Victims
◆HH事件◆
メモリアルハウスから戻った夜、私は工房でジャミング装置の開発を進めていた。
今日の日付は6月30日。
フィボナッチ数列の法則からすれば、現在の数字は610、百の位の《6》に当たる爆破が昨日起きたところだから……次は《10》──第七の爆破が起きるのは10日後の7月9日だ。
今日から数えれば9日後だ。
ジャミング装置がそれまでに完成する見込みは……正直なところ低い。だが、設計図は上がっているし、部品の取り寄せも順調だ。うまくいけば試作品くらいであればテスト稼働させられるだろう。
「あとはL次第……ですか」
私は身の回りの準備を終え、パソコンに向かった。
そして、はたとその隅に目を止める。白い封筒が点滅していた。
「メール……?」
大袈裟に驚いたものの、メール自体はそう珍しいものではない。しかしだからと言って、日常的に用もなく届くというものでもない。そして、ここ最近誰かとメールのやりとりをしていた覚えはなかった。
私はマウスを動かし、その封筒をクリックした。
白い封筒──Lからの封筒も白い封筒だった。
何かが起きる予感がして――そしてそれは的中した。
「…………」
差出人は、フェティア・ナヒクだった。
私は身を乗り出し、小さな送信日時を見た。昨日の午前11時、爆破の一時間前だ。
続く文面は以下の通りだ。
『ワイミーさんへ
急遽用事ができてしまって、直接お話できずにこうしてメールをお送りすることにしました。ごめんなさい。
これからお話しするのはメモリアルハウスが抱えている一つの嘘の話です。嘘であり、秘密であり、そして……罪です。
どこから話せば良いのか分かりませんので、単刀直入に書かせていただきます。
メモリアルハウスが建てられたのは、七年前に発生したある病院での爆破テロで生き延びた子供たちを引き取るためです。
七年前、1979年10月31日……と言えばお分かりになるでしょうか。
それとも、《ハロウィン・ホスピタル事件》といったほうが分かりやすいでしょうか。
HH事件ではロイヤル・ハンプシャー病院の、二棟のうち一棟がほぼ全焼しました。大部分が病室だった方の棟です。その夜、生まれたばかりの子供たちの一部と、彼らの母親はそれぞれ別の棟にいたのです。彼らを引き取るためにメモリアルハウスは建てられました。
生き残った子供たち。
生き残ってしまった子供たち──彼らの中にはその日が誕生日だった子もいます。
悪夢の10月31日生まれの子供、それがLです。
実行犯は自爆で命を落としましたが、使用されたとされる爆弾の入手ルートは明らかになっています。ヴァニタス・グループ──かつてメモリアルさんが会長だった、軍事兵器開発機関です。構成員の一人が犯行グループへ試作兵器を横領し、後に自殺したそうです。これを受けてメモリアルさんは機関を解体し、慈善事業を目的とする財団を立ち上げた……それがメモリアル財団です。
メモリアルハウスの名には、すべての関係者への追悼の意が込められている……ということになっています。
これらの情報はすべて──HH事件の記録は現在、軍事機密として世間にはでていません。
同様に、無闇に子供たちを傷つけないよう、生き残った彼らには真実を伏せているのです。その行為の善悪は私には分かりません。ですが、知れば子供たちは傷つくことでしょう。平気な顔をしていても、傷つくことでしょう。
知ったところで恨むことも、復讐することも、悔やむことも、裁くことも、思い出すことも、何一つ出来ないのですから。
生き残った子供たちの殆どは養子に取られました。Lはあの通りですから、今でもひとりです。
Lは賢い子です。きっと天使にも悪魔にもなれる、ひとりの天才です。でも今はまだ、一人では生きてません。今はまだ、彼の手を取る誰かに、その道は委ねられています。
……生意気言ってすみません。でも、私もかつては神童扱いされたことのある人間として、せめてこんな形でもあの子の味方になってあげたかったのです。
実を言うと私、時々考えてしまうんです。
メモリアルさんはLの才能に恐れているのではないかと。あの子がいずれ真相に辿り着き、自分に復讐をするのではないかと怯えているように見えるのです。子供たちに過去を隠しているのも、Lに知られたくないから……そう思えてなりません。
私からのお願いは一つです。
助けてください。いえ、助けてあげてください。
どうかお二人に幸運な日々が訪れますように──神のご加護を フェティア・ナヒク』
そのメールを読み返すことはできなかった。
私は椅子の前で大きく息をついて、背もたれに体重をかけた。
独りぼっちの七歳。
そして、七年前。
あぁ、何故気付かなかったのだろう──ハロウィン・ホスピタル事件だ。
もしもLが七歳であると聞いた瞬間に、誕生日まで聞いていたなら、彼と、その両親の運命をその場で知ることが出来ただろう。
「名前を付ける時間がなかったというのも、本当かもしれない……」
手紙から伝ってきたのは、Lを想うフェティアの願いと、そして片鱗を知ってしまったことで見え始めた深淵の闇だった。
Lと、モーメント・メモリアルと、ハロウィン・ホスピタル事件──この三つと、現在起きている一連の爆破事件が結びついてしまうのだ。たった一点、『ガスマスクの男』という共通点によって。
「……どうやら、調べられる手足を持っているのは私だけのようだ」
これはQがしていたような探偵の真似事ではない。ただ、Lという少年をもっと知りたいからだと私は自分に言い聞かせた。
よりによって____よりによって、何故、あの事件なのか____怒りさえ湧いてくる。
私はパソコンのキーボードを叩き始めた。ロイヤル・ハンプシャー病院の記録へ潜ろうと試みた。ハッキングは専門ではないが、発明家として蓄えた知識で十分事足りる。いずれセキュリティが強固になる時代がやってくるだろうが、今はまだ履歴を残さずに閲覧だけして去ることは容易だ。
L・ローライトの名前は見つからなかった。新生児に関するデータがまるごと逸失している。また、当時の担当医師の足取りも追えなかった。もしかすると事件で命を落としてしまったのかも知れない。だが代わりに、一人の女性の名前を見つけた。医師以外のスタッフの名はそもそも記録に残っていない中、その女性だけは面会簿への管理者サインとして名前をのこしていたのである。
ロザリオ・スルーズベリー、現在は看護師を辞め、隣のウィンチェスター大学で研究職に就いているらしい。
突如、冷や汗が背中を伝い、遅れて意識にその予感が訪れた。
研究職──まさか。
「……第十三研究室」
プロフィールに記されたその研究室名は、フェティアの名刺に記されているものと同一だった。
偶然にしても、必然にしても、この一致はそれどころではない。すべてが繋がっているのだとしたら。あるいは、一致しているのでも、繋がっているのでもなく、点でも線でも面でもなく、【同一】なのだとしたら。
私は一片の迷いもなく、そこへ電話を掛けていた。
『はい。こちらウィンチェスター大学、第十三研究室、スルーズベリー』
「はじめまして、キルシュ・ワイミーと申します」
私は言った。
──「ある男の子について話を聞かせてください」と。