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Remembrance




◇”L”◇




「竜崎?」

 私はもう一度呼び掛けた。

 彼が部屋に這入ってきてからもう5分以上が経過していた。
彼はようやく私の声に気が付いたかのように「何でしょう?」と平坦に答えた。私もまた長い沈黙などなかったかのように彼を見上げた。

「なにか起きたのですか?」

「いいえ、まだ何も」

「……そうですか」

 Lは、私の椅子の傍らの床に座った。彼が子供の時にそうしていたように。

 このまま場所がワイミーズハウスであれば、目の前には燃えさかる暖炉があり、窓の外では雪が降っているのだろう。クリスマスツリーが飾られていて、Lはその手にシュガーケーンを持っているかもしれない。

 だが、私達が向かい合うのは冷たい光を放つモニターの前であり、雨の降る東京だった。

 ――L、どうかなにか話してくれ。
 ――この事件がどう終わるか、いつものように話して聞かせてくれ。

 私は彼の肩に手を置き、もう一度、淡い願いと共に彼の言葉を待った。

 あの事件以降――私たちの《始まり》から一貫して、こうやって座り、沈黙するLの言葉を待つのは、必ず事件の終わりが近づいているときだった。

 今やLと私は必ずしも同じものを見ているとは限らない。必ずしも隣にいられる訳ではない。相談するまもなく単独行動を選ぶ彼にだけ見えているものがあり、彼だけが知る結末がある。

 事件が終わったとき
 終わりに向かうとき
 それがどのような結末であれ、Lは私の傍らに座って事件の話をしてくれた。

「…………」

 だが、キラ事件は解決していない。
 解決に向かう兆しもない。

 キラによる裁きは再び始まり、捜査本部はモニター越しでもはっきりと見て取れるほどに混乱しており、まさに混沌の中にいる。そしてLがもっとも睨んでいる青年、夜神月は一人、涼しい顔をしている。

「…………」

 そしてLは――未だ、何かを語りだす気配がない。
 どれも__どれもが全て、不吉な兆しだった。

「……ワタリ」

 Lはようやく口を開いた。

「もしもの場合……どうするべきか、分かっていますね」

 それは、何よりも聞きたくない言葉だった。

 ――「はは、何を言っているんだ、もしもの場合なんて不吉なこと、考える必要もないじゃないか」――まさか。そんなことが言えるわけがなかった。

 いつかの私ならば言ったかもしれない。だが、優しい嘘は子供のためのものだ。Lはそういうものを欲しがらない。昔の《子供だった》彼すら、欲しがらないだろう。

 そう――だから私はこう答える。
 たとえ心の底で彼が聞きたくない言葉だとしても。

「ええ、分かっていますよ。それより……そろそろ決めなければなりません。竜崎、意思は固まりましたか?」

 肩に乗せた手から、彼の痛み伝わってくるような心地がした。分かっている。Lはこれを望んではいない。不本意だろう。私だってしたくはない。だが、為さねばならぬことだ。

 たとえ《L》の始まりが小さな部屋の中で膝を抱える少年だとしても、世界にとってのLはそうではない。

 世界にとってのLという存在は『裏のトップ』であり、『切り札』であり、難事件を解決する『世界一の名探偵』だ。

 あるいは憎み、妬まれ、こう言われることもある。

 Lは難事件しか解決しない。
 Lは我儘だ。
 Lは事件の解決をパズルや遊びだと考えている。

 だが、そんなLという名前を、誰かが継がなければならない。

「先日の通信での様子を見る限りは……メロかニアです。あの二人だけが静かにこちらを観察していました」

「ほう、そうですか」

「……予想していたという口振りですね」

「いえ、そんな大層なものではありません。二人ともどことなく昔の貴方に似ているような気がしていたもので」

 勿論、黙って観察していた姿や目つきの悪さのことでもあるが、それだけではない。

 ニアはワイミーズハウスのナンバーワンであり賢く論理的だが、こと身体面では頼りない。行動力にも欠ける。一方メロは、少々我が強く頑固なところがあるが、咄嗟の判断力と行動力に優れている。論理と直感、慎重さと俊敏性――一番いいのは彼らが協力しあうことだが――まぁ、最終的な判断はLに任せよう。

「どこが似ているのかさっぱり分かりませんが……その方向性で行きましょう。ロジャーへ連絡しておいてください」

「承知いたしました。夜までに再度資料を揃えますので、もう一度話をしましょう」

「……ええ、お願いします」

 それから――再び、静寂が訪れた。
 疑う余地なく、時間は限りなくゆっくりと、しかし確実に終わりへ流れていた。

 終わりは――終わりはいつでも受け入れよう。
 悔しさは残るだろう。
 思い残すこともあるだろう。
 惜しみもするだろう。

 それはLも同じだろう。ましてや彼は幼稚で、負けず嫌いなのだ。

 だが、やってきたことすべてに意味は残る。慰めではない。Lはこの世の誰よりも世界を変えたのだと、私は胸を張って言おう。私達はよくやった。できることも、無茶なこともやってきた。一度も振り返ったことは無い。だが、今こそは言える。私たちは本当によくやった。

 L――二人が世界で成し遂げてきた成果を追い抜けるものなど、どこにも存在しないだろう。



「……ワイミーさん」

 それは、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの小さな声だった。彼は緊張していた。私は彼の意図を汲み取りながら、記憶の中の小さな少年と、目の前の青年に優しく答えた。

「どうしたんだ?」



 Thankyou, for everything.
「今まで、ありがとうございました」

 ――そこに込められた数々の意味を受け止めて、
 私はただ、彼の肩に手を乗せた。

 No, L. Thank you.
「私こそ――ありがとう」




 そしてLは静かに立ち上がって、部屋を後にした。
 それはいつもと全く変わらない足取りだった。自信に溢れていて、そしてどこか冗談じみた飄々としたものだった。

 沢山の監視カメラがLの向かう先を示していた。彼はまず捜査本部に戻り、そしてしばらくしてから一人で廊下へと出た。向かったさきは、雨の空をひたすら映し出していたモニターの中――屋上のヘリポートだった。

 彼は一人、傘も差さずにフェンスの近くに立っていた。何をするでもなく亡霊のように雨に濡れていた。

 そして、もう一つの人影が現れた。
 夜神月だった。

 その名を見た瞬間からLがキラであると疑った青年だ。誰からも好かれる好青年で、優等生で、演技にしては大げさな動作と言動、自然といつかの誰かを思い出させる存在だ。彼はLの言葉を信じるのでも疑うのでもなく、嘘で受け止めた青年でもある。

 ――初めての友達と言っていたが――それが本当か嘘かまでは私には分からない。

 モニターの中、灰色の空の下で。二人は言葉を交わしていた。

『鐘の音が聞こえるんです』

『――何も聞こえない』

 彼らの言葉を遮るように、雷鳴が鳴り響く。
 だが、Lの中で鳴っているのはあの日の鐘の音だろう。

 幾度も、幾重にも。
 幾度も、幾重にも。
 幾度も、幾重にも。

 終わりを告げる鐘が――今、私にも初めて聞こえた。

『すみません。私の言うことはみなデタラメですので、一言も信じないでください』

『――』

『生まれてから一度でも、本当のことを言ったことがあるんですか?』



 ――。

 私はそのモニターの表示を消して、ノートPCへと向かった。


 さて、そろそろこの手記も終わらなければならない。

 Lの名を継ぐ者へ。
 Lを知り、Lになろうとする者へ。
 Lを超えようとする者へ。

 つまり――Lもまた、君たちと同じく一人の人間だということだ。

 君たちと同じく彼の記録は誰かの記憶だ。君たちと同じく彼の言葉は誰かの言葉だ。君たちと同じく彼の傷跡は誰かの願いの果てだ。君たちと同じく彼の傷は癒えない。君たちと同じく、彼を突き動かすのは誰かの亡霊だ。君たちと同じく、ここにはいない誰かを想っていた。君たちと同じく死を恐れ、君たちと同じく心を持たないこともある。君たちと同じく寝て、笑い、怒り、泣いた。君たちと同じく嘘をついた。君たちと同じく、ここに生きていた。

 始まりすら、その一部でしかない。
 皮肉ながら、これで終わりにしよう。


 この手記の終わりが、君たちの始まりとなることを願いながら。







The Cases of Winchester -END-
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