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Victims




◆未完のパズル◆ 



 第六の爆破が起きてから、ラークがやってきたのは夜の八時になってからだった。
 

 
「……やぁ、貴方がいてくれてよかった」

 ベッドで眠るLと私を見比べて彼は表情を緩めた。Lが一人きりで待っている状況でなく、安心したのだろう。

「どうも、一人にしておけなくて」

「ええ。この子は「一人でいい」と言いながらまだ不完全ですからね」

 ――不完全な――名前すら不完全な存在。
 七歳の子供が不完全なのは当たり前だ。しかし、この少年の場合、それは歪や欠落という意味を持つように思えた。

「僕が言えた立場ではありませんけれど……なんだか危なっかしくて」

「そうだな。平気で三日も寝なかったようだが、今はこうしてぐっすりだ」

「三日も?」

 ラークは大袈裟に目を丸くし、それから俯きがちに首を振った。

「……ワイミーさん。ここに資料を置いておきますが、まずは貴方に今日の事件のことをお話ししても?」

「ええ」

「ありがとうございます。ただ――僕が話して楽になりたいだけなんですが」

 ラークは手の甲でLの額を軽く撫でると、デスクの椅子を引いてそこに座った。
 薄く笑った横顔がこちらに向くと、彼は真面目な表情に戻っていた。

「第六の爆破は本日正午、被害者はフェティア・ナヒク。ロムジーロードからウェストヒルへ入ったところで発生しました」

「……ん?そこは」

 ウィンチェスターの地図は頭に入っている。
 だが、そこは確か――

「ええ、警察署の正面です」

 ぴしゃりと窓を閉め切るように彼は言った。

「実際、僕もそこに居合わせました。舐めた真似をすると言いたいところですが、幸か不幸か……場所柄、治療が迅速に進んだおかげで、彼女自身から証言を得ることができました。……最も、現在は昏睡状態ということですが」

「それで彼女はなんと?」

「彼女はウィンチェスター大学からロムジーロードへ出る途中で何者かに車に連れ込まれ、そして足に爆発物を取り付けられたそうです。助けを求めようとしたのでしょう。近くの警察署へ駆け込もうとした瞬間に――取り付けられた爆弾が爆発した」

「彼女は……犯人の顔も見たと?」

 頭の片隅で――私は自分の言葉に驚いていた。
 悲しむでも怒るでも嘆くでもなく、口から出たのは《犯人の顔》ときた。
 そういうのは――心もなく嗅ぎまわるような無責任な真似は、やめようと決めたはずなのに。

「あー、それですね……見たそうです。顔ではありませんが」

 ラークは曖昧な返答と共に首を傾げた。
 煙に巻くような物言いだったが、冗談を言おうとしている訳ではなさそうだ。

「どうしたんだ?」

「彼女は犯人についてはただ一言だけ――『ガスマスクの男』と」

「――!」

 それは、あまりに暴力的な一致だった。ガスマスクの男――私に銃口を突き付け『Lについて知っていることを話せ、事件から手を引け』と言った男と同一だろうか。いや、あからさまでわざとらしすぎて、いっそのこと切り離して考えるべきだとすら感じる。ひとまずは頭の隅に追いやっておくべきだろう。

「どうかされましたか?」

「いえ、少々……不気味だなと。わざとらしいと言いますか」

「『わざとらしい』、はは、僕みたいですね」

 ラークは大袈裟に肩を竦めた。

「…………」

「冗談です。ですが確かにそうですね。顔を隠すのにガスマスクまでつける必要はありません。わざとらしいメッセージといい、爆弾魔はそういう人物なのでしょう」

 真面目とそうでないときの切り替えがあまりにシームレスで、つい反応が遅れてしまう。彼の冗談は、果たして笑ってやるべきなのだろうか。あるいはLのように無視するべきなのだろうか。正解はおそらく後者だ。

「僕はそろそろ失礼します。ワイミーさん、貴方がいてくれて本当に良かった」

 ラークは一瞬だけ目を細めて私を見る。頷き返せば、彼は口角を上げておどけるよう笑った。
 少年をよろしくお願いします、ひらりと手を振ると、彼は部屋を後にした。

 ◇  ◇

 翌日、6月30日。
 私はLが気がかりで、朝の8時にはメモリアルハウスに向かっていた。フェティアの代理として座っていたのは緑のセーターを着た恰幅の良い赤毛の女性だった。

「恐ろしい事件が起きてるそうね。ウィンチェスター爆弾魔事件ってところかしら。怖いわ」

「ええ、私も死にかけました。ところでLという少年はいますか?」

 そんな乾いたジョークを言いながら、まるで笑えないと慄く彼女からLがいることを聞く。

 応接室を覗いて、それから上の階の子供部屋を見る。どちらも無人だったので、私は階段の下の物置部屋のドアを静かに開けた。

「おはよう、L」

 子供部屋よりも簡素なベッドの上で、彼は捜査資料に囲まれて膝を抱えていた。
 窓から差し込む光が、部屋の埃を照らしていた。床にカーペットはなく、窓にカーテンもない。パイプの簡素なベッドには枕が一つと毛布が一枚あるだけで、上階の子供部屋にあったような柔らかい掛け布団はなかった。

「………」

 Lは目だけで私を振り返った。

「おはようございます。良い朝ですね」

 この状況を鑑みれば決して良い朝とは言えないが、それが彼なりの正しい挨拶なのだろう。
 
 上階の子供部屋と違って、Lの自室である物置部屋は殺風景だった。
 代わりにあるのは破られた封筒と、Lを放射状に取り囲んだ捜査資料たちだ。
 昨日の六件目の爆破の資料だけではないだろう、写真、走り書き、地図、付箋、そして蓋の外されたままのマーカー、様々なものが積み木のブロックのように散乱していた。写真のうち数枚は目を背けたくなるようなものがある。

「フェティアさんですが、今朝方、息を引き取られたそうです」

 Lは抑揚なく言った。

「……そうか。それは……残念だ」

 ほんの数回の会話でも、彼女は人を惹き付ける人間だと感じていた。それに研究もあっただろう、それに、子供たちを思いやっていた。また、彼女が知っていたであろう、メモリアルハウスの秘密を聞けなかったことも、私としては残念なことだ。

「L、君は大丈夫か?」

 一瞬、Lが私を見てすべての動きを止めた。
 指を咥えたままぴたりと静止し、それからゆっくりと口を開いた。

「いえ……僕もとても残念なことだと思います」

「……そうか」

 それは、彼なりに考えた《正しい返答》だったのだろう。
 Lにとって――いや、Lから見た世間では、人の死に対して「大丈夫だ」と答えることは間違いだと判断されたらしかった。
 だが、私は単純に、純粋に、Lが取り乱していないか心配だっただけだ。決して――例え彼が《大丈夫》でも、それを間違っていると責めるつもりなどなかったのだ。

 冷たく乾いた距離を感じる。
 自分とLの間にではなく――彼と、それ以外の全てに。 
 彼はきっと、自分が違う存在であることにひどく自覚的なのだ。

「L……実は――」

 思考をかき消して、私は数日前にガスマスクの男に脅された話をした。
 Lは目を丸くし、それからフローリングを睨んだ。犯人が自分の身近に存在するかもしれない。しかし、彼は新たなヒントを得たかのように爪を噛んだだけだった。

「……可能性は二つです」

 Lは私の話をじっと黙って聞いてから言った。

「一つは、同一犯であること。もう一つは、フェティアさんの証言が仕組まれたものであること……つまり、犯人がワタリがガスマスク男に遭遇したことを知っていて、同一と思わせたかったということです」

「だが、私はあの夜脅されたことを誰にも話してはいない。それこそ本人にしか分からないことだ」

「ええ、そうですね。その場合、犯人が複数いる可能性が浮かび上がります。あるいはワタリを脅した人物と犯人に何らかの繋がりがあるという可能性もありますが……」

「ううむ」
 私は唸ることしかできなかった。

「少なくとも今言えるのは、《ガスマスクの男》というアイコンそれ自体に意味があるということでしょう。わざとらしいのは、それが犯人によって意図的に与えられた情報だからです。フィボナッチ数列や、ギリシャ文字と同じです」

「今回もそのギリシャ文字はのこされていたのか?」

 Lはこくりと頷いた。

「はい。フェティアさんの上腕に」

「上腕に?」

「彼女の上腕にはトライバルタトゥーと呼ばれる文様と、おそらく《ナヒク》のイニシャルである《n》が彫られていました。小文字の《n》とギリシャ文字の《η》……そう見分けはつきませんから」

「…………」

 ファミリーネームの刺青ということは、もともと刻まれていたものだろう。もしかして犯人はそれを知っていて彼女を選んだのだろうか。

「……それに、《η》ということは、今回もまた《α》まで爆破が起きるということか?」

「ええ、あと五回です。それまでに阻止しなへれば」

 Lは頬を膨らませていた。私があげたキャンディだろう。

「爆発物が彼女の片足に括り付けられていたというのは、腕のタトゥーを破壊せず、かつ警察署の前にまで自ら移動させるためでしょう。即死ではないからこそ、ガスマスクの男という証言も得られた」

「犯人は……彼女の殺害が目的ではなかったと?」

「はい、ほうです」

 Lはがりっとキャンディをかみ砕き、喉をごくんと鳴らした。

「犯人は彼女を殺すことそのものに目的を据えていない。やはりメッセージを残し、パズルを解けるものがいるか試している……《殺そうとする》ことと、《死んでも構わない》と道具のように命を使うこと、どちらが悪いことなのか……」

「いや、どっちも駄目だろう」

 私の言葉に、Lは顔を上げた。
 大きな黒い目がさらに見開かれている。しかし、何を言うでもなく何もなかったように再度、手元の写真たちに目を落とした。

「ええ、そうですね。ワタリの言う通りです。とにかく問題は、ピースがいつ揃うかということです」

 私は部屋の端に転がった白い画用紙のような物体を見た。近くで見れば分かる、完成された姿の純白のパズルだった。大の大人でも一度完成させるだけで困難を極めるという最高難度のジグソーパズルを、Lは何度もばらしては組み直しているのだった。

「ここまでで予測できるのは爆破の日付、そしてあと何回起きるかだけ……しかしどちらも先の犯行を予測させるメッセージです。犯人はやはり《こちら側》を意識しています。ピースが揃ったとき、そのパズルを解ける者がいるかどうか……」

「パズルを解ける者といっても……だが、犯人はこれだけ大掛かりに何をしようとしているんだ?」

「分かりません。ですが、終わりは必ず来ます」

 Lは六つの赤い点が打たれた地図をじっと見つめた。

 ――。
 そして私は、不思議とその地図から目が離せなくなった。Lが目ざとく気付く。

「……どうかしましたか、ワタリ」

「いや、なんでもないんだ。気のせいだろう」

「その《気のせい》を聞かせてください。どんな些細な気付きも無駄にならない、とヒバリが言っていました」

「……」

 本人の前では冷たく無視するような態度でいながら、Lはことあるごとにラークのことを口にする。
 どうやら私が思っている以上に彼は好かれているらしい。あの演技じみた好青年の姿――Lとは正反対なようでいて、どことなく共通する部分もあるようだし、気が合うのだろうか……まぁ、そうでもなければ名探偵のLを二人で演じようとは思いもしないだろうが。

 ――それは置いておくとして。

「その地図に打たれた点の配置だ。爆破地点の配置に見覚えがある」

 私は地図の右端の、とっくに終わった五つの爆破が分布するハイウェイ周辺を指さした。

「とくにこの五つの爆破地点だ。だが……見覚えがあるだけで、まるで心あたりがない」

 Lはじっと私を見てから地図に目を落とし、首を傾げたようだった。

「ありがとうございます。参考にします」

「今ので……参考になるのか?」

「ええ」

 Lはこともなげに頷くと、近くにあった青いマーカーのキャップを外した。指先でその端を持ち、躊躇なく白いパズルの上を滑らせた。

「配置にも意味があるということです。さらに《見覚えがある》ということは、少なくともこの五つの爆破については、視覚的に、別の何かに一致するということです」

 真っ白なパズルの上に、五つの青い点が打たれた。

 果たして図形なのか、点と線なのか、考えるべきパターンは無限にありそうだったが――ただの真っ白なパズルと比べて難易度が下がったことは言うまでもない。


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