jackpot

太陽が照り付ける、真夏の日曜日。
騒がしい水族館の館内で、バージルは男子トイレの前でふてくされた顔をしつつ、弟がトイレから出てくるのを待っていた。時折、通り過ぎていく子供たちにチラリと顔を見られれば「怖っ」と言われることもあればベビーカーに乗った赤ん坊に理不尽に泣かれたりと散々な目に遭っていた。

「ッッッ」

それらが相まって、余計にバージルは苛ついていた。
元から眉間に皺が寄っていた怖い顔ではあったが、現在その皺は深みを増している。

ただでさえこんな騒がしいところに連れてこられ、弟の用を待つなど。かれこれ20分経つ。我慢の限界だ。勝手に帰ってやろう、と思った矢先だった。

「あースッキリしたぜ」

ふぅと一息をつき、ズボンのチャックをカチャカチャ鳴らしながら弟のダンテがトイレから出てくる。バージルは手に持っていた水族館のパンフレットで弟の頭を軽く小突いてみせる。

「んだよっ」
「遅いぞ、ダンテ」
「仕方ないだろ?思ってた以上に混んでてよ。子供連れがいっぱいいてな。な?」
「ダァイ……」

不機嫌MAXで呟くバージルに、わるいわるいと両手を擦って謝るダンテ。

「つか、お前はトイレ大丈夫なのか? まだまだ歩くぞここ」
「ふん。俺はお前のように無駄な飲食はしていないからな。無用だ」
「ハハッ。それはオレよりも金が無いだけだろ、バージル。っと」

少々余計なことを言いつつ、弟はトイレ近くに設置されていたプ●ングルスの自販機に硬貨を入れていた。

「おいダンテ、無駄遣いをするな」
「いーだろ。お前にも分けてやるからさ」
「ハァ」
「任せておけよぉ」

弟も金に余裕あるわけではないだろうに、なぜこうも楽観的なのだろうかとバージルはやれやれと頭を振るう。

ちなみにダンテが硬貨を投入したプ●ングルスの自販機は特殊なもので、今いる水族館限定のプ●ングルスチップスが最低1つ300円で買える。

最低…ということは、つまり、それ以上も手に入ることがある。

また味は3種類ある。
一見高いような気がしなくもないが、運が良ければ最大3個、プラス3種を1度でコンプリートするのも夢ではない。ちょっとしたギャンブル要素があるのだ。

「頼むぜぇ」

決して運は良い方ではない(ある意味悪い方でもない)ダンテは自信満々に呟く。

硬貨が投入された自販機から軽快な音楽が鳴り、自販機の中央部分に数字が現れ点滅し始める。その真下には真っ赤に光るボタンがあり、それを押せば手に入るチップスの個数が決まるという仕組みになっているようだった。

「jackpot!!」

いつもの決まり文句を言ったダンテは勢いよくボタンを押す。
くるくると勢いよく数字が回り、1・2・3・1・2・3と数字が徐々に遅く表示され、止まった数字は…

「!!」

――――『1』

ガコンッ、と回収口にチップスが転がり落ちる。

「フ」

やはりなと弟の運の悪さ…いや、ある意味いつも通りの運の良さ(?)にバージルは内心呆れつつ、その足はすでに次のフロアへ向かおうと歩み始めていた。

「いくぞダンテ」
「あ、待てよバージル!」

んだよと残念そうにしつつダンテは自販機から出てきたプ●ングルスを一つ手に取る。そしてラベル記載されてるだろう味を確認しようとチップの箱を見るが、絵柄で味を察してしまう。

それは普段事務所でよく見ている、ある意味親の顔よりも見慣れた食べ物だ。

「ピザか」

コイツは大当たりだったみたいだ。
チップの蓋を取るなり、1枚…いや、5枚ほどまとめて取って口に咥えたダンテは軽快な足取りで先に行った兄の背を追いかけて行った。














「で、だ」

弟が手に持っているプ●ングルスの箱から1枚チップスを指先で摘まんで口に運びながらバージルは頭の隅で考えていた。

喉が、渇いてきた。

「これは…水分を持っていく…」
「あ?」

ダンテが思わず不思議そうな声を出してしまう。
なぜなら今、二人の目の前には巨大プールのあるホールでイルカがショーをしているからだ。水は無くなるどころか溢れんばかりに、というか、溢れている。イルカが飛んだり跳ねたりするたびにプールの水が、しぶきが舞い上がって客席にまで飛んできているのだ。

「水なら目の前にいっぱいあるぞ、バージル」
「お前もあそこでショーをしてみるか、ダンテ」

ハハハッと笑ってみせるダンテだが、バージルはどことなく本気な目で笑う弟をジッと見つめていた。

ちなみに二人は恐ろしいことに最前列の席に座っていた。そこは間違いなく“水が飛んでくる”エリアなのだが、双子の周りは水で濡れていない。それもそのはずで、双子は時折飛んでくる水しぶきを常人の目では捉えられない速度で素手で弾き返していた。そして弾き返って来た水にイルカが驚いて、気づけばイルカは双子の目の前ではなるべく水を飛ばさないように演技をするという不思議な空間ができていた。

尚双子はそんなことに気づくことなく、いたって普通にショーを満喫していた。

しかしバージルの「水分を持っていく…」という言葉に、ダンテもウンウンと頷く。

「確かに、喉が渇いてきたな」

よいしょ、と立ち上がるダンテ。

「どうした」
「飲みに行くか、バージル」

兄に立ち上がるように、手でひょいひょいと促すダンテ。
普段なら弟の指示に従うなどありえないバージルだが、喉の渇きには勝てないのか、やれやれと言いつつもバージルも席から立ち上がり双子は席から離れる。

そして二人が席から離れるのを見てしめしめと座ってやろうと男女のカップルが急いでやってくるが、二人が即座に水浸しになったのは言うまでもない。














ホールを出て、階段を上がり少し歩いて行くと飲食エリアに辿り着く。家族連れの多いレストランを抜けると、少し落ち着いたシックな雰囲気のバーエリアでダンテは足を止めた。

「ここにするか」
「ん」

言われるがまま、バージルも足を止めて辺りを見渡す。この場所では男女のカップルが仲睦まじく、カラフルなカクテルを一緒に飲んでいるのが目につく。もちろん、一人客だろう者もいるにはいるが、今のバージルとダンテのような家族で利用しようとしている客はぱっと見、見当たらない。

「おい…大丈夫なのか」
「ん、金ならオレが払ってやるから気にすんなよ」
「いやそうじゃない」

まぁまぁ、とダンテに宥められつつ席に着くと、テーブルに置かれていたメニューを渡され一通り眺める。

「……」
「決まらないか?」
「殆ど酒だ」
「バーだからな」

バージルは、実を言うと酒を飲んだことがない。
…いや、もしかしたら飲んだかもしれないが、記憶がないのだ。

彼は長い間、自身の力不足に嘆き、力だけを純粋に追い求めて、ただそれだけのために生き抜いてきたと言っても過言ではない。だから酒や金、名声など眼中になかった。

よって酒に関する知恵がないのも当然で、バージルは何を飲んだら良いのか、純粋に思いつかなかった。

「そうだな…オレはウイスキーにでもするか」
「それは美味いのか?」
「ああ。でも、お兄ちゃんには早いんじゃないか?」
「何」

ハハッ、と笑うダンテ。
気に入らないのか、ムッと眉間に皺を寄せるバージル。
慌ててダンテが両手の平を見せて待て待てと謝罪する。

「悪かったって。お前が子供舌だなんて思ってないぜ」
「フン」
「“早い”って言ったのは、飲み慣れてないだろって意味さ」
「ほお」

なんだか煽られている気がしたバージル。ならばとダンテと同じウイスキーを頼もうと思ったが、ダンテはこれを固く否定してくる。

「悪いが酔った男を背負って帰るほどオレは暇じゃないんでね。オレの奢りなら尚更、良い酒を飲んで帰れよ、兄貴」
「……」

珍しく、弟がまともなことを言っている気がする。
店員が運んできたウイスキーグラスは半分ほど注がれており、それをダンテは手にすると軽くグラスを回して飲み口を鼻に向けて香りを嗜んだ。

その一瞬を見て、バージルは自分が思っていた以上に弟が大人になったのだと、ほんの少しだが感じた。

その一方、大人の嗜み…を知らない自分に、やや苛立ちを感じたが、見せないようにダンテからそっぽを向いた。

「…バージル」
「……」

ダンテに呼ばれて、再度振り向く。
弟は「ん?」と首を傾げて、再びメニューに視線を戻した。

「バージルは……ビールなんかどうだ?」
「ビールか」
「しかもクラフトビールだぜ。水族館でしか飲めない、限定品だとさ」

ダンテが指先で、メニューに書かれているビールの項目をツンツンと指してみせる。そこには『shark ale』と書かれた文字と、その下に解説が書かれており、ダンテの言った通り水族館でしか売られていない限定のクラフトビールであると記載されている。

「しかもフカヒレも入ってやがる」
「フカヒレ…?」
「鮫のひれ、だな。だからshark(サメ)か」
「サメ……」

さすがにサメについては知っているバージル。
海中を泳ぐ獰猛な生物だ。
鋭い牙と鮫肌を持ち、その恐ろしい風貌からホラー映画の題材にもされている。海の恐怖のシンボルとも言える。

「力を感じそうだな」
「お。いく気になったみたいだな?」
「ああ」

飲み物でその生物を食らえるのならお手頃だと思ったバージルは、ダンテに注文するように催促する。時間はかからず、それはすぐに運ばれてきた。

「見た目は普通だな」

テーブルに置かれたビールを見てダンテが一言。
一般的な視点から見ても特になんの変哲もない、夕焼けのようなオレンジ色をした飲み物で、上にはビール特有の泡が鎮座している。

「匂いも特に…まぁ、柑橘感がする程度か?」
「わからんな…」

バージルは初めて見るビールに、特にこれと言って感想もなかった。普通が分からないのに、いきなりクラフトビールを進めるのは正解だっただろうか、とダンテも内心少し思ったが、バージルくらいの年齢の男ならビール特有のホップな苦味は寧ろ好まれるものだろうと思い選んだのだ。

それにshark(サメ)……。
バージルには似合っているのではないか、とも思っていた。

「貰うぞ」
「ああ」

そう言い、ビールが注がれたグラスを手に取ったバージルはおそるおそる口に運ぶ。ゴクリ、と良い喉音が鳴り、「んっ」とバージルが頷く。いきなり吹き出すんじゃないかと内心思わなくもなかったダンテは、とりあえず大丈夫そうな兄の様子にほっとする。

そしてグラスから口を離したバージルの唇に泡が付いているのを見て笑いそうにもなるダンテだったがグッと堪え、兄の初ビールの感想を待つ。

「どうだ。初のビールは?」
「ん……」

コトン、とグラスをテーブルに置いて、何かを考えるように腕を組んで「うむ…」と唸るバージル。首を傾げ、どうしたものかという表情をしていた。その唇にはまだ泡が付いていて、まるでサンタクロースのお髭だなお兄ちゃんと思わなくもないダンテだった。

「なんだよ。不味いのか?」
「いや」
「だったらなんだよ」
「……こういう、ものなのか」
「こういう、って?」
「苦い…のと」

顎に手を添えていたバージルが、唇に付いた泡に気づいて親指で拭って舐め取る。

「麦の匂いだ」
「合ってるぜ。味覚は良いみたいだな」

感想を聞きながら、ダンテもウイスキーを一口含ませて嗜む。兄から漂うホップな香りとは違い、ウイスキーからはスモークな香りと、メープルシロップのような甘さが口の中に広がり、それらが喉に通過するとほのかに熱が帯びる。

「お前のそれはどうなんだ」
「ん、これか?」

バージルがダンテが持っていたウイスキーグラスを見つめる。興味が沸いてきたのだろうか。初めて飲んだ酒(ビール)の味に拒否反応を起こさなかったのを見てダンテもこれなら大丈夫だろうとグラスを差し出す。

「ちょっとだけなら、良いぜ」

ビールとは違い、ウイスキーはアルコール度数がかなり高いので一口ずつ、ゆっくり飲むようにと促すダンテ。
そしてなぜかバージルは自身が持っていたビールグラスをダンテに渡してきた。

「ん、オレも飲んで良いのか?」
「ああ。お前の金だしな。少しだけだぞ」
「分かってるって」

バージルは昔から、ダンテに食べ物を渡す時は「少しだけだぞ」と一言添えるところがある。弟に全部食べられてしまうのが嫌なのだろう。もちろん今のダンテがそんな子供のようなことをするわけがないのだが、どうやら今でもバージルはその癖が抜けないようで、ダンテは心の中でそのことを微笑ましく思う。同時に、あのバージルが珍しく自分の物を渡してきたのが不思議で、嬉しかった。

「美味いな…」
「だろ?」

バージルがダンテの言う通り、ウイスキーを一口含ませて喉に流す。すると喉に帯びた熱に「ああっ…」と思わず声が漏れ出るが、満更でもない様子で、底で揺れるウイスキーを見つめ、ダンテと同じようにグラスを鼻に近づけて香りを嗜み始める。

「お前と意見が被るのは気に入らないが…悪くない」
「へっ。素直に喜べよ」
「ああ。美味い」

妙に素直な兄に、やや妙なくすぐったさを感じるダンテ。
もしかしたら、少し酔っているのだろうか?

まさかな、と。
チェイサー用に置かれた水の入ったグラスを一口入れるダンテ。
その間も、バージルはウイスキーグラスに口を付けている。気に入った様子に、ダンテはここに連れてきて良かったと思い始める。

ここ最近、付近に悪魔が出没すると聞いて水族館の中も警備するぞと言って兄貴も連れてきたが、こうやって一緒に酒飲んで過ごす時間も悪くはないなと。

つい、思わず仕事を忘れてしまいそうだ。
というか、もう、このまま飲んで帰るか。

「で、ビールはどうだ」

すると今度はバージルが、ダンテにビールの感想を求めてきた。その頬はややほんのりと赤く色づいて、いつもピッチリ閉めているはずのベストのチャックが珍しく鎖骨部分まで下がっていたことに気づくダンテ。暑いのだろうか。

「そうだな…」

ビールはもう半分くらいまで減ってしまったが、まだ泡が弱まることはなく、鮮やかなオレンジ色をしている。

「悪くないな」

ビールも、ここの内装も、酔ったアンタも悪くはないな、と。
密かに思ったダンテなのであった。
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