まぼろし
あなたの名前は?
この物語について*短編
*連載関係ない短編も含まれます
*基本恋愛要素ありor 悲哀あり
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Now I'm seventeen.
l do not ……
「またその歌を歌っているんですね」
いつものように、屋上でひとり歌っていた。
唐突に声を掛けられて、私は振り返った。もう、まともに顔を向けて「やぁ」といった挨拶をした記憶がない。何日だろう、何週間だろう。こんな場所で延々と暇を弄んでいる私には、時間の感覚も回数の感覚もない。ただ、彼のその現れ方はもうお決まりだった。
「うん。そうだよ。これは青春の歌なんだ。私らしいと思わない?」
「青春の歌、とは大分、むしろ古臭い印象を受ける説明ですね。青春に対して良いイメージを持っていないが故の皮肉にしか聞こえませんが。」
「そういう分析的なところ、聞いていて爽快だよ。」
「そうかい、とは言いませんが。」
「ふーん?」
白いシャツに、ダボっとしたズボン。そして常に手ぶらで、その手をポケットに入れている。それでいて猫背でクマが深く、肌がびっくりするほど白い男。それが彼、竜崎の姿だ。
「あーいごーほーむ、あろーん」
自分でもわかるほどに白々しく、私はそっぽを向いて歌を歌い続けた。歌詞の内容はざっくりと以下の通りだ。
“私は17歳。学校は退屈。私は浮いている。可愛い子とかっこいい子はデートでもしてて、女子たちは石鹸とか雑誌の話、私は一人で家に帰る。そして毎日平和を祈るの。地下鉄をのりついでどこかにいなくなりたい”
……と、まぁ、この歌詞の意味は白シャツの男、竜崎に訳してもらったものだ。もともとは唯一無二の親友である“私”から教えてもらった歌なのだが、彼女の発音が最悪すぎたせいで、ただのひらがなの歌にしか聞こえておらず、その結果、歌詞の意味も知らずに私は大声でこの屋上で歌っていたのだ。
それは置いておいて、やたら無気力な歌詞にジョンレノンよろしくシンプルなピアノのフレーズが繰り返されるこの曲を初めて聞かされた時は、青臭い、と思った。だけれども、それで別にいいいじゃん、とも思った。歌の中なのだから、好きに叫べばいい。きっと作者は、たくさんの青春の中で埋もれているんだ。きっと本当にひとりぼっちになる勇気なんてないのだ。
ならば自由になれ、独りになれ、と私は空から見下ろすような気持ちで思うのだ。
「あなたは、いつもここにいますが…」
と、竜崎は無駄に見開いた目で、フェンス越しに地上を見下ろした。黒い学生たちが列をなしてぞろぞろと歩いて流れていく。私も見るまでもなく、それを知っていた。そして、その中に“私”がいることも。
「いいんですか。あなたは、彼らに混ざらないのですか」
分かっていて聞いている節がある、と私は彼を睨んだ。自称・世界の切り札である探偵。それが本当なのだとしたら、彼の含みのある物言いはもう職業病だと言ってもいいと思う。学生の外見をしている私だって、そう指摘したい。
「私は、ちゃんと“そこ”にいるよ。今下校中。帰りにスタバでブラックコーヒーを頼んで勉強してからかえるの。」
「あのなかに、貴方がいるんですか」
「あぁ、いるよ、ほら、赤いマフラー。ほかに3人、一緒に歩いてるでしょ。茶髪の子たち。」
私は嘘をついていない。ここにいる私は私で、下を歩いている高校生の17歳の彼女もまた私なのだ。
「あまり楽しそうではありませんね」
私が指し示した赤いマフラーの女子高生を目で追うと、竜崎は言葉の割に感情のこもっていなさそうな声で言った。私は同じようにフェンス越しに彼女を見下ろす。
「あの子は、笑っていることが正しいことだと信じてるだけだ。……なぁ竜崎、あの子の願いはこの世界にないんだ。」
と、私は“私”の日々について思いを馳せた。
__と、その前に、そろそろ紛らわしいから述べておこう。
私にとって、“私”は、もう一人いる。私は、あのシアンという少女の完全なるコピーでありレプリカである。
所謂ドッペルゲンガーというやつだ。私は人間ではない。そして、遺憾なことながら、たまたま死神だった。無垢な現象で生まれたかったものだ。いや、死神の在り方は悪ではない。それこそ無垢なのだけれど、同じ顔の人間を殺して生きながらえるのは、最期まで好きになれない。
“私”であるあの少女__シアンを殺してまでもう生きる必要性を感じない。うん。殺す予定がないのだから、もう彼女のことを“私”と呼ぶのはやめよう。
「あの子はシアンっていうんだけどな」
私は隣の竜崎に話しかけた。さして興味がなさそうに、壊れかけのベンチの上で体育座りなんかしている。遠くを眺めているが何を見ているんだ?海か?それとも飛行機か?飛行機雲か?……子供め。揺らしてやろうか。指くわえてないでこっちを見ろ。
「聞いてます、やめてください揺らすのは、落ちます。」
「あの子は、ずっとお前に会いたかったんだよ。あいつはいっつもここで本を読んでいた。一人で。お前に会うために読んでいたんだ。」
「そうですか。私に……。」
「なんだその顔は。お前も自分が“ここの人間”じゃないってわかってるんだろ」
「ええ、実感としてはうっすらと。状況としては明らかに。」
竜崎は味気なく、どこか眠そうにそう答える。俯いた瞳の上から、意外に長いまつげが影を落としていた。しかしまぁ、まるで他人事のように語る。もっとも、もう彼にとってはすべてが終わってしまっているのだから、ここでの会話はさして気合をいれるべきものではないのだろう。
「その顔はやめろ、ちょっと私まで悲しくなってくる。シアンがみたら間違いなく泣く。」
「そんなに想われてたんですか。貴方のことが好きになりそうです。」
「なんでシアンじゃなくて私のほうなんだよ。…嘘ばっか。」
軽口を叩き、私は竜崎の隣に座った。長さの不揃いなベンチの足ががたっと傾く。
「しょうがないよな。世界が違うと、会えないものなんだよな。よくわからないけれど。」
私は竜崎を見て言った。想うのは、目の前の自称探偵のことではなく、親友であるシアンの気持ちだった。
そう、私はシアンを、親友だとおもっている。
「彼女の読んでいた物語というのは、私のことも描いているんでしょうか」
「うん。も、どころか二大主役の一人だよ!めっちゃかっこいいんだぜ!」
「なぜあなたがが自慢げなんですか。」
「あぁ、つい。あいつのテンションがうつっちゃったらしい。」
私はなんだか愉快になって笑う。となりの探偵がやけに憂鬱そうにしていたので、思いっきりその肩をばんと叩いてやった。
「おまえはそうやって悲しそうというか、寂しそうにもするんだな。」
「私だって寂しいことはあります」
「シアンがきいたら、また泣いちゃいそうだ。あいつは優しいからな……まぁ、かわいそうだから、いまは私が隣にいてやる!」
「……そうですか」
またもや指を咥えて、遠くをみる竜崎がそこにいた。私は不思議に思う。
あの本の中じゃ、全然平気そうに見えたのにな。一人の方が好きくらいに見えたのにな。
「シアンは、おまえを助けたかったんだと。いや__今でも助けたいと願ってる。……毎日、願ってるよ。」
「あなたがですか?」
わざとだ。とぼけたように竜崎は目を大きくする。なんだ、元気じゃないか。
「違う。私じゃない。シアンが、だ。」
「あなたは、本物になろうとは思わないんですね。今更ですが。」
「あー…あぁうん。私はもう、止めるからさ、そういうの。」
途中で急に自分の話になると、腰を折られる。そうじゃなくって、私はあのシアンの話をしたいんだ。あいつがこの探偵に会えない分、その志だけでも、この幻野郎に伝えておこうと思ったのにさ。
「死神もやめる。本当はあいつを殺して寿命をもらわないと消えちゃうんだけどな。…ドッペルゲンガー、偽物、レプリカとしてな。もういい、偽物のまま終わってやるさ。」
「死神、ですか」
竜崎がどこか遠くの正面を見つめる。黒い髪が、オレンジ色で縁取られて切り取った影のようだ。
「……友達をなくしたら、彼女は悲しむでしょうね。」
「それは言わないでおくれよ。なんだよ。てっきり自分の最期でも思い浮かべているのかと思ったら…。」
それは卑怯だ、と思う。
シアンの話は、卑怯だ。
「私のことについてはもう終わってしまった以上、ただの負けです。だが、間違っていなかった。」
まるで自身の作中の台詞のように晴れ晴れとそういうと、竜崎は話すのを止めた。
きらきらと、と沈みかけの太陽が竜崎の白い肌に反射する。いや、透けていた。白いシャツの向こうに、かすかに遠くの海が透けて見える。
__彼は、もう終わってしまった存在だった。物語のなかでその役目を終え、生きているとも死んでいるとも言えない、ただの“存在”という幻想の一種。
もちろん、物語のページを開きなおせば、彼という存在は生きている。しかし、それこそが、裏を返せばここにいる“竜崎”という存在がぼんやりと曖昧な像になっていて、こちらの世界の人間に視認されえない理由であった。
この彼にとっては、いまこの瞬間は“自分の死”の直後に、曖昧な境をさまよう夢のようなものなのだろう。それがどういう理屈なのかは分からないが、この世界とあの世界、現実と物語、そして生と死。それから、昼と夜の移り変わりである夕暮れ時。さまざまな境界が曖昧になるこの瞬間に、彼はいつもぼんやりと姿を現す。
「おまえは…それでよかったと思っているのか。満足、しているのか」
先の誇らしげな台詞に、私は思わず気になってしまう。「竜崎を救う」といってはばからない、シアンの姿も同時に思い浮かべていた。実のところ、本人としてはどうなの?と。探偵は、親指を唇に押し当てて思案した。
「……私ができるのは、あそこまででした。」
と、またもや無感動に平坦に言葉が述べられる。我ながらおせっかいにも、思わず反論しかけたところで、
「ですがもしも、助けたいと願ってくれる存在、あるいはともに戦ってくれる誰かが隣にいたら、変わっていたかもしれないですね。」
「竜崎、お前は……」
私は、単純に驚いていた。自分の質問でそんな答えが返ってきても決して不思議ではないのに、なぜかあまりにも意外で目を見開いた。シアンがきいたら__どう思う。なんて言うだろう。
「お前は…それを望むか。だれかがいたらよかったと、いま、そう願うのか。」
……。と、その質問に答えるものはいなかった。
竜崎はまた、透けて、蜃気楼のように空気に溶けて行って、ゆらりと立ち上がっただけだった。もう何度目だろう。何度も私はこうやって、まぼろしの竜崎と言葉を交わし、消え行くところを見送っている。
何を問いかけようとも、彼はふわりとした答えしか返してこない。それは、こちらとあちらば別世界で、物語の中からの投影の存在に過ぎないからだろう。
いや__
「はい」
と、今回だけは消えていくなかで、その唇が動いたような気がした。
そう。物語の中に存在しつつも、こちら側に存在している死神の自分が言うのもおかしいが、物語の中の竜崎という人物は一人だが、“こちら側”からみた彼は一人ではないのだ。開くページの数だけ瞬間として存在するし、何を思うか、なにを考えるか、どういう人物か、そういう解釈は、すべて“こちらの世界”の人間の中に何通りも存在する。
それでもあいつが曖昧なまぼろしの形をとって現れたのは、私が死神として実在するからか?“そちら”に、いこうと思えば渡ることも可能な存在だからか?
……どちらにせよ。私はいかない。これは、私の想いじゃない。偽物は、心までは擬態することはない。
竜崎を、Lを助けたいと願っているのは……
「シアン…あの子の願いだ」
これでまた、明日、彼女に話して聞かせるネタが増えた。彼女がいつか一人きりになって終わってしまう前に、このまぼろしの話を彼女に聞かせて、すこしでも喜んでもらおう。
たった一人、たった一つの願い以外をすべてを愛さず、それ故に等しく優しさを与える少女、シアン。優しすぎる彼女が、私は大好きなのだ。
I go home alone
Praying again again again…