姿とはなんとなく別人みたいに見える。しかも今日は眼鏡をかけていた。
「どうもこんにちは。」
「こんにちは。今日はお休みなんですか?」
「うん、まぁね。仕事で履くパンプスが駄目になっちゃったから、新しい奴買ってきたの。今はその帰り。ていうか、佐々木君眼鏡かけるんだね。」
ふと、云われてからコウキは自分の眼鏡に触れて苦笑いをした。
「ああ…はい。いつもはコンタクトなんですけど、今日は大学の講義もなかったので家でごろごろしてまして…。コンタクト入れるのめんどくさくてそのまま出てきちゃいました。」
ははは、と笑いながらコウキは頭をかいた。うん、眼鏡姿もまた新鮮で、似合っていると思う。…いや、別に変な意味ではなく!変な意味ではなく!!!(大事なことなので2回言いました)
ただ単に、ごく一般的な感想として、だ。その感想に深い意味は決してないのだけれど、と何度も心の中で弁解をしてから、そんな思いを振り払うように咳払いをした。