数年後の桜
あなたの名前は?
この物語について*短編
*連載関係ない短編も含まれます
*基本恋愛要素ありor 悲哀あり
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「L!ここ、窓から桜が見えるよ!」
幼い少女のようなシアンの声とともに、がらっと窓が開かれる音がした。
捜査資料に張り付けていた意識をそちらへと向ける。
「ほら、風も暖かいでしょ?」
「……本当ですね」
開け放した窓から風が吹き、白いカーテンが大きく光と共になびいた。二階の窓だからか小さな花びらも一緒に数枚ひらひらと入ってきた。シアンは気持ちよさそうに目を細めていた。
決して普段、外に出ない訳ではない。
室内にいる時間は多けれども、気まぐれで外に出ることだってあるのに。
ほんの数日で、外はもう春になっていた。
「あはは、そんなにびっくりする?」
そんなに驚いた顔をしていたのだろうか、トレーを脇に抱えたシアンが首を傾げる。
私は捜査資料の表示されたパソコン画面と彼女の様子を見比べて、椅子から飛び降りた。
「外に出ましょう」
シアンはほんの少しの間を開けてから__嬉しそうに笑った。
「__はい!」
◇数年後の桜
あくまで捜査拠点の一つとして、しかしほとんど家のように暮らしているワイミーズハウス近くの部屋から出て、聖堂から古城跡の桜の立ち並ぶの城壁を二人で歩いた。観光客と入り混じりながら、桜色のホイップの乗った紙カップを片手に、背伸びをしながらシアンは苦笑していた。
「それにしても、現場写真と検死資料には未だに慣れないなぁ、特に、赤い感じのやつ……」
「赤い感じのやつ、ですか」
「そうっ、血がドロドロっとしてて切り口とか血痕とか……」
遠く抜けるようで穏やかな青い空の下で、目の前におぞましいものがあるかのようにシアンが顔を歪ませる。あぁ、さっきの事件のようなことか、と思い当たる。
首のない死体と、別の現場から発見された頭皮のえぐれた頭部の写真。普段、平気そうにしているのは無理をしているということだろうか。
「嫌ならば__」
「い、いや、いやそうじゃなくて、嫌じゃない!」
「……そうですか」
嫌ならやらなくてもいい、という提案は焦った様子で却下された。
今となっては、シアンはワタリとほとんど同じ仕事をしている。初期段階での警察との連絡、スケジュールの調整、仮眠中の管理。実際の事件捜査に乗り出したニアやメロ、マット達とも連携することがある。
「うん、だって嬉しいもん。ちゃんと力になれてる感じ! ……まぁ、悲しい写真を見なくていいような平和が理想ではあるけどね」
横顔だけでも嬉しさのにじみ出る彼女の様子に、思わず見とれてしまう。
かつてのシアンは、どこかに置き去りにされたように覚束ない、暗い瞳をすることがよくあった。それがいつか、光を灯して、誰かを照らすような温かみを帯びている。
「……雪解けですね」
「ゆき?」
思いつくままに言葉を返すと、シアンはきょとんと不思議そうな顔をした。
彼女のことだ。「雪なんて降ってないし解けてないよ?」とでも考えているのだろう。
「……忘れてください」
「なんだろう、遠回しに馬鹿って言われてる気がする……」
へにょりと空気の抜けたような声にちらりとその横顔を見る。ついさっきまでにこにこと幸せそうに笑っていたのに、所在なさげにこちらを見上げるシアンがいた。
私はゆっくりと彼女の頭へ手を乗せた。
「シアンは十分お利口さんです」
「お、お利口さんって大人に言う言葉かな……」
「言わないんですか」
「……小さい子供とか、ペットとかに言うものかと……」
「てっきり可愛がるときに使う言葉かと思っていました」
「…………」
シアンはそっぽを向くと、言葉に詰まったように何も答えない。
すっかり見慣れたその表情に、私はただ彼女の頭を乱暴に撫でた。
「シアン」
「……はい」
じろりと大きな目を恨めしそうに向けながら、それでも幼げな声で彼女は答えた。そんな仕草でさえも、きっと自分から移ってしまったのかと思うことがある。
シアンと一緒に過ごした時間はもうどれくらいになるだろうか。
出会った頃のシアンは、私のテーブルに並ぶお菓子を見て「不健康です」と驚いていた。他にも「ちゃんと寝てください」と口うるさく言ってきたり、捜査員から誤解されるような発言も、二人になってから「優しいんですね」なんてきょとんと言ってきたり、不思議な少女だった。
一方で私もそんな彼女の様子に、初めのうちは「一人にしてほしい」と心から願っていた。
Lの傍にはワタリだけでいい。笑ったり泣いたりする人間らしい人間は自分の傍には不要だと感じていた。
それが今は__今は。
「……せ、せめてなにか言ってください……」
じっと観察していると、シアンは居心地悪そうに目を逸らした。
こうして覚束なそうに視線を逸らす少女はしかし、いつでも私という存在を強く離そうとしなかった。独りにならないよう、命を投げ出さないよう、いつだって名前を呼び続けてくれていた。
時々、本当に同一人物なのかと不思議に思うことがある。
強さと、優しさと__二面性を持つ、不思議な少女__今でもまだ、彼女のすべてを知っているとは言えない。
「いえ、ただ考えていたんです」
「考えてた?何を?」
「最初に会ったキラ事件の時、シアンは私を見てどう思いましたか?」
__思っているのと全く違うことを聞いてしまった。
今更過ぎる、そして重要でもない質問に、シアンはほんの少しだけ目を見開く。
「そんなの__」
しかし、それも気のせいだったかのように再びふわりと笑った。
「そんなの、【正しくて優しくて頭が良くて、なんかかっこいいなあ】__に決まってます!」
まるで後悔なくすっきりと言い切るシアンの笑顔は、春の陽光に負けないほど眩しかった。
◇
いつの間にか当たり前になってしまったLの隣は、とても優しい場所だ。
それは決して生温いとか甘やかしといった意味ではなくて。
誰かに優しくなろうと__そう願うことができる場所だった。
「ほんといい天気だねー!」
古城のある広い原っぱに出て、大きな桜の木の前で立ち止まった。穏やかで上を見上げれば日差しが眩しい。Lの白いシャツも陽の光をうけていっそう眩しく感じた。
「去年もどこかで桜を見たんだっけ?日本かな、アメリカ?……覚えてないけれど、こうしてさ」
大きな桜の下でLがゆるりと立ち止まって膝を抱えたので、私は少しだけ体をくっつけて座ってみた。
二人並んで三角座り。
くつろぎ中なので、決して恥ずかしくはない。恥ずかしくはない、はず。
周囲の人々も、同じように原っぱの上に座り、家族や恋人と穏やかな時間を過ごしていた。笑い声が時折聞こえる。
「えへへ」
「なにか可笑しいですか」
「ううん、なんでもない」
私は膝を抱えなおした。
「……来年も、その次の年も、L……私達ってずっと一緒に居られるのかなぁ」
「…………」
「桜ってすぐ散っちゃうから……だから、綺麗な桜をもっと見ていたいなと思う気持ちって、幸せな時間にもっと続いてほしいと願う気持ちとよく似てるよね」
そんな独り言のような感想を空に投げると、ぼんやりと静かにしていたLが、悪戯のようにこちらに体重をかけてきた。「おっと」と、私は思わず座ったままほんの少しだけバランスを崩す。
「どうしたのLっ」
「シアン、私はシアンの傍にいます。とっくの昔に約束したじゃないですか」
「……あはは、そうだったよね」
__ひらり、ひらり。斜めにひらり。
手を伸べても掴めない花びらは、けらけらと弱気な私を笑っているようだった。
それに励まされるような心地を覚えつつLを見ると、どうしてだろう__にやりと笑っていた。黒い目が瞬きもせずにじっとこちらを見つめる。
「…………」
「…………な、なに?」
「………………シアンがあまりに一途なので安心していました」
「あ、安心しないでください……」
「…………」
再び無言になったLの視線がそろりと宙に逸れる。
「……?」
つられて、私も視線の先を追う。
ふいにLの目が一枚の花びらに留まり、そのまま目で追うと、____ぱくりと食べた。
________!?!?
「え__Lなにしてるの?!生の桜の花びら食べても味しないし多分汚いからぺってしてください!」
「飲み込んでしまいました」
けろりと何事もなかったかのように指を咥える。
……一体どんな考えがあって桜の花びらを食べたというのだろう。
「さすがに理解不能すぎるよ……どういうこと……」
Lの行動や発想が常人が及びもつかない程に突飛であること自体には慣れたが、何をするかは読めたものではない。
「月くんに『桜の花びらで折り鶴を折れたらキスがうまい。僕もこう見えて出来るんだよ』と言われたもので」
「信じたんですか!?」
月君……。
まさかLが本当に信じていると知ったら驚くんじゃないかな。まぁ月君のことだからい愉快に思うのかもしれないけれど。
「だからって本当にやる必要ないのに……」
「シアンもそう思いますか。当然です。自信ありですから」
「…………」
主語はないけれど、まぁ、Lが何に対して自信ありと言いたいのかは分かる。というか、だったら「飲み込んでしまいました」って失敗してるじゃない、と思ってしまったけれど、私はあえて突っ込まないのです。
「大きくなってきたニアやメロ達に大人とはどういうものかを教える良い口実です。『これくらいできなければシアンは満足しませ』」
「__最低じゃないですか!」
私のツッコミに、Lは得意げに指を咥えた。
最近ますます、意外にジョークの好きなLのペースに飲まれている。飲まれているのか慣れているのか、それとも私もそういう体質になってしまったのか。気が付けばまともな会話なんてしていない。
「来年またここに来られたら……この桜を見て、『あの時はこうだったな』と思い返す日が来るのかな」
「ええ、『あの時はこうだったなと思い返す日がくるのかな』と思ったことを思い出すんじゃないでしょうか」
「……んん?」
「そしてそのさらに次の年は『あの時はこうだったなと思い返す日が来るのかなと思ったことを思い返したな』と回想するんです」
「……ど、どういう意味なの……」
「特に意味はありません」
「えーっ」
「少なくとも私は、一人で回想するより、こうしてシアンをからかう方が好きです」
穏やかな表情で、Lは私を横目で見る。
「またそうやってふざけるっ」
「嫌ですか?」
「…………」
その質問は卑怯だ、と思う。
何年経っても受け流せないし、慣れることもない。
寂しさも帳消しにしてしまうような、その優しさが、くすぐったくて__大好きで__『隣』にいる今は、春の日差しそのもののように暖かくて心地いい。
「まぁ、いつまで続くかな、なんて世界中の恋人たちが思い悩んでることだもんね。それだけ幸せってことだよね、きっと」
__そうだ。
これはありふれた幸せで、ありふれた憂鬱。
桜を綺麗と感じるのは、すぐに終わってしまうと知っているから__なんて聞き飽きた理屈のように当たり前の悩み。
裏返しで表裏一体。
Lと私は、出会った頃はいつ死んでもおかしくない状況にいたけれど、それももう、懐かしい過去の話なのだった。
危険な組織が絡んだりする捜査に携わり続けるLという立場は、私も含め決して安全だとは今でも言い切れないけれど、それでも、『あの日々』からすれば随分と平和になったものだ。少なくとも、顔と名前を知られただけで死んでしまう心配はもうしなくていい。
「あ、そうだ!」
私はふと、この時の為に準備してきたあるものを思い出した。
「はい、L」
「なんですかこれは」
銀色のアルミホイルを見て、Lは指を咥え目を丸くする。「えへへ」とと、私はつい得意げになってそれを解く。中からピンク色のお餅と緑の葉っぱが現れた。
「さくらもち。内緒で作ってた」
イギリスで出会うことはそうそうないだろう。外に散歩にできる機会があったらいいなと早起きして作ったのだった。
Lは、目を丸くして指を咥えたままそれを見ると、子供のような表情で私を見上げた。
「シアン」
「ん?」
「愛してます」
私は吹き出し、むせこんだ。
「__ごほっごほっ……え、な、なんで急に」
涙目になりながら質問しても、Lはもうさくらもちの方に意識をとられていた。
「L-っ……」
「…………」
まるで「なにも言ってませんが」という調子だ。
Lは指先で桜の葉っぱを捲り、しばらくいろいろな角度から眺めた後、ピンクのもちごとぱくっと口に入れた。
「……流石シアンです」
「美味しい?」
「……」
その返事に代えて、Lはひたすら釘付けでもぐもぐと無言でさくらもちを食べる。文字通りではないけれど、花より団子だ。
そうしてしばらく座って、20分か30分ほどのんびりと他愛ない時間を過ごしていた。ふとポケットに入れていた携帯電話が震えたので時間を見れば、そろそろ戻る時間になっていた。
「あ、L、そろそろ約束の時間になっちゃう」
__日本警察との通信を繋ぐ時間だった。
キラ事件を機に、日本警察とは以前よりも協力する機会が増えている。今となっては月君も警察庁にいるし、ちょっとした特別待遇だろう。
私の言葉を受け、Lは途端にじとりと半目になった。
「……さぼりませんか」
「さぼらない!」
面倒がるように唇を引っ張っていたLはしかし、本気で言ったわけでもないのだろう。
Lは昔から変わらず、事件の捜査が何よりも一番好きなのだ。
それこそ寝る間も惜しまず、好きという自覚すらないほどに。
「楽しみだね。今回の事件、松田さんが主任なんだって」
「……どんな事件ですか」
Lはまだ、事件概要すら聞いていない。
松田さん、と聞いて尚更面倒そうに指を咥えた彼に、私は簡単にその概要を説明することにした。今回はそれなりに真面目で深刻で、Lの助けがいるのだ。
「松田さんがね、ある殺人事件の取り調べの際に、脅しや冗談のつもりで軽くLの名前を出したらしいの。それが繋がりに繋がって、とある武器カルテルのクラッキング部門が『Lの情報を渡さなければ松田桃太とその家族を狙う』と警察庁の内部システムを通じて__」
「松田の馬鹿」
私の説明を最後まで聞かずにLがきっぱりと言った。
「松田は駄目です、手に負えません」
「まぁまぁ、でも、Lが助けてくれるから大丈夫だーって随分安心してたよ?」
「………松田の馬鹿」
「……もう、月君がそれ、1000回くらい言ってるよきっと」
「何度でも言います。松田の馬鹿」
仕方なさそうにゆっくりと立ち上がったLの髪から、薄桃色の花びらが落ちる。
それが私の鼻先をかすめて、ひらひらと土の上に落ちた。
「あはは、L、頭の上に花びらが__わっ」
強い風が吹いて、足元の花びらが一斉に巻き上がる。
私はそれに驚いて、バランスを崩す。
「大丈夫ですか、シアン」
Lは強い風の中、私をぐっと支えてくれた。
風の音と、春と同じ暖かさ。
「また来年__どこかの桜を一緒に見に来ましょう」
穏やかな声に、私は安心して少しだけ目を瞑ってみた。
去年も、その前も、出会った頃も____また来年も一緒に___そう願ってきたのだろう。でも、なぜか思い出せない。思い出すには他愛なさ過ぎて、些細な会話だからだろう。
今日のこともきっと忘れてしまうのだろう。
幸せは日常と日々に溶けて、そして記憶にも残らない。
「何をぼーっとしてるんですか、シアン」
「あ、待って!」
それでもまた来年、同じように二人並んで歩いたら、こうして思い出せるような気がした。