The Letter
◆親愛なるQへ◆
【1987年6月24日】
その手紙を受け取ったのは、翌日のことだった。
降りたばかりのタクシーが背後で爆発するという映画顔負けの体験をした私は、その夜もうなされて満足に睡眠がとれなかった。
代わりに一晩中、私は考え事をしていた。
7年前の事件にショックを受けて逃げるようにウィンチェスターの街を離れた私は、しかし目的もなく世界を回っていたわけではない。発明家業にひと段落ついた私は、その後の目的と、人生の落としどころを探していたのだ。
傷心旅行の如く世界を周って得た結論は、端的に言えば、孤児院の設立だった。
その名もワイミーズハウス。
キルシュ・ワイミーの建てた孤児院だからワイミーズハウスだ。
なんとも凡庸だがそれ以外に思いつかなかったのだから仕方がない。可も不可もなく、子供たちが平穏に暮らせるならそれで十分だと思った。特別な名前も、特殊な機能も必要ない。好条件な物件にもありつけた。
私はそろそろ自分の人生を程よい場所に落ち着け、孤児院の設立と運営を妥当な妥協点として、新たな人生を見送る側になろうと考えていたところだった。
ともあれ1987年6月24日、その日は土砂降りの雨だった。
陰鬱な空は直近の二年間を過ごした日本でもまま見られる光景だったが、故郷イギリス、ましてや悪い思い出が最も新しい記憶であるウィンチェスターの空は、窓越しでもとりわけ重く感じた。
不思議な少年と、爽やかで胡散臭い私服(を着た)警官のラーク・フローリック警部補に送られて、ほぼ自宅としていた工房についた私は、そのまま翌日まで眠ってしまったらしい。目が覚めたら朝の9時だった。
私はケトルのスイッチを入れてから電灯を灯した。剥き出しの豆電球が頭上で灯るのと同時に、余興で作った光ファイバー織りの壁紙が通電し、淡く光りだした。視界の端では『KEEP OUT』の赤いネオン看板も何故か輝きだす。部屋の中にあるのは目に悪い発明品ばかりだった。七年前の自分はどうやらマッドサイエンティストの気質があったらしい。
スリッパへ履き替えようと玄関へ向かい、視線を落としたその先に――見慣れないものがあった。
それは、何の変哲もない白い封筒だった。
しかし手に取ってみてすぐ、それが妙だと分かった。
郵便局の消印どころか切手すら貼られていない。差出人の住所も名前もなく、表に《親愛なるQへ》と書かれているだけだ。
どうやら直接、誰かの手によってドアポストへと直接投函されたらしい。それに、封筒は濡れていることから、投函されたのは今日、雨が降り出してからのようだった。
例えば危険な薬品が入っている可能性を第一に考えたが、手に持ったところ何らかの薬品が入っているような厚みもない。
私は好奇心に操られるようにして慎重にその封筒を開封した。
出てきたのは一枚の便せんだった。そして子供の落書きのような文字で、次のような文面だった。
【親愛なるQへ。貴方は選ばれました。
1986年6月23日、1986年12月12日、1987年3月19日、1987年3月28日、そして1987年6月23日――ここに述べた事件はすべて繋がっています。
これを読んで貴方がこの件に興味を持ったならば、是非協力していただきたいのです。私も貴方への協力を惜しみません。ご都合のいい日時にメモリアルハウスのメモリアル氏を訪れてください。依頼の詳細をお話しいたします。
ただし、こちらは現在ウィンチェスター警察で捜査中の事件に関係する情報を含みます。情報源の安全性を確保するためにも、どうかこの手紙のことは警察関係者には内密にお願いします】
私はその手紙を二回、読み返した。
あるいは悪戯かもしれない――しかし。
「関わるべきかどうかは、私の判断ひとつですね。……必然性はないが、それでも……」
気になって仕方がない。
こればかりは理屈では片づけられない衝動だった。
あれこれ考えるよりは、まずはLの顔を知っているというラークに連絡を入れるのが早いのではないだろうか。
――と、そう考えた瞬間だった。
工房の玄関で呼び鈴が鳴り、その男が訪ねてきた。
白いシャツに、青いジーンズ。
飄々とした手ぶらの立ち姿で、ポケットに両手を入れて、
「ワイミーさん、忘れ物ですよ」と、黒い帽子を被っていた。
――「フローリック警部補」
そう声を掛けようとした矢先に、彼は言った。
「言い忘れましたが――僕がLです」