The Letter
◆事件概要◆
「第一の爆破が起きたのは1987年11月27日でした」
白いシャツに薄いブルーのジーンを着た男は話し始めた。
「ちょっと待ってくれ」
私はそこで片手を伸ばして話を一旦中断させ、それから沸いたお湯で二人分のダージリンを入れ、再び椅子に腰を掛けた。
「ありがとうございます」
Lと名乗った青年は言った。そして近くにあったガラス瓶のふたを持ち上げ、角砂糖を四つカップに落とした。ミルクはもう入っている。
「甘いですね。頭が冴えて頭が良くなったような心地です」
「…………」
頭が冴えて頭が良くなったという表現のなんと頭の悪そうなこと。
私は今更ながらにぼんやりと考えた。
――ところで何故、この掴みどころのない青年は今、ほぼ初対面の自分のプライベートな空間に上がり込み、紅茶を嗜み、そして連続爆破事件の詳細を語ろうとしているのだ?
神経が太いのか、鈍いのか。しかし飄々としていてどこまでが本気か分からない。底知れない、とも言えるかも知れない。
「大丈夫ですか、ワイミーさん。もう一度最初からお話ししましょうか。昨日の今日ですからろくに睡眠も取れなかったのでは?」
「いや、大丈夫ですよ、ラーク……いやL……」
そして彼は突如として「僕がLです」などと名乗ったのだ。
いまだ呼び名を決めかねてそう返すと、彼はにこりと笑顔を浮かべた。
「はは、ラークでいいですよ。Lはただの記号ですから」
ただの、記号。
コードネームですらないと、そういう意味だろうか。
「それと畏まらないでください。気楽にどうぞ」
「……では遠慮なく。君は、確かにLなのか?」
「はい」
「警察は、Lの正体を知らないんだな?」
「はい。あ、でもシックスフィート先輩だけは僕がLだと知ってます」
「君は……どうして刑事でありながLという探偵を敢えて名乗っているんだ?」
刑事であり、さらに警部補という役職を持っているのならば、そして頭脳明晰ということであれば自分の手柄にした方がいいのではないか?
「ははは」
軽く笑われてしまった。
「いえ、失礼。ほら、僕はこんな感じですから、実直に何度も現場に足を運んで警察官らしく仕事をして昇進することは出来ますが、知的な推理なんかを述べると誰も当てにしてくれないんですよ。まぁ自分でも当てにするなと言っていますしね。はは」
「それは……振る舞いを正せばいいのでは……」
例えばその服装を正すとか。
その軽薄な笑いを控えるとか。
「はは。僕はこう見えてもそれなりにモテてるんですよ。正す必要性を感じません。それに、そう簡単な話でもないんです。事件の考察となれば、謎の天才の言葉を代理で伝えるという名目の方が、皆、信じてくれるものなんです」
「…………」
「名誉より人命のほうが大切です。探偵ではなく、警察官として」
彼は自嘲気味に笑う。
「警察に期待されるのは地道な捜査なんです。閃きの推理なんて、誰も聞く耳を持ちませんよ」
彼は俯き、指先でティースプーンを摘まむ。しかし顔を上げて再びにこりと笑った。
「なーんて答えはいかがですか?ワイミーさん」
「い、今の話は全て嘘だったのか?」
「嘘、でもないんですけれど」
彼は肩をすくめると、ティースプーンでとっくに混ざりきっているはずのティーカップをさらにかき混ぜた。
「どちらにしても一緒ですよ。語る真実は――一緒です。真実が正しく信じてもらえるのなら、僕が本当のことを言おうが嘘をつこうがどっちでもいいんです。この理屈、分かりますか?」
「真実を伝えるために君が嘘をつく……ということか?」
「はは、まぁそんなところです。だから、僕の言葉なんかに全く意味なんてないんです。何を言おうが真実は真実。嘘で隠したり騙すことは出来ても、変える事はできません」
「……君はよく分からないことを言うな」
「はい。聞き流していただいて結構です」
ラークは口ずさむような口調で笑う。
しかし軽く俯きがちになると、神妙な表情を作った。
「……結局のところワイミーさん。孤独な正義も、理解のない才能も、無力でしかないんですよ」
「無力……」
それは、彼自身の話をしているのだろうか?
「無力、はい。無力感です。ワイミーさんも感じたことがあるでしょう?つまり、世界を救うことはできないということです。……んー、世界は言い過ぎですかね、では言い直しましょうか。大切な人を救えません。救えませんし、救われることもできません」
大切な人――家族とか、恋人とか、友人とか、自分とか。
自ずと脳裏に浮かぶのは、七年前の事件だった。
「さて、話が少々逸れてしまいましたが、この一連の事件の概要を聞いたうえで、貴方の考えを聞かせてください」
彼は、注目を促すかのように指を一本立てた。
「事件概要は聞き流してもいいですし、読み飛ばしていただいても構いません。いつか必要になった時に思い返し、読み返せばいいだけですから」
「……読み飛ばす?読み返す?何を」
「あぁ失礼。……捜査資料です。捜査資料なんて、ミステリーだと思えばいいんですよ。僕の書く報告書は楽しく読めるようになってますよ。いずれ目にするかと思いますので」
「はぁ」
ラークは再び口ずさむように語りだした。
「第一の爆破が起きたのは1986年11月27日でした。爆破が起きたのはハイウェイのM3付近、ロングフィールドロードとシェパーズロードの間の一般家屋でした。家主が丁度旅行で長期不在にしていたところだったそうです。この時爆破の時刻は午前11時、近隣住民はそれを発砲事件だと思ったそうですが、これといって人影は目撃しなかったそうです
「第二の事件は1986年12月12日、今度は第一の現場から200Mほど北上した地点で、ハイウェイ下の空き地でした。当然、被害者はいません。今度の爆発は夜中に起こり、付近の住民から複数通報がありました。目撃者はおらず、一回目の車両爆破と空き地での剥き出しの爆弾による小規模な爆破、この時点では一回目と二回目の関連性を指摘する者はいませんでしたが、私はここで連続性を疑い始めました。
「そして約三か月後の1987年3月19日、忘れたころと言ってもいいでしょう、180Mほど北西で第三の爆破が発生しました。今度はタイヤショップの商品保管庫だったそうですが、人的被害はありません。……こうなると次も発生する可能性が非常に高くなります。それに、被害もこれだけで収まるとは限らない。そう考え始めた九日後、1987年3月28日……さらに200M北上した地点、大型ホームセンターの駐車場で再び無人車両の爆破が――四回目の爆破が起きました。私達が犯人の思惑を見落としているのでなければ、やはり人命という観点からは、何一つ被害がない……被害ゼロです。
「ちなみに爆破の対象に興味がおありでしたらそちらの方面で検討いただくのもありかと思います。一般家屋、空き地、ガレージ、無人車両……共通点はまるでありませんが。
「そして五回目が昨日、1987年6月23日、イーストレーンがハイウェイのM3と交差する地点、パーキングの駐車場で無人車両が爆発しました。無人車両と言ってもワイミーさん、貴方とドライバーが乗っていたタクシーではありますけれどね」
ラークはまるで一切を暗記したかのように、ただ紅茶のカップを見つめながら、今日までに起きた五つの爆破事件の詳細を滔々と語った。彼は時折笑みを浮かべたが、まるでつかみどころのない表情だった。
「さらに、ここまでの四件の爆破はざっと見る限るハイウェイのM3付近を200メートルずつ北上しているように見えましたが、五度目の爆破では南下し、かつ東にずれたようです。つまり、『爆破はハイウェイを北上していく』という線は消えたということです」
最後に言葉を区切って、彼は首を傾げた。疑問ではなく、私の表情を覗き込む仕草なのだろう。
「……ワイミーさん。ここまでで何かお分かりですか?」
そう言われても、とは思う。
地図が手元にあればいくらかイメージは沸くだろうが、いずれにせよ彼の話では爆破地点に拘っても見えてくるものはなさそうだった。
であれば、より手掛かりになりそうなのは日付だろうか?何より、例の手紙に記されていた《事件概要》らしきものは五つの日付だけだ。つまり、重要なのは日付……五つ並べることで、予測が可能な法則性が隠れているということだろうか?
「……いや、残念ながらわかりませんな」
私は素直に首を振って告げた。法則性があったとしても、紙に書きだして検討する時間は欲しいところだった。
「そうですか、残念です」
ラークもまた残念そうに目を伏せると、それ以上は事件の詳細を語らなかった。彼は紅茶を全て飲み干すと、ゆるりと深々お辞儀をして、それから演技がかった仕草で腕時計を見ながら立ち上がった。
「すみません、少々、野暮用が出来てしまいまして。もう行かなくては」
明らかな嘘、のような口調だった。
いや、演技にしてはクサい……のか?
どうも彼が相手だと回りくどい気遣いが働いてしまうらしい。
「そうか。帽子、ありがとう」
釈然としない気持ちを抱えながらも、私は彼が届けてくれた帽子をテーブルの上で持ち上げた。
そう快く、あたかも話が終わったかのように自転車で走っていく後姿を見送ったはいいものの、やはりLであるはずの彼が一切、あの手紙について触れなかったことが不思議でならなかった。
もしかするとこちらから切り出すのを待っていたのかもしれない。あるいは手紙で仄めかした法則性を解き、この場で返答できるかどうかを試していたのかもしれない。その考えが浮かばなかったわけではない。だが、私はこのとき妙に律義だったのだ。律儀に守って、相手の出方を観察していた。
観察と仮説。
そう、仮説だ。本物のLが別にいるのでは、という仮説もまだ捨ててはいない。――反証がない限りは。
例え、ラークの言うことが全て嘘偽りのない真実で、彼がLだとしても、それでも消えない可能性がまだ残る。
手紙の文面にある――『この件に興味を持っていただけたらメモリアルハウスのメモリアル氏へ』という指示。
メモリアルハウス。そこを訪ねれば、手紙の差出人たる《別のL》がいるのかもしれない。
発明家の発想はかくも柔軟なのである。
観察、仮説、そして実験だ。