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指先の煌めきを求めて



最近キリエはあることが気になって仕方がなかった。


きっかけはニコだ。
出会った頃からなんとなく“それ”に目線が行っていたが、当時は今ほど気には留めていなかった。

しかしガレージで車の整備をしているニコを見ているうちに、自然とそこに目が行くようになった。

それはニコの指先でキラキラと輝く、派手に色付けられたネイル。

あれはどうやっているのだろう。
フォルトゥナではネイルをしている女性はいないし、それらを施術できる者も場所があるなどの話も聞いたことがない。

(もっと見てみたい…)

小さな好奇心が芽生えるキリエ。

「キリエも気になるのか?」

その視線に気づいたニコが、ニヤッと笑い掛ける。

「あっ、ごめんなさい」

「なーに謝らないでくれ。キリエだって女だ。その気持ち分かっ――」

「おい」

ニコが話す途中、彼女の頭を軽くチョップをするネロ。

「キリエに妙なことを言うなよ。手を動かせって」

「お、お前なぁっ。はいはい…」

全くうるさいヤツだ、と零すニコ。
去り際、ニコはちらりとキリエに振り返ると「あとでなっ」と笑顔で返し、再び車整備へと戻って行った。





その後、キリエは寝室で編み物をしているとニコが雑誌を脇に抱えてやってきた。

「なぁキリエ。昼間のことなんだが…良かったらこれ、貰ってくれ!」

「えっ」

そう言うニコから差し出された雑誌は、綺麗な女性が、これまた綺麗なネイルを前面に見せている表紙の、最新ネイルデザインについて纏められたものだった。

「ニコ、いいの?これ大事なものでしょう…?」

「もちろんさ。キリエなら大事に見てくれるだろうし。本当は私のネイルをじっくりねっとり見てもらいたいところなんだが…」

ネロがうるさいからな、と苦笑いをしながら頭を掻くニコ。

「でも本なら、あいつもうるさくないだろ?」

「ええ、そうねっ」

確かに本ならネロも、ニコも困ることはないだろう。

「ニコ、ありがとう!」

雑誌を受け取り、胸に大事に抱えて感謝を述べる。
それを見たニコも笑顔で「おうよ!」と返してくれた。

見るだけならネロも、大丈夫だろう。

見るだけ。

見るだけだ。

そう、思っていたのに。




ここ最近キリエは、ある一つの好奇心に駆られている。

ニコがくれたネイル雑誌を見て様々なデザインがあることを知った。中には家事をしても大丈夫なように崩れにくいデザインやネイルポリッシュの存在、敏感爪用の成分の優しいものまであることを知った。

またネイルをする理由についても綺麗にするだけでなく、職業によって爪が割れるのを防ぐためにしている人もいるのだと記載されていた。

ふと、自分の爪を見てキリエは感じた。
子供たちやネロの洗濯物をしているせいか、手は乾燥しており爪にも小さくはあるが傷が多少ある。

右手を空に掲げ、まじまじと自分の指先を見つめる。


(ネイルをしてみたい)


小さな好奇心がキリエに芽生えてしまった瞬間。

しかしそれは、簡単に行動に移せるものではない。

以前、フォルトゥナの外から多くの行商人がやってきてちょっとしたマーケットが出来た時のこと。賑やかな場所へ行ってみたいとネロにお願いして買い物かごを片手に出掛けたのだが、品物を見ているとそこの商人がキリエを見てこう言ったのだ。

『指の綺麗なお人だね。うちの嫁とは大違いだ』と。

急なことに驚いて首を傾げていると、後ろでネロが『あんたの奥さん指が汚いのか?』と尋ねる。すると商人が『ああ。元娼婦なせいか、ケバケバと真っ赤なネイルなんかして、飯がまずくなるってもんだ』と返した。

その時は大して何も思わなかったし、自分の指を褒めてもらえたようだったので悪い気持ちにはならなかったが、その時のことを今思い返すとキリエは少し嫌な気持ちになっていた。

あの時のネロも『娼婦』という言葉を聞いて一瞬嫌そうな顔をしていたのを覚えている。

ネロは、キリエがネイルすることをあまり良く思わないかもしれない。

そんな考えが、ネイルをする難しさをキリエに植え付けていた。





「ネロは、否定しないと思うぞ」

しかしニコは、そんなキリエの悩みを聞いて言った。

「あいつは確かにク…」

おほんっ、と咳き込むニコ。

「いや、口うるさいが人の趣味にケチ付けるほどタマは小さ――」

ゴホンゴホンッと咳き込みながら言うニコ。

「とにかく、あいつは否定しないと思うぞ」

「そう…?」

それでもキリエは不安が拭えなかった。

確かにニコの言う通り、ネロはネイルで人を判断するような人ではない――と思う。優しいネロだから、きっと微笑んで……嫌な気持ちになっても飲み込む。隠す。

昔の、あの時のように。

悪魔と化した右腕を、骨折したと言って誤魔化し隠した時のように。

「やっぱり、できないわ…」

俯いて、自分の指先を見つめる。

何を思っているのだろう。
今のネロなら、そんな隠し事はしないはずだ。

寧ろ真正面から「やめて欲しい」と言ってくれるかもしれない。けれどそう言われるのも、キリエは怖かった。

「ごめんなさいニコ、私…」

「なぁ、キリエ」

ニコが優しく肩に手を置く。

「ネロはお前のこと、否定すると思うか?」

顔を上げると、ニコはいつものように笑顔で言う。

「仮に何か言ってきたら、私があいつをブッ飛ばしてやるさ」

ヘヘッと鼻を掻いてみせるニコ。
その笑顔を見て、キリエは今にも泣きそうになっていた自分の心が晴れやかになるのを感じる。

「ありがとう、ニコ」

でもネロと喧嘩はしないで欲しい、と添えて。
それを聞いたニコも「実際ブッ飛ばされるのは私だろうが…」と。その時はその時だ、とキリエの背中をポンポンと叩き、彼女は持ってきたネイル用品をテーブルに広げると密かに施術を始めたのだった。







翌日からキリエは手袋をして家事をしていた。

子供たちから「おててどうしたの?」と尋ねられた時は「手荒れをしているだけよ」で済んだが、やはり“彼”は見逃してはくれなかった。


ネロだ。


「キリエ、見せてくれ」

ネロは頑固として引かない。

「さっき子供たちから聞いたんだ。キリエの手が荒れてるって。大丈夫なのか、って」

だから見せて欲しい、とキリエから離れようとしない。

優しい彼の言葉に、キリエは申し訳なさを強く感じていた。できることなら彼の言う通りにしたいがそれができない。

彼に対し、嘘をついているからだ。


手は荒れていない。寧ろ、その逆だ。


ニコのネイル施術はとても繊細で、綺麗な仕上がりになった。
さすが機械弄りを専門にしているだけあってニコの技術は素晴らしいものだった。汚れていた爪の甘皮を処理し、凹凸のあった表面を平らに研磨してから念入りに保湿し、ようやくネイルポリッシュで仕上げてもらった。

一日だけネイルするつもりだったので、すぐ落とせるようにポリッシュにしてもらったのに、気づけば三日と経っていた。

そろそろ落とそう。
そう思っていた矢先、ついにネロに捕まってしまった。

ニコがいるときは彼女が足止め役になって難を逃れていたのだが、運悪く今日に限ってニコは外出をしている。

本当にどうしよう。

キリエが考えあぐねていると、先に堪えられなくなっただろうネロがキリエの手を掴んで自分に引き寄せる。

「!?」

彼の思い切った行動はまだ続く。
キリエの手を引き寄せると、今度はそれを覆っていた手袋をあっと言う間に剥がしてみせる。

「…!」

思わぬ光景に驚いたのだろう。
ハッ、と目を見開いて驚いているネロ。

キリエはもう心が落ち着いていられなかった。

「ごめんなさい…!!」

心配をしてくれたのに、裏切るような行為を、ネイルをしてしまったことを。

きっと彼は、ひどい女だと思ったかもしれない。
ぎゅっと閉じた目を開けるのが、彼の顔を見るのが怖くて、キリエは不安で硬直している。

「キリエ…」

そんな彼女を、しかしネロは落ち着いた声で言う。

「ネイル、したのか…」

ふう、と溜息をつくネロ。
やっぱり彼を落胆させてしまったのだろう。
キリエは恐る恐る目を開いて、ネロの顔を見つめる。

「ごめんなさい、ネロ…。あなたに嘘を付いてしまって」

「ああ。本当にな…」

すとん、と肩を落とすネロ。
ますます申し訳なさに心がいっぱいになるキリエ。

やっぱりネイルなんてしなければ良かった。
ごめんなさいニコ。
あなたに背中を押してもらって嬉しかったけど、やっぱりだめだった。

キリエは後悔で心がいっぱいだった。が――



「本当に、良かった」

「えっ…?」

ネロはキリエの手をそっと離すと、今度は優しく抱きしめ背中をポンポンとしてくる。

「心配したんだ。きみの手が荒れてるって聞いて…」

「ご、ごめんなさいネロ…」

「何もなくて良かったよ」

何も?
その言葉に引っ掛かりを覚えるキリエ。

「ネロ、あの…ネイルをして…」

「ああ。それな…」

キリエを優しく離してやると、再び彼女の手を取ってまじまじと指先を見つめるネロ。その熱視線にキリエは『穴があったら入りたい』と恥ずかしさで満たされていた。

「いいんじゃないか…?似合ってる」

ネロは微笑みながら言う。

「ネロは、何も思わないの…?」

「思うって何を」

「ネイルしてる女性、嫌じゃない…?」

「べつに」

意外とそっけなく言うネロに、キリエは驚く。

「誰かの好きなことに嫌いも何もないよ。ニコもネイルしてるけど何とも思わないし。それに――」

キリエの指先に触れているネロの指が、ネイルをしている爪の上を優しくなでる。

「すごく、きみに似合ってると思う。好きだよ、これ」

そう言い、優しく微笑むネロの顔は、嘘偽りのないものだ。

キリエは先ほどまであった強い不安感はなく、ネロのその言葉を聞いて嬉しさと、しかしそれでも嘘を付いてしまったことへの申し訳なさで心がいっぱいだった。

「ありがとうネロ…。でも、ごめんなさい」

「き、キリエ…!悪かったっ」

思わず涙があふれ出す。それを見たネロが慌てふためいて、部屋に置いてあるだろうティッシュ箱を探しに行った。

キリエは指先で涙を拭いて、ニコにも心の中で謝罪をしていた。

さっきまで凄まじい後悔で頭がいっぱいになって、勝手に落ち込んでいた自分が情けなかった。ニコの言う通り、ネロは否定しなかった。寧ろ「好きだ」と言ってくれた。それがとても嬉しくて、キリエはニコに、ネイルをしてくれたことに、自分を勇気づけてくれた彼女に感謝の気持ちであふれていた。

彼女が帰ってきたら、今日のことを言おう。


そしてもう隠さなくても良い。


ネロが受け入れてくれた。そう思っただけで、心が躍る。

指先できらきらと輝くネイルは、とても美しい。

右手を天井に掲げて、キリエは強くそう思った。
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