父の日
仕事を終えてシャワーを浴びながら、ネロはあることを考えていた。
先月の、母の日を終えてからだ。
ずっとそのことが頭から離れない。
“父の日”についてだ。
一体、何を贈ればいいのだろう?
思い浮かぶバージルの背中。
あの男が自分の父親だという実感は正直、ない。
それは向こうも同じだろう。
食事の席で隣になっても特にこれと言って会話がない。せいぜい仕事の話をする程度だ。
そもそも親らしいことをされたことが、ない。
強いて言えば悪魔狩りをしている最中で、バージルに何度か助けられたことがある。
しかしそれは“親だから”ではないだろう。
ネロに何かあっては今後の仕事に差し支えるからに違いない。
依頼人と話したり、現地まで車を走らせたりとその他諸々…
「ハァ…」
(何考えてんだおれ…)
ぐるぐると考えながら体に付いた泡をシャワーで洗い流し、溜息をつく。
次に頭を洗おうとした時だった。
いつも使っているだろうシャンプーのボトルをプッシュした瞬間。
「あっ、やべ!」
間違えてバージルが使うシャンプーボトルをプッシュしてしまった。
掌に広がる、クールミントの香りがするシャンプーの液体。
これはバージルが愛用しているもの。
それと同会社の別シャンプーをネロも使っていた。
(おれの使ってるヤツと似てるんだよな。外側が)
このまま洗い流すのも勿体ないので、とりあえず頭に付けて洗ってみる。
確かにバージルの髪から匂う、あの香りと同じだ。
おまけに頭皮が、なんだかスース―する。目が覚めそうな爽快感。
(って、こんなとこに…)
髪を洗いながら風呂場を見渡すと、ネロが使っていたシャンプーボトルがなぜかダンテのシャンプーボトルの隣に置かれていたことに気づく。
(まったく、バージルだな…)
そういえば今朝、シャンプーのことで兄弟喧嘩していたのを思い返す。ダンテが勝手にバージルのシャンプーを使うせいですぐ無くなる、という内容だ。
「いつも同じシャンプーを使ってると飽きる」と言うダンテをバージルがくどくど注意していたが、ダンテは反省なく寧ろ兄のシャンプーを気に入って「また使わせてくれよー」と言う始末。
そんな弟に対し、おそらくバージルはネロのシャンプーボトルにすり替えることで自分の物を使わせないようにしたのだろう。根本的に何も解決してないが。
まさか今度はネロが使ってしまうことになるとは。
もちろんわざとではない。事故だ。
「あー…」
バージルのシャンプーボトルを試しに持ち上げて振ってみる。
量があと少ししかないのだろう、軽い。
今週は仕事が多いし、詰め替え用を買いに行く暇があるかどうか。
「あっ…」
そこでふと、ネロはあることを思いついた。
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ネロが風呂に入り終わったら、次はバージルが風呂に入る。誰が決めたわけではないが、自然とそういう流れになっていた。
そろそろネロが風呂から上がってくる頃だろう。
見計らって脱衣所に入り、風呂に入る支度を始めるバージル。
「おっ」
「ん」
ガラッ、と風呂場の扉が開くと体を濡らしたネロと目が合う。
瞬時、風呂場から流れてきた匂いに覚えを感じ、バージルの眉が吊り上がる。
「ネロ…」
「わ、わりぃ!!」
慌ててネロはバスタオルを頭に被せ、脱衣所に置いてあったパンツを穿くとそそくさと立ち去る。
「全く…」
その様子に呆れるバージル。
ネロもまさか自分のシャンプーを使うとは。
「……」
顎に手を当てて考え込む。
そこまで不愉快に思っていない自分を、バージルは不思議に思っていた。
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翌日、空き時間をなんとか作り、街中のとあるショップにやってきたネロ。
店前には“父の日にオススメ”と描かれた看板とギフトセットの見本が陳列されており、まさにそれ目当てにネロはやってきたのだ。
店内に入ると真っ先に目に入ったのが山のように積まれた固形石鹸。まるで洋菓子店にあるマカロンタワーの様に置かれているが、その石鹸の形が本物のマカロンに見える。それが幾つも置いてあり、中にはケーキの形を模した物もある。
(ダンテが見たらわりとテンションが上がりそうだな)
この店は女性の間で流行っていて、主に化粧品からバス用品まで取り扱われている、ハンドメイド化粧品店だ。
石鹸なのに食べ物のような形をしているのと、匂いまでもがそれに近い。キリエからこの店の話を聞いていたが、まさかここまで再現度が高いとは。あと女子力が強い。自分は場違いすぎる。
聞くところ化粧品の成分は肌に優しいもの、オーガニックなど自然に配慮したものらしい。
(財布的には優しくない値段だけどな)というツッコミは心の中に。
しかしこれらを父の日に贈るのは度胸試しか、怖いもの見たさか。
どんな反応をするのか気にはなるのだがそうじゃない、と好奇心を振り払う。
(もうちょっとこう、大人なものはないのか…?)
これらはさすがに乙女チックすぎるかもしれない。
「あっ…」
しかし店の奥まで行くと、あるものが目に入る。
青いバラの蕾が4つ、小さな箱の中に収められ飾られている。
商品の札を見るとバスソルト(入浴剤)と書かれてある。
「これが入浴剤…?」
あまりの完成度の高さに「すげぇ」と声が漏れる。
どう見ても生のバラの花にしか見えないのだ。
商品を手に取ってまじまじと見ると、箱からほのかにバラの香りが漂う。
そして値札の横に商品についての詳細が書かれており、湯に浮かべると花が咲き、お湯が薄い青に色づくのだと記載されている。
これは良いのかもしれない。
「すみません、あの」
店員を呼び、手に取った青バラの入浴剤とシャンプーのギフトセットを見繕ってもらう。
「あっ、あとあれも」
ついでに、ともう一つ商品を注文する。
ネロの指先にあるのはイチゴパフェを模したデザート石鹸だ。
(おっさんにも買ってやるか)
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父の日、当日。
夕食を終え、ネロが風呂に入っている時間帯。
現在リビングでバージルはいつものソファーで寛ぎながら読書をし、ダンテはその向かい側のソファーで品もなく足を投げ出して寝転んでいる。ちなみにその顔には、グラドルの写真が載った本を開いたまま顔に乗せて寝ている。
特にこれといって何もない、いつもの光景。
しかし、今日は違った。
「ところで…ネロになんか貰ったか?」
ちらっ、と顔に乗ったグラドルの写真本を摘まみ上げ、そう尋ねるダンテ。
「なにも」
視線は本に落としたまま、そっけなく返すバージル。
「……。そうか」
摘まみ上げた本を下ろし、再びソファーで寝始めるダンテ。
その行動に奇妙なものを感じたバージル。
いつもなら突っかかってくる弟に、なぜか違和感を覚える。
「なぜ聞く」
「ん?いや…なんでもねぇよ」
ダンテは背を向けるよう体制を変えるが、同時に顔に置かれていた本が床に落ちるがそれを拾おうとしない。
妙だ。
本当に何もないのなら、わざわざ“聞く”という行動を取らないだろう。
「なんだ。言え、気になるだろ」
「そ、そうかー…?」
ちらっ、と顔だけこちらに向けて苦笑いをするダンテ。
その怪しさに眉を吊り上げるバージル。
「えっと、な。怒るなよ…?」
寝ていた体を起こし、両手を見せてステイをするダンテ。
「今日“父の日”だろ?」
「……」
パタン、と本を閉じる。
「何のことかと思えば…」
「アンタ一応父親だろ?悪い父親ではあるが、――」
「くだらん」
一体何のことかと思えばと、呆れて溜息が漏れるバージル。
(だが…)
思えば、ネロから何も貰っていない。
「……」
ふと、部屋の時計を見る。
そろそろネロが風呂から上がる頃だろう。
「どうでもいい」
本をテーブルに置き、ソファーから立ち上がる。
「どこいくんだよ」
「風呂だ」
不機嫌そうに答えたバージルは、眉間に深い皺を刻んでいた。
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脱衣所に向かう足取りはやや不機嫌なものだった。
(ダンテめ……)
父の日が、なんだ。
確かに自分は良い父親ではないし、知らずとはいえ息子の腕をもぎ取った男だ。
そんな男が“父の日”など祝い事に値しない。
何もない。
なんともない、のだ。
(ダンテめ……)
自分に言い聞かせるまでもなく、考えるまでもなかったのに、ダンテが余計なことを聞いてきたせいでバージルの心の中はざわついていた。
(何を…)
やめよう。よそう。
自分は期待を抱くに値しない男だ。
そもそもお互い親子だと気づかなければ、本当に何もなかった。
何もない。
何も、無いんだ。
『“無いものねだり”か?』
ふいに、頭に響くVの声。
「ああ。無いものねだりだ」
自分に言い聞かせるよう、呟く。
「あっ」
脱衣所の扉を開けると、すでにネロは風呂から上がって髪をタオルドライしていた。
「ん」
悟られないよう生返事をする。
脱衣所に入り、上着を脱ごうと服に手を掛けた時だった。
「あのさ」
まだタオルドライを終えてないのか、頭にタオルを被せたままのネロが話しかける。
何やら右手を後ろにモゾモゾとしている。
「なんだ、ネロ」
声を掛けられ、服を脱がす手を止める。
「えっと」
気まずそうに指先で顔を掻くネロ。
あえて目線を合わせないようにしているのか、こちらを見ようとしない。それどころかタオルで目元が見えない。
「何かあったのか?」
挙動不審なネロに、違和感を覚えるバージル。
「これ、なんだけど」
「!?」
右手から差し出された小さな箱。
それを見た瞬間、硬直するバージル。
“ネロに何か貰ったか?”
“無いものねだりか?”
ダンテとVの声が、脳内に響く。
「今日、父の日だろ」
ネロはまだ視線を逸らして言う。
「一応、その…さ」
ちらっ、とタオルから見える息子の瞳。
初めて出会った時は殺意で満たされていたが、今は穏やかで、優しさに溢れている。
これが本当に俺の子なのだろうか?
彼の瞳を、人間性を見るたびに疑問に思う。
差し出された箱を受け取り、ラッピングされている包装を見ると「thank you father」と書かれた文字がある。
「……ありがとう、ネロ」
「お、おうっ」
再びタオルドライをするネロ。いつも以上に手をバタバタと動かして、まるで自分の顔を隠すようにそそくさと脱衣所を出て行った。
そしてまたバージルも、受け取った箱を見て自分の口元を慌てて手で隠した。どこでダンテが見ているか分からないからだ。
こんな綻んだ自分を、見られたくない。
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「やっちまったか?」
不機嫌に足を鳴らしながら出て行った兄を、しかしダンテは内心楽しんでいた。
くだらん、と興味なさげに言うわりにはバリバリ気にしている兄の反応が面白くないわけがない。もう少しいじり倒しても良かったかもしれない。いや、やりすぎると後が怖いからこれで良かったか。
「しかしな…」
あのままネロに突っかかって事態がややこしくならないか、そこだけが不安だ。
(まぁ、大丈夫だろ)
あれでも大人だ。バージルもネロも、今はまだ親子の自覚はないかもしれないが、うまくやれるだろう。
「さて…」
バージルが風呂から上がるまで、また寝直そう。
ダンテは再びソファーの上で寝転び、静かに両目を閉じた。
そして頭の片隅で、甥っ子に貰った石鹸をどう使えば良いのか、勿体なさと本当に食べられないのだろうか?と考えていた。
fin
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