The boy
「やぁ少年、とそこの紳士はワイミーさん!やぁどうもやぁやぁ、ブリリアント!今日もいい天気ですねぇ」
「…………」
確かに外は快晴だ。ラークの笑顔が爽やかであることにも疑いはない。そう、彼が好青年であることは間違いない。それに若き警部補、優秀だ。人当たりもいい。だが、この形容しがたい偽物っぽさは一体なんなのだろう?
「楽しそうですね。僕も混ぜてください」
「ごほん……フローリック警部補」
私は咳払い交じりに言った。
「はい。どうしたんですか、畏まってしまって。僕のことは気軽にラークとお呼びください」
「何故ここに?」
彼はあどけない少女のように数回、瞬きをした。
「何故ってそれは、Lだからです」
「誰が?」
「僕が」
「……この少年は?」
「はい、彼もLです。ここにいるということは、もう聞いているということですよね?」
あぁ、なんていい気分だ。ブリリアント、諸君。
会って三回目にして、この男は私の気長という長所を文字通り短気という短所に書き換えようとしている。興味深い。
「……失礼。単純明快で分かりやすいこのこの上ないのですが、もう少々、難解でも構いませんので《詳しく》お話しいただけませんかな?」
自分の頬が引きつるのを感じる。視界の隅で(少年の方の)Lが私達をじっと観察している。
ラークは少年を見下ろし、小さく息をついた。微笑はそのままに私を見た。
「ワイミーさん。……お伝えすべき事実を一部、伏せていたことを謝罪いたします。僕は、貴方と同じなんです」
「私と同じ?」
「ええ、僕とこの少年は、二人で《L》という一人の探偵を創り上げているんです――七年前の貴方と、シックスフィート先輩の《Q》と同じです」
「Qと……同じ?」
「ええ。とは言っても、僕はただの代理です。全ての謎解きはこっちの少年に任せてしまっていますけどね。彼は言うなればブレインであり、ブラックボックスです」
「……ブラックボックス……」
「ええ。彼が必要以上に用心深くならなければならない理由は、言うまでもありませんね?」
私はLを見た。小さな手が、がりがりと文字を書いていく。彼はこちらに目もくれない。信じていない訳ではない。だがもし本当にこの少年が天才と呼ばれるほどに難事件を解決する能力を持っているのだとすれば――確かに危険だ。
「……才能は理解されず、それどころかより人を遠ざける。だから僕が代わりに――いえ、二人で一緒に《名探偵を創った》んです」
な、少年、とラークがLに声を掛ける。しかし彼はそれを無視した。
「ワタリ、ヒバリの話を聞いても時間の無駄です」
顔を上げずにLはそんなことを言った。
「ヒバリ?」
「あぁ、僕のコードネームです。ラークを日本語で言うとヒバリなんだそうです」
「見てください」
Lは床に広げたウィンチェスターの地図を指さした。
私が買ってきたものだ。いつの間に引っ張り出していたらしい。
「これが三日前までの五つの爆破地点です」
Lの下で、地図はまるでピクニックのレジャーシートのように大きく、彼はちょうどウィンチェスター駅の真上に座っていた。そして指さすのは地図の右端――ハイウェイのM3付近だった。黄色で示された道路に沿って、ジグザグに赤い点が五つ並んでいる。自分で書き込んだのだろう。
Lは端によけていた五枚の写真を両手で一気に引き寄せると、それぞれの現場の赤い点の近くに並べた。
「これらの現場写真を見て、ある共通点を見つけました」
「共通点?」
「はい。一文字ずつメッセージが残されています」
Lは左端に置いた写真を指差した。
「第一の現場です。ほとんど見切れていますが、ここに木の板があります。そして、たった一文字、ペンキで《E》または《M》、あるいは《W》と書かれている」
屈んでも見えなかったので、私はLの傍らで膝を折った。写真の右上に、テーブルの破片のような木片が写っている。
「確かにアルファベットは書かれている。だが、これが一体どうしたんだ。犯人が残したメッセージだとでも言うのか?」
「ええ、そうです。この木片は、ひとつだけ焦げていない。つまり、爆破の後に置かれたものだということです」
「…………」
「同様に、注目しなければ見落としてしまうだろう《やりかた》で、残りの四つの現場にもメッセージとなるアルファベットが示されています」
Lがそう言うので、私は残りの四枚の写真を目を細めて注視した。しかし、Lが言うように、アルファベットのメッセージらしきものは見当たらなかった。ありふれた看板が映り込んでいたり、ナンバープレートがあったりと、むしろ《メッセージ的なもの》が映り込みすぎていて、どれがそうなのか、か判別がつかないのである。
「……」
「二つ目の現場を見てください」
私がピンとこないのを見かねてか、Lが写真を指差した。
「一見ただの空き地ですが、奥に道を譲れという意味の『Give Way』の標識が写っていますね。一つ目の現場と違って《焦げている》……ですが、この標識はこの爆破の前日に何者かによって本来あるべき場所から取り払われ、ここに置かれたものです。この標識が示すのはこの三角形――つまり、Δ(デルタ)です」
次々と繰り出される彼の推理に、私は再び言葉を失くしていた。背後から自慢げに笑う声が聞こえる。ラークはどうやらLの思考の過程を私に見せることを娯楽か何かだと考えているようだ。
「そして三つ目、タイヤショップに併設されたガレージの爆破……一つ目の現場と同様に、焦げていない直角定規が置かれています。これはΓ(ガンマ)です」
「つまりこれは……ギリシャ文字を遡っていっているというtことか?……意図は分からないが、だとすれば、次の四つ目の現場はβ(ベータ)、五つ目の現場からはα(アルファ)が見つけられると?」
「その通りです」
Lは長いパジャマの袖を私に向けた。
「さすがはQです、ワタリ。そうです。ですから第一の現場に残されていたはEでもMでもWでもなく。ε(イプシロン)です。子供だましのこじつけのような手段ですが、一度気付けばそれが明確にメッセージであることが分かるようになっています」
彼はそう言いながら、二枚の写真のそれぞれのギリシャ文字をペン先で指していった。
四つ目の現場はβ、HOME BASE という名前のホームセンターの看板の、Bの部分にペンキの汚れが微かに付着している。とてもメッセージには見えないが、一つ目の現場のペンキの色と同じであった。
「五つ目の現場は、言うまでもありません。爆破された無人車両、ワタリが載っていたタクシーですが、車種がアルファでした」
「……なるほど。五つの爆破現場に残された五つのギリシャ文字、ε、Δ、Γ、β、α……」
ここから分かるのは、どうやらギリシャ文字のカウントダウンは終了したらしいということだけだろう。逆に言えば、それ以外の意図、メッセージそのものの意味は全く読み取れない。
「犯人は明確にメッセージの受け取り手の存在を意識しています」
Lは写真を見たまま言った。
「犯人は第一の現場ではわかりやすくその場にあるべきではないものの存在を示した。この現場を踏まえなければ、第二、第三の現場のメッセージに気付くことはできなかったでしょう。《法則性を疑ったものだけに分かる》メッセージであると言えます」
ふわぁ、と横でラークが欠伸をした。
「まぁ、僕からしたら犯人が誰かが自分のメッセージに気付いてくれるかどうか試してるように見えるけどなぁ」
ラークの軽薄な声に。Lは目だけで振り返った。
「そう見えるのは分かりますが、それは考えがたいことです。僕たちがメッセージに《気がついた》ことなど、現状、どうやっても犯人には伝わりようがないですから」
「ははは、まぁ、そっか。刑事ドラマの見すぎかな、僕は。あれって第三者の視点で進むから、犯人と警察のやりとりなんか一切描写されてないはずなのに平然とまるで一騎打ちしてるみたいに写るんだもんな」
「僕はテレビを見ません」
「そうか?面白いぜ?警察が身内で推理してるシーンがあってさ、その次のシーンでは犯人が『ふふふ、なかなかやるな……ならばこれはどうだ』って暗い部屋でほくそ笑むんだぜ?いやぁ、あれ見ると僕なんか笑い死にそうになるんだよ。まぁ、結構好きなんだけどな」
「……」
Lは無視した。
あるいは聞いていなかったのかもしれない。
「日時と場所を特定し警官を配備、犯行を阻止するくらいのことをしない限りはこの謎解きが犯人に伝わることはありません。子供の遊びのままです。…………ヒバリやワタリが犯人でなければの話ですが」
「はは、それは愉快な話だ。僕が犯人なら君に毒入りのお菓子でも差し入れるよ」
「…………」
Lは再び無視した。
私は何も言えなかっただけである。決して無視したわけではない。
「とにかく、五つの爆破はもう終わったことです。ギリシャ文字のことは頭の片隅に置き、ひとまず忘れてください。今考えるべきは三日後に起こるであろう六つ目の爆破の地点を特定することです」
「ちょっと待ってくれ」
私はLの機嫌をできるだけ損なわないタイミングを探して彼の話を遮った。
「その……日時の順番の法則なのだが、爆破とその次の間の爆破の間の日数に法則性があるらしいということは分かったのだが、それ以上は分からなかったんだ。教えてくれないか?」
Lは怒りはしなかった。ただ、きょとんと目を丸くして私を見た。
――え、分かっていなかったの?
そう、暗に驚かれているような心地を覚える。
彼は白い紙を新たに手元に置くと、近くにあった赤いマーカーの蓋を投げ捨てた。ペン先を三本の指で持つ、独特のペンの握り方でがりがりと数字を書いた。
1986/11/27 (15) 1986/12/12 (97) 1987/3/19 (9) 1987/3/28 (87) 1987/6/23
「括弧内の数字は次の爆破までの日数です。一度目の爆破から15日後に二度目の爆破が起きた。二度目の爆破から97日後に三度目の爆破が起きた……この括弧内の数字に見覚えはありませんか?」
私は写真を見たときのように目を細めた。こうするといくらか意識が集中されるような気がするのだ。
15 97 9 87
1597987
「……あぁ、見覚えはある。だが、なんだったかな……」
「フィボナッチ数列です」
Lはあっさりと回答を述べた。クイズをする気はなかったらしい。
「正確にはその一部です。逆行していますし、その上、百の位から上は恣意的に切り離されています」
「……フィボナッチ数列か」
「ええ、子供だましの陳腐なトリックです」
子供だまし――と、Lは自嘲するように口の端を吊り上げた。
「んー……なんだかなぁ」
後ろからラークが眠そうに顔を出した。
「15に97に9に87か。恣意的というか、適当だよな……。まぁ、数列のまま1597とかだと日数にして四年超えるし、その次の987も二年半とかだから、数字をどうにか小さくしてテンポよく犯行に及びたいっていう気持ちは分からなくもないけれど、でも、だったら何故、もっと小さな数字からカウントダウンを始めなかったのか、と思うけれどなぁ」
とっくにLから聞いていたのか、ラークは犯人の側にたって考えるようなことを呟いた。
「ま、僕の言うことはあまり気にしなくていいからな、少年」
「――とにかく、この数字には理由があると考えましょう。小さな数字ではなく《1597》から始めたのには訳があるはずです」
まるで捜査本部の指揮を執るかのような口調でLは言った。
「ここまでの爆破によって、百の位より上が独立した数字とされ、かつ、先に来ることが分かっています。987のあとにくる数は610、つまり6月23日の六日後――6月29日が第六の爆破であると予測できます」
「……それで三日後か」
今日は6月26日だ。
いくら急ピッチで作業を進めたとしても、物理的な時間からジャミング装置は到底完成しそうにない。それにLにしても、地点の特定に至る手がかりを今から見つけなければならないのだ。
「今までの爆破では人的被害はゼロだった。次も、そうだと思うか?」
私はLに尋ねた。
ヒントのない問いだと分かりながら、意味のない問いだと分かりながら、問わずにはいられなかった。
小さな背中が揺れて、そして彼は顔を上げた。真っ暗な瞳が長い前髪の向こうから私を見た。
「分かりません。ですが、関係ありません」
「……そうか」
――それは。
被害ゼロだとしても全力を尽くすべきだ、という意味にも聞こえ、その逆__人の生死はどうでもいい、という意味にも聞こえた。
「そうか。じゃあ私は今日はこれでいったん帰るが……明日も来るよ」
「いえ、必要が生じたらこちらから連絡します。ワタリは装置の開発に集中すべきです。ここで無駄な時間を過ごす必要はありません。僕は一人で大丈夫です」
「だが……いや、分かった」
私は無計画に何かを言おうとし、それをかみ殺した。
これは事件の捜査だ。
少年に何かをしてやりたいと思うのは筋違いだ。私は勝手に手を差し伸べた気になって、勝手に拒まれたような気になっているだけなのだ。私は帽子を被り、ドアノブに手をかける。
背後でラークの「何言ってんだよ、僕がいるだろう、少年」と胡散臭くも底抜けに爽やかな声が聞こえた。
Lの返事はない。代わりに――
「ワタリ」と小さな声で呼び止められた。
私は振り返る。
Lは、照れたように小さく笑っていた。
「地図と、アップルパイ……ありがとうございました」
私は小さくお辞儀をして言った。
「いえ、どういたしまして。L」