Remembrance
◇プレゼント◇
Lはその後病院に運ばれたが、その日のうちにワイミーズハウスに戻ってきた。
「調子はどうだ?」
「…………」
Lはベッドに入らず、暖炉の前で膝を抱えていた。彼が口をつぐんでからかれこれ2時間は経つ。私は気が気ではなかった。
「寒くないか?」
「…………」
「……ホットチョコレートでも飲むか?」
何を言っても彼は首を振って膝を抱えるばかりだった。視線の先には暖炉がある。傍らでちかちかと光っているクリスマスツリーが酷く滑稽に思えるほどに、私は必死だった。
「ワイミーさん」
「ん、何だ?」
「……分からないんです」
いつかのように、彼は言った。Lは俯きがちで明らかに元気がないように思えたが、私は胸をなで下ろしていた。
良かった。彼はどうやら心を閉ざしてしまった訳ではなかっようだ。
「何が分からないんだ?」
私は隣に座って、彼の暗い瞳をのぞき込んだ。出来るだけ優しい声で語り掛ける。
「一緒に考えよう。時間ならあるんだ」
「……もう、終わってしまった話でもいいですか?」
「あぁ、もちろんだとも」
Lは顔の半分を膝に埋め、ちらりと私を見た。暖炉の炎が大きな瞳に映り込んで揺れた。
「……ありがとうございます」
彼は頷いて、そしてゆっくりと話し始めた。それはラーク・フローリックと彼の出会いから始まって、キルシュ・ワイミーという発明家が街にやってくることを知り、手紙を書き、最後には一人の少年が嘘をついて、青年も嘘をついて少年の命を救うような……そんな物語だった。
「それは……分からなくて当然だ」
話の最後に、私は感想の代わりに一言だけそう言った。
「ですが、分からないままは――このまま終わるのは嫌です」
「終わりじゃないさ」
言いながら、私はちらりとテーブルの上に置いた封筒を見た。白い封筒で、外には赤いリボンを糊で貼りつけている。
「……これは君へのクリスマスプレゼントだ」
Lが部屋で休んでいる数時間の間――暖炉の前で、それを渡すか否か、私は考えていた。その封筒の中身は、彼の将来を大きく方向づけてしまうだろう。もう戻れないかもしれない。その道を選び取ってしまえば、普通の子供にはなれないかもしれない。
暖炉の火を眺めながら――いっそのこと燃やしてしまおうかという考えすら過った。
だが、出来なかった。
「これって……」
外側の白い封筒を開けたLがその動きを止めた。
小さな手が宙に留まり、二つの大きな目が答えをせがむように私を見る。中から出てきたのは彼も私もよく見慣れた、クリーム色の封筒だったからだ。
「たしか、銀行強盗の事件だったかな」
私は知らんふりをするような気持ちで言った。
「オリバーが取り計らってくれたんだ。『今後、Lへの連絡はワイミーズハウスのワタリという人間へ』と」
だが、その封筒自体はラークがプレゼントとして遺していったものだった。
「…………」
「……つまりだな、こんな事件があった後ではあるが、何もこれで全てが終わってしまったわけじゃない。ラークは君にいろいろ難しいことを言ったようだが、彼が言う通りにまともに受け取る必要もないだろうし、これから……これから多くの事件と向き合って、それから答えを出しても遅くはないだろう?」
「…………」
「嫌なら断ってもいいんだ。君には才能がある。ここで生かさなくとも、いくらでも……学者や発明家にもなれるだろう。子供のうちはたくさん遊んで、大人になってから刑事になり探偵なりになって、それからこういう事件と付き合っても遅くはない。それに……」
Lの視線――ものすごい圧だ。
答えはもう分かっているだろうに。どうやら私に言葉での誤魔化しは向かないらしい。
私は観念して、大きく頷いた。
「もしも君が望むならの話だが、これは《L》への依頼だ――」
そう言い終わるかどうかの瞬間に、
何かが飛び掛かってきた。
「――――」
それは、正しく認識するにはあまりに一瞬のことだった。
つむじ風か、小さな通り魔か、あるいは私の勝手な幻だったかもしれないが、私の朧げな記憶によれば私は確かにその時、少年を抱きしめたのだった。
だが、気が付いた時には彼はすでにカーペットの上に一枚一枚と捜査資料を並べ終えて、事件に没頭していた。
「…………L、なにか私にしてほしいことはあるか?」
「はい、ではホットチョコレートを」
「……分かりました」
Lの始まりはきっと、この時点だったのだろう。
ウィンチェスター爆弾魔事件でのLはまだ、何者でもないひとりの子供だったのだ。きっと記録にも残らないだろう。
それから――その先の未来の話をすれば。
Lの実力はハンプシャー警察に留まらず、スコットランドヤードから国家犯罪警察局、さらにはFBI、そして今となってはLのメインフィールドとなったICPOにまでその活動の範囲を広げていった。
相変わらず膝を抱えて甘いものを食べながら子供のように指を咥える姿は何年たっても変わることが無かったが、その一方で、もはや私の頭脳では追いつけない存在となっていた。
画面を見つめる二つの瞳は黒く、暗い、ブラックボックスのように謎めいた存在となった。彼の眼の下の隈は日に日に濃くなり、今となってはいくら寝ても取れない。
彼を知らない者が彼を人間のように扱わない以上に、彼はたったの数年で人間離れした青年となってしまった。
だが――それでも。
彼は毎回、事件が終わるころには私の隣に座って、話をしてくれた。
肘掛椅子に座る私の傍らに来て、少しの沈黙を挟んでから話をしてくれた。
それは事件の顛末であり、解決へ至った道のりであり、そして彼にしか見えていない犯人の意図だった。彼は、警察の捜査資料には決して残らないことまでも話してくれた。私が追い付けない思考の果てや犯人との勝負、解き終えてしまったパズル――それらは私の知らない物語で、Lにしか語れない物語だった。
そして、Lだけが語れる物語を聞くことができるのはきっと世界で私一人だけだった。これほど誇らしい事もない。
Lは、ふと思い出したようにこう言うことがあった。
――「鐘の音が聞こえます」
それは傷跡でもり、亡霊でもあった。
それを知っているのも、今のところは私だけだった。
彼が亡霊のように暗い顔でそういうとき、私は微笑みながらこう答える。ごく普通に何事もなかったかのように――「何も聞こえないよ」と言って、チョコレートを一つ差し出すのだ。
すると彼もまた少しだけ笑って、決まってこう答えるのだった。
白いシャツと青いジーンズを着て、ポケットに両手を入れて、ぼんやりと冗談じみた飄々とした立ち姿で。
「私の言うことは皆デタラメですので、一言も信じないでください」