最悪の一日。
「香織――!!!」
大声で名前を呼ぶと、すれ違う中年の男たちが驚いたように目を見開き、そして迷惑そうに顔をしかめて立ち去って行った。だが今はそんなことを気にしている場合ではない。香織に何かあったらどうしよう。知らず知らずのうちに足が震えていた。
今日は最悪の日だ。
朝から米は炊けてないし、寝ぐせは酷いし、アイシャドウのパレットは割っちゃうし、物は無くすし、クライアントとの案件はパーになってしまうし。そして香織がいなくなってしまうし。
「かおりぃ…」
どうしよう。何か変な事件に巻き込まれていたらどうしよう。
米が炊けていないとか、物がなくなるとか、仕事のこととか、それはまだいい。…いや、良くはないけど、でもいい。だってなんとかなるから。米が炊けてなかったらどこかでご飯を買えばいいし、物がなくなったら買えばいい。仕事だって、後輩がちゃんと引き継いでくれている。でも香織は違う。香織の変わりはいない。
―…今日が最悪な日であってもいい。
でも、もしも、もしも香織に何かあったのなら、助けなくては。
めぐみはタバコの箱を握りしめ、後ろの通りを振り返った。その先には細い路地が枝分けれしていて、小さいスナックやらパブやらが軒を連ねている。ふと、その視界に何かが落ちているのが目に入った。ピンク色のそれは、香織がよく使っているライター。香織はきっとこの近くにいるに違いない。
ライターを拾い上げ、めぐみは走った。細い路地を進み、途中ゴミ箱にぶつかって中のゴミをぶちまけてしまったが、それどころではない。薄暗くてジメジメした生ごみ臭い路地。コンクリートであるはずの地面が、汚れやら苔やらで滑って走りにくい。いっそヒールを脱ぎ捨ててしまおうか。
めぐみが懸命に走っていると、その先に、見知った女性の姿が見えた。
「香織…!」
香織は口に布を詰め込まれた状態で腕を押さえつけられ、身動きがとれない状態になっていた。そしてその香織の上に跨っている若い男、その男にはめぐみも見覚えがあった。
「アンタ、婚パ会場にいた…」
男は婚パーティ会場で香織とめぐみが見かけた、あの若いチャラそうな男だったのだ。男はワックスで整えたであろう髪をいじって面倒くさそうな顔をすると、めぐみを一瞥し深いため息を吐きだした。