Victims
◆第三の被害者◆
ガスマスクを見てしまったことで、私はいよいよ考える時間も惜しくなり、上の階に上がった。Lが自室としていた子供部屋だ。ノックし、返事を待たずに開ける。そこは無人だった。簡素すぎる狭い部屋がそこにあるだけだった。
一階のレセプションは無人のままだった。それどころかハウスがまるごと無人のようだった。私は空っぽのメモリアルハウスを後にし、聖堂の広場で2、3度「L!」と叫んだ。
ふらりといなくなってしまったLと、部屋にいないメモリアル氏と部屋のガスマスク。そして今日は爆破予定日時だ。これ以上の最悪の想像ができるだろうか。
爆破地点の特定は不可能だ――だが。
私は無駄な声を上げるのを辞め、ワイミーズハウスへと向かった。
例え、地点の特定が出来なくとも、例え、試作品でも、ないよりはましだ。何も出来ずに、次の被害者の名前であの少年の名前を聞くことになるよりはましだ。
そう考え――広場を抜けた時だった。
「あれ、ワイミーさんじゃないですか。やぁ」
背後から拍子抜けするほど気の抜けた声を掛けられた。
白いシャツにジーンズ、私服姿のラークだった。
「…………」
足元に同じ服装のLがいる。
「あれ、どうしてそんな深刻そうな顔してるんですか?」
ラークは、足下に目を落とした。
「もしかして少年、ちゃんと行き先を伝えないで出てきちゃったか?」
「…………あぁ、よかった」
私は今更に大きく息をついて、傍らにあった石垣に腰を下ろした。息が落ち着いてから、ラークに経緯を話した。
彼は「あー」と言いながら演技がかった仕草で腰に手を当て、「駄目じゃないか、少年」と全く板についていない調子でLを叱るような仕草をした。
Lは殆ど彼を無視してから、私に向かって小さく「すみませんでした」と言った。
「いや、無事ならいいんだよ。私が早とちりしていただけのようだ。ところで一体、二人してどこへ行っていたんだ?」
「あぁ」とラークがにこりと笑う。
「昨晩十時頃に出発しまして、軽く泊まりがけでグリニッジへ」
星は夜にしか見られませんからね、と彼は肩をすくめる。
「……グリニッジ、天文台か?」
あまりに予想外だった。
「な、何故また……」
「あはは、僕のやることですし意味なんてないですよ。休暇を取っていましたし、ちょっと星が見たかっただけです。それに少年が、『今日は一緒にいてください』なんて可愛いらしいこと言うもので」
「言いましたが、可愛く言った覚えはありません」
不機嫌そうに目を逸らすLは、片手に赤いロリポップを持っていた。
「それ、買ってもらったのか?」
「ええ、戦利品です」
何の戦利品か気になったところだったが、突如鳴り出したラークの携帯電話に、Lはスイッチが入ったかのように鋭く睨みつけた。
『……はい。はい。……分かった、向かうよ。あとはそこで聞かせてくれ』
電話の向こうの声はまるで聞き取れなかったが、それが誰からで、どういう要件の連絡からであったかは、Lも私もとっくに分かっていた。
『やれやれ、ウィンチェスターへ戻ってきた途端にこれです。近頃じゃ警察の中でもウィンチェスター爆弾魔事件なんて呼び名で定着してますしね。もっとも、僕からすれば出だしの慎重さ、相手を望んだようなパズル的仕掛け……狂った爆弾魔なんて印象はこれっぽっちも抱かないんですけれどねぇ』
「地点は?時間は?被害者は?」
Lは既に思考を始めようとしていた。ラークは軽く笑って、彼の頭に手を乗せた。はじめは微笑んで、しかし、直後に険しいものとなった。
「場所はグレート・ホール正面。人通りの多い場所です。時間は午後一時。被害者は、傍らに留められていた車のIDから判明しました。――モーメント・メモリアルです」
「――――っ」
第三の被害者はモーメント・メモリアルだった。
こうして私の立てた仮説はいともたやすく呆気なく、あっさりと反証されたのだった。
「ワタリ」
「ん、なんだね?」
「人はいつでも死ぬもの……分かっていますが、こんなに簡単に死ぬものなんですか?」
「…………」
違うと答えたかったが、私は小さく「そうだよ」と答えた。人は容易く死ぬものなのだ。死神の目にとまってしまえば呆気ないものなのだと。
「……死神なんていません。そんな存在の仕業なわけがありません。そうでないと意味がありませんから」
Lはぼそりと拗ねたようにそう答えた。
翌日になって、ラークから【4/2】と掘られた金属板が現場で発見されたという連絡が来た。Lはがりっと気にくわなそうに爪を噛んで言った。
「雑なメッセージです。イニシャルの4文字目と2文字目の【E】をさして【ε】とでも言いたいのでしょう。メッセージが雑な分、今回は明確な殺意があったという考え方もできますが」
Lがの前に広げられた地図には、いよいよ8つもの点が書き記されてしまった。
街では今更のようにはじめの五件の爆破もニュースとして取り沙汰され、大通りからはファーマーズマーケットが姿を消していた。観光客は激減し、夏の日差しを浴びてピクニックをする家族の姿も見られなくなった。有り体な言い方をすれば、街は恐怖に包まれていた。
「L、何か分かったか?」
「……」
私は時折そう問いかけるようにしていた。彼が嫌がるかもしれないと分かっていながらも、彼が膝を抱えたまま、一人でどこかに沈んでいくのではないかと不安になる瞬間があったからだ。
Lは機嫌が悪ければ三角座りの身体ごと私に背を向け、機嫌が悪くないときだと――
「ワタリ、このお店のアイスクリームが食べたいです」
と、新聞広告を指差すこともあった。
まるで長い長い休暇を取っているような気分だった。7月が過ぎ、8月に差し掛かって、イギリスの空である以上、太陽がさんさんと常に降り注いでいる訳ではなくとも、私はひさしぶりに穏やかな時間を過ごしていた。
街の外では相変わらず『次の爆破はいつ起きる?』と恐怖が蔓延していたが、私はそれが当面起きないことを知っている。呑気に構えるべきではなかったが、帰国後ずっと事件の渦中にいたこともあって、ようやく眠れる夜がやってきたのだ。
ある日はいよいよ施設にやってきた他の子供たちからLが喧嘩を売られ、あわや追い返してしまいかねない事態も発生した。私が小さな女の子に裾を引っ張られてその場へ行くと、倒れた二人の子供の中心で、泥でシャツを汚したLが立っていた。
「ど、どうしたのですか」
「先手必勝で一発、驚いている隙にもう一発、懲りて謝っているうちに、仲間へ一発です」
「L、これは君がやったのか?」
「新入りだ、可愛がってやるなどと言って先に手を出したのはそっちの二人です。足を引っかけられて、胸ぐらを引っ張られました。一回は一回です。僕が正義です」
騒然とした庭の子供たちの中で、私は唖然呆然として、「とにかく来なさい」といってLを室内へ引き入れた。詳しく聞くところによると、数日前にハウスやってきた子供たちは初日から外で遊んでおり、その間、Lはスタディや図書館で調べごとをしていたという。そして数日ぶりに彼が時折使っているベンチの上で跳ね回る子供たちの姿を見て、「使うのでどいてください」と言ったそうだ。それを子供たちは「新入りが偉そうに」と言って手を出してしまったそうだ。
――やれやれ。
私は目を覆い隠すようにして頭を抱えた。
「L、子供たちは大人のように理屈が通らないこともあるんだよ」
「ですが僕も子供です」
それは君が特別だからだ、と言うのが手っ取り早いが……私はそうは言えなかった。
「L」
私は彼の肩をつかんで言った。
「皆、それぞれ違うんだよ。だから思うように行かず、自分が正義で相手が悪や理不尽にみえるかもしれない。だが、相手もまた自分の正義があるんだよ。これは――ほら、国際情勢とかと同じで難しい問題なんだ。考えるだけ時間が勿体ないだろう?……何か希望があったら、まず私に言いなさい」
結論として、私は妥協案でLを甘やかすことにした。彼は我が強い。子供同士の説得よりも、私がどうにかした方が手っ取り早いのだ。
Lは指を咥え、頭の中に天秤があるかのように視線を宙にさまよわせた。
「分かりました。でも、理由にかかわらず一回は一回です」
「……まぁ、それくらいなら良いだろう」
ワイミーズハウスの日常は、Lの成長記録のようでもあった。
「ワタリ、新しい服がほしいです」
9月に入る頃には、ほんの少しだけLの背が伸びたように見えた。
「でも、同じものでお願いします」
だが、平穏に見える時間ほど長くは続かないものだ。大きな時限爆弾のカウントダウンのは休むことなく進んでいく。9月が過ぎれば、太陽は低く、日が短くなり、そうしてその日はやってきた。
前回の爆発から77日後――9月27日。
次なる連絡が入ってきた。
『ワイミーさん、少年はいますか?』
事件とは全く関係のないパズルに没頭していたLが顔を上げ、静かに私から受話器を受け取った。黒い瞳はうつむき気味に前を見据え、空虚に見えた。事件について沈黙し続けた後の爆破で、なすすべがなかった空だろうか。その姿に見当違いの罪悪感を感じながら、私は彼の電話が終わるのを待った。
「……ありがとございます」
彼は背伸びをして自分で受話器を戻すと、小さな声で「資料は」と言った。
「……資料は、明日にでもヒバリが持ってきてくれるそうです。いつもと同じです」
「そうか。それで、今回の概要は?」
私が聞き返すも、Lはすでに背を向けて、地図や資料をまとめて部屋に戻ろうとしているところだった。
「おい、どうしたんだ」
「今回は爆破は起きていません」
振り返りながらLは静かに、しかしはっきり言った。
「街中のホテルの一室でスタッフに発見され、警察が処理したそうです」
「だったら――」
「――代わりに、別室で一人の女性が拳銃で頭を打って……一見して明らかに自殺だったそうです。名前は、ロザリオ・スルーズベリー」
「なっ……」
――今度はロザリオ・スルーズベリーだと?
Lはドアノブに手を掛けていた。
今にも部屋を出て行こうとする直前に、彼は一瞬だけ動きを止めた。言おうか言うまいか迷っているように、そして微かに言った。
「……僕の叔母さんです」