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Ghost




◆グリニッジ天文台◆



「俺、すっげー憧れた先輩がいてさ」

 前触れも突拍子もなく、青年は話し出した。傍らで手を引かれて指を咥える少年は彼の突然の話題変換には慣れていた。

 青年が嘘つきだと、少年はよく知っていた。
 彼は普段、自分のことを《僕》という。そして少年のことは《少年》と呼んでいた。だが、まるで色を変えるカメレオンのように、自分の前ではその口調と態度が全く別のものに変わる。

 少年は知っていた。
 青年は嘘つきだが、自分の前ではほんの少しだけ正直になるのだと。

「なぁL、聞いてるか?」

「聞こえてます」

「聞こえるだけじゃ寂しいだろ。聞いて欲しいんだよな、俺」

「……」

 Lと呼ばれた少年はじとりと顔を上げ、再び歩く先へと視線を戻した。それを了承だと受け取った青年は満足げに「よしよし」と笑みを浮かべた。

「かっこいい先輩だったんだ。クールで、野性的な直感が冴えてて、ブルネットの髪もちょっと他とは違う感じでさ」

「……」

「俺の先輩刑事だったんだよ。捜査とは全く関係ない場所で死んじゃってな。でも生きてたら今頃は警部になってたんじゃないか?」

「……」

「それでさ、クールで冷たいような人でさ、結構ロマンチストといか、不思議な人でもあったんだ。事件の捜査を毎度、《これは勝負だ》って真顔で言ったり、顔色悪いなぁと思って心配してみればうっかり三日も寝てなかったと自分でびっくりしてたりさ」

「……」

「俺、世界で一番自分のフルネームが嫌いだったんだけど、それを遠慮もデリカシーもなく言い当ててさ。『全然悲しい名前なんかじゃない、素敵な名前だ、気に入った』って聞いてもいないのに熱弁したり」

 Lは何も言わない。

「屋上でぼーっとしてんなぁと思って訳を聞いたら星を見ていただけだって答えたり。曇り空なのにだぞ?……まぁ、だから俺もこうしてたまに星を見に来たくなるんだけどな」

「…………」

「ん、L、お前本当に聞いてるか?」

「ラークは」Lは平坦に言った。「その人のことが好きだったんですか?」

 青年は――ラークは足を止め、Lを見下ろした。当の本人は彼を見上げるどころかまるで興味がなさそうに指を咥えて前を見ているだけだった。

「んーまぁ、そうだな、好きだったよ」

 彼は答えた。

「けどな、少年。僕の言うことはデタラメだから信じるなっていつも言ってるだろう?――なんてな」

「そうですか」

「だがL、どうしてそう思ったのかは気になるな。教えてくれよ。いつもの犯人の行動分析みたいにさ」

「何も難しいことではありません。僕には――おそらくまだ、恋愛感情がよく分かりませんが、それでも普通以上に興味があるのだということは分かります。職務上の憧れの話であるはずなのに、理由の列挙がまるで無関係のものばかりです。何より貴方がその場にいない人間を褒めたのを見たことがありません」

「俺だって誰かを褒めることくらいあるさ」

「ですが、誰にも興味はないのでしょう?」

「……はは、君は最高だな。ほら褒めたぞ」

 目の前の人物を褒めることはむしろ珍しくないのがラークだ、Lはそう思ったが敢えて言わなかった。

「L、お前には少し早いかも知れないけれどな、人が他人に興味を持たないのは普通のことなんだよ。人の脳は一度に一つのことしかできないようにできている。複数のことを考えているときは素早く切り替えているだけだ。だがどんな人間でも切り替えには無駄なエネルギーを消費するし、だから皆、それを無意識に面倒だと感じるんだ。まぁ、だから《関心事》意外に意識を向けるっていうのはすごく……異常なことなんだ」

 いつもの軽口と何一つ変わらない調子で言いながら、ラークはLの手を引いた。彼らは電車を乗り継ぎ、改札を出たところだった。道路を挟んで向かい側に、観光客で賑わうグリニッジマーケットが見えていた。

「何か食うか?」

「はい」

「何が良い?」

 Lはぐっと腕を伸ばして前方を指差した。曖昧な方向指定を追って、ラークは目をこらした。

「……どれだ?」

「あのブラウニーです」

「あぁ、あれか」

 前方のパストリーショップに、屋台そのものと同じ高さにまで積み上げられたブラウニーのタワーがあった。苺やクッキーとともに積み上げられたそれは、ピサの斜塔のように不安定に、しかし魅惑的に人々の目を惹いていた。

「一つくれ」ラークは五ポンド札を店の内側へ差し出した。「あぁ、あとそこのチョコレートストロベリーは二つ」

「全部で八ポンドですよ」

「はいはい、じゃあこれで」

 彼は五ポンド札をポケットに戻して十ポンド札を代わりに差し出した。白いパティシエ服の店員は肩を竦めると、ブラウニーを袋に包んで、新鮮な苺に串を刺すとチョコレートに浸した。

「はいどうぞ」

 そのうち一つは直接Lに手渡された。Lは目を丸くして恐る恐るといった調子で受け取った。

「ありがとうございます」

「落とすなよ」

「――つまり貴方は」苺をぺろりと舐めてから、Lは言った。「今でもその先輩のことを尊敬し、愛し、他の人間への興味を持てないということですか?」

「ぶっ」

 ラークは吹き出した。
 食べかけの苺が石畳に落ちて転がる。

「お前なぁ、そうそう気軽に《愛してる》とか言うもんじゃないぞ……」

「どうしてですか」

「それは……」

「……」

「……駄目だ。お前を納得させられるような理由が思いつかない」

 やれやれと息を吐いて、ラークはマーケット近くのベンチへと腰掛ける。Lの隣に並んで座ると、両足を引き上げて小さく縮こまるような体制に収まった。

「それにしても俺の下調べ不足だった。宿まで取って夜に星を見る予定だったけれど、天気は曇り。それにご丁寧にプラネタリウムもあるときた」

「自業自得です」

「おい、そのブラウニー食っちまうぞ」

「冗談です」

「……ほう?」

 空は既に暮れかかり、オレンジ色から藍色へと遷っていた。星を見るなら電車に乗ってグリニッジ天文台で、という安直な計画に強引につれてこられたLだったが、普段は食べられないお菓子を一気に二つも買って貰えたのはラッキーだと彼は思う。

「――で、どうなんですか」

 話題を戻すように――即ち、人の行動と心理の分析に戻ったように、Lは言った。

「貴方はその先輩のことをまだ愛しているということですか?……愛でも恋でも好きでもなんでも……そのあたりはどうでもいいですが」

「…………まぁ、そうだよ」

「ということは、さっきの話で言うと、《一つのこと以外も考えている状態》……つまり、貴方は《異常》だと、そういうことになりますが」

 苺の最後のひとかけらをパクリと飲み込んで、Lは指を舐め始める。ラークはその七歳の少年を驚いたように見つめていたが、思い出したように「はは」と演技じみた笑いを漏らした。

「もしかすると僕は異常かもしれない。はは、そう言ってくれたのは二人目だ」

「その口ぶりだと、一人目は例の先輩ですか?」

「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まぁ、重要なのはそこじゃないんだ。俺はただ異常なんじゃない。もしも異常なのだとしたら、そうさせてるのは優しくありたいという気持ちだ」

「優しく?」

 Lは目を丸くして、疑うような視線をラークに向けた。軽口ばかりの彼ではあったが、さすがに適当すぎると思った。

「自分の関心事、自分の大切なもの、自分以外を想って行動すること、そんな異常なことを人にさせるのは優しさのほかにないだろう?」

「……」

「怒りや悲しみに人は我を失う。復讐や憎しみ、憧れや欲望、恋愛も敬愛も敬愛も、どれも人を盲目にし、他の感情を曇らせるだろう?」

「――たしかに、そうですね……」

「はは、まぁ、つってもこの話からしてその先輩の受け売りなんだけどな」

 ラークがけろりと前言を撤回するようなことを言っても、Lは指を咥えてじっと思考するように沈黙していた。

「ヒバリ、その先輩というのは――」

「お、雨だな」

 灰色のレンガにぽつりと雨粒が落ち、その次にLの鼻先がひやりと濡れた。二人が気が付いて顔を上げたのに併せて雨脚は一粒ごとに強くなっていく。

「うおっ、これはもう駄目だな。とりあえずホテルに行こうL」

 跳ねるように立ち上がったラークに遅れて、ブラウニーの袋をつまんで持つLが彼の後ろに隠れるようにして歩く。二人は駅の近くのホテルへと駆け戻り、乾いたベッドへと腰を下ろした。

「ちょっと濡れちまったな」

「…………」

「まぁ、星は明日の朝にでもプラネタリウムに行けば良いか」

「……はい」

 頭にタオルを乗せたまま、Lは返事をした。窓の外の雨は酷くなるばかりで、観光に訪れていた人々の多くが傘を持たずに雨宿りするか、駅へと駆け込んでいった。

 そんな人々を見ているうちに、慣れないお出かけの疲れもあってか、事件の捜査で寝ない夜が続いたからか、Lはうつらうつらと眠りに落ちてしまい、気が付いたときにはすっかり外は夜になっていた。

 ほとんど無意識に隣のベッドとソファーとバルコニーを見回して、そして気が付いた。

 ラークがいない。

 Lはベッドから起き上がって窓枠にしがみついた。すると、すぐ真下に見慣れた服装が見えた。

 白いシャツに青いジーンズ――未だに窓ガラスを叩きつける雨の中、傘も差さずに、ポケットに手を入れて何もせずに立っている――Lは、部屋を出て、彼の元へと向かった。

「……ヒバリ」

 一度目の呼びかけに、ラークは答えなかった。

「ヒバリ!」

 二度目でようやく彼はゆっくりと振り返る。Lはホテルの入り口の屋根の下から叫んだ。

「そんなところで、何をしているんですか?」

 ラークは面白がるように口の端をつり上げ、ゆっくりと片手を耳に当てた。

 ――「雨の音で聞こえないな。もう少し近くで言ってくれないか?」

 一瞬迷って、Lは仕方なく雨の中へと出て行った。見るよりも強い雨だった。水の香りと草の香り、遠くから雷鳴が聞こえた。

「やぁ、起きたんだな」

「こんなところで、何を?」

 とぼけた表情のラークに、Lは不機嫌に問う。ラークは笑うでもふざけるでもなく、遠くを見たまま「あぁ」とぼんやり答えた。

「やっぱり星が見えるんじゃないかと思ってさ」

「……こんな雨で、雲も厚いのに?」

「ほら、見えたら綺麗だろ?」

「……」
 全く会話にならない。

 不満げにじとりと雨に濡れる少年を見下ろして、ラークは濡れた手をその頭に乗せた。

「ありがとう、L」

「……?」

「お前だけだよ、俺のことを信じてくれるのは」

「何のことですか」

「事件のことさ」ラークは遠くを見たまま言う。「不審な爆破が相次いだ。いつか被害が出るかも知れないと俺が言ったとき、お前だけは同意して、もっと資料がほしいと言ってくれただろう?」

 そしてそれは現実になった。
 人が死に、被害はゼロではなくなった。

「……それに、こうして雨の中にまで出てきてくれただろう?」
 
「……」

 まるでわけが分からないという風に見上げるLに、ラークはどこか自嘲混じりの笑顔を浮かべる。

「七年前――先輩は気付いていたんだ。自分が命を落とすことになった事件の、その前触れに――でも、誰も信じなかった。誰も耳を傾けなかった。俺すらも『そんなはずがないじゃないですか』なんて笑いとばして、元気づけたつもりだった。……だが、結果はこんな有様だ。……彼女は死んだ。孤独な正義と、理解されない才能――大切なものを守れなかった。……互いにね」

「…………」

 どの事件のことか、Lには分からない。何も知らない。だが、その《七年前の事件》で多くの人が犠牲になり、もしかすると自分も関係しているのかもしれない――両親の死因と何らかの関係があるのかもしれないと、ラークの口調から推測だけはしていた。

「……あの事件もそうだった。全く被害のない不審な爆破が相次いで起きていたんだ。後から分かったのは、《あの悲劇》に至るまでの爆破には日時と地点の法則性があったということ。防げたはずの悲劇だったんだよ。犯人が捕まる必要なんてない。ただ一声――ただ一声でいい、彼女の言葉を信じて、それを受け入れる人間がいればよかったんだ」

 ここにあるのは間違ってしまった未来だ――ラークは消え入るような音量で言った。石畳を跳ね返る雨で靴が濡れる。嵐のような風に前身が吹き曝されていく。

「世界に必要なのは才能だけじゃない。その声を聞き届け、受け入れる存在も必要なんだ。そして、起こるかもしれない悲劇のために動ける優しさもな」

「……その話は、もしかして……」

 途中で言い留まったLの脇にしゃがみ込んで、ラークは首を振った。

「……悪い。俺の言うことはほとんどデタラメだ。一言も信じないでくれ」

「……」

 ――Lは今度ばかりは納得いかない、と思った。

「……貴方は」

 今度ばかりは問い返さずにはいられない。Lは顔を上げて、嘘を貼り付けたような笑顔をきっと睨みつけた。

「生まれてから……一度でも本当のことを言ったことがあるんですか?」

「――」

 時が止まった。
 一秒、二秒、そして静止――しかし雨だけが降り続けていた。

 青年は少年の暗い瞳から逃れることができず、その目を見開いた。少年は返答を待った。前髪を伝って雨粒が落ちていくが、まるで見えていなかった。

 ラークは力が抜けたように「はは」と笑った。

「……分からないよ」

 自分でも分からない、とラークは言った。

「でも、君なら分かるだろう?――少年」

 再び演技じみた口調で彼はゆるりと笑う。Lの視線は鋭く向けられたままだった。

「君になら、分かるだろう?」

「…………」

「僕は、どっちだ?……教えてくれよ。もう、分かってるんだろう?」

「…………」

「はは、君も嘘が上手だな」

 彼を見上げて睨み、沈黙するLに、ラークは再び緩く笑みを浮かべた。雷鳴が響き、冷たい風が吹き抜けていった。

「僕にも自分のことが分からない。でも、僕が何と言おうが真実は真実だ。正義が正義であるようにな。例えば、そうだな――北極星がどこにあるかなんて、嘘のつきようもないだろう?」

「……」

「ほら、戻ろう。ずぶ濡れだ」





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