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The boy




◆メモリアルハウス◆



 電話帳を捲って調べれば、メモリアルハウスはすぐ近くにあった。工房からは直線距離で一キロもなく、コールブルック通りという場所にあった。

 聞いたことのない通りだったが、驚いたことにそれはウィンチェスター大聖堂に隣接した裏道の名前らしい。ほぼ聖堂の裏と言ってしまって差し支えない立地だった。ちなみにワイミーズハウスも聖堂と隣接したお隣さんである。ご近所さんだ。

「……まぁ、いずれ挨拶をすべき場所だったと、そういうことでしょう」

 むしろ手間が省けたと考えよう。
 私は手紙を上着のポケットへとしまい込んだ。

 駅に向かって通りを下り、大聖堂の裏手に回れば、そこがコールブルック通りだった。ウィンチェスターの他の通りと同じく植え込みと赤いレンガの風景だが、聖堂が大きいせいでなんとなく暗い印象のある道である。

 番地を見て、一件の建物の前で立ち止まった。
 黒い格子の横には『MEMORIAL HOUSE』と刻まれている。想像していたよりもずっと小さく、しかし他の建物と同じく歴史的な面影があった。煉瓦の塀にはツタが絡まっている。外の門が開いていたので、私は正面玄関へと向かった。

 灰色のアスファルトの左右には切りそろえられた若草色の芝生があり、ところどころ紫色の花が咲いていた。子供用の遊具はおろか、小さな玩具、庭仕事用の道具すら見当たらない。全体的につくりが小さく静かだったので、そこは孤児院と言うよりも金持ちの家のように見えた。

『はい、メモリアルハウスです』

 呼び鈴を鳴らすと、若い女性の声が答えた。おそらくレセプションがあるのだろう。

「メモリアル氏からお手紙をいただきまして伺ったのですが」

 しばらくの沈黙があった。というよりも、インターホンが置かれたのだろう。ドア越しに何やら相談するような人の声が聞こえた。

『はい、どうぞ、お名前は?』

「キルシュ・ワイミーです」

 ぷつりと音声が着れ、次の瞬間にはがちゃりと鍵とチェーンの外される音が聞こえた。

『お待たせいたしました。どうぞ、ミスター・ワイミー』

 ドアの隙間から小柄なシスターの装いの女性が現れ、ドアを開けてくれた。私は「あぁ、ありがとう」と礼を言い、帽子を取った。

「すぐお会いできるか確認してきますので、応接間へどうぞ」

 そう言って彼女はぱたぱたと忙しない動作で廊下の奥へと進んで行ってしまった。

 私はドアから一歩入った位置で部屋をぐるりと見まわした。

 玄関ホールは薄暗かった。
 シスターの言っていた応接間は右手にあった。ドアはなく、部屋が繋がっているようだ。電灯は消されており、観葉植物と革張りのソファーのひじ掛け部分がここからでも見える。そこで待っていればいいのだろうが、その前に周囲をもう少し見ていくことにする。

 玄関のすぐ左手にはスタッフが在中するレセプションカウンターがあった。どうやらさっきのシスターはそこで来客対応をする係らしい。カウンターの内側には子供たちの写真がそれぞれ貼り付けらえた鍵が十数個、フックにかかっている。外出の管理用だろうか?子供たちの年齢は様々だったが、人数はさほど多くないように見えた。

 正面には上階に続く階段があり、レセプションのすぐ隣、には小さな教会のようなスペースがあった。そこから来ているのだろうか、甘ったるい蝋燭の香りが部屋中に充満していた。

「……孤児院というよりは、寮のような施設ですね」

 ひとしきり周囲を確認し、私は応接間へ移ることにした。
 そこは玄関ホールよりも暗かった。窓のない部屋だからかもしれない。入り口のすぐ脇に一人掛けのソファと観葉植物があったが、部屋の奥は暗くて見えなかった。

 まずは電灯を――そう考えて私は部屋に踏み入った。

 そうして一歩、二歩と進んだところで、大きな革張りのソファの、部屋の一番奥のひじ掛けに身を寄せるように膝を持ち上げて――一人の子供がいた。

 見間違いかと思って、目をこすった。
 そこにいたのは、昨日、爆破現場にいた少年だった。

 私は咄嗟に息を潜めて、そしてまじまじとその子供を見てしまった。そして彼もまた長い前髪の向こうからこちらをじっと見つめていることに気付いた。しかし、気付いた瞬間には彼は目を逸らしてしまっていた。

「き、君は昨日の……」

「…………」

 少年は音ひとつ立てずに一心不乱に何かの本を読んでいた。

 昨日は混乱の中だったが、こうして改めて見ると、その少年は異様な雰囲気を纏っていた。
 まず、本を目の高さにまで掲げている。そして持ち方もまた、両手でその四隅を摘まみ上げるような形だった。だが、その仕草を差し引いても彼を取り巻く雰囲気はどこか普通ではなかった。普通の子供を沢山見てきたわけではない。それでも、何かが違うのだ。

 何かが決定的に違う。あるいは欠けているのかもしれない。
部屋の暗がりに溶けこむように小さく座っているはずなのに、もう二度と意識から消えることはないだろう、存在感だった。

 彼は昨日と同じく黒のパジャマをぶかぶかと着ており、肩口から華奢な身体を覗かせていた。その手足は白く、両足はソファーの上で三角に丸められている。そして裸足だった。

「こんな暗いところで一人、何をしているんだい?」

「……」

 少年は一枚ページを捲っただけだった。
 ――「読み物をしています」という返答なのだろうか。

「……裸足で歩き回ったりしたら寒いだろう?」

 再び返事がなかったので、私は入り口付近のソファーに腰を下ろした。電灯のスイッチは入れなかった。

「今日は……誰か養子にとるつもりで来たのですか、ミスター」

 ふいにはっきりと聞こえたその声に、私は声の主を捜して左右を見た。そして思い出した。その声は、昨日、私のあれこれを言い当てた少年のものだった。

「すまない、何か言ったかね?」

「誰か養子にとるつもりで来たのですか、と聞きました。ここは孤児院ですから……来客は大抵、そういう用件です」

 静かではっきりとした、不自然なほど丁寧な口調だ。

「いや、それで来たわけではないのだが……」

「では、今日ここに来たご用件は?」

 少年は顔を上げない。
 私は迷った末に、素直に話すことにした。少年は確か、ラークがLの話をしたときも黙って横で話を聞いていた。隠す必要はないだろう。

「実はLという人物から手紙を受け取ったんだ。メモリアルハウスのメモリアル氏を通して手紙の詳細を聞くことになっていてね」

 その瞬間、少年の表情が歪められたように見えた。
 ゆらりと歪んで――笑ったのか?

「探偵の――Lからですか」

「あぁ、そうだよ」

「ワイミーさん、貴方はそのLからの手紙に興味を持ったんですか?」

「まぁ、そんなところだよ」

「それで、詳しく話を聞こうとここへ来たんですね?」

「そうだよ」

 少年の表情がさらに怪しく歪んだ。

「君は、Lを知って――」

 そのとき、遠くからぱたぱたと足音が聞こえてきた。シスターが戻ったのだ、少年は隠れるように膝を抱え、俯きがちに沈黙していた。

「お待たせしちゃってすみません、ミスター・ワイミー。さぁどうぞ、メモリアルさんのオフィスは二階ですから、ご案内します」

 一瞬、少年が部屋の隅にいることを言った方がいいだろうかという考えが過ったが、私は何も見なかったかのように立ち上がった。

「ええ、ありがとうございます」

「こちらへどうぞ」

 軋む階段を上がって二階につくと、赤い絨毯を進んだ突き当りに開け放されたドアがあった。

「では私はこちらで失礼しますね」

 シスターはにこりと笑うと、背中を向けて小走りでどこかへ走って行ってしまった。随分と忙しない人だなぁ、と思いながら、私はメモリアル氏のオフィスのドアノブに手を掛けた。

 デスクから白衣を着た長身の男が立ち上がった。

「お会いできて光栄です、ミスター・ワイミー。施設長のモーメント・メモリアルです」

「キルシュ・ワイミーです」

 メモリアル氏は骸骨やゴーストを連想させる外見をしていた。
 年齢はそう私と変わらないだろう。何年も外に出て居なさそうな青白い肌の中心で、頭蓋骨の眼窟のように目元が落ちくぼんでいる。左右の頬は痩せこけ、白衣から握手を求められた際に握った手も関節の形が一つ一つ確認できるほど筋張っていた。

 彼と握手を交わしながら、私は部屋の内装に目を向けた。

 背後には本が並び、デスクの両脇にも紙の束が積み重なっている。部屋の壁には暖炉があったが、季節柄、火は灯っていなかった。そして、部屋のそこかしこに――骸骨のような置物や絵画が散見された。

「これは……なんでしょうか」

 デスクの上のペーパーウェイト、暖炉の上の頭蓋骨のレプリカ、そして立てかけられた額縁の中の『死の舞踏』、それから『頭蓋のある静物』――部屋のどこを視界に収めても不吉だ。

「あぁ、すみません。これらは全て趣味なもので」

 メモリアル氏は私の視線の先を見て言った。

「子供たちも怖がるんですよ。メメント・モリ。なかなか前向きで良いものだと思うのですがね」

 ――なるほど、メメントモリか。
 中世の思想だが、それに則って家具や調度品を揃えているということらしい。

「なるほど。前向きでいいもの、というのは初めて聞きましたが」

「ええ、生を謳歌するには死を想わなければなりませんからね」

 あまり詳しい概念ではないが、そういうものなのだろうか。

「死を先の見えない不安な闇と捉えるのでなく、定められたもの、明瞭な未来として想うことは、死の恐怖を取り払いますからね」

 彼は手元の髑髏のオブジェをさらりと撫でると、デスクチェアーに座りなおした。

「さて。それで、本日はどのようなご用件で?」

「なんと、私が来ることは伝わっていたのではないのですか?」

 彼は大きなため息をついた。

「……そういうことですか。すみませんワイミーさん。貴方がどうしてここにいらっしゃったのか、察しはつきますが、ことの性質上、こちらから切り出すわけにもいきません」

 そう言って、彼はゆっくりとカップをソーサーへ戻した。
 なるほど。私は頷いて上着から手紙を取り出した。

「それは失礼しました。実は、このような手紙を受け取りまして」

「……拝見します」

 メモリアル氏は手紙を受け取って一通り読むと、眼鏡の位置を直しながらゆっくりと目を上げた。

「……まず私から一つ申し上げなくてはなりません」

「はい」

「Lは非常に我の強い人間で、そしてこの手紙に書かれているような事柄は全て《遊び》です。そこに善も悪もなければ、ましてや正義など……あるのは才能だけです。彼がいつこのゲームに飽きるかは分かりませんし、貴方が相応の対価を受け取ることが出来る保証もありません。あるいはパスルのピースやチェスボードの駒の一つとして貴方に声を掛けただけかもしれません。それでも興味がおありで?」

「ほほほ、手紙の差出人のアルファベット君も貴方も、私の好奇心を刺激するのが大変お上手で」

「……ミスター・ワイミー」

 顔の前で手を組み、メモリアル氏はため息をついた。

「私はリスクの話をしているのですよ。貴方がどれほど立派な気概を持ち、強い好奇心でLの打診に興味を持とうと私とは関係のないことです。……ですが、私もまた《そちら側》の人間、好奇心や探求心に支配される気持ちは反吐が出るほど分かります」

「ほう、貴方も発明家か研究家か、科学者の類ですか?」

「ええ、そうですよ。ですからこれはお節介な忠告です。ミスター・ワイミー、貴方は自分がどのような目に遭っても、それがLとも私とも何ら関係のないことだと、そのリスクを背負うことはできますか?いかなる情報を得たとして、その秘密を洩らさないと誓えますか?」

 私はその脅しともとれる彼の言葉を聞いて、何故か好奇心を掻き立てられていた。それはほとんど挑発といっても過言ではなかった。

「ええ、それくらい誓いますよ。誓うのは一瞬、そしてタダですからね。もっとも、私は名を馳せた発明家として興味関心を理由にして九割がたの開発依頼を断ってきた人間です。安請け合いはしませんし、私の興味を惹かない内容だと分かれば、躊躇なくやめさせてもらいますがね」

「……そうですか」

 それ以上の言葉はなく、メモリアル氏はデスクの引き出しを慣れた動作で引くと、私の前に一枚の紙をぺらりと置いた。それは誓約書面だった。

 秘密保持。口外厳禁。
 あるいは守秘義務とも。
 まぁよくある内容だ。私はさらりとサインをした。

「はい、サインしましたよ。で、肝心の依頼内容は?」

 メモリアル氏は目線だけでサインを確認すると、落ちくぼんだ眼窟を指先で抑え、それから屈んで、何やら黒電話で数桁の番号をダイヤルした。

「L……ミスター・ワイミーが承諾した」

 彼がそう言うと、また数秒の沈黙があった。
 電話の向こうにいるのはLらしい。

「あぁ……分かった」

 しばらくして彼は沈黙のまま受話器を戻した。

「ミスター・ワイミー、そこの金庫があります。暗証番号は『1212』だそうです。そこから封筒を出し、今日のところはもうお帰りになってください」

 白衣の腕が指し示す先には高さ1.5メートルはありそうな大型の金庫があった。今日のところはそこから依頼取り出して持って帰れと、そういう意味らしい。

「……私は、そのLとやらに会えないのか?」

「Lはとても慎重な人間です」

「……」

「貴方が信用に値する人間であると分かるまではお会いにならないそうです」

「しかし、会わないことには……いえ、少なくとも、話もしないでどうやって判断すると言うのです」

「ワイミーさん、私にそれが答えられるとでも?」

 メモリアル氏の口調は投げやりになっていた。何度も同じような説明をしているのかもしれない。

「よく分かりました」
 
 私は椅子を立ち、黒い金庫と向かい合った。鈍く光る重厚な鉄の箱は、暖かそうな絨毯や暖炉、大きな出窓のある一室の中で妙に浮いていた。
 言われたとおりに『1212』と銀のダイヤルを回すと、びくりともしなかったハンドルが滑らかに回り、扉が手前に開いた。

 その瞬間。

「――?」

 開いた扉からばらばらと、何かが雪崩れ落ちてきた。

「な、んだこれは…」

 革靴の上に落ちてきたのは色とりどりのキャンディだった。一つ拾うと、また一つ。次々とお菓子が落ちてくる。

 何なんだ、何なんだ、これは――混乱のまま顔をあげれば、金庫の中には様々なお菓子が詰め込まれていた。赤と白のシュガースティックや、動物の形の銀紙に包まれたチョコレート、グミ、クッキー、ジェリービーンズ、どれもが溢れんばかりに詰め込まれ、そして実際に溢れているのだ。金庫というよりもお菓子の保管庫だ。

「メモリアルさん、まさか私に見せたかったのはこれじゃあないでしょうね?」

 メモリアル氏を振り返ると、彼は苦々しげに首を振った。

 私はショートブレッドの箱とビスケットのビニールの間に、茶色の大きな封筒を見つけた。その封筒にこそ依頼がはいっているに違いない。しかしそれを引っ張った瞬間、大きなジェリービーンズの袋が派手にカーペットに落下した。

「……全く。Lという人間は悪戯好きなのか?」

 お菓子好きで、悪戯好きで、そして整理整頓が下手な人物とみた。
 私は封筒を脇に抱え、散らばったお菓子を拾い集めた。金庫に戻すのも良い気がしないので、それらはポケットに入れた。尚、ジェリービーンズなどのむき出しのものはゴミ箱行きである。

「Lがどんな人物なのかお分かりになったでしょう」

 冗談みたいなことを唸るように言ってから、メモリアル氏は私を扉の脇まで送ってくれた。

「依頼を見ていただいて、改めてお返事をください」

「……ええ、近々また来ます」

 私は不本意ながらも彼のオフィスを出た。今日、ここに来ればLという人物について回答が得られるかと思った。しかし、端的に言えば空振りである。

「少なくとも、ラークとは別のLがいることは分かったが……」

 信用するまで顔を出さない人物、どう考えてもあの外面のいい青年と同一な訳がなかった。お菓子の金庫の件はノーコメントだ。考察しようもない。

 いずれにせよ謎が深まった感覚はぬぐえない。
 玄関へ戻る途中、ふと応接間に立ち寄った。例の子供はまだそこにいた。

「Lには会えましたか?」

 彼は私を見るなり、静かな声で言った。

「いいや、信用するまで会わないとメモリアルさんに言われただけだよ」

「……そうですか」

 再び、ゆらりと少年が顔を歪めた。
 やはり笑ったようだ。

「……チョコレートいるか?沢山あるんだ」

 沢山あるもなにも、それは金庫から零れ落ちたLのものであるのだが。
少年は私の手のひらの上の金色の包み紙をまじまじと観察してから、指先で汚いものを持つように持ち上げた。そして例の歪んだ笑顔のような表情で私を見上げた。

「ありがとうございます、ワタリ」

 ――ワタリ?

「私の名前はワイミー。キルシュ・ワイミーだ。君は?」

「…………」

 しかし、それ以上の会話をする気はないのか、彼は再びソファの端っこを陣取って膝を丸めてしまった。

「近々また来るよ、甘いものが好きなら何か持ってこよう」

「…………」

 返事はない。
 暗がりの隅から包み紙を開けるようなかさかさという音がした。

変わった子供だが、お菓子は好きらしい。
 彼のことはそっとしておいてやろうと考え、私は応接間を後にした。

 ふと部屋をでる瞬間に黒電話がサイドテーブルにあるのを見つけたが、きっとメモリアル氏がLに電話を掛けたところを見ていたから目についただけだろう。

 私の頭の中はまるで子供のように、Lという人物の正体と、彼から託された封筒の中身を早く見たいという気持ちで埋め尽くされていた。

 これは、Lからの挑戦だ――そう受け取った。


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